じゃあ何のために?

2009年05月15日

前回「女の平和」を取り上げましたが

女性は平和的な生き物だと思いますか?

もしかしたら、男性との比較ではそうかもしれませんが、イエスかノーかで言ったらイエスとは言えないだろうなあ。

世界史を眺めてみても、現代を見回しても、戦争は消費のためにしている。

消費はもちろんそれ以外もあるが、ほとんどは生殖の機会を増やすことと養育のために行われる。

もし、人間が土から単独で生まれて一代限りで終わる存在なら、消費は格段に減るだろう。

なぜ、両性による生殖と養育は消費を増やすのか?

それは、不確実で長期のものがそうでないものより利回りが大きくなけれがならないという金融商品の基本原則から考えたらわかるでしょう。
もうちょっと機会をみて詳しく書きますが、今までずっと読まれてる方には必要ないかもしれませんね。

戦争は軍で戦ってる人がやってるのでしょうか?
兵隊として派遣された人は、そうでない人よりも好戦的で平和的でないのでしょうか?

兵隊として手を直接下さなくても、決定をした政治家は戦争はしてないのでしょうか?

それには、資本家の要請はないのでしょうか?

消費のために戦争するんだから、高価なバッグを買うのも、戦地で銃を撃つのも戦争なんです。
遠くはあるけど、われわれの消費生活自体が、戦争の一部なんです。

兵隊としてする戦争
政治家としてする戦争
資本家としてする戦争
有権者としてする戦争
消費者としてする戦争

誰が平和的という話でもない。

たとえば、華美なものを身につけるのは、生殖の機会を有利にするためであることが多かったりする。
もう生殖の機会を求めない年齢になったとしても、それを好むのは生殖の機会を有利にする行動を好む者が生殖に有利で生存率が高かったからでしょう。

大きな車に乗るのは、生殖の機会を有利にするためや子どもの養育のためであることが多いでしょう。
本人はそういうつもりでなくても、そういうことに結びつきやすい行動を好む者が数え切れないほどの交配を通して生き残っている可能性は高い。

じゃあ、消費が戦争を生むならガマンしたらいいのかというと、ガマンはまた別の問題を生む。
ガマンが生む問題の方が毒のまわるのが速い。
ガマンは個人的に辛い。消費不振は倒産を生む。政権を不安定にする。
などなど

戦争は消費のためで、消費は生殖と養育と個体保存のため


生きるってことは、差別して他者を踏みにじることで、それでしか生きることはできない。
というか、今まではそうだった。

何百万人でも死ぬって話が、冷害でも伝染病でも、世界史の本にたくさん出てくる。

リスクヘッジするためには、巨大なシステムで他者を支配するしかなかった。

連鎖の頂点にあっても決して安心できるわけではない。

悪いことかどうかは微妙だ。
たみ家は責める気持ちで書いてるわけではない。
ただ、知るか知らないか、自覚するかどうかの問題

行き過ぎた資本主義のひずみを修正し、新しい社会モデルを考え、それをどう地域の人々の暮らしに活かしていくかを話し合うときに、自覚のない人が多かったらうまくいかないだろうなあと思う。

なぜか?
私権に制限をかけて、再配分の力を大きくしようとすると、公の権力は大きくなり、そこにおぜにさんがたくさん集まる。
そうすると権力者に支配を強めたり、美味い汁を吸いたくなる動機が強まり、同時にそれができる条件ができてしまうから。

行き過ぎた資本主義のひずみを修正して、より平等に人間らしく生きるというなら、学びと自覚により、システムを監視しなければならない。
過去、さまざまに革命が行われたが、残念ながら、そこがうまくいかずに独裁と恐怖政治に陥ったことが多い。
権力者は、人々の暮らしを良くすることについてはどうかと思うが、闘争は上手くやった人も多い。
ところが、支配される側が上手くやった例は、どうだろうか?

主権者だから支配される側ってのは言葉的におかしいんだけどね。



 
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