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Posted by あしたさぬき.JP at

恐怖の100円ショップ 誰からむしってるか?

2009年04月29日

日本には100円ショップなるものがある。

アメリカにも1ドルショップって似たようなのがあって、日本のよりも安かったような覚えがある。

同じことやってても製造した国の工場の賃金なんか、時給100円や200円ぐらいのもんだろうなあ。
年収が10万円程度とかよく聞くから。

今の香川県の最低賃金は時給660円ぐらいか、しかし、時給660円だとまともに暮らせるわけがない。
しかし、生活保護など富の再配分の制度もいろいろある。

資本の理屈や階級闘争的な言い方をすると
日本の権力者やおぜにさん持ちが「恩恵で」おぜにさんを庶民に回して「あげて」いるんです。

「いや、庶民が働いてるから、資本家が金持ちになれるんだ。資本家だけの力で彼らが栄えてるわけじゃないからもらって当然だ。」というのは当たらないところもある。

資本の理屈に国境はないので、安くできるものは、全部海外から人を引っ張ってくるなり、海外に生産の拠点を移したらいいとも資本家側からはいえる。
日本かどうか、日本人かどうかなんか関係がない。

じゃあ、何で、恩恵で庶民におぜにさんを回して、単純労働者の賃金を100円とかで雇わないのか?

それじゃあ、国内市場が育たないから。
そして、政治とか支配を固める基盤は資本の理屈と違って、多くは国民国家単位だから、庶民が困りすぎるとクーデターとか起こって、支配が危うくなるし、そうなると、権力者と結びついてる資本家も困っちゃう。

だから、最低賃金や入国管理や福祉の諸制度で、先進国の庶民はある程度守られている。

もし、これらがなくなったら、日本人も単純労働者は時給100円にされかねん。
年収10万円の国や地域の賃金と比較されてしまう。

100円ショップで雑貨などの物がそうなってるように、国民国家という枠で法制度で守るものがなければ、単純労働者の賃金も100円ショップで並べられてしまう。
それが、昨今の格差社会の話で、法制度でさすがに時給100円にはならないけど、800円とか100円の桁が香川でも単純労働者の相場としてある。

そして、たみ家なんかも、文章を書くときは多少頭使うけど、職業の方は単純労働なので、経営者だから、月400時間を軽く超えて働くが、時給1000円の桁にいかない。
つまり、うちのパートと同等か以下です。
まあ、3食店のものを食べて、財布から500円も店のこと以外で出さない日も多いので、もし月400時間で時給1000円換算になったら、年収800万のサラリーマン以上におぜにさんは残るかもしれませんが、労働生産性として時給で比較すると、年収800万のサラリーマンは退職金積立とか考えたら、時給4000円以上でしょう。

もう、労働生産性に4倍の差がついてるわけです。
また、自然に倹約になるから、おぜにさんは残りますが、絶対的な収入は少ないので、強い競合店ができたり、家族の介護とか、子が進学とかあったらヤバイ。

つまり、単純労働者は、経営してようが使われてようが、時給100円ではないけど、100円の桁ショップに並ぶようになるわけです。
知的労働するか、大企業の正社員になるか、公務員にならないと、香川だとよほどキツイ肉体労働や深夜でないと1000円の桁に乗らないでしょう。
職人も、知的労働もこなせないと、あぶれてくるようになるでしょう。
ごく少数の例外はいろんな分野にあるのはあるでしょうが。

まあ、それでも、時給100円ってことにならないのは、資本家や権力者が、庶民キレさせたら自分の立場が危ないので、おぜにさんを庶民に回してるからなんですが、この原資は何か?

資本家が海外の被支配階級である庶民からむしってるのを日本の庶民に回してるってことです。

だから、日本の庶民が努力しなくても基本的人権の保障として、それなりの暮らしをしているとしたら、それは貧困国の庶民から取ったものが回っているといえるでしょう。

貧困国で、飢餓や内戦が起こったときに、それは何億人以上の人が関わる何層にも関係の段階があるブラックボックスの中でシャッフルされるからわからんだけで、何十億分の一とかいう関係で、日本の庶民、つまりたみ家も関わっているといえるでしょう。
日本の庶民にそういう自覚は必要でしょう。
それは道義的な話でなく、実践的な話として。
この自覚が庶民にないと、政治は機能しない。

ただ、自分が幸せになって、家族を守るってだけの話では、そういう自覚はむしろ短期的には邪魔なんです。
これがタチが悪い。
徴兵制でもできて、自分の子が、戦地に行くって段階になって、はじめて自覚が出るから困るんです。
それじゃあ、遅い。
けど、歴史的にそうなってるよなあ。

共産党が、最低賃金を1000円にとか言ってますが、たこ焼き「てつお」が時給800円計算で考えても、身体の酷使から、企業的経営への脱皮が難しいのに、1000円になったら、ほとんどの個人飲食店はよほど値上しないと、みんなパート辞めさせないといけなくなりますよ。
うちだって、値上ができずに時給が1000円になったら、営業やめようかとちょっとは思うなあ。
まあ、全国で値上が起こるし、うちだけじゃないから、壊滅的な影響は出ないかもしれないし、やめる店が増えたら、がんばってたらいい方に出るかもしれませんが。

輸入品などで時給100円みたいな世界の労働力がたくさん日本に入ってるのに、単純労働で時給1000円以上なんて、これまで以上に、海外の貧民から搾取しないと、日本の経済回らなくなりますよ。

そして、時給1000円の原資は、どれだけ海外の貧民から搾取したかで決まるようになる。
まあ、それだけじゃあないけど、製品を安く仕入れたり、海外の安い労働力の恩恵を大きく被ってるところがより有利になる。

たみ家ももちろん、貧困国の民からむしって生きているんですが、大きい企業の方がむしる力は大きいに決まってるじゃないですか。
むしる力が弱い零細にまで1000円枠を広げられても困る。
かといって、時給1000円でもいい暮らしはできんからまた困る。

これが政治や日本の庶民が悩むところだと思う。

政治がそれなりにやるとしても、単純労働では、自分が100円ショップに並ぶ。
これが資本の理屈で、勉強せんと100円ショップに並ぶようになるってのが、厳しいお話。

「学歴」じゃなくて、「勉強」の話です。
人と会って、関心を広げることももちろん勉強です。

ベルトコンベアで大量生産から、成熟社会に向かい、少量多品種で流行りが短くなるってことは、各現場で開発や改良や調整の知恵を持たないといかんってことになる。
ハイテク製品でさえ、製造組み立て自体は、貧しい国に移った今、日本人は何をすべきかって話も大事だ。

そして、それは、金銭的に海外でパソコン組み立ててるよりも価値のある仕事じゃないとダメってことですよ。

この理屈からいうと、ベルマークとか、使用済み古切手集めとか、割箸のリサイクルとか、プルトップ集めなんてのは、貧困国の民からの更なる搾取の延長ってことになるような気がするわけです。
もし、そうでないなら、よほどの教育効果が付随してないといかんような気がする。
  

Posted by たみ家 at 12:25Comments(2)

五教科の関係

2009年04月29日

思考のトレーニングとして、スポーツのように、柔軟性、スピード、スタミナ、正確さ、強さなどを身につけるもの。
これは、国語、英語、数学、理科、社会どの教科にもその要素がある。

世の中が何であるか、自然においては、理科で、人間のやることについては社会科で知ること。

コミュニケーションとして、日常のことは国語で、世界中に広がりのあることについては英語で、自然界の法則や量的関係や空間関係などにおいては数学で。
少数間で行われることはパーソナルコミュニケーションとして、マスメディアが関わることについては、マスコミュニケーションとして。

みたいな感じで

トレーニング、コンテンツ、コミュニケーション
これが五教科を伝統的な縦割りでなく、有機的に機能面から見たとらえ方でないでしょうか?

五教科の勉強をしてるとき、これは国語だとか、理科だとか思わずに
「トレーニングだ。コンテンツだ。コミュニケーションだ。」または、その複数を同時にとか、思ってみてはどうでしょうか?

