確かに楽しかった
2013年02月11日
うどん屋の暮らしは確かに楽しかった。
一番楽しいことは、全国からどころか、アメリカ、イギリス、カナダ、スーダン、ジンバブエ、オーストラリア、ロシア、ドイツ、ベトナム、中国、香港、韓国、台湾など世界中から人が来ることだ。
栗林公園の近くの讃岐うどんってのが良かったかもしれない。
芸能人もプロスポーツ選手も近所や全国の知人も毎日気兼ねなく来られる。
大会社の社長も弁護士も医者も記者も映画監督もタクシーの運転手も各種ボランティア団体や地縁組織の人もホストもヤクザも右翼もポン引きの人も古馬場の重鎮たちもムショ帰りの人も、キャバ嬢も、政治家も役所の人も、その他あらゆる会社や業界の様々なポジションの人がたくさん来る。
うどん巡りとかで、日本中から来るデートや家族サービスや接待などに一役買えることは無上の喜びだった。
逆に嫌なお客さんなんてまるでいなかった。
必死に思い出したらいるかもしれない程度。
しかし、あれほど疲れるものは無かったね。
毎日、豪雨の中、自転車で365日松山行け言われるんより疲れるかもしれない。
飲食店ってのは、わたしの場合は、それで生計を立てなくていい条件が揃ったらやってみたいね。
また自分が身体を入れなくても継続可能か。
家賃と人を雇うのを両立させるのは、数千万用意できないと新規では無理だろう。
現在やってる人が、広げるのは可能かもしれないが。
正方形の建物を横に二倍に広げても外壁は五割しか増えない。
一定の規模と条件を満たさないと無理だろう。
わたしの場合は、うどん屋を始めた動機が金銭目的でなく、人集めの場所をつくることだったが、それで生計も立てないといけないし、身体が入り過ぎて、当初から本来目的だった学問・政治活動に本格的な転身が図れないことが苦しみだった。
交流や人脈づくりや見識を増すということに関しては、事前に予想できるようなものではなかったが、望外に大きなものになった。
香川県内の政財官学マスメディアの主だったところとはかなり知り合いになることができた。
ただ、わたしの力がどの程度発揮されるかについては、やっぱり地位や肩書きや資金が絶対的に必要だなあ。
今のわたしは、生計を目的にせずに飲食店を開くことが栗林のビルでなら可能かもしれない。月に利益が6万円ぐらい出ればやれないことはない。
時間は一日七時間週七日かけてもいい。
他の活動と合わせたら朝四時から夜十一時まで毎日活動して疲れたら合間に仮眠するぐらいで良い。
わたしは定休なんて一日も欲しくない。
自分の時給は350円ぐらい出れば飲食店自体は成立する。
それが三番目以下の収入源だからそう言える。
うどん屋のときより固定費が5%もかからないことも大きい。
ただし、それは今がそうなだけで一番目と二番目の状況が変わったら根本が揺らぐ、フルタイムパート並に店に入って自分の実質賃金たる利益が月6万でいい時期に大きく伸ばせたら続けやすいが、わたし自身が、人生において学問・政治活動以上も以外も特に何も望まないと徹しているから、そう言えるわけだ。
無理してでも、不特定多数が出入りする空間は再び保持していたいね。
取材させて下さい。広告出して下さい。機械買って下さい。食材買って下さい。新製品出ました。
ポスター貼らせて下さい。チケット置かせて下さい。寄付して下さい。パンフ置かせて下さい。とあらゆる業界や団体・組織の人が、出入りする場所を持つアンテナの威力は絶大なものがあった。
そして、それは人生の最大の喜びに近いものがあった。
あのビルの老朽化具合や住宅ローンの残債や親の介護や他の収入源など併せて慎重に考えないといけないことではあるが。
うどん屋はちょっとでも傾いたら苦しい条件の固定費構造だったが、たこ焼きは夏に50℃ぐらいのとこにいること以外は経営面はほんとに楽だった。
うどん屋は100人来ない日が一日でもあったら青ざめたが、たこ焼きは10人来たら笑顔になれるほど、それぐらい財務構造や条件の差が大きかった。
しかし、栗林でうどん屋をやるってのは100%ない選択だ。
うどん屋は全部の時間をかけて莫大な投資をしないと不可能だし、あのビルはうどん屋に高松で一番向かない見本の見本の頂点のような場所だ。
