四国新聞に苦言
2009年11月14日
13日の四国新聞の1面に「県調査 県人口65歳以上 25%突破」との記事があった。
そこには、男女構成が書いてなかった。
たみ家は、これを大いに問題視して、県広報と四国新聞報道部におおむね下のような苦言を呈した。
25%強に占める男女の数は、県からの提出データにあっただろう。
それを新聞社が割愛したのだと思うが
男女の構成など1行か2行で済む。
記事の囲みの枠には、それを書ける余白は確実にあった。
評判悪かった後期高齢者医療制度にしても、65歳から75歳まで達する人は、平均寿命から考えて、女性が8割方でしょう。
つまり男女比は社会政策に大いに関係あるでしょう。
まして、男女雇用機会均等法などなかった頃の女性は就労経験も少なく、自前の年金もほとんど持ってないでしょう。
福祉や医療制度や配偶者控除のあり方など幅広く政策を考えるときに、何年どれだけの資産を持ってどれだけ消費して生きるかが一番大事なわけで
大雑把に言って、65歳から、資産を持たずに20年生きる女性と、資産を持ってる人が多くて10年生きる男性では、まったく社会政策や行財政に与えるインパクトが違ってくるわけです。
新聞の記事って、ただ数字を言えばいいわけじゃないでしょう。
今の世の中の課題は何か、そして、それはどういう風に向かっていくのか、そのために何が必要になってくるのか、そういうことを考えさせる意味を持つデータを与えないと新聞って、意味ないでしょ。
男女構成を割愛したのは、関係者の政策的な問題意識の欠如、視野・センスへの疑問を感じさせる。
男女構成が一番大事な情報で、もし、この情報が要らないなら、この記事そのものが要らない。
一番は、たぶん記者側の問題だろう。
県も普段から何が重要な数字なのか把握してれば、たぶん、記者が自然に拾うデータの出し方にしてたんじゃあないだろうか。
人口×生きる年数という意味で言うと、国内も当然ですが、県内ではもっと早く、女性が男性を圧倒するようになる。
そして、出費というのは、人数だけでなく、掛ける生きる期間にもよる。
前も書いたように、日本は女性がはっきり多数を占める国になって、女性の責任が大きくなる。
そして、妊娠・出産をしたうえで、その上、年金財源も乏しくなる中、責任も大きくなって、自前で蓄え自前で稼がないといけなくなる意味が大きくなるなら、たいへんなことだ。
しかし、不公平でも、厳然とそれは「訪れる未来」であることを人口動態の構造が予見させる。
だからこそ、市議会、県議会、国会その他審議会等における女性の議員や委員の比率を大きくして、女性特有の問題や子育てや社会進出に関する議論のウェイトを女性の責任で大きくしていかなくてはならない。
妊娠や出産など生理的に負担が大きいのであれば、保育所や給与制度や休暇制度、企業や大学や地域社会の保育機能をどうしていくかなど、構造から明らかになることで、男性の協力や企業の譲歩などを求めるに当たって、国民全体が納得しやすい議論になっていく。
また、身体機能が衰え、老眼なども多い中で、65歳過ぎても蓄え持ってたり、働かないといけないなら、女性の賃金が男性に比べて著しく低い給与体系やそこにいくまでの教育の意味を見直さないといけないし、65歳過ぎて、老眼でもパソコンを使ってネットでそれなりに生産性のある仕事ができるように、何か、すぐに見えなくても、社会が責任持って探しださないといけなくなるだろう。
パソコンやブロードバンドの普及やSOHOなども、この辺りの備えとも関わってきます。
従来、このような視点からITが超高齢化社会の備えとして議論されたことはほとんどなかった。
地域の保育機能と介護機能など諸々の福祉機能の問題を抱き合わせて、地方で定住を促進することで解消に向かう道があるなら、地方分権のもろもろの施策や企業への税制や住宅ローンのあり方なども関係してくるでしょう。
もう、私達のうちの多くが生きてる間に、65歳以上の女性だけで県内の人口の30%ぐらいになるだろう。
そうなったときに、15%にもまったく届かない学齢人口以下をいくら教育して、先端産業が花開いたとしても、税収も社会保障もどうにかならないでしょう。
自分で稼ぐか、蓄えるか、ダンナか子どもか政府の再配分機能などを通して富裕層や大企業に払わせるしかないわけです。
しかし、今後は、ダンナの給料は細るし、社会保障などの負担率が上がれば子どもも自分ら世代で精一杯です。
そして、政府の再配分機能も当然、高齢者が増えれば落ちていきます。
すると、社会政策上は、どれだけおぜにさん持って、どれだけ消費して、何年生きるかが最も大事で、それに備えて、出産・子育てや諸般の共同参画などに関わる政策を整えていかんとマズイわけです。
些末なところでは、公共施設つくるなら、女性のトイレの方が数がよっけいるぞみたいな話もあるかもね。
つまり、男女構成を書くことで、はじめて、1面の記事は、世の中を考えるために構造から出発した意味ある記事になっていく可能性を持つわけです。
ええ大学出て、そこそこ給料もらって、それを考える地位にありながら、問題意識が足りないというか、注意を払ってないというか、思考のトレーニング積んでないというのはそういうことなんよ。
そこには、男女構成が書いてなかった。
たみ家は、これを大いに問題視して、県広報と四国新聞報道部におおむね下のような苦言を呈した。
25%強に占める男女の数は、県からの提出データにあっただろう。
それを新聞社が割愛したのだと思うが
男女の構成など1行か2行で済む。
記事の囲みの枠には、それを書ける余白は確実にあった。
