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Posted by あしたさぬき.JP at

手打ち動作と構造計算

2009年08月31日

とある事情で、というかとあるたみ家の電話依頼から

けいぴょんさんと龍ちゃんさんが
うどんの手打ちの動作、とくに生地を延ばすところを見に来られました。

たみ家の依頼は大雑把に言えば
「物理学というか、構造計算について教えてください。」
というものでした。

うどんの手打ち動作の身体への負担の原因を力学的に究明し、軽減する方法を考えて、業界に発表して、手打ち職人の職人寿命を延ばしたり、疲労を軽減してもらおうという目的意識から出発したものですが
数人に電話して、けいぴょんさんが飛びぬけて意欲的で、なんと電話の翌日に手打ち動作を研究するとパートナーの方と当店に実地調査に来られました。

ほとんどの人が、気持ち的にも能力的にも、まともに受け止められないこの依頼に、面白みを感じて、しかも翌日お見えになったのにはほんとうに驚きました。
迅速、感受性豊か、ふところが広い。
  

Posted by たみ家 at 23:04Comments(3)

人材の宝庫なのに

2009年08月31日

前記事で書いたとおり、小選挙区3名、県知事、高松市長の五人衆が全員東大卒ですが

全員元キャリア官僚なんですね。
入庁時点の省名でいうと、大蔵2名(大野さん、玉木さん)、自治2名(小川さん、市長)、農水1名(知事)

これだけ聞くとちょっと気持ち悪くないですか?
というか、香川には、東大-霞ヶ関ルートにしか、人材おらんのか?
という寂しさもある。

あとは、御曹司、御令嬢が比例や参院に。

立派な人ばっかりだと思いますよ。
人をちゃんと見れば。

キャリア待遇を投げ打ってでもとか、現状を何とかしようというハートの面は違っても

能力的な面では、霞ヶ関のキャリア官僚には、万人単位の分母のうち数千人はあのレベルがいるわけです。

各省庁のキャリア組の中では、香川のキャリア五人衆は、平均よりは上という程度で、むちゃくちゃ優秀って人ばかりでもないでしょう。
ご本人自身が、元財務官僚の人以外は、ハートは別として、頭や能力だけなら、自分ぐらいの能力レベルは、霞ヶ関に何千人はいると自覚してるでしょう。

さて、ここで
県庁や高松市役所に目を向けてみましょう。

成長期に入ったような昔の人はともかく、ここ15年以上の県庁入ってる人の学歴レベルの平均的なところって、国立だと広島大学とか私立だと同志社大学ぐらいじゃないですかねえ。
早稲田とか阪大は目立つこともないでしょう。
たぶん、京大卒で、50人以上いるんじゃないの?
高校卒とかの枠はあるけど、大卒100名に対して、高校卒2名ぐらいしか採用してないでしょうから、平均的なところを表現するには、それでいいと思います。

キャリア官僚でハートがあれば、ほとんどが小川さんに近いレベルあるんです。

県の職員もハートがあれば、最低でも1000人以上は、高松市議会や県議会で議員になっても、能力については、高いレベルにあるだろうという人がいるんです。

高松市職員に関しても、最低でも500人はいるでしょう。

この人らは、間違いなく、素の頭のレベルは香川県では最強クラスの大型頭脳集団なんです。
ところが、この人らが、職業以外で、地域で活躍しているってのが、特に高松市内では少ない。
田舎に行けば、旧家の長男とかが多いので、まあいろんな地域の世話役もしてるでしょうが、しがらみや世間体で、昔から轢かれたレールのことしかしない。

国でいうところのキャリアと、香川でいうところの県・高松市の上級の上半分はほぼ素の能力では、枠組みの規模でスケールダウンさせると相応すると思いますが

キャリア官僚になった人は、親元離れて、霞ヶ関と派遣先の地方を往来する生活になるわけで、天下れるレベルやノンキャリの人がなれないとこに昇進する辺りまでは待遇も県職員や高松市職員よりむちゃくちゃには給料や勤務条件でいいわけでなく、上昇志向、ステイタスへのプライド、国家への貢献意識の高さでなる人が多い。

ところが、市職員や県職員は、

・親の家を継いだり面倒見るので
・田んぼせんといかんので
・大企業とかしんどそう
・趣味に生きたい
・産休が何年も取れて、育児休暇もしっかり取れるので安心して親元で子どもが産める
・国家公務員と違って、高松市や香川県の職員なら家売らんといかんようなところに転勤させられることもないだろう
・安定している
・親から土地譲ってもらって家建てて夫婦公務員なら最強だね

なんて理由でなる人がかなり多い。

また、長年に渡る上意下達の国を頂点とした名ばかり自治、決められた手続き以上のことを足しも引きもするな、縦割り意識で他部署に関係することには発言しないというような意識の中で、早く帰りたいお金には困らないしみたいな人が多い。

一部の昇進ルートの人は違うだろうが、上司の命令に忙殺されて、地域のことを職を離れて考えない。
また、問題提起をすると不満分子扱いされかねんという意識も働くかもしれない。

本来の能力レベルでは、国から県や市にスケールダウンしたところの小川さんクラスが1000人、2000人いるのに、ハートがなく眠り続けていた人材の宝庫、大型頭脳集団というのが、高松市役所や香川県庁ではないだろうか。

この人達は、キャリア官僚のように2、3年ごとに全国に転勤するような覚悟の人と違って、引っ越したくないし、安定したいから地元に来てるし、また親元で小中高など同じ人が多かったりするし、地方公務員の親は世間体気にする人が多いので、目立つような発言をしたくない。

このような話で、中にはそうでない人もいるでしょうが、大多数はまるでハートに火が点かない。

霞ヶ関のキャリアはプライドが高いから、組合に守ってもらいたいみたいなことは思わないだろうが、地方公務員は昔から自治労が強い。

それに、国会議員と違って、県議や市議って、次通らなかったら、田舎だし再就職きついでない。
履歴書で「県議やってました。」って書いても「はあ?」しか言われんでしょう。
ステータスや燃えるものあまりないでしょう。

そりゃあ、圧倒的に定年まで勤める方がいいと考えるでしょう。
年収1000万円で、4年で、後はどうなるかわからんより、500万でも30年続いて、まとまった退職金ある方がええわな。
特に田舎で、親元から離れられんなら。
というか親元おったらよほど不幸な事情の家でないと差し迫るほどには生活にも困らんし。

何も小川さんみたいに、県職員や市職員に選挙に出ろと言いたいわけではありません。

まあ、素の能力はあってマジメで地域の問題に詳しい人が多いはずなんだから、そんな人、もうちょっといてもいいと思うけど、元公務員が議会を多く占めるって、気持ち悪いでしょう。
うん、気持ち悪いわ。

でもね。

平均広島大卒ぐらいの学歴の大集団が県職員と高松市職員だけで5000人ぐらいいるんですよ。

何らかの形で、未利用資源として、地域で活躍してもらってもいいと思うんですがねえ。

いい知恵出して、ここの頭脳にきちんと火を点けて、民間のやることときちんと調和させることに成功した地域が、良くなるんじゃないかと思わんでもないが。。。

難しいのか?
案外難しくないのか?

「頭でないよ。ハートだよ。」

「いや。頭とハードだよ。」

どっちも聞くけど、大多数にハートが足らんのは間違いない。

県だけで、医師、薬剤師、獣医、一級建築士、中小企業診断士、学芸員、教員免許保持者なんかでも、それぞれ、数十人以上、計数百人や千人はいるんだよ。

もったいない。
  

Posted by たみ家 at 21:40Comments(6)

みんな頭はいい

2009年08月31日

こんな県他にあるの?

