これって有名な話?
2009年03月31日
手元の高校の世界史の問題集の解説に書いてある。
ユダヤ人国家の建設予定地として
第二次世界大戦終結の頃
パレスチナのほかに
オーストラリアの原野
マダガスカル島
日本の四国
が案として検討されていたそうです。
たみ家は世界史選択してなかったけど、選択してた人の間では常識だったの?
たみ家としては、歴史のネタの単独の知識としては、今までで最驚でした。
もし、四国にユダヤ人が大量入植してたら、どうなってたんだろう?
ユダヤ人がパレスチナにこだわったので、実現しなかったけど、ユダヤ人が四国がいいって言ってたら、そうなってた可能性かなりあったのかも。
ユダヤ人国家の建設予定地として
第二次世界大戦終結の頃
パレスチナのほかに
オーストラリアの原野
マダガスカル島
日本の四国
が案として検討されていたそうです。
たみ家は世界史選択してなかったけど、選択してた人の間では常識だったの?
たみ家としては、歴史のネタの単独の知識としては、今までで最驚でした。
もし、四国にユダヤ人が大量入植してたら、どうなってたんだろう?
ユダヤ人がパレスチナにこだわったので、実現しなかったけど、ユダヤ人が四国がいいって言ってたら、そうなってた可能性かなりあったのかも。
カエサルのものはカエサルに
2009年03月29日
たみ家は、
「神のものは神にカエサルものはカエサルに納めよ」
ってマタイ福音書の言葉の響きと意味合いが好きです。
英語で
Render therefore unto Caesar the things which are Caesar's ; and unto God the things are God's.
と書かれることが多いそうですが、これは聖書の言葉の格調ってやつかややこしい書き方だなあと思う。
カエサルは皇帝というような意味で、クレオパトラとの間で子づくりした一番有名なカエサルでなくて、その後継者アウグストゥスのさらに後継者のティベリウスで、イエスと時代がかぶってるのはこの人らしい。
神の国を説くイエスをローマ帝国への反逆者として逮捕しようと、イエスを褒めまくって、「あなたはすばらしいことを言ってる。神の国だからローマ政府に税金を納めるなんてクソ食らえですよね。」と言って、イエスが賛成したら、逮捕してやろうというおとり捜査がやってきた。
そこで、イエスは、「そのコインには皇帝の顔が書いてありますね。皇帝のものは皇帝に納めたらいいんじゃない。」とあしらっておとり捜査に隙を与えずに帰らしたと。
信仰のことと世俗の権力は切り離せるということか?
この辺の問題意識も持ち始めだから勉強しないと。
以前に、ベルリンの壁崩壊は、エントロピーの増大に似た作用によって、わが国の労働者の賃下げ圧力につながったと書きました。
世界の賃金は均質化していくのに、国内で格差が広がってるって矛盾っぽくない?
どうも、空間を占める事象にはエントロピーの増大の理屈が働くが、観念の事象にはそれが効かない。
労働者の移動や、携帯電話など財物の普及は、インドでは毎月1000万台近くも携帯電話の新規加入があり年収数十万円もあるかないかのところにさえ普及するように、空間の中を均質化していく。
でも、観念であるおぜにさんは、空間を占めないので、均質化の宇宙の法則が働かず、格差を持つようになる。
この理由は、ここで一発ではまとめにくい。
伏線を張っておきました。
確かに、黄砂は中国西部からでも飛んでくるし、豊かさを求めて人は国を移動するし、携帯電話はかなりの貧困層でも持ってない人はほとんどいない。
空間を占める事象はなんであれ、均質に向かって拡散しがちである。
空間の事象は空間の、観念の事象は観念の理屈でとらえなさい。
このことを考えるときに、いつも
「神のものは神にカエサルのものはカエサルに」を思い出す。
財物は普及したのに、なぜ貧困なのか?