評判悪かった後期高齢者医療制度にしても、65歳から75歳まで達する人は、平均寿命から考えて、女性が8割方でしょう。
つまり男女比は社会政策に大いに関係あるでしょう。
まして、男女雇用機会均等法などなかった頃の女性は就労経験も少なく、自前の年金もほとんど持ってないでしょう。
福祉や医療制度や配偶者控除のあり方など幅広く政策を考えるときに、何年どれだけの資産を持ってどれだけ消費して生きるかが一番大事なわけで
大雑把に言って、65歳から、資産を持たずに20年生きる女性と、資産を持ってる人が多くて10年生きる男性では、まったく社会政策や行財政に与えるインパクトが違ってくるわけです。
新聞の記事って、ただ数字を言えばいいわけじゃないでしょう。
今の世の中の課題は何か、そして、それはどういう風に向かっていくのか、そのために何が必要になってくるのか、そういうことを考えさせる意味を持つデータを与えないと新聞って、意味ないでしょ。
男女構成を割愛したのは、関係者の政策的な問題意識の欠如、視野・センスへの疑問を感じさせる。
男女構成が一番大事な情報で、もし、この情報が要らないなら、この記事そのものが要らない。
一番は、たぶん記者側の問題だろう。
県も普段から何が重要な数字なのか把握してれば、たぶん、記者が自然に拾うデータの出し方にしてたんじゃあないだろうか。
人口×生きる年数という意味で言うと、国内も当然ですが、県内ではもっと早く、女性が男性を圧倒するようになる。
そして、出費というのは、人数だけでなく、掛ける生きる期間にもよる。
前も書いたように、日本は女性がはっきり多数を占める国になって、女性の責任が大きくなる。
そして、妊娠・出産をしたうえで、その上、年金財源も乏しくなる中、責任も大きくなって、自前で蓄え自前で稼がないといけなくなる意味が大きくなるなら、たいへんなことだ。
しかし、不公平でも、厳然とそれは「訪れる未来」であることを人口動態の構造が予見させる。
だからこそ、市議会、県議会、国会その他審議会等における女性の議員や委員の比率を大きくして、女性特有の問題や子育てや社会進出に関する議論のウェイトを女性の責任で大きくしていかなくてはならない。
妊娠や出産など生理的に負担が大きいのであれば、保育所や給与制度や休暇制度、企業や大学や地域社会の保育機能をどうしていくかなど、構造から明らかになることで、男性の協力や企業の譲歩などを求めるに当たって、国民全体が納得しやすい議論になっていく。
また、身体機能が衰え、老眼なども多い中で、65歳過ぎても蓄え持ってたり、働かないといけないなら、女性の賃金が男性に比べて著しく低い給与体系やそこにいくまでの教育の意味を見直さないといけないし、65歳過ぎて、老眼でもパソコンを使ってネットでそれなりに生産性のある仕事ができるように、何か、すぐに見えなくても、社会が責任持って探しださないといけなくなるだろう。
パソコンやブロードバンドの普及やSOHOなども、この辺りの備えとも関わってきます。
従来、このような視点からITが超高齢化社会の備えとして議論されたことはほとんどなかった。
地域の保育機能と介護機能など諸々の福祉機能の問題を抱き合わせて、地方で定住を促進することで解消に向かう道があるなら、地方分権のもろもろの施策や企業への税制や住宅ローンのあり方なども関係してくるでしょう。
もう、私達のうちの多くが生きてる間に、65歳以上の女性だけで県内の人口の30%ぐらいになるだろう。
そうなったときに、15%にもまったく届かない学齢人口以下をいくら教育して、先端産業が花開いたとしても、税収も社会保障もどうにかならないでしょう。
自分で稼ぐか、蓄えるか、ダンナか子どもか政府の再配分機能などを通して富裕層や大企業に払わせるしかないわけです。
しかし、今後は、ダンナの給料は細るし、社会保障などの負担率が上がれば子どもも自分ら世代で精一杯です。
そして、政府の再配分機能も当然、高齢者が増えれば落ちていきます。
すると、社会政策上は、どれだけおぜにさん持って、どれだけ消費して、何年生きるかが最も大事で、それに備えて、出産・子育てや諸般の共同参画などに関わる政策を整えていかんとマズイわけです。
些末なところでは、公共施設つくるなら、女性のトイレの方が数がよっけいるぞみたいな話もあるかもね。
つまり、男女構成を書くことで、はじめて、1面の記事は、世の中を考えるために構造から出発した意味ある記事になっていく可能性を持つわけです。
ええ大学出て、そこそこ給料もらって、それを考える地位にありながら、問題意識が足りないというか、注意を払ってないというか、思考のトレーニング積んでないというのはそういうことなんよ。
Posted by たみ家 at 01:04│Comments(2)
この記事へのコメント
たみ家 さま
なかなかええこというやん。
男女共同参画の視点は、はずせません。
※BPWには男性も入れます。
なかなかええこというやん。
男女共同参画の視点は、はずせません。
※BPWには男性も入れます。
Posted by 自由席
at 2009年11月16日 00:14

自由席さま
銘菓「最愛(モアイ)」プロジェクトや
帯広との「愛」をテーマにした名産や文芸などの対抗戦に協力してくれそうな方がBPWにいそうだったら教えてください。
銘菓「最愛(モアイ)」プロジェクトや
帯広との「愛」をテーマにした名産や文芸などの対抗戦に協力してくれそうな方がBPWにいそうだったら教えてください。
Posted by たみ家
at 2009年11月16日 03:13
