天気は天気ですから

2010年07月13日

自分よりいくらか若い中国人留学生の女性が来週外でイベントをするというので

たみ家が
「当日天気が良かったらいいですね。」
と言うと

「天気は天気ですから祈っても変わりませんよ。」
と笑顔で返ってきた。

無神論ちっくな共産主義の国には多い考え方なんだろうか。

「ありがとうございます。」とか「そうですね。」みたいな返答しか予想してなかったので
フェイントを食らった感じだったけど、どちらかというと好感を持った。


「雨男」とか「晴れ女」とか、自分が天を動かしてる世界の中心みたいな考え方は良くないね。
自分が出て行ったら天候が変わるって、どうかしてない?
雨だと自転車での来客がゼロに近くなり、仕入予想の関係で、開業以来、雨が降った日は全部売上の数字の横に注記してますが、続けて日曜日にだけ雨が降るなんてザラにあります。
そんなこと個人と関係があるとか思うのはどうかしてるし、この1年ほぼ無休で店を開けたたみ家は雨男なのかい?何なの?


これは、日本国民の努力しない部分や無責任な部分や迷信から差別をつくる要素として日本を悪くしてる考え方の習慣の一つだと思う。
社交上たみ家も頻繁には言いませんし、必死でとがめようとも思いませんが、やっぱり良くないものは良くないと思う。
そういうことを言ってる人はやっぱり止めた方がいいんじゃないのとは思う。

ただ、「天気が良くなるといいね。」という風に祈ることも、自分が天を動かせるという上のことの延長かもしれない。
神に祈ってそれをすることも同じかもしれない。

可愛げがあるとかないとかはともかく
いや、可愛げは大事ではないし、他人にもそういうことを求めるべきではないと思う。
候補者に可愛げやルックス・タレントや情・泣き落としを求めてきた日本の政治を見ればわかる。

天の部分は天。
自分が影響できることに意を尽くす。

雨が降ったら雨が降ったときの対策を淡々・粛々と考えるという方が確かに物事を良くする考え方ではあると思う。

中国のことはよく知らないけど、予想外の返答から、こういうのって共産主義的な無神論ちっく教育とも関係あるのかなあとかいろいろ思いを巡らせました。

フランスや中国は入念に、学校教育から神的・宗教的なことを重箱の隅をつついてでも排除しているイメージはある。

迷信を排除することは、迷信好きな人からは
我力のみの人で、他力をうまく使えない傾向があるという指摘がある。
たみ家もそれはそうだと思う。

可愛げもそういう意味では大事といえば大事なんです。

でも、それはグローバルに競争にさらされ、今にも息の根を止められかねない日本の状況の中で、内々で出世競争を勝ち抜くとか談合社会的な発想で、可愛げや迷信好きの栄達は日本では多いんですが、大きく見るとそれって通用しないよねと思う。



 
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