スイスとロッテンマイヤーさん 1
2009年04月28日
会員制居酒屋「てつお」にはPSYさんから寄贈された品があります。
お早いうちは、いいことがあるかも。
さて、幼少時代、アルプスの少女ハイジで、「執事のロッテンマイヤーさん」って出てきました。
「執事」って言葉を知らないし、風貌で「羊のロッテンマイヤー」さんだと思ってました。
これは、たみ家だけではないと思う。。。。。
ハイジの生年は1880年
テレビの「トリビアの泉」でも出てましたが、ハイジの祖父、アルムのおんじは、傭兵時代にナポリ方面で、ケンカで人を殴り殺して、刑を恐れて隊から逃走して、逃走中に子を作った。
それがハイジの父とされてます。
若い時代に札付きの悪で、富裕だった家をつぶすほどバクチなどに明け暮れ、それがもとで父母は死に、傭兵になった後にできた妻も若くしてなくなり、息子であるハイジの父も若くして事故でなくなり、ハイジの母も後を追うように高熱でなくなりました。
ハイジの父母の死は、ハイジ1歳のときでした。
「身内が次々と早死にするのはお前がろくでなしだから」と村の人は責めるし、身内が早死にすることで神をも恨むようになり、おんじは山の上で人と離れて暮らすようになった。
スイスは放牧しての酪農が主な農業でしたが、山がちなので、穀物はあまりとれませんでした。
1500年ぐらいまでは、黒死病=ペストが蔓延してたので、人口は増えませんでしたが、それが落ち着いて来ると、山岳地帯のことだし、若い男女、他に楽しいことがなかったのか、人口がどんどん増えていきました。
もう、豊作でも穀物が足りません。
今の日本みたいなもんです。
ハイテク製品を輸出する代わりといっても、当時のスイスは貧困で産業がありませんでした。
そこで、政府は、傭兵として、軍需サービスを国策として輸出することにしました。
スイス男は山岳で足腰が鍛えられているので強く、ヨーロッパ中で戦い「血の輸出」と言われました。
いろんなとこに傭兵に行くと、スイス人同士が敵味方として前線で戦うこともあったと言われています。
こんな世情で、戦地に出た人が自分の資産を管理してもらったり、給料を家族に送ってもらったり、個人向け金融機関が必要になったので、スイスの銀行は発達したといわれ、後にフランス革命でフランス革命政府から返せといわれた王侯貴族の財産を守るなどしたので、世界的に信用が知れ渡るようになったので、ルパン三世もゴルゴ13も御用達となったとさ。
クレディ・スイスやUBSなんかが、日本では有名なんでしょうか?
食えないと、国を挙げて他国の戦争に行くしか出稼ぎがなく、戦地で夫や父を失ったり、妻子を国に残して他国の戦争のために自国民同士で殺しあうこともあったというと、後に勤勉に産業を興し富裕な国の代表とされるまでになり、1815年のウィーン会議から200年近くにわたって永世中立を保ち、2002年に国連に加盟するときも揺れに揺れたことが、しみじみと感じられてくるよなあ。
お早いうちは、いいことがあるかも。
さて、幼少時代、アルプスの少女ハイジで、「執事のロッテンマイヤーさん」って出てきました。
「執事」って言葉を知らないし、風貌で「羊のロッテンマイヤー」さんだと思ってました。
これは、たみ家だけではないと思う。。。。。
ハイジの生年は1880年
テレビの「トリビアの泉」でも出てましたが、ハイジの祖父、アルムのおんじは、傭兵時代にナポリ方面で、ケンカで人を殴り殺して、刑を恐れて隊から逃走して、逃走中に子を作った。
それがハイジの父とされてます。
若い時代に札付きの悪で、富裕だった家をつぶすほどバクチなどに明け暮れ、それがもとで父母は死に、傭兵になった後にできた妻も若くしてなくなり、息子であるハイジの父も若くして事故でなくなり、ハイジの母も後を追うように高熱でなくなりました。
ハイジの父母の死は、ハイジ1歳のときでした。
「身内が次々と早死にするのはお前がろくでなしだから」と村の人は責めるし、身内が早死にすることで神をも恨むようになり、おんじは山の上で人と離れて暮らすようになった。
スイスは放牧しての酪農が主な農業でしたが、山がちなので、穀物はあまりとれませんでした。
1500年ぐらいまでは、黒死病=ペストが蔓延してたので、人口は増えませんでしたが、それが落ち着いて来ると、山岳地帯のことだし、若い男女、他に楽しいことがなかったのか、人口がどんどん増えていきました。
もう、豊作でも穀物が足りません。
今の日本みたいなもんです。
ハイテク製品を輸出する代わりといっても、当時のスイスは貧困で産業がありませんでした。
そこで、政府は、傭兵として、軍需サービスを国策として輸出することにしました。
スイス男は山岳で足腰が鍛えられているので強く、ヨーロッパ中で戦い「血の輸出」と言われました。
いろんなとこに傭兵に行くと、スイス人同士が敵味方として前線で戦うこともあったと言われています。
こんな世情で、戦地に出た人が自分の資産を管理してもらったり、給料を家族に送ってもらったり、個人向け金融機関が必要になったので、スイスの銀行は発達したといわれ、後にフランス革命でフランス革命政府から返せといわれた王侯貴族の財産を守るなどしたので、世界的に信用が知れ渡るようになったので、ルパン三世もゴルゴ13も御用達となったとさ。
クレディ・スイスやUBSなんかが、日本では有名なんでしょうか?
食えないと、国を挙げて他国の戦争に行くしか出稼ぎがなく、戦地で夫や父を失ったり、妻子を国に残して他国の戦争のために自国民同士で殺しあうこともあったというと、後に勤勉に産業を興し富裕な国の代表とされるまでになり、1815年のウィーン会議から200年近くにわたって永世中立を保ち、2002年に国連に加盟するときも揺れに揺れたことが、しみじみと感じられてくるよなあ。
Posted by たみ家 at 05:58│Comments(0)