やっぱり問題だ。
2009年05月29日
この団長日記の世襲議員の話しの弁護のくだりは、被災して、ファンキータイムに来てでも書かずにおれんなあ。
次回に、きっちり書こうと思う。
まず、目的と手段っていうけど、社会の問題って、複数の目的が背反するから難しい。
一つの目的を選んで、それとの手段の整合だけ考えるような社会問題、政治問題というのはほぼ存在しないのである。
だから、「目的と手段の整合」とか「原理原則」と何度も書いてるが、それは、たまに錯綜するときに整理する程度の枝葉の話なのだ。
目的って大きな部品なんですよ。
複数の目的たる部品が組み合わさって、問題を構成してるわけです。
団長は部品だけ見てる話を延々やってる。
確かに、部品の問題から全体がおかしくなってたり、部品の問題を見抜けば何とかなる場合もある。
しかし、一つの手段と整合するという程度の目的は最終の全体からすると部品に過ぎないのである。
多数の目的の調和が、さらにその継続性の担保などが多くの場合の最終なのだ。
ときどき、単一の部品だけで構成されているような単純な品も存在するが、団長お得意の讃岐富士の見え方とかと違って、福祉や世襲や税の問題は、複数の目的が組み合わさった高度な品なんですわ。
そういう高度な品の話に、不用意に子どもの彫刻刀の作品レベルのアプローチかますから怪我するんですわ。
もっときちんと後日書きますが、下の青字はまたも引用だけど、スタートがおかしいから、またも書いてることが全部おかしい。
「議論の目的」って、世襲自体にもともと複数重要問題が内在してるのに、一つだけ選んで、全体として世襲問題なしと書いたことがおかしい。
「目的が違う」も何も、全部クリアしないと世襲問題なしともともと言えんだろうが。
それに、不平等はいくらでもあるから問題ないっておかしいだろう。
できることとできないことはあっても問題視はしないといけないし、はなはだしいものや悪質なものについては、いくらでもあるからといって是正しないといけないだろう。
川田さんの問題は、世襲権力として固定されんだろう。
そもそも、問題はいくらでもあるしなくならないからええんちゃうって理屈は、そのままかますと、目の前に理不尽な死に方をしそうな子どもがいても、アフリカやイラクなどで責任がなくても内戦や誤爆などで理不尽な死に会う人はいくらでもいるし、歴史的にもそういうのはなくならないから、ええんちゃうってのと、いっしょなんや。
筋道についてはどこにも違いはないだろう。
知名度だけで当選するなら、川田さんの話もタレントの話も問題は問題なのだ。
社長や社長の息子が会社の組織を使うのも問題がないわけではない。
現実には問題はあるが、さまざまな問題との調整の結果としてできている法において、法的に問題がないだけで、法的に問題のあるレベルにならなければ、現実問題がないというわけではないのだ。
そもそも格差社会なんか、法的な話では何も問題はないし、永久になくなりそうにない、どこにでもある話しでないか。
だから、ええんちゃうってのはどうなんだ?
程度や問題の表れ方を考慮した、是正に向けてアプローチするかどうかの違いだ。
中略だけど、全部が倫理的にも論理的にも知識的にも間違ってるから、後日もあるとして
(今日のところは)最後に、制限しようと言ってるの人のほとんどは「世襲を禁止する」と言ってないだろう。
是正をするって言葉の意味は?
党が公認を見送ることは禁止ではない。
選挙区制度の改革も禁止ではない。
「選ぶのはわれわれ」って、結果がすべて正しいなら、買収だってわれわれが乗らなければいいって話だし、それでもわれわれが乗ったのならそれも民主主義とか、もらうものもらっても投票するかどうかは別だから、問題ないってのと似てる。
制度や過程や情報量などの問題が多いのに、選んだ人の責任だからすべてオーライって、ほんとの〇〇ですか?
問題が多すぎて、時間が足りんがな。
また続きをやるぞ!