これは、権利とはなんであるかの話が関係あるかも。
物は飽和したけど、利益を随意に引き出す力が偏った。
権利は観念だから、均質に向かわない。
携帯電話もパソコンも普及した。
しかし、いろいろ困ったときに、医療などのサービスを受けるような、様々な利益を引き出す権利という観念の力が貧者には乏しい。
そして、その権利の量は多くの場合、おぜにさんに特有の強力な媒介力ゆえに、おぜにさんの量で権利量を測ることが可能となる。
おぜにさんは観念のものなので、財物が普及したり労働力が移動するように拡散しない。
Y=aX-bやY=aX-b-cなどの形をした諸関数の束となって、高いところに流れるようになる。
bの影響を下げることやaの率を良くするにはスケールメリットが働くと有利だから、大きいや高いに向かっておぜにさんは流れる。
長期保有は大数の法則にしたがい、リスクを軽減するので、長期保有できる余剰資金の大きい者が、有利なおぜにさんテクを発揮しやすい。
また、全然話のスジは変わりますが
戦後、GHQは、人の心をつくる教育や心の自由を脅かす警察については、党派的影響を小さくしようということで、教育委員会制度や公安委員会制度をしいて、日本の民主化を進めた。
心のことは心のこととして、空間を占める産業のことは産業のこととして、政府の機能に違いをつけたわけです。
しかし、ソ連をリーダーとする共産圏が拡大すると、地方政治に、共産勢力が及ぶのをアメリカが恐れて、地方の教育委員会や公安委員会への国家統制を強めた。
商売の原料の供給先や販売先が減るのをおそれて、心に関わる政府の機能に対して、制限が増えたといえる。
「神のことは神に、国家のことは国家に」といっても、商売のことが心のことに影響を与えたりするわけですよなあ。
「神のものは神にカエサルものはカエサルに納めよ」
ってマタイ福音書の言葉の響きと意味合いが好きです。
英語で
Render therefore unto Caesar the things which are Caesar's ; and unto God the things are God's.
と書かれることが多いそうですが、これは聖書の言葉の格調ってやつかややこしい書き方だなあと思う。
カエサルは皇帝というような意味で、クレオパトラとの間で子づくりした一番有名なカエサルでなくて、その後継者アウグストゥスのさらに後継者のティベリウスで、イエスと時代がかぶってるのはこの人らしい。
神の国を説くイエスをローマ帝国への反逆者として逮捕しようと、イエスを褒めまくって、「あなたはすばらしいことを言ってる。神の国だからローマ政府に税金を納めるなんてクソ食らえですよね。」と言って、イエスが賛成したら、逮捕してやろうというおとり捜査がやってきた。
そこで、イエスは、「そのコインには皇帝の顔が書いてありますね。皇帝のものは皇帝に納めたらいいんじゃない。」とあしらっておとり捜査に隙を与えずに帰らしたと。
信仰のことと世俗の権力は切り離せるということか?
この辺の問題意識も持ち始めだから勉強しないと。
以前に、ベルリンの壁崩壊は、エントロピーの増大に似た作用によって、わが国の労働者の賃下げ圧力につながったと書きました。
世界の賃金は均質化していくのに、国内で格差が広がってるって矛盾っぽくない?
どうも、空間を占める事象にはエントロピーの増大の理屈が働くが、観念の事象にはそれが効かない。
労働者の移動や、携帯電話など財物の普及は、インドでは毎月1000万台近くも携帯電話の新規加入があり年収数十万円もあるかないかのところにさえ普及するように、空間の中を均質化していく。
でも、観念であるおぜにさんは、空間を占めないので、均質化の宇宙の法則が働かず、格差を持つようになる。
この理由は、ここで一発ではまとめにくい。
伏線を張っておきました。
確かに、黄砂は中国西部からでも飛んでくるし、豊かさを求めて人は国を移動するし、携帯電話はかなりの貧困層でも持ってない人はほとんどいない。
空間を占める事象はなんであれ、均質に向かって拡散しがちである。
空間の事象は空間の、観念の事象は観念の理屈でとらえなさい。
このことを考えるときに、いつも
「神のものは神にカエサルのものはカエサルに」を思い出す。
財物は普及したのに、なぜ貧困なのか?
