庭とバンド

2011年01月21日

たみ家は香川ぐらいは自分の庭ぐらいと思っている。

だから、香川の問題を考えたり、観音寺とか引田で困ってる人がいたとしたら、「そりゃ。庭の中のことやし、自分とこの庭に困ってる人がいたら落ち着かないわなあ。」みたいな感覚がある。

で、もうちょっと考えてみると、まあ、庭は庭でも共有の庭だわなあ。


ひところ「役所は最大のサービス企業だ。」みたいなことが言われた。
まあ、ある時代においてそういう側面を強調する必要はあったと思う。

たみ家は、会費出し合って大きなアマチュアバンド組んでるようなもんだと考えている。
というか考えるべきだと思っている。

前者は、極端にいえば「カネ払ってるんだから、オレらの方が偉いんや。やれ!」
ってことでしょ。

後者は、払うし、活動からの喜びを受け取るし、リーダーや会計決めたり、多くのメンバーが音楽性や活動内容について考えたり、身体動かしもするでしょ。

うどん屋のことにお客さん目線があるというのは当然だろうけど、当ブログではそれについてあまり書かないのは、環境、資源、財源などにおいて余裕がなくなってくるほど普通の人々が公共や日常の多くのことに、つくる側や売る側の視点を持っていかないとマズイということをブログを通じて伝えたいからというのは大きい。
 
「払ったんだから、あとは知りません」でバランスしない社会になってるけど、昔は今よりはしてたから、昔からの長い課題は今も課題だけど、重要度、優先度はかなり変わってきている。

田尾さんが団長日記でよく書いてること、「学校から社会に出るということは、カウンターの外でサービスを提供される側でなく、カウンターの中に入る側になるってこと。」でおまけだけど「いいものをつくることにこだわる人が多いけど。つくることなんて簡単だ。難しいのは売ることだ。」とも言ってるね。

当ブログについては、うどん屋のセールス促進の目的はほとんどなく、多くの人が広い場所でかかわり合いながら生きている世の中の関係を形づくっているのはどういうことなんだろうかということを書きたいと思って続けている。

その原動力は、「香川は、庭であり、自分がパート持ってるバンド」という感覚を持ち続けてきたところのような気はしている。



 
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