香川は、県知事、県庁所在市長、小選挙区の衆院議員全員が東大卒になった。
やっぱ東大って優れた人が多いの?
そうでない人もいっぱいいると思うけど。

真鍋さんはともかく、大西さんや小川さんはルックス的にも人前での態度でも優れたものがあると思う。
ことさら真鍋さんが悪いというわけじゃないけど。
玉木さんが人前に出てるのは見たことないけど、顔はいいよね。

天は二物をというけど、さすがに広く代表になる人は二物や三物持ってますなあ。

大野さんは会ったことはないけど、公約やインタビューの内容読んでみて、アラを探してやろうと思ってもどこにも隙がない。
他の候補の書いた文章なんか、探さなくても穴だらけだと感じるのに。

これほどの人でも、風で、米田さんに迫られるのか。
もし社民で民主公認じゃなくて、民主党のルックスのいい候補だったらやられたかもしれないね。

大野さんはさすがフルブライト留学生だね。
視野の広さを感じる。

書く文章の内容だけでなく、行間にまで、頭の良さ、経験、人柄のすばらしさがにじんでるように思える。
会ったこともないし、三豊の方のこともよく知らないから間違ってるかもしれないけどね。
ああ、これほどの人が国政に当たっても、日本の問題は前に進まなかったのかと思うと、考えさせられるものがある。

香川の政治の看板は、文句なしに頭のいい人ばかりになりました。

それがいい方に結実すればいいなあ。
  

Posted by たみ家 at 07:49Comments(0)

大量失職

2009年08月31日

小泉チルドレンに小沢チルドレンどっちも約100人。

小泉チルドレンは10分の1しか残れなかった。

次回、また政治家としてふさわしくなかった人が大量失職するのかな?
いや、ふさわしかったとしても、風に乗って、相手の強固な地盤を切り崩せた人は風なしでは次回負けるだろう。

4年でやめていい職が見つからなかったら、年収3000万円でも、トータルで市役所職員に負けるだろう。

自分がそれで家族養うとか、娘の配偶者のことを思ったらどう?
3000万なら微妙と思った人も、2000万なら定年まで市役所職員が確実に上でしょう。


プロ野球選手が契約金1億もらえるとしても、はじめからほとんど二軍にしかおれず4年ぐらいしかもたないと思うなら、プロになろうとしない人も多いでしょう。

ねたまず、まじめな話、1年だけの年収の比較で、国会議員の報酬がいいの悪いの言うんはアンフェアだなあ。

鳴かず飛ばずで4年で辞めるプロ野球選手に負けるのもどうかと思うけど、生涯的な実質報酬で市役所職員にも負けて、子育てとか家族に責任持てないような生活設計を国民の代表にさせるのはやめよう。

まあ、どういう制度がいいかはわからないけど、たみ家は年間の議員報酬が年3000万円でも市役所職員よりも必ずしも待遇がいいとは思わんなあ。

玉木雄一郎さんなんか日本の大学の頂点東京大学出て、また頂点のハーバード出て、キャリア官僚の頂点財務官僚やめて、落選して4年間何やってたんでしょうね。
はじめから、木村地盤への挑戦は4年や8年は厳しいと思われただろうし。
って、何回かお会いして話したことあるんで、まったく知らないわけでもありませんが。

良かったね。

志も能力もある人をつかまえて、国民が甘えて、「政治家なんかボランティアでもええんじゃ。」とか、こういう考えもナチスを生む土壌になる。

また、土建屋の息子で、親父さんの会社の専務やってたら、議員になっても失職せんし、落選しても問題ない。
これが民間企業であろうが、公務員であろうが、普通のサラリーマンはそうはいかない。
国会議員に、人生のトータルとして、十分な報酬を払ってこなかったことが、これも、政治の硬直を生んだ理由の一つだと思う。

すでに、国会議員になった人がもともと金持ちだったり、長く議席を守る例が多かったから、ずいぶん多くもらってるように見えたかもしれないけど、ことの本質は、そっちじゃないんよ。
一般ピープルから議員になった人の生活の補償を立ててやることが大事だと思う。
じゃないと、金持ちかよっぽど奇特でないと、立てんわな。
東大出て高給取りになって、そこを辞めて、市役所職員に負ける報酬で、家族に責任持てんのだから。

たぶん、民主党さんはそこらへんいろいろすでに考えてると思うんだけど、元議員の肩書きで食えるもんではないで。

まあ、次の総選挙でも民主党政権が支持されたとしても、これだけポッと出が多いと、それなりに失職者が出るだろうし、民主党さんがヘマやったら、ものすごい数の失職者が出るなあ。

インターネットの普及も関係あるんでしょうかね?
風の選挙が当たり前になったら、党が逆風なら議員として能力があってマジメにやった人も実績あげた人も勝てないでしょう。
議員になることが家族を養ったり、生涯設計に大打撃を与えることがないようにしてほしいですね。

議員に能力や志のある人が広くなれるように、また、在職中に落選後が不安だからと、利権で稼いでやろうとか思わなくていいように。

その費用は、国が直接議員に渡すか、国が政党に渡して政党からいくか、政党が支持者から集めて議員に渡すか、制度をよく知らないので、何がいいのかわからないけど、議員にはどっから出るにしても年収3000万円ぐらいは渡してやってほしいね。
それでも市役所職員よりいいと言えないのに。

議員年金を減らせと言う話も、偏狭な話だと思う。
自分たちの代表に感謝の念を持たないのが悪い。

政策については議論せず、報酬だけ表面的に見てねたむ。
そういう民主主義とは決別しましょう。

野茂さんでさえ、新日鉄の下請け会社にいて、手取り10万ちょっとしかなくても、通用せずに無職になったときに家族が困ると思ってプロ入りを迷ったそうだよ。
清原以上のドラフト史上最高の目玉と、契約金1億以上提示されてもなおだよ。


夢や志で家族やら他人さんに責任もてるわけじゃないし、生涯の設計も普通は大事よね。
国会議員にも普通の庶民が望む程度の安定や安心を認めてやろうよ。
そりゃ、やってるときに華やかに見えるところが多少あるのは、しょうがないでしょう。

国会議員の大量失職が連続する現象への対策は、これからの課題になりそうな気がする。

これからの政治に何らかの影を落とすのではないだろうか?
・風だけ任せのふさわしくない、政治家の資質のない人が増える。
・議員にノウハウが蓄積せずに、官僚に対抗できなくなる。
・在職中に利権やコネをつくって稼ぎの種を見つけに走る。
・芸能人に転向できるようパフォーマンスに走る。
などなど。

比例区減らして敗者復活しにくくなるという民主党さんのマニフェストもこのヘンとの絡みどうなの?

党県連第○支部副会長みたいな役で抱え続けるのって、それで大丈夫なの?
4年、8年、後の選挙で勝てるともわからないし。
長いぞ4年、長いぞ8年。

国にとって、いい方に考えれば、人材が広く掘り起こされてるプロセスであって、中にはしょっぱいのも出てくるということかもしれない。
でも、いい影響について、立つ人の志に国民が甘えるってのはどうだろう。

キャリア官僚を捨てて、大企業を辞めて、年収1千万円、退職金5千万円はもらえたような人が多いでしょう。
若くして辞めて、たぶん小川淳也さんが250万円、玉木さんが400万円もいかないぐらいの退職金だったのでは?という状況で、議員年金が一般の人よりはるかに多いのが厚遇とか妙な話ではなかったのだろうか?
当時、あまり関心がなかったから詳細に自信はないが。

もし、失職した議員がこれまであまり困ってないのなら、それは資産家の子が多かったからじゃないのかなあ?
本人の稼ぎではないような気がするんだけど、どうなの?
  

Posted by たみ家 at 05:32Comments(0)

180円ぐらい払ったら?

2009年08月30日

民主党のマニフェストで、四国の衆議院議員の削減が6ぐらい見込まれるとする。

議員1人当たり、年1億円ぐらい諸経費がかかるという。

四国で人口400万人、四国が最も少子高齢化がというかずば抜けて進んでいるから、成人が350万人ぐらいだろう。

地元選出の衆院議員なら誰でも、大災害の防止や、大災害の後のケアなどに力を尽くす。
いや、いくら普段怠けてても、こんなことまで怠ける人はそういないし。

また、次の選挙のために成果を挙げようと普通がんばるだろう。

仮に出来がよろしくない人だったとしても、政府に対してそれなりに力を持ってることは間違いない。

350万人×180円=6億3000万円

1人当たり、年180円でお釣りが来るよ。

議会の機能そのものの本筋の話を語らずに、経費削減のために議員を減らしますっていう狂人チックな話がまかりとおるなら、四国の人は、「経費の問題なら、じゃあ、年1回180円払います。」と言って対抗しようで。
心ある35万人が1,800円払うんでもいいや。
まあ形式的にぜにで議席を買うのだから、まじめな冗談ですが。

議会に代表をつくるために戦争したり革命したり一揆起こしたような欧米の人がどう思ってるかは知らないけど、自分たちの地域から出てる議会代表を減らすなんて、そんなに無抵抗に認めるもんじゃないよ。

兆円単位の無駄づかいならどうか、2兆円なら、四国の成人が全員年間60万円ぐらい払わないといけませんからね。

それは無茶でしょう。
次元が違いますよね。
でも、年1回180円は払えるでしょう。
香川の人がバスケに興味ない人まで全員で、ファイブアローズ支えるのと負担はちょっとしか違わんけど、物事の次元が違いすぎる。


もし、一つだけ合理的な理由を認めるとすると。

田舎は老人率が高い。
老人の票が強いと後ろ向きで、変化を嫌う国になってしまう。

だから、わからんように、老人の票を封殺して、未来志向の前向きな政治をつくろうということかもなあ。

18歳成人ってのも話がかみ合う。

ところが、高齢化がこれだけ進んでたら、というか進んでなくても、政党や候補者が、「老人の声を封殺して、新しい未来志向の日本をつくります。」とは言えんわなあ。

だから、経費削減とか他の理由を並べ立てながら、自分が議席を争ってるくせに、「特権階級を減らします。」と言って、選挙に有利になるように立ち回る。

いくら考えても、どこまで考えても、衆院定数の削減が、国にとって有効な経費削減の方法である可能性は1%もない。



わし思うんよ。

理由もないのに、誰かが言ったからそうだとか、みんなが言い出してるからそうだって、理由もなく附和雷同する。

いじめとか差別とか、自分で理由を吟味できないのに、流れに流されることが根なんよ。

学校のいじめは大人社会のいじめ文化に根があるみたいに言うことがありますが、定数削減の話も、いったん打たれる流れができれば理由もないのに決めつけて攻撃する構図は、学校のいじめの根の一つだと思うな。
  