SVOCとか「こ・き・く・くる~」とかは、スクワットや腕立てに近い意味があって地味なもんでしょう。
数学なんかには、ストレッチとして、関節の可動域を広げるような役割りもあるかもしれません。

スポーツにおいて、右投げだから、左腕は鍛えないとか、投げるのは腕しか使ってないから腹筋はいらないとか、試合では100球しか投げないから、100球以上は投げないとか、「打って、三振とったらええんや。チームプレーとかサインとか作戦なんかいらんよ。」と言えないように。

国語、算数、英語、理科、社会も、そういう関係だと思うんです。

世の中のことを考えたり、活躍するのに、何がいらないとか、何が関係ないとか、あるはずないんです。

確かに、低いレベルの野球で、素人相手だと、作戦なしでも、疲れずにスタミナとか関係なしで外野は寝てても勝てますが、おおよそどんな分野でも、社会で行われることは、コンテンツとコミュニケーションと、思考のトレーニングの裏づけが、レベルが上がるにつれて必要になると思うんです。

スポーツではもうかなり研究が進んでいるのにね。

勉強も
全部がつながっていて、全部が役に立つに決まってるんです。

短距離走の選手が上半身の筋肉量が多いのは誰でも知ってます。
競輪選手に最も必要な体力数値の3つ目までにはベンチプレスの数字が出てきます。

この程度のことさえ、勉強においてはほとんどの人がわかってないような気がする。
たみ家も、30歳をかなり過ぎて、この辺りの境地に来たような気がするので、大したことはないんですが。

ただ、階級闘争的な言い方でいうと、支配階級に属するような人に聞いてみたら
「はあ?勉強が大事なんか、10歳になったらわかれよ。俺は6歳でわかったよ。それがわからんヤツとわかるヤツではレベルが違い過ぎるんだよ。世の中で第一線で活躍したり、一流といわれる人は、ほとんど6歳ぐらいでわかってる。」
ウソかホントかわからんけど、こういう答えが返ってきたこともあります。

確かに、歌舞伎役者とか家元とかいわれる世界ではそういうのありそうだ。
それが、政治や財界の世界でもあっても不思議ではないかもしれない。


勉強においては、「走るのは脚でやるんやから、上半身の筋肉はいらん。」レベルのことをものすごくたくさんの人が言います。

「外国の言葉よりも日本語が大事だ。」
なんて、論点が外れ過ぎてる。
未だに、「短距離走るのは脚でやるから、上半身の筋肉はいらない。」と言ってるようなもので、そんな幼稚な考えが、教育論争に未だ根強くまかり通るってことは、これから、貧困や環境問題など様々なことに取り組んでいかなければならない国の進路にどっかりと障害物を置くようなもの。

英語の勉強は、言葉の勉強というよりは脳のトレーニングの意味が大きいと思う。
・他の回路で複線的に考える力。
・細部がわからんままでも大枠で理解して前に進む力。
・未知のものに自然に取り付ける力。
・情報のアンテナを世界中に向ける感度。
ほかにもいろいろあるけど、英語って、言葉を使うか使わないかよりもほとんどの国民にとって、こっちが大事。

昔、司法試験が400人合格時代は、四国の大学からは、何年にも渡って1人も合格者が出てませんでした。
私大だと司法試験に特化したカリキュラムのとこも多いかもしれなせんが、国立ではそういうところはあまりなかったと思う。
田舎にはいい司法試験向けの予備校みたいなのがなかったというのもあるでしょう。

そして、国立においては、数学が二次試験にあるところになると、急に合格者が出てくるんです。
司法試験に直接的に見た感じでは数学関係ないんです。

確かに、法学部で数学を二次に要求するところは難関大学が多いのでもともとレベルが高いとも言える。
しかし、法律の勉強について、大学でまじめにやって追いつけないような差をそこに求めるのは難しいと思う。

・文系でも、文系に一般的な苦手分野がやれるバランスや論理的明晰さや頭脳強度
・もともと、苦手から逃げる感覚が少ないこと。

「理数ができないから文系になった」ってのと、そこでレベルが違ってくるのだと思いました。

「何々は役に立つけど、何々は役に立たないって、学生時代にいうと、絶対に、レベルが上がらんと思う。」

仮に、それで受験は通り抜けて、難関大学に合格して、高給取りになれたとしても、世の中でそれを役に立てられる人になれないと思う。

そうして、支配階級の間だけで補完しあって、自己保身に走り、庶民の暮らしの中にある問題に取り組んだり、良くしていこうと考えられない人になる。

それは、今の政治家、公務員、財界人に共通して流れる病理につながっている。

ロシア革命なんかも、そういうことで、共産党官僚による独裁的搾取につながっていったと思える。

で、逆に言うと、被支配階級である労働者とか庶民側にこの手の自覚がないと簡単に独裁や恐怖政治を許してしまうってのもある。
最近、歴史のことを軽く探ってると、そういうことを感じるなあ。
  

Posted by たみ家 at 10:48Comments(0)

スイスとロッテンマイヤーさん 3

2009年04月29日

ガキのころは

いきなり自分の都合でハイジを山に連れて来て、おんじに預け、そして、突然、おんじやペーターから引き離してフランクフルトに連れて行くデーテおばさんを悪者に思ったような記憶がおぼろげにある。

ロッテンマイヤーさんなんか悪もいいところだと思ったけど

今思うと、ペーターやおんじよりも、デーテおばさんやロッテンマイヤー様の方がよっぽど善良だったような気がする。
ペーターなんか、原作では、ハイジがクララにかかりきりで、かまってもらえんので、嫉妬に燃えて、クララの車椅子を谷に突き落としとるし。
未遂じゃなくて既遂でっせ。
周囲を見回して、人のいないことを確認したうえでだしなあ。
ハイジの5歳上、クララよりも1歳上で、これはどういうことでしょう。

それにしても、ハイジはキリスト教賛美の物語だから、おんじは悪者で、ハイジはおばかじゃないとまずいんでしょうね。
札付きの悪で殺人犯で、誰からも疎まれたような人でも、神に祈れば救われる。
そして、親が早くなくなっても、信仰によって、勉強に励めば、本が読めるようになり、おんじの心を動かせるような人間になれると、徹底したキリスト教賛美が流れてるお話。
だから、広まったといもいえるかなあ?


ロッテンマイヤー様も責任持って、身体の弱いクララお嬢さんのお友達を探してるんだから、字も読めず粗野な子が来たら、何とかしないといかんと思って当然でしょう。
クララが気に入ったので、無理に追い出しもせず、期待した役割にふさわしいように勉強させようとしたのは、ああ、頑固で神経質なとこはあるけど、善良で責任感のある人だなあ。
さすがに、執事として、フランクフルトの名家ゼーゼマン家を取り仕切る役目をおおせつかってるだけのことはあるなあ。

デーテおばさんも、22歳の独身で、なくなった姉の子を預かって育て、一緒にいた祖母がなくなった後も、都会で働き続けるためにやむなく、人を殺したこともあると疎まれていたおんじのとこに預けざるを得ない辛さがあった。
そして、ただ厄介払いができたというなら、おんじに預けて済む事なのに、字も読めないハイジの将来や教育のためになると思って、フランクフルトの名家に預けようとし、ロッテンマイヤー様に「あなたの姪なら、大丈夫でしょう。」と29歳にして信頼されるまでになっているのだから、大したもの。

ガキ時代に悪者に見えた二人

悩みの中、責任感と善良さをもって、ほぼ最善の行為を尽くした人に、今は思えたりする。
デーテおばさんは、報酬としてゼーゼマン家から、おぜにさんもらった?
それが目的だった?
とか、うがって見ようと思ったら、見れんこともないと思うけど。

それにしても、当事は、フランクフルトとアルムって同じ国だったの?
いや、それはないな。
そんなに異国間で通行の自由があったのだろうか?

なんか、国際的移動をしてるようには見えなかったけど。
  

Posted by たみ家 at 00:15Comments(0)

スイスとロッテンマイヤーさん 2

2009年04月28日

スイスで有名な企業といえば、昔はネッスルといっていたネスレ
あと、タミフルの製造販売特許を2016年まで持ってるロシュ

ネスレ創業がハイジの生年の14年前の1866年、ロシュ創業が16年後で1896年。

日本一豊かな県といわれる富山も薬売りで有名。
頭がいい人がいて、水が良くないと薬はつくれんでなあ。

ネスレは、世界最大の食品企業で、売上は年10兆円規模。
マクドナルドは、日本で世界の15%ぐらいはいってますが、ネスレの日本での売上は世界の40分の1でもかなりの存在感。

アンリ・ネスレという薬剤師が、母乳でも従来の母乳代替品でも育たない新生児のためにとベビーフードを開発した。
早産児の命を救ったこの製品の価値がすぐに知れ渡り、瞬く間にヨーロッパ中で販売されるようになった。
これが、巨大企業ネスレの起こりだそうです。

第一次世界大戦時に、公共の受注が爆発的に増え、企業規模を拡大し、戦後は受注が減ったが、チョコレートを第二の事業の柱として迅速に育てることに成功した。
日本では、かつて不二家で販売してたキットカットを扱ってます。

