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Posted by あしたさぬき.JP at

Q 国会議員しかできないことは何?

2009年05月31日

国会議員の仕事が何か考えたことのある人って、どれぐらいいるでしょうか?
たぶん、法学部では必ずやると思いますが、中学の世界史でもちょっとやったと思います。
教えてはもらうけど、考えないから、いざ聞かれると「?」ってなりませんか?

国会の仕事は
①国民の権利を制限し、義務を課すこと。

ほぼこれだけと考えていい。

もう一つ言うなら
②租税を課すこと。
これも①みたいなもんですが、歴史的に、王様に好きなように税金をかけさせないために、国民の代表からなる議会の承認なしで、税金を決められないようにしたという権力闘争の産物です。

権利を与えることは、誰がやってもいいんです。
強制力がないなら、害はないから、普通の人が甘え声で要望するだけなら罪はないです。
「ぼくのハニーが、バーキン買ってくれないと別れるって言うんです。」いちおう、これには強制力がないことになっている。
暴力を伴わない強制は、強制とは言わないことになってて、国家以外がやると、脅迫とか暴行とかになる。
国家が強制する場合だけルール(国会議員が集まって決めた法律)にのっとってやれば犯罪にならない。
だから、国家と国家でないものを分かつのは、義務の履行に暴力が使えることしかなく、国家とは暴力が本質という。

また、人が得しかしないことなら国民の代表の資格は必要でないから、自分の財産を人にあげちゃうことは、誰がやってもよろしい。

生活保護という給付は、税金でひっぺがした財産を給付するもので、ただあげるのでなく、ひっぺがして他の人にあげることだから、国会の決めた法律の根拠を要します。

そして、
③予算を通すこと
も国会の役割ですが

根源には、国民に義務を課して、財産を取り上げていることがあります。
だから、その目的と使い方は、国民の代表でやってくださいということになる。


国会議員のそもそもは

王様から取り上げた、国民をしばりつける権能を、国民の代表のものにしようとしたところです。

これに、経済的自由の一つ「職業選択の自由」が通用するでしょうか?

国民に義務を課すことに、職業として一般的な自由が認められないのでは?

ただ、立候補する側の参政権というものは、一般的な職業選択の自由よりは重いかもしれない。

さて、この部分の続きは。。。次回かなあ。

よく、麻生さんとかが、「職業選択の自由」って言うけど、国会議員を職業と言ったり、世襲の問題に、職業選択の自由と憲法違反を持ち出すって、的を射てないのではないだろうか?

王権の民を抑圧する権能を分割して、国民の代表からなる議会のものにしたものについて、世襲などによる固定化反動が進むことは、貴族制への接近。
そして、「貴族」って職業でしょうか?

また、もろもろの不公平に比べて、世襲の場合は、多選の弊害も併せ持ってます。
権力者はルールを在任中に自分の都合の良いものにつくりかえたり、自分に都合の良い情報を流し続けることができるでしょ。
団長は、こんな簡単な基礎の基礎にも触れてない。

憲法学でも出ますが、あらゆる不公平や差別の中で、生まれた運だけで決まり、代々による継続の可能性が最も大きい世襲が、一番民主主義に反するって、習わないとわからないことなのかなあ?

貧富や学力なら後天的努力も入るとか、子孫に継がれるかどうかわからない差別がたくさんあるなかで、世襲は、先天のみで固定性が大きいというキングオブ不平等、キングオブ民主主義の敵なわけです。
(私有財産制については、人間がオスメスという本能の動物であること、ブルジョワによる市民革命の権力闘争の産物であること、経済の手段として各人の欲任せが優れているなど、民主主義の話とは重なりながらも別の議論を要する。こっちもいずれ、念入りに。)

団長のは、制度や問題点について知識が足りてないし、始終論理が通ってないし、問題がありながらどうせなくならないからええんちゃうって書いてて、倫理的にも問題。


また、おぜにさん持ちやタレント議員の増加も、同じように貴族制への接近です。

立候補する側の参政権は重大である。
しかし、極めて重大なものだけに、形式的な自由や平等でなく、実質的な自由や平等のための不断の努力が求められる。
ヒトラーも議員として能力が高く経済対策で成功して、合法的に、民が選んで地位に押し上げられた。


国会議員の仕事の本質が、民の抑圧と言うが、ただ抑圧するのではない。

たいていは、多くの人が国の中で、または国と関わって生きていくなかで、多数の利害と個人の権利との間で、抵触・背反があるから、それの調整を国民の代表に委ねた結果としてのことなのだ。

だから、常に、公共目的と個人目的の対立ぐらいは最低、どの話題についても含まれているのだ。

公共とか社会の問題は、常に、複数の目的の抵触・背反によってもたらされる。

だから、たくさん物を売るとか、面白おかしくってのと違って、一つの目的と手段の整合によって解決ができないのだ。


ああれえ。
ネットカフェのパソコンだと不調だし、落ち着いて推敲ができん。

次の用事も押してるし、後で携帯で読み返して次回補足したり、読者の方にとって疑問がありそうなところや、考え方のよりどころとなっている論理などについて、どんどん書いていきたいと思います。
  

Posted by たみ家 at 18:02Comments(0)

今日の庵治

2009年05月31日

「何かしようで庵治」のメンバーの皆さんと、旧庵治町役場=現市役所庵治支所前の道路を清掃。

道沿いの公園の石彫の作品はおもしろい。

見回り隊の後、解散し、ひとり庵治温泉へ。

ついでに、いったん行き過ぎて庵治マラソンのコースの下見もしてみる。

今日から、ひそかにライバルというか目標視している植物のお世話係さんが、たみ家よりも身長が10cm高いのに、体重が8kg軽いことが発覚、同じTシャツを着てみて、そのフォルムの差が歴然。
メタボの兆候が視認できない。

コースを下見してみて、これは無傷というか無事で終われそうにないと思った。
竹居観音どころか鎌野よりも先じゃないですか!
トレーニング始めると言って、まだ一回も走ってないんだよなあ。

津波の被害により、パソコンだけでなく風呂も使えない。

ぽかぽか温泉で、服脱いで体重量って、デジタルの数字が77.7kg。ラッキーだ!
去年のイオンへの荒行の効果が薄れて、また自己最大水準に近づいている。
  

Posted by たみ家 at 16:53Comments(3)

やっぱり問題だ。

2009年05月29日

この団長日記の世襲議員の話しの弁護のくだりは、被災して、ファンキータイムに来てでも書かずにおれんなあ。

次回に、きっちり書こうと思う。

まず、目的と手段っていうけど、社会の問題って、複数の目的が背反するから難しい。
一つの目的を選んで、それとの手段の整合だけ考えるような社会問題、政治問題というのはほぼ存在しないのである。
だから、「目的と手段の整合」とか「原理原則」と何度も書いてるが、それは、たまに錯綜するときに整理する程度の枝葉の話なのだ。
目的って大きな部品なんですよ。
複数の目的たる部品が組み合わさって、問題を構成してるわけです。
団長は部品だけ見てる話を延々やってる。
確かに、部品の問題から全体がおかしくなってたり、部品の問題を見抜けば何とかなる場合もある。
しかし、一つの手段と整合するという程度の目的は最終の全体からすると部品に過ぎないのである。
多数の目的の調和が、さらにその継続性の担保などが多くの場合の最終なのだ。

ときどき、単一の部品だけで構成されているような単純な品も存在するが、団長お得意の讃岐富士の見え方とかと違って、福祉や世襲や税の問題は、複数の目的が組み合わさった高度な品なんですわ。
そういう高度な品の話に、不用意に子どもの彫刻刀の作品レベルのアプローチかますから怪我するんですわ。

もっときちんと後日書きますが、下の青字はまたも引用だけど、スタートがおかしいから、またも書いてることが全部おかしい。

「議論の目的」って、世襲自体にもともと複数重要問題が内在してるのに、一つだけ選んで、全体として世襲問題なしと書いたことがおかしい。
「目的が違う」も何も、全部クリアしないと世襲問題なしともともと言えんだろうが。

