女性の声

2011年07月13日

当たり前過ぎる。
シンプル過ぎる。

政治は女性の声の方が大きいのが正しい。

長生きして
より女性が社会保障が切実。

出産についてもそう。

産業に関することに男女の相違は基本的にない。

・人口の多い
・切実で重大な
・多額のおぜにさんを要する

側の立場の意見が大きく反映されるべきことはシンプルな絶対的原理。


そのためには

女性は感情でなく、論理的に考え語り、物事の真相を見抜く鍛練を積まなければならない。

自分の意見が全否定されることに忍耐を持たなければならない。

ときに自分が全否定されることに堪えられないと、多数人の命までかかる議論にキーパーソンとして参加する資格がないからだ。

男性も大したことないんだけどね。

まず、プルタブ集めが有り得ないことは全国民に気づいてほしく、8月1日から京都市で始まる、マイボトル持参のエコマネーポイントなどは小学三年で「人類の恥」とわかる能力がほしい。

まあ、それはさておき
オールオアナッシングじゃないけど、能力よりも全否定に堪えられることが大事かもな。

たみ家は、幼少から将棋や囲碁で相手の間違い探してバッサリ斬り合いながら、敗北を素直に認めて感情に残さない良い習慣ができてるから、わかるんだろうか?

負けから学んで負けポイントから積み上げ続ける感覚に感情入れずに慣れてる人材が絶対にたくさん必要。

原発の問題なんかはそういう素養がないと予防も解決も難しい。

自己全否定して、淡々と論理で積むなんてのは、哺乳類のメスの本能とは合わないのかもしれない。

自己を安定させることが出産や授乳などに向くだろうから。

さりとて、課題は本能と文明の矛盾の解決なので、ある対立する要因が努力を否定する理由になってはならない。


 
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