メディアという概念

2011年03月30日

慣例的にマスコミのことをメディアって言うけど
メディアってのはミディアムであり、「中間」とか「媒体」だよね。
星を見るとき1万光年の星見たら、それ、1万年前の光だから、もう存在してないかもしれないし、星自体は光じゃないよね。

また、暖かい家庭や愛情を表現した詩や音楽も、文字や音として光の反射や吸収の濃淡や空気の振動の波になるけど、暖かい家庭は光や空気の振動じゃないよね。

知覚の対象は、光であれ音であれ匂いであれ、別のものを中間に置いて、知覚されるよね。

知覚の対象と知覚をつなぐ中間にあるものがメディアだね。

その大量版やその装置がマスメディアで、個人的なのはパーソナルメディアだね。

だから、自分だけが読むメモ書きもパーソナルメディアとしてのメディアだね。
大根と文字で書いて、大根を知覚して買い物行くんだね。

たまたまマスメディアを指すときにしか日本語として習慣的に使われないから、メディアって言葉が理論的でない使われ方してるけど。

ただ、メディアの概念を、今までも何回か書いたけど、確認しておかないと、単発や断片でない関係や構造の話において通じにくくて困るんだ。

このような理解は人間と社会の大きな関係について統合的に思考するための前提というか基礎なんだ。

メディアは特別なものでなく、すべての生物のすべての知覚について存在するし、人間にとって宇宙の全存在がメディアであり、メディアの中にぽつぽつと人間が存在してて、人間にとって人間もメディアなわけです。

腹は黒いけど、優しそうだったりするのも、メディアの意味合いで語れるし、自分が神様にでもなった気分の人は、実でない別の何らかの虚像を知覚してたりするよね。

自分自身さえもメディアだね。

そうすると「本当の自分」とか「自分探し」って気分的にはともかく、理論上はあり得ない概念だね。

そんときの自分が常に本当の自分でしかないわけで、違うと思ってる人は、周囲の影響に弱い「本当の自分」の性質を認めてないだけ。

メディアは対象と知覚をつなぐものだから、同じ光や像に対して、知覚する人が千差万別に捉えるよね。


 
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