たみ家の意見への批判も歓迎だよ。
ただし、理性と理論でやり合おうね。
団長日記でおさまるならまだいいけど、四国新聞20万部に書いたら、言論に社会的責任ってものがあるだろう。
それに耐える文章を書こうで。
21日にテレビ見て思いついたネタで、24日の新聞に間に合わせて、それも選挙前に世襲問題に言及してあのお粗末さは責めに会わなければ、むしろ問題であろう。
で、ブログで変な弁解をしなくて済むように、もうちょっと上手に書けばいいのにね。
たとえば、たみ家の批判でも事前に読んでおいて、3週間ぐらい時間があったら、書けたかもね。
世襲議員のことについて、「でもやっぱり世襲議員は有利だから不公平ではある」という意見が親しい友人2名から(笑)。それはなあ、たぶん議論の目的が違うんだ。
私の前回の話の目的は「資質のある候補者を選ぶこと」で、それを達成する手段としては、「世襲候補者かどうか」は関係ない、という意見。それに対し「でも世襲議員は有利だから不公平だ」というのは、目的が「立候補者の有利不利をなくする」に変わっている。目的が変わったら、そら手段も変わるから議論も変わってくる。前回の話は、
(目的)資質のある候補者を選ぶ→(手段)より資質があると思う候補者に投票する=世襲候補かどうかは関係ない
という話であって、「立候補者の有利不利をなくする」という目的に対しては、私は言及していないのである(何かその前の話と同じやなあ)。
なので今から言及する(笑)。
まず、私は世襲かどうかによる立候補者の有利不利については「別にそれぐらいはええんちゃう?」というスタンスです。だって選ぶのはこっちなんだから、立候補者の持っている「地盤(後援会組織など)看板(知名度)カバン(資金)」の不公平、あるいは不公平感なんて、「より資質のある候補者を選ぶ」とか「より良い政治が行われるような政党を選ぶ」といった自分の投票の意志決定には何の関係もないからです。それは「立候補者間にかかってくる不公平」であって、私ら「投票者間にかかってくる不公平」じゃないもの。
次に、立候補者間の不公平は、「なくしようとしたらきりがないんちゃうん?」というスタンスです。世襲でない候補者にも地盤(後援会組織)はあるし、不公平なほど知名度のある人もいるし、資金が無茶苦茶ある人もいる。「自分で築いたものならいいが、親からもらったものはいけない」と言うなら、例えば世襲でない大会社の社長の息子が立候補したら、たぶん親の会社とその関連会社すべてを使って「地盤(後援会組織)」を作ってそれを利用するんだから、同じようなものである。
知名度だって(あるいは情緒的な思い入れだって)同じようなものだ。小渕優子さんに「小渕元総理の娘というだけで当選していいのか」と言うなら、川田さんに「薬害エイズの被害者というだけで当選していいのか」というのと同じようなものだ。というより「当選していいのか」という言い方は、「当選するかどうかは有権者が決める」という基本的なことが抜けている。そこは「小渕元総理の娘というだけで立候補していいのか」「薬害エイズの被害者というだけで立候補していいのか」と問わなければいけない。すると、どう考えてもいいに決まっているじゃないですか。
それでもまだ「いや、川田氏はその生い立ち環境から庶民の感覚がわかる」と言う人がいるだろうが、それなら「小渕氏はその生い立ち環境から政治のことがよりわかる」という話になるし、さらにどちらも自分に足りない分野のことは勉強して補おうとするのだからこれも同じようなものだ。あといくら例を出してもいいが、とにかく候補者間の不公平は、世襲か世襲でないかに関係なく存在する。だから世襲候補だけを制限しても根本的に不公平は解消しない。だいたいそんなものを全部平等的に公平にしようとしたら「会社の社長とその親族は本社のある選挙区から立候補してはいけない」だとか「マスコミに何回以上出た人は立候補してはいけない」だとか「親の財産も合わせていくら以上ある人は立候補してはいけない」だとか「自分や身内に不幸があった人は同情を買って不公平だから立候補してはいけない」だとか、きりがなくなるぞ、というのが私のスタンスである。