これは、権利とはなんであるかの話が関係あるかも。
物は飽和したけど、利益を随意に引き出す力が偏った。
権利は観念だから、均質に向かわない。
携帯電話もパソコンも普及した。
しかし、いろいろ困ったときに、医療などのサービスを受けるような、様々な利益を引き出す権利という観念の力が貧者には乏しい。
そして、その権利の量は多くの場合、おぜにさんに特有の強力な媒介力ゆえに、おぜにさんの量で権利量を測ることが可能となる。
おぜにさんは観念のものなので、財物が普及したり労働力が移動するように拡散しない。
Y=aX-bやY=aX-b-cなどの形をした諸関数の束となって、高いところに流れるようになる。
bの影響を下げることやaの率を良くするにはスケールメリットが働くと有利だから、大きいや高いに向かっておぜにさんは流れる。
長期保有は大数の法則にしたがい、リスクを軽減するので、長期保有できる余剰資金の大きい者が、有利なおぜにさんテクを発揮しやすい。
また、全然話のスジは変わりますが
戦後、GHQは、人の心をつくる教育や心の自由を脅かす警察については、党派的影響を小さくしようということで、教育委員会制度や公安委員会制度をしいて、日本の民主化を進めた。
心のことは心のこととして、空間を占める産業のことは産業のこととして、政府の機能に違いをつけたわけです。
しかし、ソ連をリーダーとする共産圏が拡大すると、地方政治に、共産勢力が及ぶのをアメリカが恐れて、地方の教育委員会や公安委員会への国家統制を強めた。
商売の原料の供給先や販売先が減るのをおそれて、心に関わる政府の機能に対して、制限が増えたといえる。
「神のことは神に、国家のことは国家に」といっても、商売のことが心のことに影響を与えたりするわけですよなあ。
給料
2009年03月29日
大会社で正社員として楽で簡単な仕事をしてる人と
小さい会社で難しいしんどい仕事をしてる人
たみ家はどっちも経験ありませんが
どっちもそれに近い立場に数年以上あったことがあります。
割りに合わんと思うけど
前者が高い給料をもらうべきなんです。
お金をもらうってのは道徳の為す業ではありません。
もし、危険でしんどい仕事をしてる人こそが給料をたくさんもらうべきなら、冬に高層ビルの窓拭きしてる人は、トヨタの社長よりもらってもいいと思うね。
おぜにさんをもらうってのは関数の為す業。
給料はシステムの集金能力やお客さんの支払いの良さとの関数。
がんばりとの関数の面もあるけど、上に比べるとその影響はちょっとちょっと。
大きなシステムでしか、なかなか大きなおぜにさんを動かすことはできない。
また、おぜにさんを持ってる人からはおぜにさんもらえるかもしれないけど、持ってない人をいくら相手にしたって権力でむしりとるでもしないと難しい。
日用品や食料品など、多数の人から少額を集める企業もありますが、やっぱりP&Gや花王、イオンやセブンアイのような巨大なシステム持ってるとこが強い。
大きなシステムでしか大きなおぜにさんを動かしにくい。
そして、大きなシステムを持ってるところが、おぜにさんをたくさん持っている人にアクセスするのに有利。
つまり、優良な金鉱や金脈で金を探して、楽に金を採取する人を、金が出にくいところでしんどい目をして、長時間金を探してる人がうらやんでるようなもので、金鉱探しを間違った後に、いくら努力と道徳の限りを尽くしても、金が採取できるわけないのと同じ。
小さいところで、おぜにさんをたくさんとれる人はある意味超人集団です。
金鉱探しを間違わないように。
おぜにさんの循環は、関数の為す業。
道徳や感情で、それについて言っても、金鉱じゃないところで金を掘るようなもの。
個人でイチローは、おぜにさんをとってますか?