それに、不平等はいくらでもあるから問題ないっておかしいだろう。
できることとできないことはあっても問題視はしないといけないし、はなはだしいものや悪質なものについては、いくらでもあるからといって是正しないといけないだろう。
川田さんの問題は、世襲権力として固定されんだろう。

そもそも、問題はいくらでもあるしなくならないからええんちゃうって理屈は、そのままかますと、目の前に理不尽な死に方をしそうな子どもがいても、アフリカやイラクなどで責任がなくても内戦や誤爆などで理不尽な死に会う人はいくらでもいるし、歴史的にもそういうのはなくならないから、ええんちゃうってのと、いっしょなんや。
筋道についてはどこにも違いはないだろう。

知名度だけで当選するなら、川田さんの話もタレントの話も問題は問題なのだ。
社長や社長の息子が会社の組織を使うのも問題がないわけではない。
現実には問題はあるが、さまざまな問題との調整の結果としてできている法において、法的に問題がないだけで、法的に問題のあるレベルにならなければ、現実問題がないというわけではないのだ。
そもそも格差社会なんか、法的な話では何も問題はないし、永久になくなりそうにない、どこにでもある話しでないか。
だから、ええんちゃうってのはどうなんだ?

程度や問題の表れ方を考慮した、是正に向けてアプローチするかどうかの違いだ。


中略だけど、全部が倫理的にも論理的にも知識的にも間違ってるから、後日もあるとして

(今日のところは)最後に、制限しようと言ってるの人のほとんどは「世襲を禁止する」と言ってないだろう。
是正をするって言葉の意味は?
党が公認を見送ることは禁止ではない。
選挙区制度の改革も禁止ではない。
「選ぶのはわれわれ」って、結果がすべて正しいなら、買収だってわれわれが乗らなければいいって話だし、それでもわれわれが乗ったのならそれも民主主義とか、もらうものもらっても投票するかどうかは別だから、問題ないってのと似てる。
制度や過程や情報量などの問題が多いのに、選んだ人の責任だからすべてオーライって、ほんとの〇〇ですか?

問題が多すぎて、時間が足りんがな。
また続きをやるぞ!

たみ家の意見への批判も歓迎だよ。
ただし、理性と理論でやり合おうね。

団長日記でおさまるならまだいいけど、四国新聞20万部に書いたら、言論に社会的責任ってものがあるだろう。
それに耐える文章を書こうで。
21日にテレビ見て思いついたネタで、24日の新聞に間に合わせて、それも選挙前に世襲問題に言及してあのお粗末さは責めに会わなければ、むしろ問題であろう。

で、ブログで変な弁解をしなくて済むように、もうちょっと上手に書けばいいのにね。
たとえば、たみ家の批判でも事前に読んでおいて、3週間ぐらい時間があったら、書けたかもね。


世襲議員のことについて、「でもやっぱり世襲議員は有利だから不公平ではある」という意見が親しい友人2名から(笑)。それはなあ、たぶん議論の目的が違うんだ。

 私の前回の話の目的は「資質のある候補者を選ぶこと」で、それを達成する手段としては、「世襲候補者かどうか」は関係ない、という意見。それに対し「でも世襲議員は有利だから不公平だ」というのは、目的が「立候補者の有利不利をなくする」に変わっている。目的が変わったら、そら手段も変わるから議論も変わってくる。前回の話は、

(目的)資質のある候補者を選ぶ→(手段)より資質があると思う候補者に投票する=世襲候補かどうかは関係ない

という話であって、「立候補者の有利不利をなくする」という目的に対しては、私は言及していないのである(何かその前の話と同じやなあ)。

 なので今から言及する(笑)。

 まず、私は世襲かどうかによる立候補者の有利不利については「別にそれぐらいはええんちゃう?」というスタンスです。だって選ぶのはこっちなんだから、立候補者の持っている「地盤(後援会組織など)看板(知名度)カバン(資金)」の不公平、あるいは不公平感なんて、「より資質のある候補者を選ぶ」とか「より良い政治が行われるような政党を選ぶ」といった自分の投票の意志決定には何の関係もないからです。それは「立候補者間にかかってくる不公平」であって、私ら「投票者間にかかってくる不公平」じゃないもの。

 次に、立候補者間の不公平は、「なくしようとしたらきりがないんちゃうん?」というスタンスです。世襲でない候補者にも地盤(後援会組織)はあるし、不公平なほど知名度のある人もいるし、資金が無茶苦茶ある人もいる。「自分で築いたものならいいが、親からもらったものはいけない」と言うなら、例えば世襲でない大会社の社長の息子が立候補したら、たぶん親の会社とその関連会社すべてを使って「地盤(後援会組織)」を作ってそれを利用するんだから、同じようなものである。

 知名度だって(あるいは情緒的な思い入れだって)同じようなものだ。小渕優子さんに「小渕元総理の娘というだけで当選していいのか」と言うなら、川田さんに「薬害エイズの被害者というだけで当選していいのか」というのと同じようなものだ。というより「当選していいのか」という言い方は、「当選するかどうかは有権者が決める」という基本的なことが抜けている。そこは「小渕元総理の娘というだけで立候補していいのか」「薬害エイズの被害者というだけで立候補していいのか」と問わなければいけない。すると、どう考えてもいいに決まっているじゃないですか。

 それでもまだ「いや、川田氏はその生い立ち環境から庶民の感覚がわかる」と言う人がいるだろうが、それなら「小渕氏はその生い立ち環境から政治のことがよりわかる」という話になるし、さらにどちらも自分に足りない分野のことは勉強して補おうとするのだからこれも同じようなものだ。あといくら例を出してもいいが、とにかく候補者間の不公平は、世襲か世襲でないかに関係なく存在する。だから世襲候補だけを制限しても根本的に不公平は解消しない。だいたいそんなものを全部平等的に公平にしようとしたら「会社の社長とその親族は本社のある選挙区から立候補してはいけない」だとか「マスコミに何回以上出た人は立候補してはいけない」だとか「親の財産も合わせていくら以上ある人は立候補してはいけない」だとか「自分や身内に不幸があった人は同情を買って不公平だから立候補してはいけない」だとか、きりがなくなるぞ、というのが私のスタンスである。

 繰り返すが、基本的には私は「立候補者の有利不利は別にあってもええんちゃうん」という考えである。理由はまた繰り返すが、「だって何らかの有利不利は絶対あるんだし、その上で選ぶのはこっちなんだから」である。だから選ぶ側の私からすれば、世襲を禁止されて選択肢が減ることの方が困るのである。
  

Posted by たみ家 at 04:59Comments(2)

被災してしまった。

2009年05月29日

いろんなことがあって、更新したかったけど、津波(?)の被害で、3階(3階だけ)の家電が全部使えなくなっている。

ネットも使えず、給湯器も使えずなので、ぽかぽか温泉行って、ファンキータイムだよ。

ゆめタウンのすぐ南のファンキータイムには好感が持てる。



関心のあるタイトルや人の新着記事は、ずっと上からざあっとチェックし続けてたんだけど、ネットカフェでは厳しいなあ。

それでも、まとめて見るために今の新着記事200までのところをもっと増やしてほしいなあ。

初期の頃と違って、2日も開けたらもうだめだあ。
  

Posted by たみ家 at 03:16Comments(0)

歴史は繰り返すかなあ?