繰り返すが、基本的には私は「立候補者の有利不利は別にあってもええんちゃうん」という考えである。理由はまた繰り返すが、「だって何らかの有利不利は絶対あるんだし、その上で選ぶのはこっちなんだから」である。だから選ぶ側の私からすれば、世襲を禁止されて選択肢が減ることの方が困るのである。
次回に、きっちり書こうと思う。
まず、目的と手段っていうけど、社会の問題って、複数の目的が背反するから難しい。
一つの目的を選んで、それとの手段の整合だけ考えるような社会問題、政治問題というのはほぼ存在しないのである。
だから、「目的と手段の整合」とか「原理原則」と何度も書いてるが、それは、たまに錯綜するときに整理する程度の枝葉の話なのだ。
目的って大きな部品なんですよ。
複数の目的たる部品が組み合わさって、問題を構成してるわけです。
団長は部品だけ見てる話を延々やってる。
確かに、部品の問題から全体がおかしくなってたり、部品の問題を見抜けば何とかなる場合もある。
しかし、一つの手段と整合するという程度の目的は最終の全体からすると部品に過ぎないのである。
多数の目的の調和が、さらにその継続性の担保などが多くの場合の最終なのだ。
ときどき、単一の部品だけで構成されているような単純な品も存在するが、団長お得意の讃岐富士の見え方とかと違って、福祉や世襲や税の問題は、複数の目的が組み合わさった高度な品なんですわ。
そういう高度な品の話に、不用意に子どもの彫刻刀の作品レベルのアプローチかますから怪我するんですわ。
もっときちんと後日書きますが、下の青字はまたも引用だけど、スタートがおかしいから、またも書いてることが全部おかしい。
「議論の目的」って、世襲自体にもともと複数重要問題が内在してるのに、一つだけ選んで、全体として世襲問題なしと書いたことがおかしい。
「目的が違う」も何も、全部クリアしないと世襲問題なしともともと言えんだろうが。
それに、不平等はいくらでもあるから問題ないっておかしいだろう。
できることとできないことはあっても問題視はしないといけないし、はなはだしいものや悪質なものについては、いくらでもあるからといって是正しないといけないだろう。
川田さんの問題は、世襲権力として固定されんだろう。
そもそも、問題はいくらでもあるしなくならないからええんちゃうって理屈は、そのままかますと、目の前に理不尽な死に方をしそうな子どもがいても、アフリカやイラクなどで責任がなくても内戦や誤爆などで理不尽な死に会う人はいくらでもいるし、歴史的にもそういうのはなくならないから、ええんちゃうってのと、いっしょなんや。
筋道についてはどこにも違いはないだろう。
知名度だけで当選するなら、川田さんの話もタレントの話も問題は問題なのだ。
社長や社長の息子が会社の組織を使うのも問題がないわけではない。
現実には問題はあるが、さまざまな問題との調整の結果としてできている法において、法的に問題がないだけで、法的に問題のあるレベルにならなければ、現実問題がないというわけではないのだ。
そもそも格差社会なんか、法的な話では何も問題はないし、永久になくなりそうにない、どこにでもある話しでないか。
だから、ええんちゃうってのはどうなんだ?
程度や問題の表れ方を考慮した、是正に向けてアプローチするかどうかの違いだ。
中略だけど、全部が倫理的にも論理的にも知識的にも間違ってるから、後日もあるとして
(今日のところは)最後に、制限しようと言ってるの人のほとんどは「世襲を禁止する」と言ってないだろう。
是正をするって言葉の意味は?
党が公認を見送ることは禁止ではない。
選挙区制度の改革も禁止ではない。
「選ぶのはわれわれ」って、結果がすべて正しいなら、買収だってわれわれが乗らなければいいって話だし、それでもわれわれが乗ったのならそれも民主主義とか、もらうものもらっても投票するかどうかは別だから、問題ないってのと似てる。
制度や過程や情報量などの問題が多いのに、選んだ人の責任だからすべてオーライって、ほんとの〇〇ですか?
問題が多すぎて、時間が足りんがな。
また続きをやるぞ!