たみ家は、こどもさんの将来の夢とかで、花屋さんとか多いのは、けっこうですが、友達や弟や妹が熱を出したときに、「風邪や熱で苦しまない薬やすぐに治る薬をつくる科学者になってやる。」とかいう人が増えてほしいです。

スイスで穀物が不足しだして、傭兵が増えだした頃の人口は約80万人、九州ほどの広さのほとんど山しかないところに、今は800万人弱。
食えなくて戦争に出稼ぎに行った時代の10倍人がいるってことは、農業の革新と輸出産業の活躍がないとどうにもならんでしょう。
身体動かす仕事では、よほど強い内需を産みだし続ける力が国にないと、どうにもならん。
そして、日本では、内需の源泉が輸出産業ってことに行き着く。

子どもには身体動かす仕事しか目につかんと言っても、小学校1年にもなったら、鉄腕アトムがわかるんだから、科学者とかも言ってもらいたいで。
「うどん屋さんになる。」よりは、「タイムマシンやドラえもんをつくってやる。」ぐらい言ってほしいね。

アンリ・ネスレになってもらいたい。

たみ家が、工学部に行きたいとか高いレベルで学問をやり直したいと思ったりするのは、もうこの歳だし、「ええ加減にせい!」って感じだけど、まどろっこしいから、今からでも「俺がアンリ・ネスレになって、目の黒いうちに世の中の問題を、2つ3つ片付けてやるよ。」とでも言いたいからってのはある。
そうすると、圧倒的に頭の馬力が足らんなあと思う。
もし、今の程度の頭でやるなら、明確なビジョンと人をつなぐ徳・コミュニケーションスキルと鉄の意志が全部揃わんといかんような気がするね。

って、ことでトーンダウンするわけです。

で、トーンダウンしつつ、目標レベルをもうちょっと現実的なところに落としながら、徳やコミュニケーションスキルや自分よりも選択肢を持ってる人の気持ちに働きかけつつ、共鳴するものを探っているというところなのかなあ。
  

Posted by たみ家 at 23:38Comments(0)

スイスとロッテンマイヤーさん 1

2009年04月28日

会員制居酒屋「てつお」にはPSYさんから寄贈された品があります。
お早いうちは、いいことがあるかも。

さて、幼少時代、アルプスの少女ハイジで、「執事のロッテンマイヤーさん」って出てきました。
「執事」って言葉を知らないし、風貌で「羊のロッテンマイヤー」さんだと思ってました。
これは、たみ家だけではないと思う。。。。。

ハイジの生年は1880年

テレビの「トリビアの泉」でも出てましたが、ハイジの祖父、アルムのおんじは、傭兵時代にナポリ方面で、ケンカで人を殴り殺して、刑を恐れて隊から逃走して、逃走中に子を作った。
それがハイジの父とされてます。

若い時代に札付きの悪で、富裕だった家をつぶすほどバクチなどに明け暮れ、それがもとで父母は死に、傭兵になった後にできた妻も若くしてなくなり、息子であるハイジの父も若くして事故でなくなり、ハイジの母も後を追うように高熱でなくなりました。
ハイジの父母の死は、ハイジ1歳のときでした。

「身内が次々と早死にするのはお前がろくでなしだから」と村の人は責めるし、身内が早死にすることで神をも恨むようになり、おんじは山の上で人と離れて暮らすようになった。


スイスは放牧しての酪農が主な農業でしたが、山がちなので、穀物はあまりとれませんでした。
1500年ぐらいまでは、黒死病=ペストが蔓延してたので、人口は増えませんでしたが、それが落ち着いて来ると、山岳地帯のことだし、若い男女、他に楽しいことがなかったのか、人口がどんどん増えていきました。

もう、豊作でも穀物が足りません。
今の日本みたいなもんです。

ハイテク製品を輸出する代わりといっても、当時のスイスは貧困で産業がありませんでした。
そこで、政府は、傭兵として、軍需サービスを国策として輸出することにしました。

スイス男は山岳で足腰が鍛えられているので強く、ヨーロッパ中で戦い「血の輸出」と言われました。

いろんなとこに傭兵に行くと、スイス人同士が敵味方として前線で戦うこともあったと言われています。

こんな世情で、戦地に出た人が自分の資産を管理してもらったり、給料を家族に送ってもらったり、個人向け金融機関が必要になったので、スイスの銀行は発達したといわれ、後にフランス革命でフランス革命政府から返せといわれた王侯貴族の財産を守るなどしたので、世界的に信用が知れ渡るようになったので、ルパン三世もゴルゴ13も御用達となったとさ。
クレディ・スイスやUBSなんかが、日本では有名なんでしょうか?

食えないと、国を挙げて他国の戦争に行くしか出稼ぎがなく、戦地で夫や父を失ったり、妻子を国に残して他国の戦争のために自国民同士で殺しあうこともあったというと、後に勤勉に産業を興し富裕な国の代表とされるまでになり、1815年のウィーン会議から200年近くにわたって永世中立を保ち、2002年に国連に加盟するときも揺れに揺れたことが、しみじみと感じられてくるよなあ。
  

Posted by たみ家 at 05:58Comments(0)

歴史の問題じゃないよ。

2009年04月26日

こういうことは、環境問題で森林に言及する人は、概要程度を知っていると意見が安定すると思う。

これも某大学の地理の入試問題解説から

日本の林業について

第二次世界大戦(太平洋戦争)中、アメリカ合衆国から石炭の供給がストップされたため、日本は軍需用として大量の木材を伐採した。
そのため、第二次世界大戦後、スギなどの植林を行った。
1960年代の高度経済成長期には木材建築の住宅需要が高まったが、国内の森林は若木が多く、国産材だけでは需要が追いつかないため、1963年に木材の輸入自由化に踏み切り、1960年代後半以降外材依存度が大幅に上昇した。
さらに、1985年のプラザ合意に伴う円高の進行によって、外国産材の木材価格は相対的に低下し、国内林業の採算性はさらに悪化して、良質で安価な外国産材の割合がさらに高まった。
そのため、新たな植林が減少するとともに、林齢が高い人工林の伐採も減少した。


どうですか?
これは地理の問題ですが、歴史の問題でもあるでしょう。
歴史とか地理って区別は、たみ家はナンセンスだと思います。
まあ、区別はあるにしても、一体的に理解するものだということがわかると思います。

1963年は、東京オリンピックや東海道新幹線開通の前の年だし、アメリカの貿易赤字解消のため、円高ドル安への協調介入に合意した1985年9月22日中曽根内閣時のプラザ合意は、日本の輸出産業に不利に働いたが、物はすごく安く買えるようになり、円高のための低金利政策が、バブル経済を誘発したともよくいわれます。

アメリカで日本車を壊すパフォーマンスやNTTへの民営化、「ジュリアナ東京」での乱舞、100円ショップの出現、1万円以下のスーツなど人件費以外の物価が極端なまでに安くなっていくなど、あの日あの時あの場所での光景がすべて、日本のお山の様子を考える材料になる。
ちなみに、プラザ合意のときは、1ドル235円ぐらいでしたから、輸入品が安くなるのはわかるでしょう。

ってことは当然、国内で物をつくる人がどれほど知識や知恵を動員して付加価値つけていいものつくらないといけなくなったかは、自明でしょう。
額に汗して身体を一生懸命動かしてるだけで、そこに知識や知恵を結びつけずにいるのでは、どうにもならんことが導かれるでしょう。


歴史と地理が違うものだと思っている限り、たぶん社会のことはわからないでしょう。


歴史  家での出来事。
地理  家の間取りや動産の位置やその用途。

対応として同じことなんです。
家の中の出来事って、家の中に何があるかわからんとどうしょうもないでしょう。

「私は昨日リビングでテレビを見た」が「歴史」なら
リビングの場所や役割やテレビの位置や「テレビ」という道具の名前なんかが「地理」の問題とされるんでしょう。

もし、家族が多くて、テレビのチャンネル権争いがあるとすると、あぶれた人は別のテレビで見るとか、他の部屋にテレビがあるとか、それは歴史の問題でもあれば、地理の問題でもある。

もし、画面がいくつにも分割されて同時に多チャンネルの番組が見れるようになったのなら、それは技術革新による歴史的課題の解消でもあれば、人が集まったときにチャンネル争いの結果としての人の移動がなくなったり、その他のテレビがあまり見られなくなるなどは地理の問題ともいえる。

○○は好きだけど、△△は嫌いって、教科についていう人は、たいてい意味がわかってないんです。

たみ家にもそういうところはありますが、わかってないところでそういうことを言ってると思います。
難しいとか適不適じゃなくて、その分野の1+1=2も知らないで、嫌いとか向かないと言ってることも少なからずあると思います。
  

Posted by たみ家 at 17:15Comments(0)

人気ブロガーの必需品でアジアでしか生産してないものは?