Posted by たみ家 at 20:15Comments(0)

命とおぜにさんを削る

2009年08月30日

同じことを別の言い方するだけですが
四国から衆議院議員を減らされるってことは、四国の人は命とぜにを削り上げられるってことですよ。

たとえば、高潮の被害に対して、対策を国がやるかやらないか、後回しにされたら、死ぬ人が出てくるかもしれないですよね。
これは、重要なことがたくさん競合してるので、重要だからといってしてもらえるとは限らないし、四国の財源で、高潮対策や治水の費用なんか出せません。
そもそも大きい川はたいてい国土交通省管理だし、河川管理なんかほとんどの都道府県は権限が下りたって能力的に無理です。

それに、地方分権に敵う立法ができて、四国のような田舎の地方都市に企業が立地しやすい状況になって、たとえば中央通のオフィスビルが埋まっていくとしたら、近隣の飲食店も商売がしやすくなる。
おぜにさんの問題だけでなく、飲食店だと、営業時間を短くしても生活できる収益が出るなら過労が防げるかもしれない。
これも婉曲的には命の問題につながる。

雇用ってのが、まあ、命の問題につながりやすいですよね。

四国の衆議院議員が減らされるってことは、四国の人の命とおぜにさんが削り上げられるってことです。
もちろん、たみ家も、このブログを読んでるたいていの人も。
その人達の孫子の代も。

自分の命とぜにを削り上げられようとしてるのに、四国の多くの人が、衆院定数削減に快哉を叫ぶなんて、ヘンなこと言いすぎじゃないの?
あんたらの命も削られるんやで!

しかも、減らすための明確な理由も持ってないのに

たみ家は、自分の命とぜにが削られるなら、その理由ぐらいは聞くなあ。
まあ、議員の定数は公益のことだから、それが公益に敵う、国会運営が機能的になるとか、国民の声を代表するのにその方が良いというはっきりした理由があれば別だが。

現在継続中の権利を奪う場合は、奪おうとする側が、公益上の合理性を説明する責務を負うんです。

期間的にも人数的にも大きな枠組みの話なので、個々どうつながるかはわからないけど、概して言えば、自分の命とぜにを削られるという話なのに、特権階級をやっつけて減らして、溜飲を下げるようなことを言うなんて、どうなんだよ。
  

Posted by たみ家 at 09:02Comments(0)

議論しなかったなあ。

2009年08月30日

昔から、「深夜に書いたラブレターは翌朝読み直せ」と言います。

そこで、衆議院議員の定数削減について書いてて、いろいろな党の関係者の方に読んでいただいて恥ずかしい文章になってないかなあと10回分ほど読み返してみたけど、いい線いってるなあと思った。
ほぼ10日前までずっと読み直して、まったくおかしいと思うところはなかった。

誰かが反論してくれれば、たみ家も気づきができたり、新しい視点ができたりするかもしれませんが。

本来政党関係者って、政策に関して、自分の所属する党が言ってること、だいたいのことを説明できないとダメでしょう。


今、衆議院議員、四国で小選挙区13、比例区で6で計19です。

大阪府が、小選挙区19で、比例区が約10で、30ほどです。

これが、民主党のマニフェストの文言から推定すると

ほぼ人口比例にするというので、大阪府が900万人ほどで全議席の13分の1ほどになるので、削減後30強、四国は約400万人だから31分の1ほどになるので、13ほどになります。

立法や課税など国政への代表を出すのに、大阪府31、四国13ぐらいになるって、四国の多くの方は知ってるの?

この程度の数字さえもたいていの人は考えてない。

で、四国の人で、大阪府31議席、四国13議席でみなさん納得しますか?

大阪府なんか民間資本が多く入った地域で、一つの小さい平野におさまってるんですよ。

国の問題って、地理的な広がりから発生してくるものも多いでしょう。

衆議院議員は地域の代表でなく、全国民の代表というけど、地域の代表の面を建前だけで押して否定はできんでしょう。

なんとて、こんなことで地方分権が進むと思えない。

地方分権の中心は、国会の立法をもって行われるわけでしょうから。


で、国会議員が多いかどうかはよくわからない。

国会議員が多すぎるということの、合理的でそれで国が良くなると言える理由、誰か言ってよ。

小沢一郎は言えるの?

自民党も削減は言ってるけど

麻生太郎は言えるの?

香川県の人でもいいから、誰かどうぞ。

みんな「多い」という理由がないのに、誰かが「多い」と言ったから「多い」と言ってるの?

そういうのが危険なんだって。

理由がないのになんで言うの?

もしかしたら誰かは知ってるのかもしれない、でもこのブログを読んだ人は誰も知らないでしょう。
もちろん、たみ家も知らない。

民主党は、今までの官僚主導・官僚丸投げから、政治主導に政策決定していくって言ってるんだから、国会議員の仕事って増えるだろう。

真実はよくわからない。

でも、「多い」と言う人は理由をちゃんと言って下さい。

マニフェストでも裏表紙に、「ムダづかい」の項目で、衆議院議員定数80議席削減って書いてある。

ほかは、兆円単位の項目が並ぶのに、なんでここだけ数十億円単位の話をするのか?


この国が大きく変わろうというのに、国民の草の根では、あまり議論は活発でなかったような気がする。

どうだろう?
  

Posted by たみ家 at 01:22Comments(0)

学テNo.1の秋田県 寺田前知事

2009年08月28日

8年ほど前に、(たしか)「全国知事リレー」って、地方分権社会に向けた各知事のエッセイ集みたいな本が出てて、今年の春まで3期12年務められた前秋田県知事の寺田典城さんの書いた章がけっこう印象に残っていた。

県民全員を海外留学させたいと。

現役知事でそれが言えたのはすごいと思う。

この人の書いた章が一番印象に残ってたな。

昔から、福井、石川、富山の教育水準はガチにハイレベルなんだ。
富山県なんか、人口110万ぐらいだが、東大20人ぐらい毎年合格させる高松高校クラスが富山中部、富山、高岡と県立で3つある。
しかも、富山市は高松市よりも人口規模が小さく、高岡市は高松市の半分ぐらいだ。
この3つは、中四国九州全体でも、県立ではトップを争える。
生活保護世帯率が、香川の5分の1ほどしかない。

その点、橋下が騒いでる大阪府は、全国でずばぬけて、生活保護世帯比率が高い。

富山は車で道を走ってるだけで、豊かなのがわかる。
長距離を走っても、家と家とがくっついて過度に密集したところが見当たらず、一般の家の多くに、屋敷森がある。
そして、大きい家が多い。

秋田の寺田前知事には、書いてることを読んで尊敬の念が芽生えたけど、県政においては、どういう成果をおさめて辞められたのかは、たみ家もうどん屋やってたら情報もなく、どうなんだろうと思っていた。

そして、ここへ来て、どういうわけか、秋田が2回連続で全国学テ首位に輝いている。

寺田さんの教育や視野を広げることにかけた情熱が生きたところがあると、たみ家は信じたい。

このことは、市議の海外派遣取りやめなど言ってる視野狭小で、活かす術・イメージを持たない人達への示唆となってほしい。
  

Posted by たみ家 at 07:27Comments(0)

都道府県解体

2009年08月27日

衆議院の定数削減というより、選挙区の是正は、たみ家は小学校のときから何となく必要だとは思っていた。
人口1対5.いくらとか最高裁判決が新聞に載ってて、当時たみ家は都会寄りの立場で考えて、おかしいと感じていた。
まあ、実態知らんから形式でしかものを思いようがなかった。

平成5年より前には、利益誘導型の現在の政治のあり方には疑問を持っていて、平成5年には利益誘導型政治の温床となっている都道府県の解体は、必ずやらなければならないことだとは感じた。

平成5年時点で、「もし一つだけ、必ずできることで、日本を良くできることを挙げるとしたらそれは何か?」と問われれば、迷わず「都道府県の解体」と答えるしかないと思った。

このことについては、15年以上経過してもなお疑いを感じたことはなかった。

ほかに都道府県の解体の意味として

・廃藩置県時に殿様の領地を基準とした区画が、高速交通やITが発達し、環境や水資源など広域行政をあらゆる分野で必要とする現代に通用するはずがない。
また、広域行政をするのに、テロ対策や防疫など難しい問題に対処できる高度な専門知識を持つ専門員を県の規模では置けない。
だから、地方の問題を地方で判断できずいちいち国から来る専門員などの連絡や到着を待ち、判断を仰がざるを得なくなるのでは、対応も遅い。

