大学の先生

2011年08月19日

大学教員が学校から出たことない人が多い中、どうやって企業や社会の求める力と、学生の能力のギャップを埋めるのか?

たみ家は、アカデミックな面から微妙に思うこともあるが、田尾先生は、有意義な存在だとは思う。


些細な話ですが、大学の手形・小切手法の先生って、手形の実物見たことない人が多い。


この記事へのコメント
 私は、久米三四郎大阪大学理学部元講師が有意義な存在のひとりであったと思います。国・企業からは決して求められる人ではなかったのですが、国家・社会の中で差別され、原子力発電所を押しつけられてきた人びと・地域の側に立ち続けたという点において。一昨年、鬼籍に入られました。
 福島の事故で、何冊もの「反原発本」が再発行されていますよね。でも、『原発の安全上欠陥』@第三書館が復刊されないのかがとても悲しいです。伊方原発の建設差し止め訴訟に関わって、少なくない科学者が原告側に立ってその危険性を研究・解説した『あまりに生々しい』本であるからでしょうか。
 そうそう、学生の能力ですよね。筆者のみなさんと話すにつけ、やはり「生きる力」の欠如が気になります。国立大学で研究者として職を持つということは、すなわち権力(暴力装置)の一員として禄をはむということですよね。でも、その国立大学の学生から研究者・教育者となった、「反原発」の立場を貫く人びとが少なからずいた・・・そして今はいないということ・・・全共闘運動の負の遺産でしょうか
 
Posted by ほほいのほい at 2011年08月20日 19:53
学問の自由や大学の独立にも、良い面と良くない面があるんですかねえ。

理学で影響受けるなら、社会科学系はなおさらですねえ。
Posted by たみ家 at 2011年08月21日 07:30
 
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    コメント(2)