2009年04月26日

某大学の地理の受験問題の解説から

デジタルカメラって、2002年、世界中の生産100%アジアだそうです。
ってことは、北米、中南米、ヨーロッパには一軒も稼働している工場がなかったってことです。
今でもそうかは不明ですが、欧米がアジアに拠点を移した理由が人件費の問題だから、たぶん、状況はそう変わらないでしょう。

もちろん、アメリカやヨーロッパの会社のブランドもあると思いますが、生産拠点はすべてアジアってことです。

ハードディスクも世界中の約99%がアジア生産だそうです。
  

Posted by たみ家 at 16:32Comments(0)

今日のいろいろ

2009年04月23日

今日の話題は、あの人の逮捕だろうが

たみ家は、減反見直しでの試算でいきたい。

これがほんとなら、日本の米作は壊滅かと素人感覚で思ったなあ。


ここんとこ、沼津の源さん、MOONさん、ペガサスさんと来られて、いろいろと見識の深まるお話をいただきました。

これは、うどん屋やってることの一番いいことの一つだなあ。
いや、これが単独一番かな?
う~ん微妙。


前記事の補足なんですが、

讃岐うどん屋に向いてる人のタイプに「体力のある人」ってのはないのか?

これは、当然なんですが、精神の体力もいるなあと思う。
あえて、精神力でなく、精神の体力と書いてます。

この方が有限感や消耗感が量的に表現しやすいと思うから。

恐怖とか細かさとか批判ってのは、前向きな力なんだけど、精神の体力が無限とはいえないってのが大きい。
とくにモチベーションに隔たりのある多数の人が集まってる場合だとなおさら。

人を誤らせることもある。
前向きな力ってのは間違いないんだな。

ところが、事業でも何でも意味のあることは、走るんが長距離のことが多いからなあ。

だから、マラソンの途中で、興奮して、200mダッシュしちゃあいけないって話もある。

前に進むゲームだからといって、前向きな推進力も誤らずに使うには、使う側の度量というか力量がいることも往々にしてある。

たみ家は
①自分がこれがあったから上手くいった部分。これがあれば上手くいったのにと悔やむところ。
②周囲でこういう人はこうなってる。
③世間や書籍などで広くそう言われている。
④頭で考えて理屈でそれが納得できる。

この4つを突き合わせて、こう思うってのを書いてることが多い。
前記事の讃岐うどん開業に向いてるタイプの話は、これの結果です。


さて、なぜおぜにさんは高いところに流れるか?
これも実例

たこ焼きは「てつお」、月に数万円キャッシュプラス出てます。
現時点でこれならまあまあともいえるし、休みなしで身体酷使して、これじゃあ話にならんだろうという見方もある。

人を使ったらどうか、これは仮にいい人が来たとしても

数万円プラスがいっぺんに数万円マイナスに転じます。

この数万円が株とか投資話だと考えてください。

たみ家にとって、たこ焼きのプラス数万円が完全に余剰資金とは言えない。
まあ、そう仮にそう言ったとしても、マイナス数万の赤字が出たら余裕はなくなるだろうなあ。
休みなしで、酷使して、赤字だったらアホみたいやないですか。

たこ焼き「てつお」は、安定していい人が開け続ければ爆発の予感もあるが、必ずそうなるともわからんのに、現時点で数万円のプラスを目をつぶって捨てて、マイナス数万を垂れ流し続ける覚悟がいる。

これが、おぜにさん持ちなら余裕でできる投資なわけです。
もし、10万円以上プラスが出れば、人を入れてもマイナスは出ないでしょうが、築きあげた月プラス10万円を当ても確実とはいえないのに、一度の決断でゼロにしてしまうわけです。
そのうえ、人を入れたら、教えたり、管理したり、言うことも聞かんかもしれんし、辞めるかもしれんしで、大きな小遣いゼロにしたうえ、身体は楽になるかもしれないけど、気苦労だらけになりかねません。
10万円チャラにして、前に進むにゃ、人あしらいも事業のビジョンもしっかりしてないとなかなかできるもんじゃあないと思いませんか?
たこ焼きは素人さんに任せたら、延々焼き続けたのが全部売れて、必死で並んでる人をさばいても1人の人件費がまあ出るかなあという程度です。
それが、雇わんかったら、月10万円以上の小遣いになります。

そういうせめぎ合いを超えていかんと事実上の1人会社も前に進みません。


また、冗談で、ソフトクリームとかついでにやったらどう?
と言われたが

これもソフトクリームの機械が150万円ぐらいするし、掃除する人や売る人など、運転資金入れたら、お客さんの思いつきのソフトクリームを売るって事について、初年度300~500万円はいる。

これが、たくさんすでに雇ってて、儲かってるところの一角でやるなら、機械代だけで済むかもしれない。
つまり、ソフトクリームが儲かるとしても、おぜにさんのない人は、500万円要って、ある人は150万円ちょっとでできてしまう。

儲かってるところは、すでに長期的に雇ってきた信頼できる人もたくさんいる可能性も高いし、儲かってるお客さんがたくさん来るところでやるなら、ソフトクリームは最初から売れるかもしれない。
ところが、それほど売れてないところにソフトクリームを置いたり、ソフトクリームで集客しようとしても無理がある。

株だけでなく、事業も余剰を持ってる人は、より少ない資金で大きな成果を得られるわけです。

おぜにさんは高いところに流れるという例でした。
  

Posted by たみ家 at 18:35Comments(4)

讃岐うどん開業に向いてるタイプ

2009年04月23日

①早起きの人

②細かい人

ほかにもいろいろあるし、これだけだとわかりにくいかもしれませんが
端的に最大を2つ挙げろといわれるとたみ家は、この2つだと思います。

おぜにさん、熱意、味、時間などなどは、相互に影響しあいます。

①と②は、常に、それらすべてに好影響を与えます。

この①、②が両方揃ってないとダメってわけでもないです。
実際に、両方なくても成功してる人はいっぱいいると思います。

明るい人とか、お友達が多いとか、計算が上手とか、味覚のセンスがすばらしいとか、ほかにも向いてるタイプの要素は無数にあって、カバーできないわけではないと思います。
ただ、客観的に量的な判断ができる性質で、最大のものが①と②
毎朝2時に起きるとか、タイマーや材料の計量は、1秒単位、1g単位を絶対に合わせるとか、数値でいえます。

数値で言いにくいことで、もう一つ入れると

③見極めがいい人

だと思います。

これは、この立地でできるか、これは自分に向いてることか/できることか、お客さんが喜びそうか、その喜びは客数増や売上増につながることか
などなど、判断がいいことだと思います。

でもこれは、能力が高い人は開業してもうまくいくって言ってるようなもので、あまり意味がないかもしれない。
そして、この性質の量的な表現も難しい。

①、②、③の関係をもうちょっと上手に表現したいと思いますが、また今度。

①、②は、誰にとっても年間で数百万円単位以上の差になって表れるでしょう。

店って、おぜにさんさえあれば、絶対につぶれないんです。

客数がどうであろうと、売上がどうであろうと、誰にどう評価されようと、おぜにさんがあれば店は絶対につぶさなくてすみます。

早起きと細かいことは常におぜにさんに好影響を与えます。
また、この両方ができるってことは、熱意があろうとなかろうと、熱意がある人と同じ結果が出せます。

全従業員に嫌われるほどねちっこ過ぎるほど細かいってのでもOKだと思います。
まあ、その細かさをより上手に表現できればよりいいんですけどね。

ただ、早起きな人は、従業員に嫌われてもたぶん大丈夫ですが、早起きができない人は従業員に嫌われるほどの細かさは徹底・実行は難しいのではないかと思います。

もちろん、嫌われん方がええんです。
ただ、どこまでねちっこい細かさでも、細かさは、常におぜにんさんにもお客さんにもプラスになります。
そして、それをルールやマニュアルなどで、明快に小言を言わなくても伝えられるようだとなおいいかもしれません。

ロッキーの藤田さんは
一日でもお客が少ない日があれば、恐怖心の塊になるぐらいでないといかんと言ってます。

そんな日があるのは当たり前だと思っていながらも、恐怖心の塊になるのは、たみ家もいいことだと思います。

恐怖心と細かさは、イコール熱意とは言わないけど、イコール熱意に近いと思います。

他人さんにどう表現するかは、別問題として、客数が極端に少ない日が1日でもあったときに恐怖できる人は、何がいかんのだろうと思って、何か行動する。
これが熱意の一形態であって、良い方向、良い変化につながります。