・旧内務省の官選知事時代以来続く、国の地方行政官庁的な意識と国の下請けを国の機関として民選の知事が行うという機関委任事務を中心とした都道府県は、現在の国民の暮らしのあり方になじまない。

・国、都道府県、市の不要な三層構造をほぼ二層にさせれば、それだけで、年間10兆円以上は国民の負担は軽くなるだろう。
また、たとえば、サンポートホールと県民ホールなど近接地に窮屈なホールが複数できるよりは、もっと内容の充実したバランスの良い住民サービスができる。いわゆる二重行政の弊害。

・都道府県という枠組みに依存してきた、現代においてリセットしなければならない癒着やしがらみ、既得権得といったものを解体するのには、都道府県をなくすというのが最も迅速で確実。

つまり
・人口規模も経済力も小さいうえに狭い四国に空港や橋がたくさんできるような利益誘導政治を正し

・官財の癒着や既得権益を解体し

・行政に寄せられる様々な問題に対して、対処する主体を適正規模とし

・対処能力の充実を図り

・公務員の国の下請け意識を地域目線に変え

・無駄の少ないバランスの良い行政サービスとし

・年間10兆円以上の国民の負担を減らす

これがたみ家が平成5年時点に思った「都道府県の解体は絶対必要」という意識だった。


これをやろうとするとある程度市町村の合併は必要と思った。

介護保険がらみでかなり進んだ。

すると、たとえば県に8しかない域内の市を調整するために、大きな県という機関はいよいよいらなくなるということが起こるだろう。

悲しいかな、たみ家には友人も多く関係者も多いので、言いたくない話でもあるが

これは、絶対に必要で、絶対にそうなるという話だった。

たみ家の平成5年に思ったことに、若干の修正を加えるのに、衆議院の定数削減については考えないといけない。
  

Posted by たみ家 at 08:10Comments(0)

地方分権の後でしか言うな!

2009年08月25日

前々記事の「2」に当たる話です。

「1」で、民主党さんが、唯一合理性のありそうな理由として、国会議員の定数削減の理由として持ってきた話が「④」

④地方分権の中で、国は外交、防衛、司法などに特化していくべきで、国民の暮らしのことは首長など地方でやるべきなので国会議員の仕事は減るはず。
そして従来、国会議員は、地方への利益誘導などをしてきた。こういう議員を減らして、きちんとした人だけを議員とすべき。


1.ってことは、地方分権ができるまで国民の代表を奪う定数削減はやったらいかんってことでしょう。

地方分権の反射的な結果として、定数削減しても良い状況が来るというのだから、定数削減は、地方分権の一項目に過ぎず、地方分権の進捗と切り離して、単独で項目出しをしてはいけない。
することは許されないということになる。

2.そして、多い少ないについては、定数削減は国民から代表を奪うのだから、国民の代表(自治体なら首長)が編成権を持つ、行政組織の編成に過ぎない公立病院の削減よりもはるかに高い次元の問題で、もっと慎重な対応と合理性のある説明について、削減を主張してる側が責任を負わなくてはならない。

削減するなと主張する側は、代表を剥奪される側だから法理論的に、挙証責任は負わない。

3.地方分権って、国との税源や権限の綱引きもあるけど、広く地方に力が行き渡るようにしなければならないという意味では、都市部と田舎でのおぜにさんの奪い合い、命の取り合い、権力闘争の意味もあるでしょう。

地方都市にも大企業の本社ができやすいような税制や諸制度を整えないと、地方に人材も雇用も生まれにくいでしょう。
すると、都市部に相対的に不利で田舎に有利な立法や税制をつくらないといかんでしょう。
それは、都市部との間のぜにのうばいあい、命の取り合い、権力闘争でしかありません。

国会の代表的機能は、立法と課税ですよ。

田舎の国会議員減らして、都市部のを増やして、そんな田舎に有利な立法が通るわけないだろう。

つまり、国会議員を田舎から減らして、地方分権を進めるなんて背理だろう。

地方のことは地方でやるといっても、税法など国会の立法権から独立できんことが多いし、農業のあり方なんかについても、制度上地方に決定権ができても、実際に、平成12年にいわゆる地方分権一括法が施行されても、旧来の慣行は指導のようなかたちで残ったし、地方自治体の側もむしろそれを求めたように、地方で独自に判断するなんてそうそうできることではないんや。
歴史的にも誰もなしえなかったようなことを机上の空論でできることにしてもいかんのじゃわ。
それは責任ある考え方ではない。

地方分権の道筋をつけて、諸制度を整えてから、はじめて、定数削減はできることではないんか?
「じゃあ、10年はできんだろう。」ってことにならんか?
それに地方分権を進める過渡期として、むしろ田舎の議員増やして、都市部、特に東京の議員数を減らせや!
ってことにならんか?

田舎を強化する立法・課税をせないかんのに、田舎から議員引き上げてどうするんや!?

議員定数削減とか立法や課税が、ぜにの奪い合い、命の取り合いってことが見えんのか!?

男女平等の推進するのに
「女性は資産が少ないから、この資本主義の世の中、資産に応じて議員を配分しないといけないので、さらに女性議員を減らします。」
とか言いながら、一方で、「女性の権利は高めます。」って言ってるのと同じじゃない?
なるわけないでしょ!


男女平等の推進も、ある程度、賃金の平等は短期的には限られたパイから男性が取り分を減らすということだし、上野千鶴子さんをはじめ、フェミニストの方々が言うとおり、男女平等の推進は権力闘争でしょう。
経済的格差から、暴力受けたり、生活できなくなる人が多いなら、女性の側からしたら命の問題でもあるでしょう。
昔は家族養う前提のレベルでもらえた給料を減らされる男性の側からしても、命の問題につながります。
ある意味、命の取り合いを、建設的に調和させようというものでしょう。

それなのに、地方分権については、田舎の権利を奪っていくのをボーっとして、看過するのか!?

従来の利益誘導の是正は図らなくてはいけないにしても、田舎の議員を減らして、その分都市部の国政への力を強化させるのは地方分権を大きく阻害する要因になるでしょう。
  

Posted by たみ家 at 09:07Comments(0)

奪われるマゾ

2009年08月23日

特に、民主党を敵視してたわけでも、してるわけでもないけど、政権担当する見込みが強いなら厳しい視線を向けんと危ないよ。

政権絶対に担当しないとこには、注文つけませんから。

320議席を超させると、歴史を振り返ったときに、「理想の政治家に見えた国民のヒーロー、ヒトラーがあんなことをするなんて。いつが転機だったんだろう。」みたいな後悔先に立たずのポイントにこの選挙なりかねんよ。

じじいがダメだからって、こどもに拳銃や原子爆弾管理させる怖さがある。

衆議院80議席定数削減って、比例を80減らして

各都道府県を基準に割り振られた小選挙区を、人口比例にするんでしょ。


まさに、比例議席削減で、少数政党と少数意見を封殺して

小選挙区見直しで、田舎から議席を奪うわけでしょ。

都会の国政の権利を拡大して、田舎から奪って、地方分権なんか進むと思うのか?

ほんまに、少数封殺と、弱者つぶしでしかないぞ。

って、前記事の2を書く前に書かずにおれんかった。


あ~あ。

たみ家、3年ほど、テレビも見ずに来たけど、世の中のために、もっと討論会に出かけて、もっと影響力のあるメディアにどんどん発信すべきだったなあ。

国民の皆さんしっかりしてよ!

ちゃんと世論を形成すべく、おかしなことを見抜いて、意見を発信してよ。

偉い人がすることちゃうで、国民の草の根でちゃんとやってくれよ。

こんだけブログ発達しとるんやから。


「田舎から、国会議員を減らします。」

って、宣言してるところを応援するなんて

奪われマゾもええとこやなあ。


いくら「てくてくさぬき」が素晴らしくても、四国から国会議員が激減したら、四国は素晴らしくなろうとしてもなれんで。

いろいろ地域のイベントに力を出してる人は、この辺ちゃんとチェックしてよ。

まかり間違って、320議席超えたとしても、全力で、まだ遅くないと思って、弱者つぶし、弱者封殺につながりそうなとこには、微に入り、細に入り、どこまでも執念深く、絡んで絡んで絡みまくって、すがりついて離さず、ちゃあんとチェックしてよ。
誰っちゃあ信用なんかしたらあかんので、こういうことについては、自分が命取られるんやと思って、責任持たんと。
  

Posted by たみ家 at 21:01Comments(0)

定数削減に合理的理由はなかった 1

2009年08月23日

国会議員の定数削減について、民主党県本部のベテラン秘書に聞いてみたら

①国会議員は多いとは言えない。多いとも少ないとも言えないし、根拠はない。
②1人年一億円の経費節減のため。
③ただ、国会議員を特権階級ととらえねたむ国民が多いので、減らすといった方が有利そう。
④地方分権の中で、国は外交、防衛、司法などに特化していくべきで、国民の暮らしのことは首長など地方でやるべきなので国会議員の仕事は減るはず。
そして従来、国会議員は、地方への利益誘導などをしてきた。こういう議員を減らして、きちんとした人だけを議員とすべき。