一番楽しいことは、全国からどころか、アメリカ、イギリス、カナダ、スーダン、ジンバブエ、オーストラリア、ロシア、ドイツ、ベトナム、中国、香港、韓国、台湾など世界中から人が来ることだ。
栗林公園の近くの讃岐うどんってのが良かったかもしれない。
芸能人もプロスポーツ選手も近所や全国の知人も毎日気兼ねなく来られる。
大会社の社長も弁護士も医者も記者も映画監督もタクシーの運転手も各種ボランティア団体や地縁組織の人もホストもヤクザも右翼もポン引きの人も古馬場の重鎮たちもムショ帰りの人も、キャバ嬢も、政治家も役所の人も、その他あらゆる会社や業界の様々なポジションの人がたくさん来る。
うどん巡りとかで、日本中から来るデートや家族サービスや接待などに一役買えることは無上の喜びだった。
逆に嫌なお客さんなんてまるでいなかった。
必死に思い出したらいるかもしれない程度。
しかし、あれほど疲れるものは無かったね。
毎日、豪雨の中、自転車で365日松山行け言われるんより疲れるかもしれない。
飲食店ってのは、わたしの場合は、それで生計を立てなくていい条件が揃ったらやってみたいね。
また自分が身体を入れなくても継続可能か。
家賃と人を雇うのを両立させるのは、数千万用意できないと新規では無理だろう。
現在やってる人が、広げるのは可能かもしれないが。
正方形の建物を横に二倍に広げても外壁は五割しか増えない。
一定の規模と条件を満たさないと無理だろう。
わたしの場合は、うどん屋を始めた動機が金銭目的でなく、人集めの場所をつくることだったが、それで生計も立てないといけないし、身体が入り過ぎて、当初から本来目的だった学問・政治活動に本格的な転身が図れないことが苦しみだった。
交流や人脈づくりや見識を増すということに関しては、事前に予想できるようなものではなかったが、望外に大きなものになった。
香川県内の政財官学マスメディアの主だったところとはかなり知り合いになることができた。
ただ、わたしの力がどの程度発揮されるかについては、やっぱり地位や肩書きや資金が絶対的に必要だなあ。
今のわたしは、生計を目的にせずに飲食店を開くことが栗林のビルでなら可能かもしれない。月に利益が6万円ぐらい出ればやれないことはない。
時間は一日七時間週七日かけてもいい。
他の活動と合わせたら朝四時から夜十一時まで毎日活動して疲れたら合間に仮眠するぐらいで良い。
わたしは定休なんて一日も欲しくない。
自分の時給は350円ぐらい出れば飲食店自体は成立する。
それが三番目以下の収入源だからそう言える。
うどん屋のときより固定費が5%もかからないことも大きい。
ただし、それは今がそうなだけで一番目と二番目の状況が変わったら根本が揺らぐ、フルタイムパート並に店に入って自分の実質賃金たる利益が月6万でいい時期に大きく伸ばせたら続けやすいが、わたし自身が、人生において学問・政治活動以上も以外も特に何も望まないと徹しているから、そう言えるわけだ。
無理してでも、不特定多数が出入りする空間は再び保持していたいね。
取材させて下さい。広告出して下さい。機械買って下さい。食材買って下さい。新製品出ました。
ポスター貼らせて下さい。チケット置かせて下さい。寄付して下さい。パンフ置かせて下さい。とあらゆる業界や団体・組織の人が、出入りする場所を持つアンテナの威力は絶大なものがあった。
そして、それは人生の最大の喜びに近いものがあった。
あのビルの老朽化具合や住宅ローンの残債や親の介護や他の収入源など併せて慎重に考えないといけないことではあるが。
うどん屋はちょっとでも傾いたら苦しい条件の固定費構造だったが、たこ焼きは夏に50℃ぐらいのとこにいること以外は経営面はほんとに楽だった。
うどん屋は100人来ない日が一日でもあったら青ざめたが、たこ焼きは10人来たら笑顔になれるほど、それぐらい財務構造や条件の差が大きかった。
しかし、栗林でうどん屋をやるってのは100%ない選択だ。
うどん屋は全部の時間をかけて莫大な投資をしないと不可能だし、あのビルはうどん屋に高松で一番向かない見本の見本の頂点のような場所だ。
Posted by たみ家 at 21:52│Comments(0)
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