おぜにさん使う理由 1

2010年03月01日

通常、人がおぜにさんを使うときは、使ってうれしいことか、命を維持するためのことか、もっとおぜにさんが増える投資じゃないの?

じゃあ、国がおぜにさん使うときは

これは、国を維持するためのことってのが原則じゃないの?

うれしいってのは、国にはないでしょう。

また、投資も、国際競争上、国を維持するためのことだろう。

維持を念頭に

投資か、救済を行う。

投資には再現性がある。

おぜにさんを入れて、もっとおぜにさんが入るようになることで、諸活動は再現力を持つ。

おぜにさんとは、再現力である。

救済とは、文化財保護や生活保護などもそうだが、一定よりも下がった状態や、民業で投資が行われるだけの再現性が弱いが社会的に価値があるものにおぜにさんを入れて引き上げる。

規制行政も、自由競争のひずみを防止、是正するものだから、維持を念頭にした救済的意味がある。

その他のことは、国の規模でやるシステム構築による公共投資やサービスがあるだろうが、それは、国の規模でやらんといかん理由がなければ、民業や市場に下ろすべきものだと考えられているのでは。

これもベクトルの話をすると

救済は、国という膜の中を均質に向かわせることで、膜の中を安定させる。
ノーマライゼイションや男女共同参画なども、救済として差別されていたとされるものをエンパワーして均質化させて、安定化させるが、同時に、社会戦力化の投資の意味も持つ。

投資は、膜の中のベクトルを大きくすることで、膜を大きく強くし、国という膜の外のベクトルに耐える力をつくる。

膜の中の均質を狙いすぎても、膜・共同体を構成するベクトルは弱まる。


※変化とか影響とか能力の発揮などを、たみ家は、すべて「ベクトル」って、書くことがあります。

じゃないと意味がはっきりしないから

方向性のある量がベクトル

漠然と言われている大事なことには、「方向」と「量」があるということをイメージしないと議論がしにくいと思うからです。

かゆいからと背中かくのもベクトルです。

問題箇所に向かって力を入れる。

そして、かゆいという状況を少なくする方向に力を加える。

ベクトルですよね。

あらゆることに方向と量を考えるクセをつけた方がいいと思うんです。


高校無償化が悪であることを言うための理論的根拠の一部としての前ふりでした。

高校無償化に比べれば、まだ、最低賃金に対する補助の方がまだ理屈が合うような気がする。



この記事へのコメント
高校無償化法案の対象から朝鮮学校を外すことに、祖国が北朝鮮である社民党の福島瑞穂は思ったとおり反対している。
朝鮮学校の教育は日本の文部科学省の指導要領に基づいておらず、北朝鮮の指導に基づいて行われており、明らかに北朝鮮の学校である。
彼女の政策は、夫婦別姓、外国人参政権など、およそ日本人なら到底考えられない政策であるのが大きな特徴である。
社民党は見かけは日本の政党であるが、内実は北朝鮮の政党である。
伝統的に昔から自発的に民主党と北朝鮮の機関紙であることを自認している新聞もある。
高校無償化は民主党の得意技である人のカネ(税金)ばら撒きによる集票策の一環。
Posted by 腐敗していた民主 at 2010年03月01日 11:37
どうなんでしょう。
得意技が通用したのは、民がそれを認めたからだとしかいいようがないので、民主党と同等かそれ以上に民がよろしくないと思ってしまいます。
Posted by たみ家たみ家 at 2010年03月02日 00:26
 
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