共産党県本部事務局に聞いてみた。
「少数政党つぶし以外に目的なんかない。」


たみ家は、③の人気取りと、共産党の言い分しか正解はないと思ったな。
④は空論としては、合理的にも聞こえるが、実際はむちゃくちゃやな。

民主党の秘書も、たみ家の追及の前に、経費のことは自分たちが誤ってると認めた。
ことの軽重を度外視しすぎてると。
そして、今選挙で、国民の利益のために議席を目指してる小川さんや玉木さんは余り者の特権階級を目指しているのかとの追求の前に、国民の利益機関たる議員を減らすことが、国民の利益を損なうことを認め、④以外、国民のための話として検証すべき抗弁はなくなった。


実際に適切な数なんかわからんって。

でも、合理的根拠がないことだけはわかった。

人気取りと少数政党つぶししか、目的ないって、要は国民だまして、少数意見や弱者の意見を封殺にかかってるだけのこと。

まじめな民主党の人もいると思うけど、何となくフィーリングで言ってるだけで、合理的に説明できる根拠はない。
国民もフィーリングで言ってるだけでしょう。


で、④もむちゃやろ。

まともな理由でないやろ。


それは、続編で書きますね。


ところで、合理的に減らすのがいいか減らさないのがいいかわからないとき、どっちが挙証責任負いますか?

議員を減らすってことは、国民の声を国政に反映させる機関を国民から奪うということ。
誰かから何か奪う場合、奪う側が説明責任負うのが当たり前でしょう。
病院や学校を統合する場合だって、財政的にやむを得なさそうな場合でも、当局・執行部はごっつう説明してるじゃないですか。

殴られて怪我させられて、怪我させられた側が、自分が殴られるようなひどいことをしてないことを立証しないでしょう。
殴った側が正当防衛なり、正当業務行為なり、不可抗力なりを立証する責任を負うでしょう。

基本の道理を用いて、議論しようね。
たみ家は、そんなに公正な精神の持ち主じゃないけど、たくさんの人の権利を巻き込む議論ぐらいは公正な精神に基づく道理をもって語ろうと思ってます。
  

Posted by たみ家 at 19:08Comments(0)

ど~してもわからない

2009年08月23日

インターネットで、国会議員の定数削減の目的について、ちょっと検索した。

時間がないから、ちょっとしか見てないけど、経費削減以外に目的が見つからない。

地方議会が定数削減してるなか、国会議員も減らさなといけないって合理的理由ですか?

高松40万人で40人としたら

日本は1000倍ぐらい広いし、1億人以上いる。

衆議院480人のどこが多いんだ?

衆参で700超が多いとか、それが議会運営を非効率化しているという理由がどこからも出てこない。

まあ、一院制にした方がいいって意見には意味があると思う。

でも、一院にして1000人に増やしたっていいじゃないか。


少数政党、少数意見、弱者の声が排除されるしかないんだ。

議員の数を減らすってことは。


「代表なければ課税無し」とアメリカが独立戦争までしてるのに

議員減らしなんか、実質自分たちの代表が少なくなるのと同じだよ。


たとえば、香川県を一つの区にしたら、大票田は高松だから、三豊のことを一番に考える代表はいなくなる。

大都市の意見が優先になるってことだよ。


基本二大政党でいいのかどうかわからないけど、それを譲って認めるとして

今回の選挙でも、企業からの献金をあまり財務基盤にしてない、共産党や公明党はそれなりに労働者や生活者の視点から、いいことを言って、自民や民主の政策に影響を与えているし、有権者の考え方にも影響を与えていると思う。

共産や公明が弱くなったら、派遣労働者の扱いを良くしようとして本気で声をあげる政党なんかなくなるよ。

自民と民主と財界との間で、テキトウな落としどころでなあなあにしたらええわ。

みたいにしかならんと思うよ。


国会議員はけっして多くない。

というか、どの数が適切という根拠はよくわかない。

誰か、「多い」と「合理的」に言える根拠を教えてくれえ。

「合理的」ってのは、諸外国との比較とか実態の検証とかに基づく道理そのほかだよなあ。

「国会議員が多い」って言ってる日本人が多いから日本はダメなんだ。

もし正解が結果的に多いんだとしても

きちんとした理由もないのに、日本国民の人権を大きく損なう可能性のあることを、自分の首を絞めてることにも気づかずに、ねたみ根性で言う人が多いのがダメダメなんよ。

たみ家は口が悪いときがある。

議員定数削減に反対する声が国民からあまりあがらない。


このことについて思え!

日本の政治が悪いのは、国会議員定数削減に反対の声をあげてない自分の責任だ!ぐらいに。

普通、自分たちの国政への代表枠が無くされたり減らされて、損なわれたら怒りに燃えて、デモ隊組んで、組織動員なしででも、自然発生的に街の中心を占拠・大行進ぐらいせえって。

合理的な根拠があるんならまあええけどね。
  

Posted by たみ家 at 08:56Comments(0)

国会議員の削減って?

2009年08月20日

国会議員の削減って何のためにするの?

経費削減って、聞くところでは、年に60億円ぐらいしか削減できないと聞いてます。
そりゃあ、60億円は庶民感覚では小さくはないでしょう。

でも、一般家庭の支出に例えたら、GDPで考えると年間60円、国家予算で考えると年間に600円ぐらい節約するようなもので、PRするような意味のあるものではないでしょう。

議員で削減って言ってる人は、自分で立候補して、議席を取り合ってるのに、自分たちの存在は余り者だと思ってるんですか?

はっきり言って、議員って全般的に頭自体は、圧倒的多数のキャリア官僚にほとんどの人が負けますよ。
頭が向こうさんが上なのに、向こうは長年の専門分野で、議員はときには1、2期目のタレントやタレント崩れがなる上に、専門性もない何でも屋ですよ。
これ以上少なくなって、法案作成能力や政策論で太刀打ちできるんですか?

もし、議員の減少分で政策秘書とかのスタッフを充実させるなら、それは経費削減にはならんでしょう。

経費削減っていっても、6兆円ならわかる、でも年間の4人世帯の家庭レベルで生ビール一杯分になるかならないかレベルの経費節減で、国の屋台骨をぐらつかせるようなことはしてはいかん。
物事の軽重が比較にならなさ過ぎる。


よく議員の居眠りとかをマスコミが取り上げて、国民が非難するけど

間違ってるかもしれないけど

たみ家は、国民のために不眠不休で日夜走り回ってたら、真剣にやってても、関心のある議題でも、普通寝ると思うよ。
ほんとに毎日、不眠不休で走り回ってみたら、携帯電話操作中に眠って落とすとか、うどん食べながら眠って箸落とすなんかほんとにしょっちゅうですよ。
ゲラゲラ笑いながらだって、立ちながらだって寝るわ。

私は、国会議員を何人か見て想像するに、中には、さぼって不真面目だから寝るってのもあると思うけど、国民のために(ここに野心や保身や自分とこの社業なんかも加わるでしょうが。)不眠不休で本気で走り回ってるが故に過労で寝てしまったって方が多いと思うなあ。
それに国のすべての問題について、どんな議員だって、ものすごい過労の中、真剣になって聞けるほどオールラウンダーにはなれないって、マニフェスト読んでみたら、超人でも全分野に詳しくなって理解して聞くのは難しいと思うよ。

で、人間の過労の故のミスみたいなものをあげつらって、国民の権利を損ねるような判断をして何の意味があるの?

国会議員は、国民の声を拾い、立法や、内閣を通じて行政に反映させる国民の利益機関で、国民の利益になるという意味では病院や学校みたいなものです。
病院一個なくしても年間60億円以上浮くけど、国民の声を拾う代表は60億円分減らしても、どうってことないって、アホちゃうか?

で、議員の数が減ったら、減った分、誰の声を聞かなくなると思いますか?

権力やおぜにさんの無い人の声が聞かれなくなるに決まってるでしょう。
議員が減っても、力のある人の声はアクセス力があるし、聞かざるを得ないし、優先的に対応される。
そうすると、ほっとかれるのは、庶民の声です。

議員って減れば減るほど、理論的に独裁や王様支配に近づきます。
議員の削減は非民主化です。

そして、官僚に対して国民の代表の実力が相対的に弱まる。
ただでさえ官僚より頭悪いのに。
これも非民主化です。

きわめつけ、議員が減れば減った分、強者の声の拾われるのは変わらないが、弱者の声の方は拾われなくなるに決まっている。
これも当然、非民主化。

勘違いして、議員の立場をやっかんで、貶めて、それで、自分たちの権利を進んで喜んで減らして庶民が暮らしにくい社会にすることに賛成して加担するなんて、絶句ものじゃないですか?