2009年05月26日

ペストって、日本には入ってきてないけど室町幕府初期、中国では元の末期、ヨーロッパでは百年戦争のはじめのころに大流行しとる。

ヨーロッパでは、人口の3分の1が死にました。
3分の1って、今の日本で仮定すると、4000万人。
想像したら怖すぎだわなあ。

ヨーロッパで大流行したのは知ってたけど、東南アジアから中国に来て、中国からヨーロッパに伝播したようです。
モンゴル帝国が遠征後、交通路を整備して、アジアとヨーロッパの物や人の行き来が激しくなった上に、外敵から都市を守るために築いた城壁の中の狭い不衛生なとこで、商工業の発達によりたくさんの人が住むようになって一気に流行したと。

危機的状況の中で弱い領主は没落したので、中央集権化が進み、農民の反乱も大きなのがワットタイラーとかジャックリーとかありました。

グローバリゼーションで、人や物の往来が増えて、新しい病気が爆発的に流行するって、ほんまSARSや鳥インフルエンザのときもそうだったし、今頃もそうだけど、繰り返すなあ。

モンゴル遠征やモンゴルの交通路整備までは、アジアとヨーロッパの間では往来はあまりなかった。

帝国書院の高校の教科書によると、ペストの流行は人生のはかなさを自覚させ、生きてる間にぜいたくして楽しもうという気風を生み、高価な布地や香辛料への欲求が高まり、大航海時代への一因となったそうです。

まあ、新型インフルエンザでは、日本で死ぬと思ってる人はいないだろうから、これで生きてるうちに使ったれ!とは思わんか。

それにしても、死に至る病の大流行でぜいたくな気風になるって、意外。

新型インフルエンザに嫌気がさして、日本でも消費拡大!なあんてそんな歴史の繰り返し方はないわなあ。




「カール食うかい?」補足。

空海と道真は讃岐史のスーパースターだから、覚えましょう。
カール戴冠は800年で、覇王だからはおう(お)

空海は中国で、うどんのルーツを食べてきたから、「美味しい!」の中国語で「ハオチ(シ)ー!」、807と勘違いしそうだけど、空海の唐留学は804年。
大人が理解するのに、下一桁はどっちでもいいでしょう。
中国だけに「好 ハオ 80」さえ覚えておけばいいでしょう。

道真は894年に遣唐使廃止して、国風文化。
日本文化大躍進(894ん)
中国との関係は白紙(894)でもいいかな。

ここに、先日の岩女がくっついてきます。

年号を点で覚えるんじゃなくて、国際関係や時代のワンスパンの流れを理解するための語呂にしてるところは、たみ家のちょっとしたプライドです。

どうでもいいけど、カール大帝(=シャルル・マーニュ)にはど変態の疑いあり。

正式な妻が4人、妾や私生児は数知れず、複数の娘は死ぬまで1人も結婚させず、晩年になっても少女をレイプしようと追い掛け回して腕を骨折させちゃったりと72歳まで生きてわやしてるらしい。
もしかして、娘は自分のものにするために結婚させなかったのかと、あまりのわやぶりに勘繰りたくなるけど、そう書いたものを見たことはない。

それでも、ヨーロッパの歴史の中でも偉大な君主の中の君主。
  

Posted by たみ家 at 02:01Comments(2)

讃岐うどん屋 地盤・看板・カバン 3

2009年05月26日

讃岐うどん屋 地盤・看板・カバン 2 を書こうと思って一回、投稿欄に書ききったんだけど

具体的な店名出さないとわからなかったり、具体的な店名を出さなくても、店名がわかる形で、そこの経営問題を指摘することになりかねないので、投稿に踏み切れない。

で、2を飛ばして3に、2の内容は、2と書かずに何回も小分けにしてわかりにくいように散りばめよ。


讃岐うどん屋は、大選挙区です。
衆議院は基本は1選挙区に1人しか当選しない小選挙区です。

うどん屋は、エリアでいくつも存在できます。
1位の客数や売上金を集めないと、2位以下は存続できないというわけではありません。

また、うどん屋同士で票を取り合うだけでなく、弁当屋や定食屋の票を剥ぎ取ることも可能です。

大選挙区制のもとでさえ世襲が圧倒的に有利なんです。
世襲なら原価率45%以上かけても、丸天なんか80円で仕入れて80円で売ってる製麺所が実在するように、それでも儲けることが可能なんです。
人雇って、家賃払って独立した店が45%かけたら破綻か良くて赤貧コース間違いありません。

同一エリアでうどん店同士で、かけられる原価率が10%違ったら普通、対等の勝負はできません。
これが、地盤や世襲の力です。

あと、はなまるさんみたいなところがカバン先行型、池上さんなんかが看板先行型、さか枝さんなんかは現在では地盤、看板、カバンを割りにバランスよく持ってるとこ。

選挙と讃岐うどん屋は似てるような気がしてきたでしょう。
これがラーメンや割烹じゃなくて、香川のうどん屋で顕著なのは、客単価が頭を打ちやすく労働集約的で付加価値が少なく、効率と原価率などの単純関数勝負の要素が強いからです。
近頃は、これを避けて、はりやさん型で勝負してくるお店が増えてます。

セルフは、キリンさんや春日町市場さんのような規模が物を言いやすい。
街中なら、好立地で昔から土地を持ってる製麺所が強い。
街中の土地やキリンさんの規模の施設を取得したり家賃払って価格に転嫁して、それをしなくて済む店に勝てる道理が、セルフ型で普通にあると思いますか?


さて、今の今世襲が問題になってる衆議院選挙の場合は、1位にならなければ、全部店をたたまないといけない小選挙区制がほとんどで、世の中にとってはそれほど重要でないうどん屋と違って、権力を争う問題。
通る数が少ないほど、優位性をひっくり返して生き残るのは難しいと思いませんか?

たみ家は、超有名うどん店の2代目のほとんど、いわば世襲閣僚クラスは、もし今から独立するとしたら、8、9割方、先代からの地盤や資産や知名度なしで、繁盛店をつくることはできないと思ってます。

「世襲じゃなくても儲かる店をつくった人がいる」という人もいますが、親族などから譲ってもらった土地や資産なしで、ピンで繁盛店つくった人の現存店なんか、県内に数えるほどしかないでしょう。
つまり、世襲じゃなくても成功するという例は数パーセント。
一方、現在繁栄してる店の二代目で、現在きちんと店を切り回せている人でさえ、地盤・看板・かばんのどれも活かさずに成功できる人は数パーセント。

これを考えると、世襲だから/世襲でないから 上手くいくとかいかないとは限らないから答えは出ないって話は、世襲の人でピンで成功できることが例外、世襲でない人ではピンで成功が例外という状況で、「どっちもいるんだから答えもないし比較もできないので不公平は問題ない。」と言ってるようなもの。

うどん屋やるなら不公平なんかどうでもいいですよ。
うどん屋は私有財産だし、社会への影響も少ない。
でも、権力は私物じゃないし、問題の影響が大きいからね。
  

Posted by たみ家 at 00:41Comments(0)

フランクに「カール食うかい?」

2009年05月25日

800年にフランク王国のカール大帝戴冠。
これ、西ヨーロッパがキリスト教文化圏として統一されたっていうかなり重要事。

たみ家も必修部分で聞いたことぐらいあったけど、何のこっちゃで何も意味わかってなかったし覚えてもなかった。

空海がカールさんとほぼ同時代の人。
どっちも60年や70年ぐらい、当時としてはしっかり生きてて、カールさんが20年ほど先に生まれてる。

空海が唐で学んだのが804年。

「カール食うかい?」
でセットで覚えとくと、記憶も後の理解も助ける。

この辺の理解の楔一本は大事。


これは、お恥ずかしいレベルだけど

初期キリスト教の五大本山(大司教など教会行政の長みたいなのがいる教会)

「愛が2つある。」とか「愛愛あ~る」で覚える。

地中海を反時計回りに、アレクサンドリア、イェルサレム(教科書にもエルサレムでなくてこう表記されてる。)、アンティオキア、イスタンブル(教科書ではビザンティウムで、他にはコンスタンティノープル名で表記されてたのもある。)で、言わずと知れた今でもバチカンがそばにあるRではじまるローマ。
まあ、もともとローマ帝国が国教にしたことだし後のバチカンでもあるしで、ローマは忘れんだろうから「アイアイ」だけでもいいんだけどね。