たみ家の経験でも、恐怖と細かさは常に店を良い方向に変えると思います。
恐怖と細かさは、正しい行動を導く。

ただ、恐怖なんてのは、その人の健康や精神状態などに悪影響を与えることもあります。
そのヘンの精神的・肉体的頑健さが必要なことやそれなりのコントロールがいることでもあります。
また、その恐怖に見合った行動は何かってのも見極めがいるでしょう。

それらと恐怖が正しい行動を導く必要なものというのは別物です。

また、楽観的なことがいいってのと、恐怖がすばらしいってのは両立します。
例えば、言い方として、「深刻だけど、克服できる。」って言うように。
  

Posted by たみ家 at 07:29Comments(0)

驚くべき豪華キャスト

2009年04月22日

すみません。
実は、マイレオニー ニュースレターvol.3
やっと開けました。

市役所や税務署からの封筒も長いこと開けてないことが多いんで、よくあることなんですが。

たみ家、ほんとに俳優の顔知らんわ。

原田美枝子さんも、吉行和子さんも顔はよくわかってませんでしたが、超有名なことは知ってます。

よく知りませんが、日本の美熟女の頂点の辺りの方々なんでしょうか?

原田美枝子さんのお顔を知ったのは今日が初めてなんですが。。。津田梅子さんの役なんですね。
たみ家的には、The好み って感じです。

実は、こんな超有名スターがたくさん出られる映画だとは理解してませんでした。

これは、自由席さんにもらいに行かないと。



エミリー・モーティマーさんも有名なのね。

と思ったら、「ノッティングヒルの恋人」ぐらいは、映画のことをほとんど知らないたみ家も知ってました。

たみ家は、アーノルドなんとか、シルベスタなんとか、トム・クルーズぐらいならわかるけど、キアヌ・リーブスになると、名前は知ってるし見たことはあるけど、わからなくなるレベルです。

ハリソン・フォードでも、危ないなあ。

中村獅童が「無責任なのに、それでも惹かれてしまう男」って、地だったりするんでしょうか。
  

Posted by たみ家 at 07:30Comments(2)

主婦の方が魚を買う曜日

2009年04月21日

日経流通新聞3月25日号によると

主婦が魚を買うのは、生ゴミの回収の前日が多いと書いてあった。

確かに、魚の生ゴミは何日も家に置いておきたくないよなあ。

そこまで書いてなかったけど、夏場ほどその傾向は顕著になると推理もできそうですね。

高松市でも地区ごとに回収の曜日が違ったりしますが、地区ごとのスーパーでそういう傾向って出てますかねえ。

また、スーパーや魚屋さんもそういう意識は持って売ってるんですかねえ。

たみ家が知らなかっただけで、そういう風に行動してそうな人は多そう。

売り手と買い手のリアルな意見を聞いてみたいなあ。

素材の宝庫、流通新聞ネタをしばらく書いてなかったなあ。

日経流通新聞、1Pごとに、おおっと思うネタがあるんで、進まないよ。


※前記事の横道
三歩進んで二歩下がってたら、一日一歩だと「365歩のマーチ」にならんと思ったことについて
歌だから、どっか矛盾が出てもいいやとするとして

1日3歩や5歩動いて、やっと1歩進む成果が得られる。
365歩進むには、見た目の成果の何倍も努力してやっとできる。
3分の演技のために何百時間練習するみたいな。

だから、他人が楽してると思ってうらやましがったりしちゃあいけないよ。
という風に解釈すると、リアリティーあるものの一つにはなるかなあ。
  

Posted by たみ家 at 17:21Comments(4)

いくつか途中になってたこと

2009年04月21日

一日一英は、最近やってないなあ。

一日一英は続けたいけど、優先順位的に中断してる理由は、自分が伝えたいことを伝えることはほぼできるだろうと思えるようになったからかなあ。



「観光でいいのか?」も途中になってたなあ。
民主主義と独裁でどっちがいい判断をするかなんかわからない。
じゃあ、なんで民主主義なんだ。
いくつかあるけど、たみ家が一番重視するのは、自己決定だからってこと。
同じ服でも、AさんがAさんの好みで決めて着るのと、Bさんが国の決定で支給されて着るのでは、まったく意味が違うってこと。

地方分権社会や超高齢化など社会が大きく変わる見込みの中で、自分たちで考えたり、自分を取り巻く関係や舞台を知るのに、自分たちの地域のことに参加するのは意味がありそうだ。
いろいろあるだろうけど1つとしては、そういう文脈でまちづくり観光とか、まちあるき観光はありだと思う。
民主主義の方法論というかプロセスかなあ。


昨日ふと思った。
「一歩後退、二歩前進」はいいね。

横道突っ込みとしては、水前寺清子さんの歌。
「三歩進んで、二歩下がる」だったら、一日一歩だったら、年に73歩か74歩しか進まんのでは?
それか、121~124歩しか進まんのでは?
まあ、そんなときもあるってことか?
2番以降の歌詞にあるように、百日百歩、千日千歩にはならんような。

さらに横道
幼少時代。
チータとピンキーとジュリーが、なんでそう呼ばれるのかナゾだった。
それほど悩む必要もなかったけど、すご~くソフトに疑問ベールはかかり続けていた。
でも、どうでもよくなった。


「一歩後退、二歩前進」はいい。
うまくいかないことがあったときに、気持ちの切り替えをするのに、これっていい。

「うわあ困った。」ってときに、店で1人で疲れてる状態だと、寝込みそうになるときあるからなあ。
0.3歩しか取り戻せそうにないと思うときでも、踏み出そうと思える言葉だなあ。

「プラス志向」って、通り魔に刺されて、「忙しくて疲れてるときに入院して静養できて良かったです。」って言ってるみたいで納得できんことが多い。
死んだ場合は、「いやあ実は人生に疲れてたから。」とか「俺は生きてる価値なかったから。」とか言わんといかんのかい!
「人にはその人が負いきれないような試練はやってこない。」っていう人もいるけど、大きな病気で死ぬ人や交通事故で死ぬ人いっぱいおるやん。
はっきりウソやで。

でも、切り替えんと2歩分進む時間が減ることははっきりしてて、前向きな行動につなげることについてわかりやすくて納得できる。
たいがいは後退そのものは後退やで、「あれは実は前進です」ってのはたいがいウソやろ。
  

Posted by たみ家 at 07:23Comments(0)

マイ箸は侮れんよ。

2009年04月20日

たみ家は、これまでマイ箸のことをかなり批判的に書いてますね。

これは、商売人のクセにマインカンプ(前記事読んでないとわからん方もいらっしゃいますか 「我が闘争」です。)ですね。

地域社会を取り巻く諸問題について真実を究明して、実のある処方を提案し、発信することに人生の最大級の重きを置いてるから、それはそれでええんかもしれんけど、商売人としてはスレイブぶりが足りません。

ある人が言っていた。
「どんなときでも思ってないことをしゃべれ。何の問題もない言葉さえも、とりあえずいっぺん思ってない言葉に変えて言ってみろ。どんなときも思ったことをそのまま言わないようにしてみろ。」と

そういう生き方をしたいかどうかはともかく、その人は、出世コースでないとこから、いつの間にかコースに入って、そこでぐんぐん昇進していった。
マインカンプを捨てて、スレイブになってるよなあ。

確かに、主観的な好き嫌いはともかく、思ってない言葉に変えるってことは、感情的に反射しないってことと、相手のことを一回考えるって作業がいる。
これができる人は、能力的にど真ん中の平均スペックがあれば、よほど高めの世界じゃなければ、たいていは成功するでしょう。
常に、感情をコントロールして、相手のことを慮ってるわけです。
その上、ずっと目的に向かって、自分を律してもいるわけだし。

さて、ブログ内の社会的主張ってのは、かなり純粋にマインカンプを突き詰められる世界の1つだと思います。
これは両刃だわなあ。
いいことも大きいと思うけどねえ。


さて、マイ箸は、環境問題としては、まったくよろしくないと書き続けてます。
そして、マイ箸関係の検索はすごく多いんだけど、誰からも手ごわいと思うような反論を長年にわたって一度も受けたことがありません。

ただ、マイ箸をする人には、立派な人というか、社会的に成功しそうだと思う人が多いような気もする。

立派な人の行いが全体としてはよろしくない方に向かうというのは合成の誤謬っていうのかなあ。
役所の失敗みたいなのも、個々の人を見たら思いのほか優秀で善良で熱心だったりするのに、その人達が集まってトンでもな結果になることがままある。
かなり似たところはあると思う。