たみ家には、国会議員の削減に賛成する人がちょっと信じられない。
  

Posted by たみ家 at 21:50Comments(2)

玉売りと産業革命

2009年08月20日

午前の玉売りは売れば売るほど赤字が出るという実感がある。

うちなら、一玉90円だが、13時過ぎれば70円、14時過ぎたら、一玉の量が倍近くなって70円。
90円というのは、周辺と比べて、まあ平均に近いという幅にはおさまっているかな。

閉店間際だと、サービスで天ぷらやフライが無料でつくこともある。

正直、午前中の玉売りは廃止したいのだ。

うちの経営構造だと、どうやっても売れば売るだけ赤字になる。


13時過ぎれば、赤字にはならない。

工場でつくって茹でて何時間も経った麺でもスーパーで、一玉、安くて30円、高めで70円ぐらいで売っている。

大げさにいえば、スーパーで売ってる麺は、ダイソーのお椀。

個人が、とくにたみ家のような家族労働が無いとこで、ほぼ手打ち工程でやってると、大げさにいえば、ダイソーのお椀に対する漆芸作家のお椀ぐらい製造能力に差が出る。

営業時間中に店に出てる人が家族だったり、家賃がない昔からの製麺所で、ご主人が打つのに専念できるとか、機械を導入してるとかすると、その差は縮まる。

また、大繁盛店で、売上が大きいので、人件費率や家賃負担率が大幅に下がった店で、分業で最低賃金法違反並みで独立志望の見習いにがんがん作らせれば差が縮まるかもしれない。

普通に小さな店を構えて、家賃を払って、給与労働者の率が高いと、どうやっても玉売りの粗利の中で、時間当たり、店の運営費を損益分岐点を超すまで出せないのだ。
粗利はあっても、お客さんの来店がある程度以上ある限られた時間の中で、自分の生活費を出すことを放棄しないといけなくなる。

老舗の製麺所のように決まった数を納入してたり、予約なら、何の問題もないが、ふらっとお店に11時台に現れて、「10玉下さい。」と言われると、その程度でも断らないと、その日の営業がむちゃくちゃになってしまうことがある。

普段の来客から考えて麺を茹でてると、10玉減ったら、予想外にお客さんが多かったときに、7人ぐらい帰らせてしまうことがあり得る。
すると、2,000円ぐらいの損になる。
この差は、非常に大きい。
1年に1回か2回しか来られないその10玉買いのお客さんに対して、日々の常連を7人ほども長く待たせるというのは、今もときどきあるけど、うちの弱点だ。

サラリーマンの数が多い日と少ない日で、2割も差がないのに対して、玉売りは多い日と少ない日で、10倍以上違いまったく計算できないので、もし普段玉売り用に多めに茹でると、毎日10玉多めに茹でて、月25営業日で、250玉多めに茹でるとすると、うち150玉は廃棄に回る可能性がある。

たぶん、商売だけを考えれば、月150玉多く捨てようとも、そうやって来客を増やす方針でやった方が上手くいくだろうとも思う。
うどん玉は20玉捨てても、その原価は1人のお客さんでペイできるから。
高い労働集約性に対して、どこまで機械的に効率良く来客を増やせるかは、セルフ型ならどこでも最大テーマだ。

しかし、多めに茹でたからといって、さらに玉売りのお客さんが増えると、やっぱり、経営を圧迫する可能性が出てくる。
玉売りは1人で10玉どころか30玉でも買えるので、際限がないし、そうなると、玉切れの打撃もでかいし、余ったときの打撃もでかいということになる。
まあ、臨機応変に断るときは断るってことなんだろうが。

うちの経営構造では、午前は普通に考えれば、玉売りは収益にならないので、玉売り自体は廃止しても困りはしない。
でも、午後は環境のためにも、できれば廃棄は減らした方がいいので、安くても売りたい、というか無料でもあげたい。

玉売り廃止まで間口を狭めるのもおもしろくないし、ご近所の人との付き合いもあるし、困らない範囲なら、たみ家自身は可能な限り、サービス精神を働かせたいのだ。

とはいえ、うちで多い数の玉売りを断らず、言われるままに売っていると、店の経営は圧迫される。

たみ家の身体が破綻する。

飲食店はサービス業ですが、うどん玉は工業製品であり、うどん玉製造は工場の機械と肉体の競争です。

さて、1769年にアークライトが水力紡績機、1785年にカートライトが力織機を発明しましたが、食品工場のラインとサービス業が同じ場所の中にある構造である、うどん店の多くは、この230年ほど前のイギリスの紡績工場に比べて遥かに、機械化が遅れていて、効率や生産性が劣っています。

230年前の繊維工場よりも遥かに低い労働生産性の玉売りが、手作業でやって、どうやっても現代日本の人件費でまともに黒字になるはずがないんです。

ただ、実際には、無償で親からもらった土地や、無償か超低賃金で当事者意識も高い家族労働の力などが集約されれば、キャッシュの出入りでは、玉売りを結果プラスにすることはできます。
それでも、やっぱり、時給換算だと、1人当たり500円にもまずならないだろう。

ただ、店舗営業中に、効率よく、遊休労働を玉売りの作業に転換できれば、赤字ではなくなるかもしれない。

午後なら、遊休労働が出るし、お客さんが予想外に多かったときに、先に玉売りしたことで玉切れを起こしたり、お客さんを待たせ過ぎるということもないから。
遅い時間なら、どんなお客さんもいいお客さんになります。

玉や出汁や惣菜はある程度バランスをとって用意しているので、玉売りで玉しか出て行かない比率が多くなると、結果玉切れの段階で、大量の惣菜の余りが出てしまう可能性がある。

家賃や人件費がほとんど無い店だと惣菜をそれほど売らなくても損益分岐点に達しやすいので、ロス率も減らしやすい。
ところが、家賃や人件費率が高いと、普通のうどんだけだと損益分岐点が遠いので、惣菜をある程度量売らないといけなくなるので、結果、客数のフレにより大きなロスをつくりやすいというリスクも負う。

ていうことは
玉売りをほぼ止めるか

玉売りしやすい経営構造に変えていかないといけないとういことになる。

この経営構造を変えるということは、できることとできないことがあって、不可能とは言わないが、かなり困難なことが多い。

数百万円の機械を買うとか、売上を倍に伸ばして売上に対する人件費率や家賃の比率を下げるとか。

まあ、ある程度売上の大きいたくさんスタッフがいる店とか、長時間来客がある店舗・立地とか、自家でやるとか、機械打ちでやるとか、ほぼ純家族労働とか何か好条件がなきゃ、玉売りで利益を上げるのは難しいな。

たみ家のように製麺所型とは対極の普通の都市型の飲食店に近い経営構造で、玉売りをやるってことは、個人のラーメン屋でスーパーの値段で玉とスープを売るとか、マクドナルドでパンだけ売りやハンバーグだけ売りをやるってことと似ているからで、たまたま香川では、製麺所発の産業に、純飲食店型うどん屋が競争上売らないとしょうがないからやってるのが広まってるというところだろう。

たみ家は、ここで何が言いたいか、いろんなところで、一見当たり前のように行われていることは、案外、かなり困難な条件をクリアした上で行われていて、どこでも当たり前に行われていることも、自分が新規でやろうと思ったらものすごい馬力で条件をクリアし続けないとやれないということ。

これを簡単そうに、思ってやる人が多いから、飲食店を始める人の多くが苦戦するんだと思う。
行政のイベントやまちづくりイベントの計画の甘さもこういうことと関係が深いと思う。
一般の人から見て、お客さんが多くて、よく売れて見えるというぐらいでは、なかなか儲けって出ない。

こういうことへの理解と、行政や政治への理解ってのも似てて、玉売りがなかなか困難な業だということがわからないと、社会の問題もわかりづらいと思う。


さて、玉売りに戻すと、資本力・機械力、自己資本率、家族労働率などが高ければ、玉売りはやりやすく、それと反対に行くほど玉売りは困難だということはある程度公式化が可能だと思う。
どうやっても小店舗で、230年前の繊維工場よりもはるかに生産性が低いのだから生産性が超低いことには変わらないが、キャッシュはプラスになる。

これは、玉売りや一玉の値段をどれだけ離すかの参考にしていい話だと思う。

根っこさんやうどん市場さんのメニューには3玉がない。
つまり、店舗にある程度お金かけた分の償却があって、地代払って、有給労働率が高く、お客さんの並びも多いので、客数に対して玉数はあまり出ない方が有利と考えているということ。

よく、「30分以上経った玉は無料にします」って書いてる店があるけど

それは、ほぼ玉売りはしたくないっていう意味です。

捨てるものが出たらあげようというだけの話。

玉売り拒否しながら、玉売りの要望にもお応えしているので、サービスとして悪いやり方ではないと思うが、もし手打ちに近いなら丹念な手作業の成果をゴミとしてあげるというのは、自分の仕事の価値を貶めているというか、いいことのような情け無いことのような。

玉がどんどん出て欲しいなら、根っこさんもうどん市場さんも3玉をメニュー表に入れるでしょう。
その方が1人の売上自体は上がるんだから。
それでもしないのは、経営上3玉を売ることが不利だからです。

正直、たみ家も間口を狭めたくないからしないけど、3玉をメニューから消して、ほんとにお客さんが減らないなら3玉はメニューから消した方が経営上有利かもしれない。
予想外にお客さんが多かったときに、玉が少なくなったときにお客さんの列があったら、もういくらがんばって茹でても、うどんが茹で上がるスピードは追いつかないから、できたら、全員が一玉でいってくれると、店の理論からすると有利だ。
このレベルになると、洗う食器数が人件費に深く直接的にかかってくるので、業務用食器洗浄機はあった方が良いだろう。

ただ、もともとたみ家は3玉以上食べる口だったし、気風が悪い感じでしたくない。

この辺りは、なかなかいろんな考えや判断や方法があると思うなあ。

このように、たみ家はうどん職人兼商売人でもありますが、さらに兼研究者だからこそ、お客さんウケの良くなさそうな話も、それがわかってて、サービス良くしちゃうわけです。
  

Posted by たみ家 at 03:25Comments(2)

ほんとに書くのか?