今のイスタンブル(ブールは誤り)との綱引きと、ほかの3つがイスラームの支配地になったことから、独立志向のローマの教皇がフランク(フランク王国の)なカールさんの勢力を頼ったことを思えば、やっぱり大事かな。

意味はないけど勢いだ。
「フランクに、『カール食うかい?』」
カロリング朝の2代目の王まで覚えようか。
「カロリー2倍だけど!」
後半はお誘い文句としては不適当ですが、まあえっか!
人付き合いはこういう何気ない最初の声かけからのコミュニケーションが大事だよね。
ボリボリ。
  

Posted by たみ家 at 07:52Comments(0)

あ~あ

2009年05月25日

昨日、店に新聞取りに行ってなかったから午後まで気がつかなかったけど、例の内容、予想通りだけど予想より早くほんとに書いてたよ。

読んで恥ずかしい。
まず、内容のレベルが恥ずかしい。

その恥ずかしい内容のことを誰がオーナーのに載せてるわけ?
世襲が中立すべきものの中立を侵し、民主主義が幻想であるということを突きつけ、国民を麻痺させたり諦めを持たせながら堕落させるということをもう証明してしまったね。
悪意はないと思いたいが、マスメディアを私物化したと疑われるようなことをしてはいけないし、大学教授が加担するのも由々しきこと。
真相はわからないが、頭が悪かったのではなく、書かされてたのか?それともスポンサーの喜ぶことを上手にかぎ分けて率先する商売上手だったのか。

権力の世襲は、国民の根まで腐らせることにつながりやすい。

一度、独裁政権や軍事政権が入ったところでは、いつまでも賄賂がなくならなかったり、救援物資の横流しや着服が後を絶たなくなるという。
権力の慣行の悪いところは公務員の慣行や企業の慣行に入っていくんです。
たみ家は、某県警に有力者から電話がかかってきてスピード違反の取消しを幹部に依頼することが日常的にあり、一定範囲の有力者が相手だと了解していたことが今でもあるかはしらないけど、20世紀末には常態的にあったと某OBから聞いたことがある。
秘密でもなんでもなく、大部屋で大勢いる中で、「ハイハイ」「おおい。○○君、いついつの△△さんってのの違反の資料探して取消しといてね。」みたいな要領だったと。

公務員住宅に、有力者の子弟が通勤に便利なところにもともと住んでいるにもかかわらず1人暮らしをしたいとダダをこねるので、有力者が有資格者名義で借りるように依頼し体裁だけ整えて職員でない有力者の子弟を職員の待ちがあるにもかかわらず住まわせるというような話も県内でもいくつか実例を聞いたことがある。
子弟の方は顔は見たことがある。
見たことある二人は二人ともまあまあ美人さんでした。

軍事政権の国の経済がなかなか上がっていかないのは、こういう慣行が公務員や企業にまではびこっているせいだってのはよく言われてること。

帰納法的な経験則でも演繹法的な理屈でもわかりやすいことを逃して議論してるから、多くの議論はボケる。


おまけだけど、団長は

「地産池消商品を全国に発信しよう」ってのが、日本語として矛盾してるって書いてるけど、生産された地元でも愛されているものを外に発信しようってのは、おかしくないのでは?
讃岐うどんだって、多くの名物料理と違って、地産地消とは言わないけど、地元の人が日常的に食べるものであることが特色とされているし、それが全国に発信されて人を呼んだり、お土産として発送されているではないか。

地元で消費されて評判を取ってるから発信しやすいってのは、必要条件ではないけど、有力な考えの一つではあると思う。

また、冒頭の「地産外商」との優先順位の話についても、効果は大きいけど他者の合意に時間がかかるものと効果はそれには劣るけど合意にかかる時間が少ないものが並ぶ場合は、効果が小さい方からでも優先的に手をつけるというのは大いにあるし、緊急の場合ならよりそうするだろう。

みんなが「みんなが地消したら、田舎で消費地として小さい香川が不利だから、外商すべき。地産地消にこだわるのは理屈上行き詰る。」って、そんなの、そのまんまたみ家、平成14年か15年か忘れたけど、県産品愛用推進の指針ができたときにすぐに文書で関係者に送ったよ。

小学校ぐらいになったらみんなわかってることを、言葉尻だけをとらえて、他人が間違ってることに仕立てて、自分だけがわかったように書くのは裸の王様っぽい。
5月21日に書いたブログの内容を時間がないまま24日の新聞に貼り合わせて寄稿するってのはお粗末だ。

24日の掲載分はモラルの面でもかなりおかしいけど、論旨の組み立てとか知見そのものについては全体がおかしいと思わせた。

たみ家が言わんでも、このレベルのことをこの思想のもとに書いてたら、いずれ、バッシングというか包囲網ができるんじゃないか?
  

Posted by たみ家 at 07:31Comments(0)

讃岐うどん屋 地盤・看板・かばん 1

2009年05月24日

勉強なんて楽勝よ。
もう人生で、階級差別も参入障壁もなしに、1対1の勝負なんてそうそうさせてもらえませんよ。
1対1でやれるうちにできるだけがんばっとこうな。

若いうちの勉強はいい金脈探すための勉強、歳食ってからの勉強は金を掘る勉強と仮にする。
金脈じゃない、家の前で、金の掘り方がいくら上手くってもねえ。
だから、若いうちの勉強がよりお得。

たとえば、零細商店対イオンとかユニクロとか。
スポーツだったら勝負にならんでしょう。
朝青龍対たみ家。
もちろんたみ家がイオンだよ(ウソ)

1対2でもしんどい勝負だけど、朝青龍対序の口でもスポーツみたいにはならない。
序の口の店にもいくらかはお客さんが来るから商売は不思議、一方、序の口でも朝青龍と対決し続けるのもまた現実。


さて
たみ家は、ほぼ3年前に、うどん屋になってみて、うどん屋になって上手くいきやすい条件と政治家になりやすい条件はすごく似てると思いました。
特に、香川県ではそう。
だからタイトルは「讃岐うどん屋」になってます。
そして、3年経ってみて、世襲議員の問題についてコメントすることになって、やっぱり似てると思う。


説明なしで、似てるってピンと来られた方は素敵です!

うどん屋のお客さんも無党派層もいれば、固定支持者もいますが、要は人気がある店にお客が来ます。まあまあ立派な個人店で延べ年10万人ってとこでしょうか。
20万票取る議員なら、まず全国どこの選挙区の議員でも知ってるでしょうね。
香川のうどん屋も年間20万人以上来るお店ならかなり有名でしょうね。平均で1日600人以上だからさか枝さんや山越さんクラスか。
年5万人なら、まあ何とか家族で食えるかなあってところでしょうか。

桁としてはほぼ衆議院選挙の小選挙区の当選者の得票数ぐらいですね。

まだ1割も説明してませんが、ほんと似てますよ。




余談ですが、五色台の有料道路を西に抜けて電柱広告が6km以上続いてるお土産お菓子、度忘れしてたけど、今ふと思い出しました「かまど」ですね。
灸まんロード、瓦せんべいロード、かまどロードが県内にいくつかありますね。

まさに香川の三大菓子が3Kとは、Kづくしだなあ。


本題は2へ続く
  

Posted by たみ家 at 15:28Comments(0)

よく似た理屈で

2009年05月24日

青字部分は例の団長日記の引用です
「世襲候補は地盤・看板・カバンがあるから有利であり、それは不公平である」という意見も聞くが、それは「支持者がいる」ということなんだから、支持者が多い人が当選するという民主主義のルールに則った、全く正当な条件だと思う。結局、世襲候補だろうがそうでなかろうが、有権者が投票で「議員にするかどうか」を決めるのである。


