仲良しとおぜにさん
2009年02月12日
レバレッジの話の続きですが、「他力を用いて意思実現を速める作用・装置=レバレッジ」について、大まかにたみ家が考えるところを概説いたしました。
じゃあ、具体的にできる範囲の処方についてささやかに。
ブログにはレバレッジの負担やリスクを下げる力があると、先で言いたいわけです。
また、そうなるようになってないと、たとえば「あしたさぬき」も価値が半減するわけです。
「中小企業家同友会」などの集まりも、そのためにもあるといえるでしょう。
たみ家のは、前をかなり読んでないとわからんことが多い。
「レバレッジ3」ぐらいは少なくとも読んでないと、どんな人が読んでもたぶんわからんでしょうね。
さて
人と仲が悪かったらおぜにさんを損します。
もし標準レベルと同じ種類の動き同士で1.5倍の速度でできる優秀なオーナーうどん職人がいたとします。
この人は、少ない人数で店を回すことができるので、標準レベルオーナー職人1人に対して、人件費などおぜにさんの出が少ない。
争えば、標準の人が淘汰される可能性が高い。
でも、標準レベルの仲良し共同経営2人組みうどん職人が純粋に双方犠牲をいとわずに協力すれば、1・5倍の人に勝てる可能性は大きい。
争って、1.5倍の人が淘汰されるかもしれない。
ところが、この2人組が仲良しでなくなって、険悪になったら、売上も上がらず、開業に使ったおぜにさんが泡となり、開業時の借入れの返済を、もうやってもない事業なのに、し続けることになります。
仲良しはおぜにさんになる。
こういうことは典型例ですが、非常に広い範囲のことで言えます。
仲良しじゃなくても、是々非々で、というのが正しいことも多いが、それは、おぜにさんの出につながることが多い。
公立学校教師
塾講師
役所の事務職員
自営業者
コンサル業
学者
政治家
プロスポーツ選手など
まだまだ列挙しきれないほど、いろいろ職業はありますが、仲良しか不仲かで、おぜにさんの出入りについて、どういう影響があるでしょうか?
これを大まかに数式で表現できるものについては数式で、それができにくいものについては、それなりに書いていきたいと思います。
たみ家は、以前、6年ほど前に、「ブログは地域の発展に大きく寄与する。公共政策の中で、それなりの地位を占めてくる。」
と、いろんなところで、書いてきましたが、これは、仲良しは、社会のレバレッジの負担を下げる効用があるということは含まれているかなあ。
まあ、昔の人も、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和にしかず」と言ってましたが、(ドラマは見たことないけど、「天地人」ってのも、そのことなんでしょうか?)そのことをもうちょっと数式にできるような理詰めの話で、説明することになるんでしょうかね。
単純にいえば、信頼があれば物を貸してくれることは多い。
もっとあれば、おぜにさんを貸してくれるかもしれない。
なければ、銀行に有利子負債としてお願いに行く。
もっとなければ、サラ金とかに行く。
無利子で借りたとしても、いる物をいるときにタイムリーに貸してくれるのと違って、借りたおぜにさんで何か買うので、費消してしまいます。
仲良しだったり、いい人と思われている順に、活動中におぜにさんの負担の下がる選択肢が用意されているわけです。
さて、香川では三豊は昔から豊かだとよくいわれてました。
三豊の一世帯平均人数は、うろ覚えですが、3は超えてるでしょう。
全県で2.7ぐらいかな。
高松は、2.5ぐらい?
都市の方が多いのかというと、小豆島も2.5ぐらい?
ってことは、田舎どうしでも、独居老人が小豆島は多く、三豊は少ない可能性が高いのでは?
