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Posted by あしたさぬき.JP at

才能

2012年10月28日

将棋の羽生さんが、インタビューで
「才能って何?」と訊かれ
「ひらめきと言うより、着実に地道に続けて進めることだと思う。そのためには、色んなことに意外性を感じたり意表を突かれる思いをできる方がいい。そういうのがあると情熱を持ち続けやすい。」 と言ってた。

わたしと同じような考えだなあ。
わたしは、社会を良くしたいとは、漠然と10歳からは考えていたが、確実に意識したのは平成5年からで、ほとんど頭の中を支配するようになったのは平成10年からで、正直、今はそれに関わること以外は何もしたくない。
けっこう色んなことに挑戦してきたと思うけど、それを経て、やはりそれしかしたくない。

10歳より前のより原点に近いところは、わたしが生まれた家は周囲は長屋の住民と長屋のオーナーしかいなくて、うちの親は、そんなとこに、オーナーの家より大きい家建てたんだよね。
自慢でも何でもなく、32歳で大阪市内で子ども部屋のある家にこだわったら、そこしかなかったんだろう。
それは、周囲の子どもと遊ぶときに、3歳やそこらから、すごいアウェー感だった。
仲間に入れてもらおうとしないと入れない空気。

幼稚園のときは、たいそう自信のない園児だった。
自分ができるかどうかは、長屋の年上ばかりの中では、園児レベルでは何の意味も持たない。

ただ、小学校入ってアウェー感の中で、年上ばかりの中で揉まれたというかイビられたのかは知らんけど、同学年ばかりで勉強や運動やケンカ比べたとき、同学年って、ご近所相手より楽だとたいそう感じられたことはまだマシだった。

ただ、その自信のない園児時代と勉強やケンカでいくらか目立てた小1のときのギャップや、3歳ぐらいからお願いしないと遊びにも入れないような、人生のスタートからのアウェー感や差別感は、後々に、生まれながらにしての差別を世の中に残してはいけないなあとか、そういう不幸な差別があったとしても、そこから公平に打開するチャンスは世の中にあるべきだと思い続ける原点にはなってるような気がする。

そういう3歳やそこらで感じたことを後の見聞を重ねながら、風化させずに、良い方に世の中を向かわせたいと思えるのは、偶然の所作とも言えるし、才能だとも思う。
さして、そのときを恨みもしないし、コンプレックスもないと思うけど、良い方に持っていきたい原点としてだけ大きく残せていると、自分では思っている。

ただ、まったく個人の問題として言うと、たまたま小1でケンカや勉強ができる部類だったからまだ良かったけど、もしダメだったら、自分は学校で男子にずっと殴られたり小突かれて、近所にも居場所がなかったかもしれない。
そういう意味で弱さへの怖れみたいなものをいくらか持っているかもしれない。

ただ、そういうことから来る自分の弱さ、醜さみたいなものを含めて、それにまつわりそうな思いつく方面を良いよう世の中で変えていきたいと思えることは、自分でたいそう気に入っている。

小学校入ってすぐに地理図鑑にハマったことや、その頃に、大阪が横浜に人口で抜かれたと聞いて、東京・大阪は並び立つ二大都市と何となく思ってただけに、東京のオマケに負けたことで、そんなにはっきり意識できたわけじゃないけど、東京一極集中への漠然とした怖れみたいなものを6歳ぐらいで感じ、30年以上経ってもわざわざ書くほどの衝撃を受けた。

3歳のアウェー感、6歳頃の小学校入って救われた気持ちと横浜ショック、10歳の頃のアンネの日記でのそれまで信じていた大人が極限まで暴走する恐怖、その少し後の俺たちひょうきん族の笑いに潜む差別感から、テレビのお笑いが好きでなくなった感覚。

これらは、人それぞれ色んな経験があるでしょうが、わたしなりに他人にはマネできない感じ方の原点だと思うが、そこで感じた矛盾のようなものを世の中でより良くと言う気持ちに変えて、風化させないこと。
わたしは、結果がどれぐらい出るものかはわからないが、羽生さんやイチローさんに近い才能だと、自信を持っているところではある。
ほんとうは、もっと色んなことがあるし、もっと歳を重ねてから見た数々の凄惨な現場があるのだが、それをどう感じてどうしたいと思ったかは、やはりもっと早いうちに形成されたものに枠組みを持つと思う。   

Posted by たみ家 at 07:07Comments(0)