核の抑止力と通貨統合と人口の抑制
2010年06月08日
第一次大戦は、セルビア人がオーストリアの皇太子を暗殺したことに始まると聞きます。
日中戦争は、盧溝橋事件で始まったとか聞きます。
でも、ソ連が大韓航空機を撃墜したときは戦争は始まらなかった。
核の抑止力は空論だという人もいる。
たみ家もよくわからない。
しかし、アメリカはベトナムから攻められることはないと思ったから攻めたのだろう。
ソ連との戦争が始まらなかったのは、それ以前より強く平和を希求する気持ちの表れかもしれない。
じゃあ、時代が進歩したのだろうか?
大韓航空機爆撃以降でも、やっぱり、攻められて殺される心配のないイラクには攻め入ったでないか。
平和を希求する気持ちといえば美しいが、それは怖いか怖くないかの差かもしれないね。
昔は大国と戦争しても死ぬのは直接の戦地の人だけだったが、今はイランもパキスタンも北朝鮮も核を持ってる。
多くの国にとっては核を持たれるのは迷惑だが、持つ側にとっては、特にそこが反米的であれば、理由があることのようにも思える。
また、そんな国と近所で対立してる国としてもわからんでもない。
警察だって、ヤクザの車には駐禁取り締まらないというでないか。
単純に、殺されるかもしれない相手には手を出さない。
さて、昔から、フランスとドイツは戦争してきた。
でも、通貨統合しちゃったら、もうしたくてもできないでしょうね。
EUROやEUってのは、それが大きいよね。
アジア共同通貨ってのは、日本が中国に呑み込まれそうな気もするけど、域内では戦争はしなくなるでしょうね。
高松港のコンテナの入りの約70%、出の約80%が中国だからねえ。
最近は、いろいろあって、嫌中や嫌韓が流行ってるけど、国として生きるのも店として生きるのも基本はそう差はないと思うので、大口のお得意様を嫌ったり、批判するって、ある意味不思議だよね。
よく、日本人の進むべき方向を政治が示せとかいうけど
お客さんに売れる国にして、買える国にして、売り手や買い手をいざというときに選べる国にして、売買のマーケットの平和・安定や拡大に寄与できる国となり、国民がそれができる国づくりをするにふさわしくなることじゃあないでしょうか。
じゃあ、自国の歴史を知ろうが、自国の言語がどうであろうが、お客さんのことを優先して知ろうとしないといけないよね。
まあ、自国のことを知るうんぬんはわかるとして、どんな理由があっても、世界全体に目を向けないことが許されるわけないよね。
単純に生きるってそういうことじゃあないでしょうか。
まあ、中国もそのさらに南も未成熟だし、不安定要因が多いので、アジア共同通貨ってのは難しそうな気がするし、それでよくならないような気もする。
ただ、考えずにはいられないテーマなんだろうね。
特に、日本のようなマーケットがずるずるとかなりの勢いで縮小する国においては。
国内では、男女共同参画とか言いますが、途上国における女性の産むことへの自己決定権を保障するなど、人口を安定させるってことも、日本人はいつも考えてないといけないんじゃあないでしょうかねえ。
感染症を抑えたり、避妊の普及なども大切なことでしょうねえ。
感染症の流行る国では、避妊や女性の自己決定への考え方は普及しないとたみ家は昔から聞いてます。
最近、勉強してないから上手く、今、説明しづらいけどね。
国民の草の根まで、生きるためにはそこまで考えないといけないってことは、日本では宿命だと思うんですがねえ。
簡単ではないけど、生きてる間ずっと日本人なら誰でも頭の片隅に入れておかないといけないテーマだと思うんです。
アメリカはアメリカなりに、自分に都合のいい考え方を広めてきました。
日本も日本なりに、自分の都合のいい考え方を広めていく努力が必要だと思う。
広めるには広める力の根拠とか担保が必要で、軍事力や安保理常任理事国としての国際政治力などでなく、日本がそれを裏付ける力を何に求めますかって話だと思う。
日本人が内向きになるって許されないし、それでは単純に息を吸って吐くことが難しくなっていくと思う。
特に、経済圏として中国に呑み込まれていく可能性が高いなら、調和しつつも、外に向かってエネルギーを出す側になり、国益・国民益を守れるような人間づくりをしていかないといけないと思う。
日中戦争は、盧溝橋事件で始まったとか聞きます。
でも、ソ連が大韓航空機を撃墜したときは戦争は始まらなかった。
核の抑止力は空論だという人もいる。
たみ家もよくわからない。
しかし、アメリカはベトナムから攻められることはないと思ったから攻めたのだろう。
ソ連との戦争が始まらなかったのは、それ以前より強く平和を希求する気持ちの表れかもしれない。
じゃあ、時代が進歩したのだろうか?