上の主張とよく似た理屈を言いますね。

いくら低賃金で労働条件が劣悪でも、それでも働くという人がいるから、会社がある。
最低賃金法も労働基準法もいらない。
働く場所のことぐらい調べたでしょう。それぐらいするのが義務でしょう。それでわかってて会社に入ったんだから、後から労働条件に文句いうのはおかしいでしょう。
嫌ならやめて他に行けばいい。

雇用は契約です。条件は会社側から自由に出せるのが自由主義経済であり、労働条件が劣悪であろうと働くかどうかは労働者が決めること。

団長がよく原理原則って言ってるのは、いつもこのレベルなんです。

現実社会にすでに出ている弊害。世の中にすでに強弱関係があって物事が自由な選択にゆだねられないことが多いこと。また人間の現実にある弱さ。そして、弊害や強弱関係ができるに至った経緯。

これらを無視して、利権の力も支持があるなら民意、投票は有権者が自由にやるんだから結果は正しい。

とやってしまってるから、団長の言う原理原則はいつもほとんどおかしいんです。

大学の関係者や周囲の人が教えてあげないのは香川の利益にならないし、読んでる学生も気の毒だ。

また、個々の議員が有能かどうかだけでなく、広く国民が候補者として立てるかどうかの制度を保障することが大事なんです。
世襲にも有能な人がいるってのは、議論の中では、要点どころか関係すらない。

憲法学で制度的保障とか聞かなかった?

個々の事例の結果がそれほど問題でなくても、健全な制度を脅かす可能性を帯びたものは排除しなければならないことがある。

さらによく似た理屈をいうと

覚醒剤の販売組織があるのは、欲しい人がいるから、それが市場経済。健康かどうかは問題が起きそうになる前に自分で判断すればいいでしょ。酒もタバコもそうだし。健康問題まで考えた上で買うか買わないかは使う人が決めればいいことで、それが自由主義。

売春に被害者はないでしょう。需要があるから成り立つ。それが市場経済。感染症が蔓延するかどうかは対価があるかどうかと関係がないので目的と手段の整合性がない。身体を売ることを決めたのも自由。買うのも自由。それは当事者だけの問題。

団長の原理原則っていつもこんな感じ。


複線的ってことは、たみ家が、仮に世襲議員に投票したり、後援会組織に入っていたとしても(入ってないけど)、矛盾はないってことです。
世襲に問題があっても、当該議員の実現力や問題を差し引いた上でもそれ以上に資質があると考えれば、何ら矛盾はないわけです。

ただ、敵味方の話でいえば、支援しますと後援会に入っておきながら、一方で、世襲はけしからんと言い立てるのは、当該議員の資質と世襲の弊害は本来別次元でありながら、不利に働くことになると思われるので、戦いとしては矛盾する。

筋道として矛盾するってのと、闘争として矛盾するってのはわけが違う。

原理原則っていう話は、タカ派っぽい言動につながりやすい。
最近よく聞いたのは、イスラム原理主義と市場原理主義ってヤツでしょうか。

複数の原理原則を同時に多段階でとらえながら処理してきめ細かく考えてもらいたい。
  

Posted by たみ家 at 14:11Comments(0)

ジンギスカンとエビフライ

2009年05月24日

世界史の教科書の表記は必ず
イスラムでなくイスラームになってるね。
たみ家は米大統領ルーズベルトと覚えたけど、今の教科書は全部ローズベルト
イスタンブルも絶対に伸ばさない。
そっちの言語で、ブールと伸ばすことはあり得ないそうで、地図も教科書も全部イスタンブル

同世代や上の世代と話すと今正しいと言われてるとおりに言った方が笑われそうだ。

鎌倉幕府成立は今は学問的には1192(いいくに)とは言わないそうですね。
義経追討名目で全国に地頭を置かせて支配権を確立した時点が鎌倉幕府の成立で、征夷大将軍に任じられた1192年はそれほど重要でないと。
でも、教科書ではまだ1192年が鎌倉幕府成立と書いてます。

この頃が、ヨーロッパでは教皇権の絶頂期。

よく
「実は源義経が衣川で難を逃れて北海道に渡り、樺太を経て、ジンギスカンになった。ゲンギケイという音読みがジンギスカンの元だ。」
というおもしろすぎる話が聞かれますが、ってことは、チンギスハン即位1206年はだいたい鎌倉幕府成立と同じ。

で、南宋をチンギスハン(1227没)の孫のフビライハンが元寇(1274と1281)とセットの軍事遠征で滅ぼしわけですが、南宋をやっつけにいくちょっと前1271に国号を元にしてモンゴル帝国の都も今の北京に移します。

チンギスハンと義経が同世代で、フビライが孫で元を建てて、元寇やらかした。
となると

ジジイはジンギスカン(チンギスハン)、孫は「元」気に「エビフライ(フビライ)!」

で、時代のワンスパンを覚えたり理解する足がかりができましたね。

ヨーロッパで教皇権絶頂の時代に、モンゴル帝国は、教皇に手紙で「日出づるところから日沈むところまでが我らの領土。敵対すれば滅ぼすぞ。」と世界征服宣言をしてヨーロッパをびびらせたと。

モンゴル人は東南アジアとアラビア半島、西欧、北欧を除いたユーラシア大陸のほとんどを征服したので、モンゴル人の遺伝子は世界中のほとんどの人に混じってるってのはおガキさんの頃から何回か聞かされてました。

このモンゴル帝国の最大版図をつくったのがエビフライならぬフビライの時代だそうです。

チンギスハン即位の1206年から、孫のフビライハンが1279年に南宋滅ぼして中国全土を支配して、史上最大の国をつくるまでほぼ人の一生の時間でやってのけてるのがすごすぎるし、覚えやすい。
  

Posted by たみ家 at 10:24Comments(0)

残念だったね。

2009年05月24日

権力の世襲が問題になるのは、一つはこういうこと。
世襲が増えると国民の感覚や慣行がおかしくなるんです。

刑事裁判に遺族の感情を入れることは危険だと言い続けているのも、似たような話です。
世襲ってのは、感情とセックスを基盤にするってことです。
感情、セックス、おぜにさんの話は要は固体であれ遺伝子であれ、自己保存。これらの対極にあるのが観念や理性で、これらもまた別の危険性を持っている。

国会議員の世襲ってのは、国家の私物化現象の一つです。
議員の世襲を許す風土が大分の教職員不正採用の問題を許したと言ってもいいかもしれない。

青字は、ノムヒョンさんの死に関する報道のコピーです。


過去、全斗煥氏も金泳三、金大中両氏の場合も家族が金銭疑惑で逮捕されている。権力者の家族や親戚、縁者に群がれば、その口利きなどで利を得ることができるという縁故主義の結果だ。これには「権力を背景にすれば法律や規則など無関係に何でも可能になる」という権力の大きさが作用している。

 みんなが権力を利用し、権力に群がって甘い汁を吸おうとする。韓国では現在の李明博政権下を含め「自分は大統領官邸に知り合いがいる」といって詐欺をはたらく者が依然、後を絶たない。

 ≪「法より人情」≫

 韓国では血縁をはじめ地縁、学縁、その他…人と人とのつながりが何より重要という「法より人情」の社会が続いている。みんなが日常的に“有力な人脈”を求めて必死だ。これが変わらない限り、権力にまつわる金銭疑惑事件はなかなかなくならない。


ノムヒョンさんは残念だったね。
彼が大統領になる前から彼の著書を読んでいて、貧農の家の5人きょうだいの末っ子で大学にも行けずに、子持ちで苦学して弁護士になって、弱者の側に立ち続けて政界に入った事跡や、開かれた考え方に感銘を受けた。
普通に考えてあの人以上の人がいるとはそうそう思えない。

権力闘争が激烈な韓国政界にあって、彼自身権力基盤が弱く、自分が欲しがらなくても、自分を支える人が汚染されていくことをある意味甘さと弱さから抑えたり断ち切ることができなかったことがずるずるになったのではないだろうか?