たみ家の意見への批判も歓迎だよ。
ただし、理性と理論でやり合おうね。
団長日記でおさまるならまだいいけど、四国新聞20万部に書いたら、言論に社会的責任ってものがあるだろう。
それに耐える文章を書こうで。
21日にテレビ見て思いついたネタで、24日の新聞に間に合わせて、それも選挙前に世襲問題に言及してあのお粗末さは責めに会わなければ、むしろ問題であろう。
で、ブログで変な弁解をしなくて済むように、もうちょっと上手に書けばいいのにね。
たとえば、たみ家の批判でも事前に読んでおいて、3週間ぐらい時間があったら、書けたかもね。
世襲議員のことについて、「でもやっぱり世襲議員は有利だから不公平ではある」という意見が親しい友人2名から(笑)。それはなあ、たぶん議論の目的が違うんだ。
私の前回の話の目的は「資質のある候補者を選ぶこと」で、それを達成する手段としては、「世襲候補者かどうか」は関係ない、という意見。それに対し「でも世襲議員は有利だから不公平だ」というのは、目的が「立候補者の有利不利をなくする」に変わっている。目的が変わったら、そら手段も変わるから議論も変わってくる。前回の話は、
(目的)資質のある候補者を選ぶ→(手段)より資質があると思う候補者に投票する=世襲候補かどうかは関係ない
という話であって、「立候補者の有利不利をなくする」という目的に対しては、私は言及していないのである(何かその前の話と同じやなあ)。
なので今から言及する(笑)。
まず、私は世襲かどうかによる立候補者の有利不利については「別にそれぐらいはええんちゃう?」というスタンスです。だって選ぶのはこっちなんだから、立候補者の持っている「地盤(後援会組織など)看板(知名度)カバン(資金)」の不公平、あるいは不公平感なんて、「より資質のある候補者を選ぶ」とか「より良い政治が行われるような政党を選ぶ」といった自分の投票の意志決定には何の関係もないからです。それは「立候補者間にかかってくる不公平」であって、私ら「投票者間にかかってくる不公平」じゃないもの。
次に、立候補者間の不公平は、「なくしようとしたらきりがないんちゃうん?」というスタンスです。世襲でない候補者にも地盤(後援会組織)はあるし、不公平なほど知名度のある人もいるし、資金が無茶苦茶ある人もいる。「自分で築いたものならいいが、親からもらったものはいけない」と言うなら、例えば世襲でない大会社の社長の息子が立候補したら、たぶん親の会社とその関連会社すべてを使って「地盤(後援会組織)」を作ってそれを利用するんだから、同じようなものである。
知名度だって(あるいは情緒的な思い入れだって)同じようなものだ。小渕優子さんに「小渕元総理の娘というだけで当選していいのか」と言うなら、川田さんに「薬害エイズの被害者というだけで当選していいのか」というのと同じようなものだ。というより「当選していいのか」という言い方は、「当選するかどうかは有権者が決める」という基本的なことが抜けている。そこは「小渕元総理の娘というだけで立候補していいのか」「薬害エイズの被害者というだけで立候補していいのか」と問わなければいけない。すると、どう考えてもいいに決まっているじゃないですか。
それでもまだ「いや、川田氏はその生い立ち環境から庶民の感覚がわかる」と言う人がいるだろうが、それなら「小渕氏はその生い立ち環境から政治のことがよりわかる」という話になるし、さらにどちらも自分に足りない分野のことは勉強して補おうとするのだからこれも同じようなものだ。あといくら例を出してもいいが、とにかく候補者間の不公平は、世襲か世襲でないかに関係なく存在する。だから世襲候補だけを制限しても根本的に不公平は解消しない。だいたいそんなものを全部平等的に公平にしようとしたら「会社の社長とその親族は本社のある選挙区から立候補してはいけない」だとか「マスコミに何回以上出た人は立候補してはいけない」だとか「親の財産も合わせていくら以上ある人は立候補してはいけない」だとか「自分や身内に不幸があった人は同情を買って不公平だから立候補してはいけない」だとか、きりがなくなるぞ、というのが私のスタンスである。
繰り返すが、基本的には私は「立候補者の有利不利は別にあってもええんちゃうん」という考えである。理由はまた繰り返すが、「だって何らかの有利不利は絶対あるんだし、その上で選ぶのはこっちなんだから」である。だから選ぶ側の私からすれば、世襲を禁止されて選択肢が減ることの方が困るのである。
Posted by たみ家 at 04:59│Comments(2)
この記事へのコメント
親の背中を見て素晴らしい職業だと感じ、自分も、というのであれば
よい話だと思うのですよ。
よい話だと思うのですよ。
Posted by MOON at 2009年05月29日 23:59
MOONさん
ありがとうございます。
ただ、国会議員って、そもそも職業なんでしょうか?
って疑問も生じえると思います。
また、本文で進めてみます。
からみにくいネタだと思いますが、考える足場や視点をくれるので、コメントはうれしいものです。
ありがとうございます。
ただ、国会議員って、そもそも職業なんでしょうか?
って疑問も生じえると思います。
また、本文で進めてみます。
からみにくいネタだと思いますが、考える足場や視点をくれるので、コメントはうれしいものです。
Posted by たみ家
at 2009年05月31日 16:56
