富士山の土砂

2011年08月07日

以前、大きな仕事をするに一番大切な能力は、「富士山の土砂を全部東京に運ぶとしたら、何日かかるか?」
みたいな質問に答えられることだと、アメリカの経営学の超ベストセラーに書いてあったと話した。

正解はあってないようなもの。

だいたい東京にそんなに大量の土砂を投棄できない(笑)。

そんなことわかった上で、だいたい暗算で富士山の土砂計算して、トラックのトン数や台数や使う機械や掘削回数や東京との移動時間などをイメージして、考え方と仕事のスケール感が暗算でバッと出せれば良いと言うわけです。

もちろんわたくしは、わかるタイプです。
日々、コンビニの粗利率やATMの台数やインドネシアの失業率など新聞記事の数字を書くのは、この手のスケール感を各方面で出し、政策論で間違わないためです。

たみ家は、信号番号の話しするとき、使う人間の数の内訳、回数、広告の数、県内のほぼすべての道路の通行台数、正解でないけど、スケール感覚を間違わない程度に、単価、人数、使用頻度などを現場感覚を交えて、網羅的に理解してるわけです。

タクシーの台数なんかも運輸局に許認可の関係で正確に出すから、記憶曖昧ですが、全国、各県、香川に何社、何台あるか、冊子わざわざ作ったの読んでだいたい理解してるわけです。

信号番号の価値の議論において、公共事業の費用対効果でやる価値があるかないかは、わからない人知らない人が、算数の答えをわかったり知ったりするかどうかだけの話で、県内の物流や旅客輸送や日常コミュニケーションや広告の全体像を現場感覚交えて、知ったりわかるようになれば議論にならない。

議論は、どのようにやるかしかないわけだ。

香川県全域で都市計画道路関係や環境保護、文化財保護関係などで数千件の、開発や建築などの利用制限して、店や家の建て方などについて許可や変更の資料つくったり、高速道路建設の周辺道路の通行台数への影響調べたり、右折レーン設置に関して、一日、一回の赤信号への変わり目で何台どんなサイズの車が右折するかを各所で調べ続けたたみ家はイメージできてるわけです。
当然、知事や市長やキャリア官僚やそこらの大学の先生より、それについては知ってるわけです。

そりゃあ、年数も経て、正確でもないけど、県内幹線道路に信号番号つけたらどうなるかをイメージするためのスケール感覚を間違わない程度には、見て、知って、わかってるわけです。


ちなみに、富士山の土砂で琵琶湖は3つ埋められます。
200年ぐらい前からわかっていたそうです。

たみ家が、コンビニや電柱の数とかブログによく書くのは、それに何か工夫加えたら、高松で何件できて、何人利用できて、費用がいくらになるかを公論として日常会話の中である程度即時的確に概算するためです。

そういうトレーニングを知覚認識できる範囲ではほぼあらゆる分野で日々20年以上やってて、たいていは書いて人の目にも曝し続けてるわけです。

県の執行部ぐらいでは、たみ家の言論を否定しようとしたら、たいがい公開の場でねじられます。

相手が準備してる戦場で不用意に否定すれは、頭がいい人でも、ねじられて恥をかきます。

「ご提言ありがとうございます。予算措置も伴うので関係部局と検討してみます。またのご提言よろしくお願いします。」ぐらいの逃げ方しかまず無理で、否定したら圧倒的に質問に臨んで、調べ上げて知識入れてるたみ家に公開の場でねじ伏せられます。

だから、大西市長とかは頭がいいから、「おもしろいアイディアですね。」後は適宜、上手にお茶を濁します。

まあ一般市民との公開の意見交換会ではそれが限界なんですが。

たみ家も、他者が間違ってると思ってもあまり否定しません。

たみ家が好き放題書いてるようでも、炎上させないのは、法令に照らして企業に開発を変更させる言い分をケチつけられながら、新聞やテレビで出されてもやられない文章を無数に書いて、各方面から突かれても答えを用意できてるか選びわけるセンスを持って書いてるからです。

間違ったら、街宣車に拉致されるとか、開発に出資した○暴企業に狙われるような世界の文章を書いてきてるわけです。

こういうのは案外20代が書きます。
で、管理職や幹部がさんざんケチつけて直したのを、幹部やトップの名で出します。

役人は楽に見えて、カネの絡むことを拒絶する機会が多くて、乱暴勢力への対応が多いから、けっこうストレスで早死に多いんです。

ちょいちょい「お前の庭に干しとる靴で、子供の名前もクラスもわかっとるぞ。」とか「軒先にわら積んどったら放火魔に狙われるで」みたいな電話も案外多い。



 
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