世襲の問題とセットで、基盤を持たずに立ち上がっていく人達の基盤の弱さからくる問題についても考えていく必要があると思う。
国民に対して、あるべきと訴えたことと、身近な話でそれを一致させられなかったノムヒョンさんの件、社会情勢や人間の弱さからくる問題を法や制度によって、どのように現実と折り合いをつけながら是正していけるのかについて考えさせられる。
  

Posted by たみ家 at 09:12Comments(0)

やってやられて

2009年05月23日

「という説もある。」ですが、帝国書院の高松高校で使ってる教科書に書いてあるのだから、そこそこ有力なんでしょうか?

フビライのときの元寇、1274年の文永の役と1281年の弘安の役では、元の目的が違うと。

中国の王朝、南宋を征服するための包囲網を築くために攻めて来たのが1回目。

たったの7年間の間に、元寇は失敗したけど、もう南宋征服しちゃってました。
2回目は、中国全土を支配した後の余剰兵員などを入植させるためだと。

モンゴル帝国って、征服の速さが異常に速い。

これで国が疲弊したり、武士に不満がたまって鎌倉幕府が滅んだとよく聞きます。


豊臣秀吉が朝鮮出兵しました。
完全に失敗でしたが、朝鮮に臣下の礼をとらせていた明は、朝鮮の救援を宗主国の義務として断れず、もうかなり弱っていたところにきて、滅亡の要因の一つになったと。


鎌倉幕府の話と、秀吉のことがわかってると、南宋が滅んだのと、明が滅んだのがわざわざ記憶しなくても大雑把な時代はわかる。
たみ家の経験では、世界史とか地理でセンター試験でほぼ満点近くとるのに、ほとんど暗記なんて必要ないでしょ。

8、9割の理解があったら、あとの1、2割しか暗記のための労力は必要ない。
理解があったら、一回読んだら、ほとんど本の内容が宙で説明できるはず。

だって、好きな女の子の生い立ちとか好きな食べ物とか、出来事や状況なんか、もともと関心があって意味を持って聞けてたら一回口頭で言われただけでもほとんど覚えれるやろう。
情報量で言うたら可能不可能を問えば数十ページ分ぐらい熱く、はじめてのキャンプファイヤーで二人で抜け出して肩を並べていっぱい子どものときの思い出語られたら、数時間しゃべってくれたことでもほとんど覚えてるやろ。

ところが理解なしで、外国の聞いたことない言葉が多い中、生活との関連もなく、意味も見出せなければ、いくら暗記しても人間の能力として無理がある。

日本語の歌って、日本語知ってたら覚えやすいけど、日本語わからなかったら覚えるのに時間がかかるし、逆に歌詞に歌われた情景や情感について、説明受けてて、かつ、それに感銘を受けたり感情移入できてたら、覚えるのはかなり楽になるでしょう。
まったく意味のない独立した仮名の音の羅列としての歌詞は誰も覚えられんよ。
それはたぶん、県のトップクラスの人でも、不可能ではないけど、能率が悪すぎて、他の勉強との兼ね合いでしんどいと思う。

実際のところ、うどんとたこ焼き営業時間以外も疲労気味なので、こう見えて一日10~15分ほどしか歴史勉強の時間はとれてなくて、実際のとこ1日、3~5Pほどしか進んでません。
でも、ネタっていくらでもある。

トリビアに流れたけど、世襲ネタに戻らねば。
  

Posted by たみ家 at 08:07Comments(2)

公開討論してもいいね。

2009年05月23日

たみ家は議員の世襲が多いことは、今、日本を最も悪くしてる要因の一つだと考えてます。

最近、団長日記がちょっと目に余る。

2つ3つ前の日記の、子育ての費用についても書こうと思ってたけど、暇がなくて流してたが、1つ前の若者の将来の夢についてで、再度軽く首をひねりながらも流していた。
ここに来て、世襲の問題については、この人、ときどき20万部発行の四国新聞にブログのネタをそのまま転用して寄稿するので、ほおっておけんと思った。
4回通読したけど、書いてあることのほどんどがおかしいと思ったよ。

世襲政治家の関係者に言わされているのか、話にならないほど理解できてないのか、階級差別主義者なのか?

書いてあることはまるで問題を理解できてなくて論理も破綻しています。

無数に大きい問題がありますが、一つ言ってみると、議員の世襲は、法治でなく人治を生み、情実採用や汚職などを蔓延させる。
このような考え方や慣行が、経済界においても偽装表示など、コンプライアンスの問題につながり、労働生産性も悪化させるのです。
こういうことを、監査や歴史など、企業や国家の事実から学ばなければなりません。

さて、世襲の問題は後日、整理しなおすとして、以下の団長日記は、世襲制限の目的は「資質のある議員を揃えること」と言ってますが、問題や目的は多岐に渡るもので、それが目的とは言い切れません。
ただ、そのことについても悪影響は大いにありますが。

また、彼は、選挙民がきちんと選べばいいと言ってるだけで何ら具体的に方策について書いてません。
目的がわかってないし、問題ないと言ってるんだから、当然かもしれませんが。

さらに、もっと大事なことがあると書いてますが、世襲制限が優先順位の2番目以降だったとしても、2番目以降でも大事で手をつけなければならないことなら手をつけるべきという当たり前のことに目をつぶって、論理破綻している。

制限の仕方によっては憲法や人材輩出の面で問題があるかもしれませんが、制限なしで今が問題ないとばかりに言うのは、団長ってそんなに頭の悪い人だったかな?とむしろ疑問に思え、誰かに言わされてるのではないかとさえ勘繰ってしまいました。

ここしばらく、ずっと変なこと書いてるなあと思ったんですよ。

ハト派の稚拙なのは、「甘いなあ」で済むけど、ネオリベラリズム的なタカ派論調の意見が無理解で稚拙で、しかも影響力の強い人の意見となると、たみ家も商売上、うどん関係で功績のある人の意見は批判したくないけど、命の次の次ぐらい賭けてでも、言わせてもらうことにしました。

団長、本業についてPR上手ですし、穏やかな物腰と外見で、コミュニケーション上手だからわかりにくいけど、団長日記の数少ないリンク先が、都村氏と勝谷氏で、あの勝谷氏と長年深い親交があるぐらいだから。。。。。社会的弱者に対するきめ細かい配慮とか、複線的な思考とかしないんじゃないかなあ。
まず、公平性を重く見る人や福祉重視の人やきちんと利害調整しようとする人だったら、勝谷氏とは密接には1日同じ空気吸っただけで嫌になりそうで、いくら仕事関係でつながりができたとしても必要なかったら音信不通でいたくなると思う。
日記には、やたら、二元論的な考えがここんとこ目立つ。

悪意はないかもしれないし、そう信じてるんだろうけど、付き合う人が悪いのと、関係ないところで偉くなっちゃったので、稚拙な部分を批判してもらえなくなってるのがいかんのじゃないかと思う。

以下、青字は当該日の日記の全文引用です。

2009年5月21日(木)

 テレビのチャンネルをあちこち変えていたら、自民党が世襲議員の公認をやめるとかなんとかいうニュースが流れていたのでちょっとうんざりして(もうええか)、今日はチャンネルを変えた。こないだも別の番組で同じ世襲議員うんぬんの討論をやっていたが、聞いててもまったく目的がわからんのでチャンネルを変えた。

 世襲議員を禁止する目的は何なんですか? 「資質のある議員を揃える」というのが一番正当な目的なんだろうと思うけど、それなら目的を達成するための最も有効な手段は、絶対に「世襲議員を禁止する」じゃないですよ。

 議員の候補者は、

(1)資質のある世襲議員…○
(2)資質のない世襲議員…×
(3)資質のある非世襲議員…○
(4)資質のない非世襲議員…×

の4種類ですね。これ、漏れもダブリもないから100%MECE。ということは、資質のある議員を選ぶためには、より「資質のある候補者」(上記の分類の「○」の人)に我々が投票すればいいだけで、世襲か世襲でないかは関係ないじゃないですか。世襲を禁止したら(1)と(2)の人が候補者からいなくなるだけで、結果、候補者は