歴史的超人イチローでさえ、何億人の人がテレビを視聴して、超大企業がスポンサーになるという、巨大なおぜにさんのシステムに組み込まれたスター芸人だから、たくさんおぜにさんがもらえるんです。
だから、そういうシステムがない、指相撲界の超人スターは、たぶんおぜにさんもらってない。
野球界には金脈がある。
指相撲界やあやとり界の超人が、それをどうこう言ってもいかん。
金脈を間違わないためには、普通の人にとっては若いうちに勉強しとくのが一番なわけです。
こういうことは、たこ焼きを焼きながら、社会を見つめるようになってよりよくわかる。
下請け企業だって、大きな受注先につくという、大きな集金システムに組み込まれないとすぐに危なくなる。
うどん屋やたこ焼き屋は単価が小さいので、多数からおぜにさんをちょっとずつ頻繁にいただくという集金システムを自分でつくらんといかんわけです。
他業界に比べて、自分の給料が少ないっていう人は、誰をお客さんにしてるどういう規模の集金システムの中で、どの位置にいるか要確認ですね。
小さい会社で難しいしんどい仕事をしてる人
たみ家はどっちも経験ありませんが
どっちもそれに近い立場に数年以上あったことがあります。
割りに合わんと思うけど
前者が高い給料をもらうべきなんです。
お金をもらうってのは道徳の為す業ではありません。
もし、危険でしんどい仕事をしてる人こそが給料をたくさんもらうべきなら、冬に高層ビルの窓拭きしてる人は、トヨタの社長よりもらってもいいと思うね。
おぜにさんをもらうってのは関数の為す業。
給料はシステムの集金能力やお客さんの支払いの良さとの関数。
がんばりとの関数の面もあるけど、上に比べるとその影響はちょっとちょっと。
大きなシステムでしか、なかなか大きなおぜにさんを動かすことはできない。
また、おぜにさんを持ってる人からはおぜにさんもらえるかもしれないけど、持ってない人をいくら相手にしたって権力でむしりとるでもしないと難しい。
日用品や食料品など、多数の人から少額を集める企業もありますが、やっぱりP&Gや花王、イオンやセブンアイのような巨大なシステム持ってるとこが強い。
大きなシステムでしか大きなおぜにさんを動かしにくい。
そして、大きなシステムを持ってるところが、おぜにさんをたくさん持っている人にアクセスするのに有利。
つまり、優良な金鉱や金脈で金を探して、楽に金を採取する人を、金が出にくいところでしんどい目をして、長時間金を探してる人がうらやんでるようなもので、金鉱探しを間違った後に、いくら努力と道徳の限りを尽くしても、金が採取できるわけないのと同じ。
小さいところで、おぜにさんをたくさんとれる人はある意味超人集団です。
金鉱探しを間違わないように。
おぜにさんの循環は、関数の為す業。
道徳や感情で、それについて言っても、金鉱じゃないところで金を掘るようなもの。
個人でイチローは、おぜにさんをとってますか?
歴史的超人イチローでさえ、何億人の人がテレビを視聴して、超大企業がスポンサーになるという、巨大なおぜにさんのシステムに組み込まれたスター芸人だから、たくさんおぜにさんがもらえるんです。
だから、そういうシステムがない、指相撲界の超人スターは、たぶんおぜにさんもらってない。
野球界には金脈がある。
指相撲界やあやとり界の超人が、それをどうこう言ってもいかん。
金脈を間違わないためには、普通の人にとっては若いうちに勉強しとくのが一番なわけです。
こういうことは、たこ焼きを焼きながら、社会を見つめるようになってよりよくわかる。
下請け企業だって、大きな受注先につくという、大きな集金システムに組み込まれないとすぐに危なくなる。
うどん屋やたこ焼き屋は単価が小さいので、多数からおぜにさんをちょっとずつ頻繁にいただくという集金システムを自分でつくらんといかんわけです。
他業界に比べて、自分の給料が少ないっていう人は、誰をお客さんにしてるどういう規模の集金システムの中で、どの位置にいるか要確認ですね。
讃岐すしフェスタ行ってきました。
2009年03月29日
朝から、たこ焼きの準備をして、合間に、道を渡って、讃岐すしフェスタに行ってきました。
桜、今年は遅いって聞いてたけど、思ってたより咲いてる。
人多いなあ。
けいぴょんさんいました。
アール・ツゥのコーナー目立ってました。
やっぱり、ビジュアルと手作業の世界の人は違うなあ。
ほんとに細部まで県産品を使ってました。
集計どうなったのかな?