大韓航空機爆撃以降でも、やっぱり、攻められて殺される心配のないイラクには攻め入ったでないか。
平和を希求する気持ちといえば美しいが、それは怖いか怖くないかの差かもしれないね。
昔は大国と戦争しても死ぬのは直接の戦地の人だけだったが、今はイランもパキスタンも北朝鮮も核を持ってる。
多くの国にとっては核を持たれるのは迷惑だが、持つ側にとっては、特にそこが反米的であれば、理由があることのようにも思える。
また、そんな国と近所で対立してる国としてもわからんでもない。
警察だって、ヤクザの車には駐禁取り締まらないというでないか。
単純に、殺されるかもしれない相手には手を出さない。
さて、昔から、フランスとドイツは戦争してきた。
でも、通貨統合しちゃったら、もうしたくてもできないでしょうね。
EUROやEUってのは、それが大きいよね。
アジア共同通貨ってのは、日本が中国に呑み込まれそうな気もするけど、域内では戦争はしなくなるでしょうね。
高松港のコンテナの入りの約70%、出の約80%が中国だからねえ。
最近は、いろいろあって、嫌中や嫌韓が流行ってるけど、国として生きるのも店として生きるのも基本はそう差はないと思うので、大口のお得意様を嫌ったり、批判するって、ある意味不思議だよね。
よく、日本人の進むべき方向を政治が示せとかいうけど
お客さんに売れる国にして、買える国にして、売り手や買い手をいざというときに選べる国にして、売買のマーケットの平和・安定や拡大に寄与できる国となり、国民がそれができる国づくりをするにふさわしくなることじゃあないでしょうか。
じゃあ、自国の歴史を知ろうが、自国の言語がどうであろうが、お客さんのことを優先して知ろうとしないといけないよね。
まあ、自国のことを知るうんぬんはわかるとして、どんな理由があっても、世界全体に目を向けないことが許されるわけないよね。
単純に生きるってそういうことじゃあないでしょうか。
まあ、中国もそのさらに南も未成熟だし、不安定要因が多いので、アジア共同通貨ってのは難しそうな気がするし、それでよくならないような気もする。
ただ、考えずにはいられないテーマなんだろうね。
特に、日本のようなマーケットがずるずるとかなりの勢いで縮小する国においては。
国内では、男女共同参画とか言いますが、途上国における女性の産むことへの自己決定権を保障するなど、人口を安定させるってことも、日本人はいつも考えてないといけないんじゃあないでしょうかねえ。
感染症を抑えたり、避妊の普及なども大切なことでしょうねえ。
感染症の流行る国では、避妊や女性の自己決定への考え方は普及しないとたみ家は昔から聞いてます。
最近、勉強してないから上手く、今、説明しづらいけどね。
国民の草の根まで、生きるためにはそこまで考えないといけないってことは、日本では宿命だと思うんですがねえ。
簡単ではないけど、生きてる間ずっと日本人なら誰でも頭の片隅に入れておかないといけないテーマだと思うんです。
アメリカはアメリカなりに、自分に都合のいい考え方を広めてきました。
日本も日本なりに、自分の都合のいい考え方を広めていく努力が必要だと思う。
広めるには広める力の根拠とか担保が必要で、軍事力や安保理常任理事国としての国際政治力などでなく、日本がそれを裏付ける力を何に求めますかって話だと思う。
日本人が内向きになるって許されないし、それでは単純に息を吸って吐くことが難しくなっていくと思う。
特に、経済圏として中国に呑み込まれていく可能性が高いなら、調和しつつも、外に向かってエネルギーを出す側になり、国益・国民益を守れるような人間づくりをしていかないといけないと思う。
Posted by たみ家 at 22:33│Comments(0)