4回続けて&ステージ

2009年09月23日

おかげさまで、22日は、またも日祝営業としては、売上の記録を大幅に更新しました。

数名、県外から滅多にお会いできない方が来てくださいました。

19時半まで来客があって、片付けと翌日の準備をしたら、休み休みしながらだったこともあり、午前零時までかかってしまいました。

有名店の前を通って来たばかりの方が、「16:00でもまだものすごい列が続いてるよ。」と言っていた。
1500~2000人ぐらいいくのか?
片付けや翌日の準備を何人で何時までやってるんだ?

120人でも、洗う食器だけで丼、グラス、トレイ、皿などで計400以上出るから、なかなかパート1人と自分だけでは寝込みそうになるのに、2000人っていったい何人でやってるんだ?
こういっては何だが、たみ家は、昔から疲れ知らずの怪物とか体力無尽蔵の怪物の名は欲しいままにしてきた方だよ。
生まれてこの方、他の人と何かやって、自分から先に「疲れた」とか言ったことないし。

組織とかシステムとかノウハウは大事だよ。

個人の力量とか度量とか忍耐は、大事だけど、それに頼ったらいかんわ。

たみ家は、当初、うどん店を開業するような人を応援する趣旨で、ブログを書いてましたが、今は、お勧めしないし、安易にうどん屋をやろうとするような考えが、個人を不幸にし、日本をダメにするんではないかとすら思ってます。

だいたい誰でもやろうと思えばやれることが儲かったらおかしいだろ。
少なくとも、長期に渡る鍛錬や準備がないものが儲かる率が高いのはありえない。
たまにそういう人がいて、目立ったり、隣の芝の青さで儲かってなくても儲かってるように見えることはあっても。
うどん屋が儲かる率が高いなら、宇宙の法則に絶対的に反するよ。

ただ、それでもする人はしたらいいと思うし、いくつかの条件をクリアしたら、成功するんだろうとは思います。
たみ家は、利益を出してるとこ、多彩な収益モデルを持ってるとこ、人を使うのがうまいところで修行すべきだと思ってます。
店主が身体を空けれてるところがいい。
店主だけが麺を打ってる店では原則修行すべきではない。
でなければ、体力の衰えや怪我や病気がすぐに休業、廃業、貧困、借金漬け、そういう危機を経営の中で回避するイメージが湧きません。

さて、うどん屋というライフスタイルは、ステージに立ってる側に回るわけですから魅力的な生き方だとは思います。

ただ、自由かというと、勤め時代は多めのときは、海外に年3回ぐらい、東京に年5回、大阪には年20回ぐらいは行ってたと思うけど、開業以来、高松市より南に出たことが一度もありません。
東の限界が長尾、西の限界が善通寺です。
冠婚葬祭で、岡山県に2回行きました。

3年で5回は行っていたUSA、3年半で一度も行けてない塩江。
たみ家の体感では、塩江はブラジルよりも遠くなった。

そう、ステージに立ってるけど、自分がつくったステージに縛られますね。
組織内部に上がいないという自由はあるけど、全体の自由度でどっちが上かは微妙だな。

田尾さんが団長日記で、「社会人になることはカウンターの内側に来ることだ。」みたいに書いてましたが、そこをさらに深入りし、24時間カウンターに縛り付けられた生き方が自営かもしれない。

たみ家は、けっこう満足してるし、毎年3回ぐらい海外とか行って、10代のときでも自転車で北海道まで行ったりしてたから、どこかに行きたいという渇望はない。

いろいろな街を観光してきたけど、今度は自分が街をつくる側、カウンターの内側、ステージの上の人生を送るんだと思うと、それは気持ちよく納得できる。

正直、大学の先生や弁護士や政治家などになることを想像するよりも、うどん屋が上だと思うね。
彼らよりうどん屋店主の方がより迅速に自分の意思を実現でき、ステージの上で自由に振舞える。

ただ、ええかげん、もうちょっと時間ができて、身体が楽になって、「生活ができる」じゃなくて「生活設計ができる」ぐらいの利益になってくれたらありがたいとは思うなあ。
というか、近隣のオフィスの空室率が増えんとってほしい。
というか、人員が減らんとってほしい。
20年以上に渡って。
って無理だけど。

週7日店開けて、朝からこの時間までやったら、ローソンのバイトの時給換算でも年収500万にはなるからなあ。
ローソンのバイトでも、年収500万になるまで働いたら、使う間がないから、貯まるで。

まあ、彼らは、カウンターの内側ではあるけど、ステージの上で自由に振舞えるわけではないから、ステータスやライフスタイルとして考えたら大きく違うけどなあ。



この記事へのコメント
「生活設計ができる」

 大切なことです。
 社会人になるということは、「他人に迷惑をかけることをせずに自分で生活できると」いうことではなくて、「住宅ローン」というウン千万円もの借金をし、たとえ「社畜」と呼ばれるような人生であったにせよ、とりあえずは、1950年頃から80年代までの「自分の子どもが、良きにつけ悪しきにつけモデルとするような大人の姿を見せる(これ、視覚障害者には差別語ですが)」ということであったのだと思っています。
 今の社会は、政治・経済の第一線にいる裕福な人びとから、実際に「格差・貧困」で苦しめられている人びとに至るまで、「生活ができる」ことにハードルが引き下げられていることが問題なのでしょう。面白くないですよね。面白くもない世を、面白く・・・・さて 
Posted by ほほいのほい at 2009年09月23日 08:03
ほほいのほいさん
ナイスなコメントありがとうございます。
住宅ローン~やハードルの引下げ~は重大テーマです。
Posted by たみ家たみ家 at 2009年09月23日 22:59
抽象的な 実に抽象的な話ですが

 どんなカウンターをつくりますか
 多くのコンビニエンスストアでは、カウンター上に「不要なレシート」を放棄するためのスペースをつくっていますが、無利益であるとともに、反社会的なスペースだと考えています。捨てるなよ、レシートを^^捨ててるな、ワタクシ
 ぁ、何が言いたかったのかというと、「フレームワーク(この意味わかりませんが)ですね」と言った若い教員にたいして、苦笑するのではなくて、とことん、やりあっておくほうが、田尾先生の言う建設的な議論なのではないかと考えたんです。私が思うに、カウンターの施工者に「お前、言ったことには責任とれよ。でもな、田尾さん、あんたももここにいといてな」といわなあかんのと。たった2時間を云々せんといてという、今日この頃です。
 
 
Posted by ほほいのほい at 2009年09月24日 00:28
ほほいのほいさん
こんばんは。
田尾氏が言うカウンターっていうのは、供給側と需要側、送り手と受け手を分かつ観念の境界のことだと理解してます。

施工するのは、どっちかというとステージで、カウンターは境界、供給側の受け持つ場がステージだという理解です。
Posted by たみ家たみ家 at 2009年09月24日 23:12
 
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