2009年08月19日

たこ焼き店長が、今秋結婚することが決まり、両家の親から「結婚するなら、もっと給料の取れるちゃんとしたとこで働け。」というプレッシャーを受け、あえなく、離脱。

うどんパートも1名、入院長期化で離脱。

新しいパートの面接もあるし、夏休みなのかうどん店に割と夕方近くまで学生さんのお客さんが来るので、うどん店の一日が長めになってる。
そのうえに、年中無休化で、いろんな用事がつまってきて、疲労のためか、昨日は、うっかりコインランドリーのベンチで3時間も寝てしまった。

本日、19:00頃、「これは立てない。」と、たこ焼き店開店を、今日は断念。


一昨日、雑誌の全国おもろい看板特集で

ある飲食店の

「営業時間 元気なとき~つかれたとき

 定休日 ばてたとき」

という看板が出ていた。

これに対し

「それは定休ではない。」
というツッコミが入っていた。


体制が整ったとこで、無休化とたこ焼き営業の本格化を狙ったが、急に2名抜けた以上。
当面、たこ焼きを安定して開けることは不可能だ。

週、4~5日なら、うどんのパートの方が落ち着いてきたらなんとかなるだろう。
なんとか、週6も綱渡り状態でやれるかもしれない。

たまたま、うどん店無休化を目指すタイミングが、夏休みをきっかけとしているので、いつも日祝営業を始めるときに、妙な疲労の仕方をする。

うどん店の厨房は36℃程度だが、たこ焼きの前は50℃ぐらいになるので、両方での立位が1日計15時間ぐらいになると、根性でなんとかやってるときはガマンできても、うっかりうたたねが5時間ぐらいになって体調崩すもとになりやすい。

こうなると、突然、「あれっ?立てない。」なんてことがある。


さて、せっかく本格営業予告のチラシを近所に2千枚配り、オアシスの取材も受けたというのに

たこ焼き「てつお」の店頭、中央通の前に

「営業時間 元気なとき~つかれたとき

 お休みの日 ばててる日 (または  営業日 元気な日)

 お電話でお確かめください。
 080-4037-0141」

とでもほんとに書くしか方法がないかもしれない。

日々立って、歩いて、すごく元気なような生活をしてるけど、2日間で1食もとってないような気がする。
たぶん、固形物では2日で500kcalぐらいしか摂ってないな。


とか言いながら

寝込んでるときに
予約電話がかかってきて

「へい!予約が先に入ってたんで30分後でもよろしいですか。」とテキトウなことを言って

そっから鉄板に火をつけて、シャッター開けて30分後に取りに来られたお客さんに、何事もなく今まで営業してたような顔した。

どういうわけか、予約電話が入ると、寝込んでても、スクっと立ち上がってしまうなあ。

しかし、たこ焼きは、寝込んでる状態から、20分で鉄板あっためて、10分強で焼いて、30分後には、提供できるとこがすごいと思う。



さて、たみ家は、なんで、こうやって無理気味なことをしているのでしょうか

無理気味な挑戦の過程を発表したり、無理気味な挑戦をしたらどんなことが起こるか、自分で実験して、検証するために、わざわざ、苦戦していることを書いてるわけです。
ある意味、不遜に聞こえるかも知れませんが、人に教えるために苦戦談を書いているわけです。

得したいなら、人間はほとんどいかなるときでも、苦戦談など書くべきでない。

勤め人がたくさん同時に辞めても、誰にも気づかれないように、誰にも話さないのが正しい。

もし、純粋な商売人なら、1人もお客さんが来なくても美味しくて売れてると思われる方が得だから、「おかげさまで、よく売れてて忙しくて、ほんといつも皆様に感謝してます。」
こんなことだけ、誰に対しても、いつも言ってるのが正しいと思う。

自分を実験台にしている飲食業界研究者であるたみ家は、無理気味に苦しみに挑戦し、原則苦難や問題について語り、その原因や解決法を探り、ときどきうまく行ったことも書く。
そういう姿勢の違いかなあ。
  

Posted by たみ家 at 20:40Comments(2)

徳と幸

2009年08月18日

最近、「徳」があるなあと思う人に続けて会ったような気がする。

たみ家は

「徳」というと、「余裕」、「慈悲」、「円満」という言葉がパッと三つ浮かびました。

でも、この3っつを満たしても、まだ何か足らないような気がする。

いや、だいたい足りてるのかな?

「静かで深い自信」みたいなのも浮かびましたが、「余裕」に似てるかもなあ。

「徳」って何ですかぁ?



さて、昨日はほっこまい監督、今日はまんみさん、かわさんがお見えになりました。
うどん屋やってて、最大の楽しみというか幸の一つはこれだと思う。
  

Posted by たみ家 at 22:12Comments(2)

絵を描くことや鉄道マニアとの比較

2009年08月17日

今までにも触れたことはありますが、たみ家の店の前には、木製ベンチが2つ置いてある。
事実上、前記事「広めたい素の感覚 2」です。

JR栗林駅などから、平和病院や井川病院に行き帰り中、杖や荷物用の乳母車みたいなのにもたれながら歩き、歩幅が30cmもないような、おばあはんが途中で座れるところをつくってやろうというのが当初の狙いでした。

平和病院などで入院中なのか、藤塚町一丁目にはリハビリで散歩してると思われる人が多い。
そういう人は、1kmぐらい先(ちょうどリハビリを兼ねてマルナカ田町店におやつや日用品を買いに行くとそれぐらいか。)に行くと、途中で座りたくなるのか、リハビリ散歩っぽい人がよく座っている。


たみ家は、絵とか音楽で人を喜ばせたいとか思った時期もあるが、挑戦しても続かないのは、そこまで好きでないか向かないかなんだろうなあ。

でも、たかが2つで3万円もしないベンチは、自分の考えを表現して街で形を持ち、意図は知られなくても多くの目に触れ、人の役に立っている。

芸術に才能の無い人間はこうやって絵を描くことにした。


アマチュアですごく上手な絵描きでも、油絵とかキャンバスに描いたらけっこうおぜにさんかかるだろうし、ギャラリーに展示するのもおぜにさんいるだろうし、たぶん、交差点の傍にベンチを置くよりもたくさんの人に見てもらえはしないだろうし、人の役に立てる絵を描くなんて、ちょっと上手いぐらいでは無理だろう。

仲のいい老夫婦が散歩中にちょっと休憩したり、祭りのときに座るとこが少ないので、浴衣のカップルが座ったりするなど、絵心の無いたみ家が軽い動機で描いたその絵は状況で変化していく。

栗林公園前のビル借りたり、そこで喫茶やたこ焼きやるのも、みやげ物屋が衰退する時代の流れに逆らってみる抵抗精神などなど、県内でトップクラスに自動車通行量が多く、多くの観光客が訪れる誉れ高い名園の前で、何か描いたろうと思って、用意した未完のキャンバスのつもりが半分弱ほどあります。
打算は別にあるけど、気分はほとんどそれかなあ。


たみ家は、鉄道や船のことを調べたりするのが小学校のときに好きだった。

でも、地域や社会こそが、自分というか自分たちが乗ってる船だと思ったらあまり興味が無くなった。

その社会という船のことは、考えたり調べることで、おぜにさんを得たり、自分や関係者を幸せにしたりすることがある。
そして、その船こそ、複雑でいろいろ知ったり調べたりするだけの価値ある情報や美しい情景を含んでいたりする。

たとえば、刑法や会計制度や税制なんかも、タイタニック号での乗船に当たってのルールみたいなもんだろう。
乗るんならルール守ってね。乗るんなら負担してね。

マニアはそこも研究しないと。


たみ家は将棋とかの大会によく出ていたし、野球やテニスの試合や駅伝なんかもよく出ていた。
自分がちゃんと選手登録しているチームでは大した選手でなくても、クラスや職場や地域の小さい単位のチームではけっこう喝采を浴びたと思う。
いろんな意味で楽しかったと思う。
正直、運動で活躍すると、あまり仲間うちで、バカなのに、表立ってはバカにされずにすむし、異性のウケも良かった。