(3)資質のある非世襲議員…○
(4)資質のない非世襲議員…×

の2種類になる(世襲を禁止にして政党が世襲以外の人を担ぎ出しても、その人たちは必ず「資質のある人」と「資質のない人」が含まれる。実際今も、世襲でないけどまるで資質のない議員がたくさんいるじゃないですか)。ということは、私らの選択肢から(1)の「○」の人が消えるので、確実に「資質のある候補者」は減る。じゃあ「資質のある議員を揃える」という目的を達成する手段としては、ダメじゃないですか。おそらく世襲議員禁止を主張する人は、「資質のある議員を揃える」という目的ではない何か違う目的を持っているか、頭の中で目的と手段の整合性がとれてないか、のどちらかだと思います。

 「世襲議員は庶民の生活を知らない」とか「いや、世襲議員は非世襲議員より政治的資質が高い」とかいう議論は、目的と手段の整合性からすると全く枝葉の話です。庶民の生活を知っている世襲議員もいるし、世襲議員より政治的資質の高い非世襲議員もいるんだから、そんな議論はいくらやっても「いや、そうではない人もいる」という言い合いになって何の答も出ない。

 「世襲候補が非世襲候補の出馬を阻害している」という意見も、調べたわけではないが、非世襲の人が立候補しない一番の理由は「世襲候補がいるから立候補しない」じゃないでしょう。立候補する人は世襲候補がいても立候補してるし、私が立候補しないのもそんな理由じゃないし(笑)。だから、世襲でない人を立候補しやすくするためには「世襲禁止」より有効な手段がいくつもあるはずです。

 「世襲候補は地盤・看板・カバンがあるから有利であり、それは不公平である」という意見も聞くが、それは「支持者がいる」ということなんだから、支持者が多い人が当選するという民主主義のルールに則った、全く正当な条件だと思う。結局、世襲候補だろうがそうでなかろうが、有権者が投票で「議員にするかどうか」を決めるのである。

 有権者としての私たちは、目的が「資質のある議員を揃える」なら、世襲か非世襲かに関係なく「より資質があると思う方」に投票すればいいだけだし、目的が「政権交代させる」なら、世襲か非世襲かに関係なく「野党」に投票すればいいだけだし、目的が「現状維持」なら、世襲か非世襲かに関係なく「与党」に投票すればいいだけだし、目的が「とにかくあいつを当選させたくない」だったら、世襲か非世襲かに関係なく「あいつ以外」に投票すればいいだけだし…あといくつも目的例を挙げてもいいけど、ほとんどが「世襲かそうでないか」に関係ないことばかりだと思う。「そんなことでは何も変わらない」と言うなら、独裁国に行った方がいい。民主主義はものを変えるのに時間がかかるシステムなんだから。

 とにかく目的を具体的に整理して、それを達成するためには何がより有効な手段かの優先順位をつければ、こんな話はシンプルに整理がつくことだ、というのが私の意見です、と都村さん風に締めてみました(笑)。
  

Posted by たみ家 at 05:00Comments(4)

平成14年に多数の役所の人に話したこと

2009年05月22日

黄砂の増加、花粉症の激化、新型インフルエンザにより、街中でマスクをする人が当たり前になり、マスクが不足して、備蓄体制が必要になる。

また、マスクの高性能化が必要となり、官公庁が率先して確保してマスクを配布しないといけなくなる。

そして、マスクをすることが当たり前になったら、マスクでお洒落をする必要が出てきて、いろんな可愛いマスクやお洒落なマスクが出るだろう。


以上のようなことを官公庁の方に多く話したのですが、あまり興味はなかったようです。
というか、興味はあったのかもしれませんが、話すべき内容を持ってなかったようです。

市役所や県庁にできることとできんことがあるだろうけどね。
住民の暮らしのことを考えるのに、権限や財源や問題の熟度など今できないことだからといって、考えることをやめるってのは無しにしようぜ。

英語を勉強するってこういうことなんです。

たみ家が英語の教材として、世界中のニュースで、日本でまだマスコミで登場する何年も前の伝染病や伝染した国の有様を知っていたからそういうことを平成14年時に明確に言えたわけです。

これは、後だしジャンケンでなく、県や市に意見としてメールの電子意見箱みたいなのに提出したことの一部なので、証拠たる物はあります。
古いデータなので、担当者に引っ張り出してもらう必要はあるかもしれませんが。


歴史は過去のこと。今知ってもしょうがない。
英語は外国語、日本語を勉強してから。
海外に行っても、ネットで情報があふれている時代に、行かなくてもわかる。

とか聞くと、もうええかげんにしてくれ~と思う。
  

Posted by たみ家 at 08:32Comments(0)

意味と需要

2009年05月22日

店を初めて、海外旅行にまったく興味がなくなってたけど、世界史の本を読みはじめて、ルクソールや万里の長城とかサンスーシとか無数に行ってみたいと思うところができた。

シベリア鉄道にも乗ってみたいと思うようになった。

その歴史や関わった人々の物語を知るとブランド物に興味のないたみ家も多少欲しいと思ったりするかもしれない。


需要が増えるといっても、それを支える力がなければ破綻する。

歴史を学ぶというのは、世界中の物事に意味を感じる受容力や発信力をつけながら需要をつくること。

よく考えて下さい。
意味を感じるものにはおぜにさん使うでしょう。意味と需要とおぜにさん使ってもいいという許容度にはかなり≒に近い関係がある。



また、社会を考察することは、実際はどうかという経験則を歴史で学び、それを土台に関数を駆使するということではないだろうか。

社会を良くするための考察力の基本は、歴史と関数でないだろうか。

そして、それらを知るためや、知って発展させるために、言語や理化学など必要になるのではないだろうか?
  

Posted by たみ家 at 08:11Comments(0)

富のはじまり

2009年05月21日

2代目以降は世襲だったりするけど
いつも、最初に、周りのみんなができなかったことをできた人がいる。

ツタンカーメンの黄金マスクとか見ると、あれが世界の最初の頃のおぜにさん持ち一族で、最初のやつがみんながようせんかったナイルの治水が上手だったのかな?
とか、ソフトのことはよくわからんけど、みんながよう解決せんかった問題を克服したOSをつくったビルゲイツとか。

すべての富のはじまりは、みんなができなかったことができたことで、それは能力です。

ちょっと飛び抜けた能力のヤツがつくった富によってできた人間関係などの格差が世襲などで固定されたものが階級。

小金もちさんの世界でもそう、矮小な世界でも、普通の人がようせんことをやったヤツがいるんですよ。

これは、プライド捨てて気にいらんヤツの靴を舐めるってようなことでもいいんです。
頭もいいしプライドあるけど、テレビではスポンサーや司会の気に入ることを察知して、時には自論を曲げてでもおもねる。
なかなかできんけど、おぜにさん持ちにはなれる。

価値判断は抜きにして、周りがなかなかできんようなことをできた人しかおぜにさん持ちにはなれません。
当たり前のことを当たり前にやり続けることでもなれるという人もいますが、それってほとんどみんなできんじゃん。
だからできたらおぜにさん持ちになれるかもね。
  

Posted by たみ家 at 08:06Comments(0)

岩女

2009年05月21日

唐ができたのは、618年、滅んだのが907年。

だいたい300年、江戸幕府よりちょっと長いぐらいで覚える。

聖徳太子が出したのが遣隋使だし、菅原道真の時代には唐も衰えたし、独自で国風文化で行こうよ。
となってるから、関係がわかる。
空海は800年ぐらいの人だから、唐もまだ元気だし、勉強に行く甲斐があった。
894年に遣唐使廃止だから、唐がやばいのがわかる。
国風文化の代表道真は唐末期、没が903年。
あの延喜式編纂開始が905年。

この辺が、唐の関係で理解しないと、意味が薄れるし覚えにくい。

江戸幕府よりちょっと長くておおよそ300年と理解してて、年号の最初の600の6と900の9が出てこないとまったく理解できてないから、問題外。
下二桁は18(いわ)07(おんな)で覚える。

これで、唐の影響での東アジア社会の発展や日本の出来事の理解にちょっとした足場ができる。


いろいろその土地の呼び方でというのか、インドのボンベイがいつの間にかムンバイになってるし、カルカッタがコルカタ、カレーのマドラスのマドラスはチェンナイになってるのね。

インドの重要都市に、デリー、アグラ、コルカタ、チェンナイ、ムンバイがあります。
あんまり意味ないんだけど

(正座してて)だり~ あぐらぁ 凝る肩ぁ (いい方法)知んない? 揉むばいっ!