富山県が、よく全国一豊かな県と言われています。
家が広い、三世帯住居が多い、また、田舎としては全国一学力も優秀だと思いますが、なぜか幼稚園に行く子供が極めて少ない。
115万人ぐらいの人口で東大20~30人ぐらい行く県立高校が3つあり、丸亀高校クラスも3つ4つあります。
香川も優秀な方だと思いますが、富山は全国一でしょう。
奈良とか京都はセンターの点はいいけど、東大寺やら洛南やら有名私立に大阪などから秀才が多数進学してるからで、実質は富山がずっと一番でしょう。
人口15~20万いれば高松高校並み、人口4、5万いれば丸亀高校並みの県立進学校が出現し、生活保護受給者の人口割りが全国一少なく、香川が1000人中10でも、富山には2ぐらいです。
まあ、極端にいうと、全県が高松でいうところのあの人気学区みたいなレベルといえば、イメージは近い。
それなのに、幼稚園ときたら、香川の人が7割行くとしたら、富山だと2割ほどのこどもしか行かない。
3世代居住が、生活における義務的な固定費を圧縮し、家庭の教育力によって家計や財政の負担を減らせてるとしたら、これは算数の理屈にかなっている。
そういうものを圧縮し、前向きなことに、人々や地域が力をもっとまわせるなら、地方分権というのは、非常に理屈にかなっているのかもしれない。
今、日本中の田舎は、マジで富山型社会を目指すってのは、いろいろ地域の特性や資源などの違いはあれど、研究、検討する意味はあると思う。
まあ、これとて、親と仲良しだったり、育った地域で仲良しじゃなかったら、できんわなあ。
じゃあ、具体的にできる範囲の処方についてささやかに。
ブログにはレバレッジの負担やリスクを下げる力があると、先で言いたいわけです。
また、そうなるようになってないと、たとえば「あしたさぬき」も価値が半減するわけです。
「中小企業家同友会」などの集まりも、そのためにもあるといえるでしょう。
たみ家のは、前をかなり読んでないとわからんことが多い。
「レバレッジ3」ぐらいは少なくとも読んでないと、どんな人が読んでもたぶんわからんでしょうね。
さて
人と仲が悪かったらおぜにさんを損します。
もし標準レベルと同じ種類の動き同士で1.5倍の速度でできる優秀なオーナーうどん職人がいたとします。
この人は、少ない人数で店を回すことができるので、標準レベルオーナー職人1人に対して、人件費などおぜにさんの出が少ない。
争えば、標準の人が淘汰される可能性が高い。
でも、標準レベルの仲良し共同経営2人組みうどん職人が純粋に双方犠牲をいとわずに協力すれば、1・5倍の人に勝てる可能性は大きい。
争って、1.5倍の人が淘汰されるかもしれない。
ところが、この2人組が仲良しでなくなって、険悪になったら、売上も上がらず、開業に使ったおぜにさんが泡となり、開業時の借入れの返済を、もうやってもない事業なのに、し続けることになります。
仲良しはおぜにさんになる。
こういうことは典型例ですが、非常に広い範囲のことで言えます。
仲良しじゃなくても、是々非々で、というのが正しいことも多いが、それは、おぜにさんの出につながることが多い。
公立学校教師
塾講師
役所の事務職員
自営業者
コンサル業
学者
政治家
プロスポーツ選手など
まだまだ列挙しきれないほど、いろいろ職業はありますが、仲良しか不仲かで、おぜにさんの出入りについて、どういう影響があるでしょうか?
これを大まかに数式で表現できるものについては数式で、それができにくいものについては、それなりに書いていきたいと思います。
たみ家は、以前、6年ほど前に、「ブログは地域の発展に大きく寄与する。公共政策の中で、それなりの地位を占めてくる。」
と、いろんなところで、書いてきましたが、これは、仲良しは、社会のレバレッジの負担を下げる効用があるということは含まれているかなあ。
まあ、昔の人も、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和にしかず」と言ってましたが、(ドラマは見たことないけど、「天地人」ってのも、そのことなんでしょうか?)そのことをもうちょっと数式にできるような理詰めの話で、説明することになるんでしょうかね。
単純にいえば、信頼があれば物を貸してくれることは多い。
もっとあれば、おぜにさんを貸してくれるかもしれない。
なければ、銀行に有利子負債としてお願いに行く。
もっとなければ、サラ金とかに行く。
無利子で借りたとしても、いる物をいるときにタイムリーに貸してくれるのと違って、借りたおぜにさんで何か買うので、費消してしまいます。
仲良しだったり、いい人と思われている順に、活動中におぜにさんの負担の下がる選択肢が用意されているわけです。
さて、香川では三豊は昔から豊かだとよくいわれてました。
三豊の一世帯平均人数は、うろ覚えですが、3は超えてるでしょう。
全県で2.7ぐらいかな。
高松は、2.5ぐらい?
都市の方が多いのかというと、小豆島も2.5ぐらい?
ってことは、田舎どうしでも、独居老人が小豆島は多く、三豊は少ない可能性が高いのでは?
富山県が、よく全国一豊かな県と言われています。
家が広い、三世帯住居が多い、また、田舎としては全国一学力も優秀だと思いますが、なぜか幼稚園に行く子供が極めて少ない。
115万人ぐらいの人口で東大20~30人ぐらい行く県立高校が3つあり、丸亀高校クラスも3つ4つあります。
香川も優秀な方だと思いますが、富山は全国一でしょう。
奈良とか京都はセンターの点はいいけど、東大寺やら洛南やら有名私立に大阪などから秀才が多数進学してるからで、実質は富山がずっと一番でしょう。
人口15~20万いれば高松高校並み、人口4、5万いれば丸亀高校並みの県立進学校が出現し、生活保護受給者の人口割りが全国一少なく、香川が1000人中10でも、富山には2ぐらいです。
まあ、極端にいうと、全県が高松でいうところのあの人気学区みたいなレベルといえば、イメージは近い。
それなのに、幼稚園ときたら、香川の人が7割行くとしたら、富山だと2割ほどのこどもしか行かない。
3世代居住が、生活における義務的な固定費を圧縮し、家庭の教育力によって家計や財政の負担を減らせてるとしたら、これは算数の理屈にかなっている。
そういうものを圧縮し、前向きなことに、人々や地域が力をもっとまわせるなら、地方分権というのは、非常に理屈にかなっているのかもしれない。
今、日本中の田舎は、マジで富山型社会を目指すってのは、いろいろ地域の特性や資源などの違いはあれど、研究、検討する意味はあると思う。
まあ、これとて、親と仲良しだったり、育った地域で仲良しじゃなかったら、できんわなあ。
Posted by たみ家 at 20:08│Comments(0)