ただ、個としてみたときに、たみ家があまり発揮しない強みを発揮して、たみ家よりも社会的に成功しそうだと思う人が多い。
もちろん、そうでない人もいる。

それが、おぜにさんとか大組織の性質ってやつかなあ。

うどん屋やっててはっきり儲かってる人って、だいたい
体力、技能、頭脳、人柄、4つとも揃ってるんです。

だた、どれも欠点があってもいいんです。
動きは速くないけど耐久性はあるとか、怒りっぽいけど人使いは上手いとか、学校の勉強はダメだけど。。。とか、4つが掛け算になってつながってるところがあれば、その他に欠点があってもそう問題じゃない。

全部にいいところがあっても、掛け算になってないとダメです。

マイ箸できる人ってのは、めんどくさがらずに箸毎日洗おうっていうんだから身体はマメに動くで、たぶん。
そういう人は技能も身につけやすいかもしれない。
そして、環境のために何か行動してみようとめんどくさい珍しいことをやってみようという時点で、頭的に優れたところを持ってる人だと思うよ。
そして、そういうわかりやすい行動をとれる人は、人の情に訴えるのもけっこう上手いんじゃないだろうか。
または意図しなくても自然に人の気持ちをキャッチしやすいとか。
たとえば、ちょっとしたメッセージカードを添えてみるとか、例が貧困ですがいろいろ、情に訴えてわかりやすい行動の人は人をつなぎやすいような気は。。。しませんか?

おぜにさんも大組織も、人をつないで掛け算することが、1人の人の冴えよりも大事なことが多い。
たみ家が、社会問題探求の立場でマインカンプしてるから、疑問を呈するけど、個人の生き方の問題としては、マイ箸はそう悪くないと思うし、マイ箸する人は侮れんと思う。
ただ、社会問題探求でマインカンプしてるから、「環境のためにマイ箸」と言われると、「ちょっと待ったあ!」って言うわけです。

マイ箸は、やった方がまだやらないよりもいいということさえない。
環境問題としては、ゼロよりもマイナスでしょう。

ただね。
メッセージカードを出すとか、プレゼントをするとか、包装するとか、全部環境問題としてはゼロよりもマイナスでしょ。

でも、人が生きるってことの中では、それは環境問題うんぬんじゃなくて大切でしょ。
マイ箸もそういう意味で、侮れんと思います。
  

Posted by たみ家 at 00:42Comments(0)

自治会総会 スレイブでいこうよ♪

2009年04月19日

うちの自治会総会は、近隣の県市議会議員の選挙活動と平均65歳超のカラオケ大宴会みたいなものである。

30代たみ家のみ、50代2人、60代以上数十人という会である。

ここで、「大人の歌を歌え」という会長からの軽い圧力がかかった。

いっつも困るんですわ。

「わしらが自然に手拍子できる歌がええのう。」

ここで、とっさにちょっと前に書いた「365歩のマーチ」を思い出した。
前の記事で、間違って「365日」と書いたし、「三歩進んで」を「三歩歩いて」と間違ったように、歌詞は知らないが、たぶん何とかなるだろうと思って、歌ってみたら、自分ではすごくダメだったけど、他人さんからは手拍子とかしやすかった選曲みたいで、ウケていた。

次に、布施明さんの「シクラメンのかほり」と梓みちよさんの「二人でお酒を」とかカラオケの本見ながら挑戦しようかと思ったけど、とても歌えそうになかったので、断念して、加山雄三さんの「君といつまでも」を選曲。
選曲した時点では、平均、70歳超のオーディエンスからいい感じの歓声が上がったが、今度はあまりウケが良くなかった。

75歳の若女将からも「こういう会のときは私らが自然に手拍子できる歌を選びなさい」と、さらに来た。

それにしても「365歩のマーチ」は、歌詞ちょっとしか知らなかったけど、なかなかいい歌詞だと思った。
「しっあわっせの~となりにいっても~ わ~からない日もあるん~だね~♪」

ってのと
「しっあわっせの~とっびらはせっまい だ~からしゃっがんで通るのね~♪」

商売人がしあわせになるためには、頭を下げ続けなさいということと解釈。

もちろん
「しっあわっせは~あっるいてこない~ だ~からあっるいってゆっくんだねえ~♪」
もいい。

作詞 星野「哲」郎だって、松本霊士はん、槙原はんに盗作っていうけど、主人公の名前盗作じゃねえの?


まあ、カラオケの選曲も自己主張はダメよってことか?

昔、書いたかもしれないけど、江川達也さんのマンガで、BE FREEだったか、東京大学物語だったか何かは忘れたけど、「マインカンプ(我が闘争)」というバンドが音楽性を重視して我が道を行ったところ、リーダー兼ボーカルはイケメンだけど、全然売れず苦悩し続けた。
そこで、「スレイブ(奴隷)」というバンド名にしてイケメンぶりをアピールしつつわかりやすい曲を歌って大衆ウケを狙ったら、爆発的にヒットしたという場面があった。

うどん屋をしようという人には、ぜひ、スレイブで行ってもらいたい。

我が闘争をする人は得てして、周りが見えてない=顧客本位じゃない人が多い。

美味しいものをつくろうという人よりも、儲けようという人の方が、経験的に周りが見えてることが多い。
稀な例外の話は聞いてません。

つくるのは1人作業、売るのは相手の合意がいる。

田尾団長も言ってる。
いいものをつくるのは簡単。売る方が難しい。


マインカンプ型の人は、スレイブになろうとしても、マインカンプの方にベクトルが振れやすいから、起きてから寝るまでずっとスレイブになろうとするぐらいでちょうどいいと思う。

だいたい転職でうどん屋になろうという人の多くは、既存の組織のレールに乗ることを拒否しておきながら、自分の好きなようにやって、やりたいことをやって生きていこうっていう甘さを持ってる人が多いんです。
頭を下げ続けられないこと、周りが見えなくなること、自分を変えられないことの中に弱さを持っていることが多いとたみ家は見ている。

マインカンプですでに上手く行ってる人は、それでいいと思う。
それで、結果として、顧客本位になってるんだから。

何にしても、スレイブであろうとするときには、独りよがりであることができない。

これは、自分がマインカンプに走ろうとするときに上手くいかないことが多々あり、スレイブに走った方が上手く行ってる経験と、上手く行ってる人のマインカンプは得てして、スレイブになることに全力をかけたり、スレイブの外観とマインカンプを上手く使い分けるような闘争をしてることが多いという観察の経験と、それができない自分のできる人への羨望みたいなところがあるかな。

水前寺清子さんの歌の歌詞と、歌ったときの長老たちの反応から強引に引っ掛けて書いてみました。
  

Posted by たみ家 at 23:40Comments(0)

人口減少はなぜ悪い?

2009年04月19日

しょうがないかどうかはともかく

要は、資産価値が大幅に下落し、金融機能が低下し、世の中の投資速度が遅くなり、人々の意思実現がうまくいかないから。

だと、たみ家は大雑把に思ってます。

野菜が豊作で倍とれたら、値が半分でなく10分の1になって、畑で大型機械でつくった人自身がつくった野菜をつぶすような話ときどき聞きますよね。

人口が1%減ったら不動産資産は10%以上値減りしてもおかしくないですよね。
そしたら、担保とってる銀行も機能低下しますよね。
年金資産運用も、成長時代の定額給付から、定額拠出の時代になったけど、その資産の運用にも困るよね。

成長社会で、給料も増え続けて、長く勤める前提があるから、現金が出来る前にローンで家も買えるし、車も買える。
それには、土地・家という担保があまり値下がりしないという前提があったというのもある。
もし、現金商売でしか家も車も買えなかったら、住宅・自動車産業と販売やメンテナンス業者その他関連産業、エネルギー関係、金融、保険などなど人口の何割分の仕事がなくなるでしょうかね?

また、55歳過ぎて現金ができて、マイホーム手に入れて、ステップワゴンとかオデッセイとか買って、幸せですか?
また、担保の資産価値が減るので、信用も下がるので、(給料も上がらないのに)金利が上がったら人生たいへんじゃないでしょうか?

何の対策もなく人口1%減を放置したら、かなりの人がまともに生きていけなくならんのかねえ?

