シャネルと下着革命
2009年07月07日
ココ・シャネル ココは愛称 シャネルは本名の一部
1883年8月19日 俳句の日の生まれだなあ。
1910年パリで「シャネル・モード」
1915年にビアリッツで「メゾン・ド・クチュール」を開く。
高校の世界史の初歩編の教科書ネタ、まだ120Pぐらいだけど、もう3ヶ月以上もたせている。
女性は、家にしばりつけられていて、コルセットとか1人ではなかなかつけられなかったし、時間もすごくかかった。
それはブラジャーとガードルに分解され、ココ・シャネルが男性のスーツの特性に着目して、動きやすい服装を追及したことと相まって、女性の社会進出をうながしたと教科書に書いてあるぞ。
シャネルさん1971年まで生きてたんですね。
映画とかにもたぶんなってる?
幼くして母は他界し、父は無責任で、貧しくて孤児院で育てられ、張子じゃなくて針子さんとしてがんばりつつ、美貌を生かして、キャバレーで歌手になったり軍人のカノジョになって、パトロン見つけて、パリで店出して、その後、ナチスのドイツ人将校の愛人になって、対独協力者としてフランスでは嫌われまくったけど、ドイツやアメリカのウーマンリブ関係者に持ち上げられて、痩身のシャネル自身が服のモデルになったことで、その後、ファッションモデルは痩身の人が主流になったとか。
シャネルがいつの時代の人かも、ファッションのことも知らずに、夕方かじりだして、生ビール6杯飲んで書いてますが間違ったこと書いてるだろうか。
教科書はシャネルのことやブラジャーのことが書きたかったのではなくて、女性が社会進出する過程を書きたかったんだと思いますが。。。
ブラジャーは英語だけど、フランス語では、ブラシエールって書いてますよ。
下着革命は、女性のコルセット≒凝るセットからの解放だと思ってたら
ちょっとヤフーで検索したら
・ヌーブラ
・男性用ガードル
・女性用ふんどし
がやたらとヒットした。
でも
それは、時代が先に進んでも帝国書院の世界史Aの教科書には載らんだろうなあ。
1883年8月19日 俳句の日の生まれだなあ。
1910年パリで「シャネル・モード」
1915年にビアリッツで「メゾン・ド・クチュール」を開く。
高校の世界史の初歩編の教科書ネタ、まだ120Pぐらいだけど、もう3ヶ月以上もたせている。
女性は、家にしばりつけられていて、コルセットとか1人ではなかなかつけられなかったし、時間もすごくかかった。
それはブラジャーとガードルに分解され、ココ・シャネルが男性のスーツの特性に着目して、動きやすい服装を追及したことと相まって、女性の社会進出をうながしたと教科書に書いてあるぞ。
シャネルさん1971年まで生きてたんですね。
映画とかにもたぶんなってる?
幼くして母は他界し、父は無責任で、貧しくて孤児院で育てられ、張子じゃなくて針子さんとしてがんばりつつ、美貌を生かして、キャバレーで歌手になったり軍人のカノジョになって、パトロン見つけて、パリで店出して、その後、ナチスのドイツ人将校の愛人になって、対独協力者としてフランスでは嫌われまくったけど、ドイツやアメリカのウーマンリブ関係者に持ち上げられて、痩身のシャネル自身が服のモデルになったことで、その後、ファッションモデルは痩身の人が主流になったとか。
シャネルがいつの時代の人かも、ファッションのことも知らずに、夕方かじりだして、生ビール6杯飲んで書いてますが間違ったこと書いてるだろうか。
教科書はシャネルのことやブラジャーのことが書きたかったのではなくて、女性が社会進出する過程を書きたかったんだと思いますが。。。
ブラジャーは英語だけど、フランス語では、ブラシエールって書いてますよ。
下着革命は、女性のコルセット≒凝るセットからの解放だと思ってたら
ちょっとヤフーで検索したら
・ヌーブラ
・男性用ガードル
・女性用ふんどし
がやたらとヒットした。
でも
それは、時代が先に進んでも帝国書院の世界史Aの教科書には載らんだろうなあ。
Posted by たみ家 at 01:14│Comments(0)