よく、「誰でも人生に3回はモテ期があって」と言いますが、モテるタイプでないたみ家にモテ期があったとしたら、それらの多くは運動によるものだったと思う。
たみ家、スポーツまったくダメだったら、人生にモテ期あったかどうか怪しいなあ。


将棋は考えるから楽しい。
そして、有利になる考え方や勝ちパターンなどを覚えたり、覚えるに当たって理解したりするのも楽しい。
どっちの考えが優れているかを競うのに、議論は地位や肩書きなどによる差別や理解不足などでわかってもらえず、優れている方が通らないことも多いが、将棋はその点ピュアなとこが好き。

球技なんかもチームで達成したり、喝采を浴びる喜びなんかがある。

しかし、社会問題のことを考えるには、将棋よりももっとたくさん学ばないといけないことがあるし、パターンも複雑多岐。
詰め将棋やゲームのボスキャラよりも、社会問題の解決や緩和という課題は、ぶつかりがいがある。
また、将棋は勝っても、その勝利を共有できる人がいない。
自分が嬉しいだけで、誰の役にも立たない。

球技でもチームの人数は限られている。
一方、原爆の被爆者を応援する裁判の運動に関わって勝利を得れば、いったいどれだけ大勢のチームの人と喜びを共有できるだろうか、また、クラスマッチで勝ちたいというのとその勝利への切実さや喜びはどれほど違うだろうか。


社会のことを考え、対話し、勉強し、活動する。

このことは、あまりにたくさんの娯楽の楽しさを同時に高いレベルで兼ね備えすぎているのだ。

どうやったら、誰がこれよりもおもろいと言えるものを探せるんだ。


いや、美食もデートも運動もマッサージも、何もかもが楽しいです。
何もかもが楽しいなら、美食もたまにはするけど、たくさんの人と喜びを共有できたり、他人の不幸や切実な問題を救う可能性のある楽しさにのめりこみたい。


これは、「この国のかたち」やリーダーシップ論の続きでもあります。

前記事で、好き嫌いの問題で、善悪ではないと書きましたが、前記事では好き嫌いの問題としてクローズアップしただけで、やっぱり善悪はないとは言えない。

資本主義社会の流れの中で、私たちが共同体として生きていくことに有利になりそうな考え方が善で、それに反するものが悪と、乱暴な分け方の考え方はないでもない。

で、その善悪は人の多様性や等身大の人間の性と摩擦を起こしやすいかもしれない。

こういう摩擦を処理しながら、共同体として生きていくのに有利な考え方の旗を振り、同時にそれらの副作用・弊害についても予想しつつケアする。

要は国民がしたくない努力や犠牲を、スムーズに払わせながら、結果として、払った人も集団も良くなるようにするってことだろう。
  

Posted by たみ家 at 23:49Comments(0)

広めたい素の感覚 1

2009年08月16日

たみ家は、本を読む時間がなく、うどん屋開業以来、読書って、4年近くで、完読できた本は一冊あるかないか。

忙しいといえば、忙しいかもなあ。
立ってる時間だけで、毎日15時間あるのに、1日に布団で3時間も寝ない日が、年に100日以上は軽くある。

そうすると、本を自分で所有しても読めない。

すると、寄附して図書館の本が増えて、たくさんの人に読んでもらえる方がうれしいのだ。

善悪の話でなく、好き嫌いの話なのだ。

自分が所有するよりも、寄附して多くの人が使える状態にした方が嬉しい。
もちろん、自分も読もうと思えば読める。

お好み焼きよりも焼きそばが好きというレベルの話。
自分にしか快楽が及ばないことよりも、多数の人に影響が及ぶことの方が快楽として、気持っちいいの、楽っっっしいの。


たみ家は焼きそばの良さを広めて、焼きそば愛好者を増やしたいのだ。

消費が落ちているという。
いかなる大富豪でも、年にパンツを5万枚はきかえることはできないし、よほど変わった趣味でなければ、いくら大富豪でも並のパンツの100倍以上高価なのははかないだろう。
でも、1,000人の人なら、年に5万枚はいくだろう。
パンツの好みが違って、「あんたがくれたパンツははかん」と言う人がたくさんいたとしても。
まあ、事前に人にあげるパンツの好みを研究しとくって手もあるし。

どっちにせよ、超豪華なものが、長期的に多くの人の雇用を支えることはないと思う。

他者が使って役に立ったり喜んでもらえることへの動機、または等身大の私的空間を満たすことから公的空間を高める喜びへの動機。

こんなことは、善行とはたみ家は考えてないんだ。

(そういう喜びのタイプ)焼きそばが好きって話なんだ。

ブログを書いて、他者に読んでもらいたいって欲求は、焼きそばへの欲求に通じるものがあると思う。

自分が本を読めないなら、他者に読んでもらって喜ぶ。
たくさんの人に読んでもらって、図書館職員が管理までしてくれる。
マンモスうれP!

それは、高齢化社会や成熟社会において、消費を喚起する考え方の1つとは言えないだろうか?


たみ家は、「政治家は無給でもいい」なんて言う人は、アホかと思う。

でも、「がんばった人が報われる社会」って言うときに、政治家が国のために活躍することを志して、総理大臣になったなら、最高の報酬を得たのではないだろうか?
そしたら、最も大事な意味の報酬が増えたんだから、環境大臣よりも総理大臣になったときに金銭の報酬が下がるってのも、半分冗談だけどおもろいと思う。
政治家が生活に困るようではいかんが、大臣の追加報酬は、まあどっちでもええだろう。
まあ、これは半分冗談でしょせん倒錯ですが。

小泉改革路線とか、所得税の累進を緩和したときとか、過去に幾度か「がんばった人が報われる社会を」世間にそんな声があったと思う。

でも、所得が高い、教育をよりしっかり受けた層は、「酒池肉林せよ」とか「贅沢せよ」と教育を受けましたか?
がんばって、成功して報われるってことを過度の消費だと、いつ誰に教えてもらったの?
どっちかいうと「やりがいを持って、人のために役に立つこと」が報われることじゃなかったっけ?

教育と所得が相関関係があるなら、所得が高い人ほど、教育の成果として「報われる=人の役に立つ」でないと建前おかしいんよ。

とはいえ、自他の消費を抑えることが、今の資本主義経済においていいこととも言えない。

だからこそ、公共空間や他者を満たすことへの喜びこそが(消費も伴う)「報われる」ってことなんだという、焼きそば好きを広めたい。
カノジョだけを満たすプレゼントでは伸びんから、もっとたくさんの人を満たすってこと。
クリスマスプレゼントやお歳暮・お中元商戦の延長みたいなものかもなあ。

それに、カノジョおらんとカノジョにプレゼントはできんし、こどもおらんとこどもにプレゼントできん。
少子化だしね。

図書館はたいていどこにでもあるし、いかに少子化といえど図書館に来るこどもは、自分のこどもよりも多かろう。

善行とかいうから、ややこしい。
そんなもんちゃんやろ。

快楽として、自分の身にしか及ばないことでは、もう真に気持ちいいと思えない。
北島康介の「超気持ちいい。」は、広く国民の期待を背負った場所だからでしょう。
自分にしか及ばん快楽なんか気持ち良さのレベルが低い。

たみ家的には、ただのエゴみたいなもんです。
どうせエゴなら他人も自分も良くなるエゴでいこうというだけ。

焼きそばが好き!

たみ家は、どっちかというと政策については裏方に回りたいし、広く公衆の前に出るよりは研究者や学者として会議でしゃべるのがええ。
でも、あえて、リーダーシップについて言う人があまりに少ないんで、言わしてもらうと、その1つは、「焼きそばが好き!」ってことかな。
  

Posted by たみ家 at 09:17Comments(5)

某コミセンにて 回答編前編

2009年08月15日

前々記事の続きですが、小川氏の回答編(青字部分)

「この国のかたち」について、時間がないので、もっとも重視していることについてですが、人口構成が成長期にピラミッド型だったものが、逆ピラミッド型になっていることです。
このことは、成長期に、新しいことを無駄を放置してでも次々できたことから、何かを止めながら選ぶという知恵と経営センスが国政に求められることを意味します。

また、政治家のリーダーシップについては、ケネディが「国に何をしてもらえるかでなく、国のために何ができるかを」と言いましたが、これは自信のあるリーダーにしか言えないことで、現在それだけのリーダーがなかなかいない。

国民が付加価値を出していけるかについては、現在、日本では金融モデルをつくるような高度に知的な仕事と、事務所や商店で備品を整える仕事のような大事な仕事でありながら残念ながら生産性の低い仕事との間で、極端な報酬の差が生まれ、さながら遠心分離機がこの国全体にかかっているような状況です。
我々は、いかなる生産性の低い仕事の人についても最低限の基本所得を保証していきたいと考えている。」
  

Posted by たみ家 at 22:59Comments(0)