中央通に面した兵庫町の地価なんか最盛期の10分の1以下でしょう。
人口が1%減ったら、資産って10%以上、10%減ったら半値以下になることがままある世界だから困るんだよなあ。

「人口が減ったら、環境にいい」っていうけど、間違いとかいうんなじゃなくて、語るべき焦点がボケてるような。
いくつかの新聞などでの寄稿については、あまりのボケぶりに間違いと断定してもいいかも。


たみ家は、人口減少社会の生活スタイルの1つとして、「自給自足」って聞きますが、基本的には、自給自足ほど環境に悪いものはないと思います。
本人の生き方として娯楽としては否定しませんが、「環境にいい」と言われると、何か言いたくなるかもしれません。
あまり環境によろしくないぜいたくな暮らしぶりといってもいいかもしれませんが、たみ家はキャデラックに乗る人を悪いと思わないので、自給自足もその意味で悪く思いません。

ゴミの焼却設備とかも大規模なものをまとめてつくらないと燃焼効率も悪いし、最新の環境にいい設備への計画的な更新もままなりません。
生産のユニットが細切れになることはたいがい環境に悪い。

中国の大気汚染が深刻なのも、日本や韓国だと大規模でやってる製鉄などを、小さい会社がけっこうやってて、効率悪く石炭を燃やして、さらに古い効率の悪い機械を更新できてないからとか、それで西風に乗せてたくさん日本に硫黄化合物とかを運んでくるといいます。

だから、うどん屋がもし環境にいいことをしようとしたら、売上を上げて、自店の効率を高めて、他店を淘汰することじゃないでしょうか?
まあ、うちなんか周囲には3倍以上規模のところが多いから、されるとしたらうちでしょうからあんまり言いたくないんですけどね。
ただ、マイ箸するよりは、同じぐらいの照明代で、倍売れれば、成果倍でもエネルギー変わらずだから、エネルギー使用を半減させたのと同じで、断然上ですよね。
そして、それはちまちま幸せにつながらない作業をするのでなく、自分も家族も従業員もしあわせにできるわけですからねえ。
  

Posted by たみ家 at 09:47Comments(0)

すごく有名なペンネーム

2009年04月18日

農民も含むですが、労働者を中心とした反乱といえば、歴史上最大のものとしてロシア革命は避けて通れない。

ところで
レーニンって、ペンネームで、「レナ川の人」みたいな意味らしいです。
本名はウラジミール・イリイチ・ウリヤノフ

彦根の猫で、ひこにゃんとか

綾川の人で、あややとか

吉野川の人で、ヨッシーノとかとそんなに変わらんような。


これは、ほんとかどうか知らないけどよく聞く話ですが

水前寺清子の「365歩のマーチ」の「1日1歩・・・3歩進んで2歩下がる♪」の歌詞

は、レーニンの名言といわれる「一歩前進、二歩後退」が元ネタだそうです。


レーニン自身は、プロレタリアートというよりは、ええとこの出で、普通でないレベルの秀才で、故郷の学校時代は、全学年を通じて全教科主席譲らず当然総合も主席だったそうです。
ロシアで一番の大学にもトップで合格したそうです。


ペンネームといえば、革命指導者だけに、地下活動時代にペンネームというか偽名は「レーニン」以外に150は使ってたそうです。
出身は、レナ川でなく、ヴォルガ川のほとりの出身のようです。


名言や良い政策も多かったのと、極めて悪評高いスターリンを批判し、失脚させようとがんばったので、レーニンはええ人みたいに言う人も多いようですが

秘密警察を使って、反対勢力を抹殺する命令はたくさん出してたし、共産党幹部としてぜいたくして赤色貴族といわれるような振る舞いは、レーニンが最初にやってきてるようです。
  

Posted by たみ家 at 08:00Comments(0)

農民の反乱(仮) 著 民家鉄男(仮)

2009年04月17日

まったく出版の予定はないし、つい魔が差した状態かもしれませんが

半裸の農民。
じゃなくて
世界の農民の反乱の歴史について本を書いてみたくなった。

風景ウンチク本も書こうと思ったけど、取材がたいへんだし、現在も動いてるものだけど、農民の反乱については、何とか一揆の評価が今からそう変わるわけじゃない。

いや、変わってもいいんです。
大河ドラマが史実をかなり曲げているように、あそこまでは曲げないし、自分がわかる限りは曲げないつもりだけど、農民の反乱について、世の中の人に興味を持ってほしいと思うようになった。


農民の反乱のリーダーって、権力者の戦いと違って野心や私欲の結果じゃないんです。

「年貢や地租を下げてほしい。」

それが通っても、たいていは藩や幕府や王権を倒そうなんてもんでもないし、たいていはリーダーは処刑されることがわかっている。

歴史も歴史の教科書もたいていは権力者の側から書かれているし、学校の歴史教育自体が権力の業。

たみ家は、農民の一揆なんかには、まったく興味を持てなかった。
たみ家は、県立高校受験の社会科はたぶん満点だったと記憶している。
あんまり覚えてないけど、それでもエンクロージャーとか、幕府の改革とか、鎌倉時代の新興仏教とか全然意味わかってなかった。
農民がからむとこは地味なんだよなあ。

戦争や大仏や大きな城ができたのは、子どもでもわかる。

でも、そんなことよりも、農民の歴史こそが、今、私達が暮らしを考えるための歴史だったんだと思う。

そして、農民の一揆のリーダーなんか、生い立ちも権力者のものと違って知れてないし、地味に扱われていることが多い。

しかし、命を失うことがわかっていても、権力者の武力に向かっていって訴えるほどのことって何かあったはずなんだよなあ。

たいてい凶作はあったんだろう。
なのに、税は下がらなかったんだろう。
また、領主以外にも、徴税の代官みたいなのがピンハネしてたりした体制に不満があったりもしたこともあるかも。

凶作ってことは、気候が不順で、冷害か、水害か、干ばつか何かあったんだろう。
栄養状態も悪く、下水道などの衛生設備もなく、伝染病の流行などの影響もあるかもしれない。

そして、それは、農法や農業土木や品種改良や医療の進歩などの必要性に結びつき、何らかの研究や技術によって克服されていることもあるだろう。

そして、農民のリーダーは処刑したけど、またの不満の爆発を避けるために、領主も何らかの施策をほどこしたことも多いだろう。

農民の不満が爆発するまでには、度重なる戦争による政府の財政逼迫や、王族の浪費などの要因があり、栄えた文化は華やかだが、農民の暮らしを踏みつけながらのことだったこともあるかもしれない。

また、財政逼迫だから、政府側も収入を落とせないので、厳しく徴税。

そんな中、食うもんもなく、中には餓死する身内がたくさん出てきたら、そりゃあ鍬や鋤を手に行進するのもわかります。


①当時の庶民の代表たる農民の暮らしや農業が変わることについて、税や技術革新など多くの勉強すべきポイントがからむこと。
②権力者の側から書かれた歴史の中で地味な扱いの名も無き犠牲に、ちょっと光を当ててやりたいと思ったこと。

この2点は、動機として大きい。

当時の飢饉の話とか、見てたら、今でいうと、毎日のように、クラスの友達が1人ずつ餓死したり、クラスの半分ぐらいが、その土地で食べれなくなって死んだか離散したみたいなレベルの記述がけっこうある。
100万人餓死して、100万人が土地を離れたとか。

そんな、中で、立ち上がった人の物語の中から

歴史のみならず科学や数学の勉強の意味を感じてもらったり、人々の国際・国内政治への興味や志を刺激し、熱いヤツらを増やしたいってのはあるなあ。

著者、民家鉄男(仮)がおもしろいスタイルで書けるかはわからないけど、おもしろい内容は書けると思っている。
また、現在の動きをアップデートし続けないといけない話ではないので、書く間がなくても、いつかは書き切れそうだ。

ちょっと魔が差した状態かもしれませんが

世界中の歴史的な農民の反乱については、書く意味があると思うなあ。
かつて、そういうのが出たかどうか知らないけど、蟹工船が流行る時勢だし、資本主義の行き詰まりが言われる時代だけに、庶民からの歴史、そして、そこに至った過程やそういう苦難を克服したり、そこから派生した様々な人類の所業の成果について、読みたい人はたくさんいると思う。
篤姫みたいな誰も聞いたことのないような人のドラマがヒットするんだし、じゅうぶん売れるテーマだとは思う。

農民の苦しみの後、世界中の諸領主はどんな対応したんだろうとか、そういう民の苦しみから、既存の宗教で救われない民のために、宗教はどのように変遷したのか、そういうところにも光を当てたい。
  

Posted by たみ家 at 07:34Comments(0)

覇権 生産 流通 金融

2009年04月15日

たみ家が小学校6年か中1ぐらいのときには「先進国」とか「発展途上国」とか「後進国」って言葉は社会科で出てきたと思う。
そこで、日本もそうだったけど、発展途上国が発展したら先進国になっていくと習ったと思う。