仏教やキリスト教が確立するのも、周囲が広めてもいいかと思うから広まるんです。
応援する人がいなかったら、昔のことだから、不満分子・異端分子として広まる前に消されるでしょう。
やっぱり、階級差別が厳しいバラモン教に対して、商工業者など富を蓄積した人達がバラモン教の階級性を否定した仏教を応援したってのは、富と階級闘争の問題であることがここでもわかる。
マルクスって、やっぱりすごいわ。


チンギス・ハーンがすごいのは、騎馬民族としてケンカも強かったんでしょうけど、投降した敵を自軍に編入したり、軍事組織や行政組織を上手につくってること。
やっぱり、苦手になりがちなことができる人がすごい。
古代のローマも敵に対して寛容だったところがあれだけの支配を長期に可能にしたと思う。

歴史って、地域ごとに文化・文明を育んできたけど、それが一気に交流に進むポイントがある。

それが、アレクサンドロスの遠征だったり、チンギス・ハーンに始まるモンゴル帝国の遠征だったり、コロンブスの大航海だったりする。
  

Posted by たみ家 at 07:53Comments(2)

検索「○○ 詐欺」

2009年05月20日

営業の電話がかかってきたり、返事を急がせるような勧誘はすべて詐欺だと疑うようにしましょう。

検索で
「○○(会社名)&詐欺」「○○&評判」ぐらい2つ3つ検索して、悪評があるようだったらお断りしましょう。
いや、悪評を見たうえで、断らないなら本人の自由ですが。

郵便なんかでの営業でも怪しいのあるけど、電話でかける場合は、騙そうとしてるか、ノルマがあって足りないので郵送してる暇がないとか、押しを利かせた営業をしようとか、そんな確率が高い。

ちょっとでも怪しいと思ったら、「○○&詐欺」ほか「○○&悪評」など、携帯電話からでも検索できるので、電話でなくて飛び込み営業なんかの場合でも、「ちょっとトイレ行く」とでも言って検索してみましょう。

とにかく
電話営業や返事を急がせるものは
売れてない 詐欺 ヤ○ザなどの可能性が高い。

詐欺など犯罪でないとしても、電話営業するものは売れてないダメ会社の確率は高いだろうなあ。

一般の人の場合は、いったん契約しても、ネットで調べた後に解約するのに消費者契約法があるのでまだやりやすいですが、事業者としての契約の場合は、消費者契約法の適用がないので、せっかく携帯電話があるんだから、「○○ 詐欺」とか調べるようにしましょう。

電話で営業って、商品もカタログも見せずに勧誘するわけだし、相手の時間かまわずだから
電話で営業すること自体が、たみ家は「悪」だと思う。

電話に限らず、あらゆる営業に対して、暇さえあれば「○○ 詐欺」って調べるのがクセになってるぐらいでもいいかな。
いろんな騙しや詐欺の手口が出てて、怪しいのにピンと来るようになるから。
  

Posted by たみ家 at 06:59Comments(0)

焼き払って撤退&白衣の天使

2009年05月17日

たみ家は、中学ぐらいのときに、ナポレオンのロシア遠征で、ロシアがモスクワを焼き払って、ナポレオン軍をダウンさせたというので初めて焦土作戦なるものを聞きました。

たみ家は、自国の街を焼くなんてもったいない。
それにナポレオン軍もさらに追いかけたら良かったのに。
包囲されて街を焼かれて焼死者がたくさん出たのかなあ?
ぐらいにあまり考えずに思ってました。


あとで、聞くと、自然の森林も田畑も、土以外に何もなくする必要があるということなんですね。
ロシアで戦争すると冬が長いし、必ず水が凍る時期が来る。
燃料になる森林も木造住宅も完全に焼いておけば、水道も井戸も破壊して焼き払っているので、寒さをしのぐ家もなく、食糧が調達できない上に、氷を融かして水を飲むこともできなくなる。

焦土作戦って、日本でやってもあんまり意味がなくって、まさにロシアのためにあるような作戦なんですね。

渡辺淳一さんが「南の国の人が北に憧れるなんてもんじゃない。北の人が南の国に憧れる気持ちの強さは。」

っていうけど、ど根性で、一時はアラスカまで領土を広げ、不凍港を求め、南に南に進出し、オスマントルコと戦って、フィンランドやスウェーデンに因縁つけて、アヘン戦争などで弱ってるときに、ウラジオストクの辺りを中国からせこくかすめとるあつかましい根性。
わかる気がする。

フローレンス・ナイチンゲールってイギリスの裕福な家に生まれ育ちながら、慈善訪問先での貧しい農民の暮らしを見て、看護婦を志すようになり、1854年、34歳のときにイギリスが参戦を決めたクリミア戦争で、自ら志願して30数名の看護婦を率い、戦地の病院の看護責任者となり、敵味方の区別なく治療、看護したことで有名だけど
このときの敵が黒海に出口を求めて、オスマントルコに因縁つけたロシアで、味方がオスマントルコがやられると自分とこの権益がやばいと警戒して軍を派遣したイギリス、フランス。

ナイチンゲールは夜回りする姿からの「ランプの貴婦人」、「白衣の天使」などと呼ばれることを喜ばなかったらしい。
「天使とは、美しい花を撒き散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である。」と言ったそうな。

ナイチンゲールは哲学と統計を重視した人だそうです。

また、後の赤十字設立に大きな影響を与えたが、自身は、ボランティアによる救護団体の常時組織設立に猛反対したそうです。

マザーテレサも同じようなことを言ってるが、「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない。」という、現代でも言われてることを見抜いてご発言なさってます。

「自己犠牲の精神もいるが、経済的な裏づけのないことは無力だ。」という考えがあったからだろうと言われています。


ナイチンゲールネタは、すぐに簡単に書けて、身近に思えそうなことが他にもいっぱいあるなあ。


たみ家が、勉強のことが大事で、「何が役に立つとか立たん」とか言ったらいかんと言うのは。

ナイチンゲールは、ギリシャ哲学や歴史や何ヶ国語も学ぶなど、広い範囲の教育を受けて育っていたから、そういう志しができたり、ナイチンゲールの活動を快く思わない現地軍関係者と渡り合ったり、フランス人やロシア人などの患者と話したり、軍の病院の問題点を見抜いて全体の改善を施したり、統計を駆使した報告書を英本国に送ったり、その後、近代病院のモデルとなるような病院施設のあり方をまとめたりできたわけです。
看護婦が看護だけ勉強して、いくら自己犠牲の気持ちが強くてもどうなったわけでもないんです。
そもそも、それだけなら、34歳の彼女についていって、激戦で伝染病が蔓延するクリミアに他の人がいったでしょうか?責任者になれたでしょうか?

だから、市議会議員の海外派遣廃止を唱える人にも断固、断固、断固、断固、断断断固反対なんです。

彼女の教育は裕福な生家が負担したんです。
そういう人だけが、立派な人になる途にアクセスでき、そうでない人はその途に遠く、またその途の価値にも気づかせてもらえない。
それじゃあだめなんです。
  

Posted by たみ家 at 18:48Comments(0)