単線的な発展論で、後進国が発展途上から熟して先進国になる。
だから、アフリカや東南アジアの国々もいつかはそうなるかのように先生は授業で言ったような気がする。

で、そうなった?
また、時間をかければそうなりそうな気がします?
しないでしょ。

地球全体を覆う国際的分業体制のもと、資本的に弱い側が、その支配を脱して、先進国になれますか?
たまたま、日本は早く脱したから良かったんだろう。
韓国や台湾も早い部類だから、準先進国って感じにはなってる。
タイやマレーシアもそこそこだけど、時代が遅くなるほど成長しても、そんなに先進国らしくなってないと思いません?
グローバルに隅々まで資本支配関係ができて役割が固定化されたら、自分ががんばれば上に行けるってことにはならなくなったんだと思う。

中東の産油国や、ブリックスのように大きな領土と人口・国内市場を持ってるようなとこは、条件がいいからまだ有望ですが、これは石油や規模など役割を破っていける力を持ってるってことでしょう。
ないところはきつい。
というか、もう無理でしょう。
むちゃくちゃ長い目で世界的な政治統合や資本主義体制の大きな変容を待つしかないのかもしれません。

「後進国は成長して先進国になれる」ってのが一般論とは、夢物語もええとこでしょう。


ウォーラーステインの近代世界システム論って、たみ家が19歳ぐらいのときにはすごく流行ってたと思う。
その頃の大学1、2年の一般教養で、すごく出てきたけど、出席まともにしてないので、意味はわかってなかった。

「ウォーラーステイン」「近代世界システム」「中心」「半辺境」「辺境」の音ぐらいしか、おぼろげに覚えてない。

ただ、今は、かなりわかる。

昔は、各国の歴史が部分で、それの全体が世界史って感じだったけど、世界全体を統合して歴史を見ようという感じかな。

ウォーラーステインは近代に、世界を圧倒した覇権国家として、オランダ、イギリス、アメリカの順で並べてますが
オランダは覇権国家とまでは言えないだろうという指摘もあるようです。

何にしても、覇権は、生産、流通、金融の順で優位が確立され、失われていくときも、この順ですたれていくと言ったそうです。
これは鋭いよなあ。

イギリスが、産業革命で生産力を上げて、安価に調達し、生産・販売できる体制を整えて、東インド会社に代表されるような流通拠点を世界に持ち、ロンドンを世界の金融拠点にしていったように。
そして、生産力で多くの国に追い越され、植民地をほとんど失ってもなお、ロンドンのシティは金融拠点性をいまだに持っているし、アメリカが貿易赤字になってもニューヨークのウォール街は、世界の金融の中心として機能している。

流通で覇権を確立したセブンアイやイオンも販売で優位を確立し、流通網を拡大強化した後には、銀行やクレジット、電子マネーに力を入れるなど、金融に力を入れている。

覇権を握るには、生産、流通、金融の順。
商社など流通業者が生産を踏まずに、金融に行く場合は、「生産」を「販売」に置き換えると、だいたい、世の中の原則って感じになりませんか?

宮脇書店さんの発展もロードサイド店が当たり、販売で優位に立ち、フランチャイズを広げて、全国展開していった。
金融はやってないと思うけど、まだそこまで流通で圧倒もしてないし。

さあ、望む望まないは別として、自分の生業が覇権を確立し、金融を握るようになれるためには、どういうルートや発展段階があるか、頭のトレーニング的に遊びとしてやってみるのはどうでしょうか?
たとえば、仲人業、たとえばたこ焼き屋が、金融で覇権を握るって、できるかどうかはともかく、どういう可能性があると思います?

マクドナルドなんか、金融やってもおかしくないような気がしません?
24時間ドライブスルーがあるぐらいだから、コンビニとかぶるけど、ありそう?たみ家が知らないだけでやってる?
マクドナルドがありなら、吉野家さんとかもありえる?
114サリュも、駐車場の条件次第では、マックさんや吉野家さんの駐車場に置くのもありえる?
まあ、これは1分前のとっさの思いつきで考えてませんが、本業の収益との兼ね合いですが、相乗効果があるような気もする。
ここらは、もうコンビニが優位でしょうが、ないことはないような気はするなあ。
他行のATMを置くなんてまどろっこしいことはせずに、マクドナルド銀行ってのはどうでしょう?
世界中の店舗数でいったら、イオンやセブンアイやその他コンビニよりも上でしょう。
世界にたぶん、2万5千~3万店ぐらいあるのでは?

それに比べて、共通クーポンでも、地域通貨でも、地域振興に金融的な要素が語られるけど、生産力や販売力が弱いのに、金融にいきなり行くってのは、原則に照らしてやっぱり無理があるような気がするよなあ。

ここまで、国と企業の話でしたが、地域間競争って意味でも
生産優位に立って、流通と金融・信用のシステムを整備する必要があるってことはいえそう。
この点、四国は域内市場が小さいからどうだろうなあ。

やっぱり四国霊場の権威づけに力を入れて、それを利用するってのは戦略論としては適っているかな?
  

Posted by たみ家 at 22:48Comments(0)

今日のトリビア

2009年04月14日

蒸留酒のバーボンの語源は、フランスの地方領主から成長して、フランス、スペイン、イタリアなどで分かれて王位を持っていたブルボン家のブルボンだってのは有名だと思います。
英語と仏語で発音は違えど、スペルは同じ。

中でも、フランスのルイ何世ってのは、小学生でも知ってる。

今のケンタッキー州のバーボン辺りはフランス人入植者が多くて、その人達がつけたと、(ここは想像だけど、フランス革命で親王権的な立場で逃げてきたからかな?ここは宿題。フランス革命よりも早い時期か後か確認しておきます。)

で、このブルボンって、日本でもお菓子で有名だけど

ケルト語の「泥」のことらしいです。



ブルボン家発祥の地が水はけのよろしくない泥地だったか?
どんな地形でどんな気候でどんな農業がさかんだったか?

この辺を探ったら、なぜたくさんの領主の中で、ブルボン家が、覇者になったのか手がかりが出てくるかもしれない。



さて、イギリスの農業の発展や都市人口の急激な増大、工業化には、カブラの栽培が盛んになったことととても関係が深いそうです。

地力を使い果たさないように、土地をわけて休耕したりしながら農業してたのが、カブラは地力の弱い荒地で育ち家畜の飼料になったので、通年安定して家畜を飼えるようになり、これにより休耕地もなくなった。
これで、食糧が飛躍的に増産できるようになったので、都市の非農業人口を養うことができるようになった。

しかも、このやり方だと土地が広くいるようになって、貴族が大規模に土地を囲い込んで(ああ、これが意義はわからんかったけど中学のとき言葉の音だけ覚えてた(第二次)エンクロージャーね。)、農民を締め出したので、あぶれた農民が都市に出て行くようになり労働力が供給されましたと(ただ、近年、囲い込んでも農業従事者は必要だったので、そんなに都市に人は出てないという研究が有力だそうです。)。

このカブラ栽培が工業化を促し、イギリスの覇権に資して、英語が世界語になる要因になったのね。
  

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牡蠣スモーク入りました

2009年04月12日

会員制居酒屋てつお

牡蠣スモーク入りました。
オイルサーディンも入りました。

お値段は未定ですが

現在のところ

うちの一番高いメニューはたこ焼き400円

次が缶ビール、300円

あとは、だいたい50円~200円ぐらいです。
牡蠣スモークも、200円台ぐらいです。

あの駄菓子屋にありがちな紋次郎いかが1本50円、3本100円となっております。
柿の種小袋も、まあ、そんなぐらいです。

って、うどんの後にたこ焼きしながら、準備できないので、缶詰めや乾物が中心です。
しかし、ほていのやきとりと、この牡蠣スモークはたまらんわ。
ほていの赤貝の味付けもなかなかのもんです。

特に牡蠣スモークは、香川のかけうどん1杯並に安いものとしては、世界で最も美味いもの候補の1つだな。

あん肝やフォアグラに近いもんがある。

オイルサーディンも世界は獲れんかもしれんけど、うまあ~

まだ入れてないけど、メタボ柿原さんが、なんとか効果で酔ったという、アルコールフリー飲料も置こうか。
135円が仕入れ値なら、うちでは200円になります。


※先日、「どうやったら会員になれるのですか?」って、聞かれました。

WEB上も含め、商売の売り買い以外で普通にご挨拶してお話する関係の方は、全員会員です。
  

Posted by たみ家 at 16:38Comments(4)