桜、今年は遅いって聞いてたけど、思ってたより咲いてる。
人多いなあ。
けいぴょんさんいました。
アール・ツゥのコーナー目立ってました。
やっぱり、ビジュアルと手作業の世界の人は違うなあ。
ほんとに細部まで県産品を使ってました。
集計どうなったのかな?
権利 権限 権力
2009年03月29日
こないだ世界史の受験問題の駿台予備校の解説に
「各国政府は自由に関税をかける権限を持つ。」
みたいなことが書いてありました。
こういうことには直感的に「あれ?」って思ってほしい。
「権限」って、自分が実行しても利益を受け取らないんですよ。
国が他国に対して主張するのは「権利」でしょう。
一定の範囲があってその中で職務など役割に応じてやれる範囲がある。
このやれる範囲ってのは、ルールを共有した共同体があるってことが前提になります。
力の使い方を内部で区切ってるだけで、利益は権限のある人のものでなく、共同体など常に権限を実行する人以外のもの。
市長が権限を自分の利益のために使うってあってはならんでしょう。
後見人や破産管財人が、自分以外のために「権限」として財産を処分することはあっても、それが「権利」であったら無茶苦茶ですがな。
◎の内側の○が権限で、ベクトルは内向きで、利益は自分のものになりません。
それに対して、権利は対外的に、利益を主張できることです。
○→○や○⇔○のような関係で、ベクトルは外向きで、利益は自分のもの。
「権力」は強制的に従わせる作用で
上下の関係で、ベクトルは下向き。
こういうことは言葉のプロとして、けっこう大事。
利益が帰属するかどうかなんか大違い。
「権」って、「仮の」みたいな意味がある。
権中納言って、中納言よりも下。
権力の権がつくんだから、中納言よりも上かとティーンの頃は思ってましたが、ポストが足らんけど、不満や圧力があるから、昇進はさせとくみたいな感じでしょうか。
張り出し横綱の「張り出し」みたいなもんです。
権利ってのも、利益は確保してますが、資材置き場の所有地から今、実際に利益を得ているのは、そこを勝手に「秘密基地じゃあ。」って「どこが秘密じゃあ!」と突っ込みたくなるようなことを抜かしとるおガキさんかもしれません。
仮の利益を確保する力がいつも観念的にかかっとるわけです。
観念の力は仮ってのはなんとなくわかる。
でも、神様のこととなると形に現れる方が仮だったりする。
金毘羅大権現とか、神様が地上に仮に姿を現していらっしゃるので「権現」
キリストも神が仮の姿として地上に現れた権現に近いんじゃないでしょうか。
イスラム教は、権現はだめよと、偶像を厳しく禁止する。
確かに、権現は世俗に利用されやすいわな。
この辺は問題意識の持ち始めで、これから勉強するところです。
君の瞳は一万ボルト地上に降りた最後の天使♪
ってのは、恋は盲目で、妄想で美化された権現に近い?
このヘンは適当に言ってみた。
おぜにさんも観念的で仮のものですが、権利や権力のように、仮のものの方が実体を空間に占めるものよりも強いってのは往々にあるというより、それが原則なのかな?
予備校の解説だからどっちでもええとも言えんことはないですが
権限を自分の利益に使う人が多すぎて困るんで、「この解説者は、権限を自分の利益に使ってはいかんってことに意識なく権限って言葉を使ったな。」と引っかかったんですよね。
ちなみに、日本で同じ土地を最も長期に権力をもって領有したのは、福島会津の相馬氏、熊本人吉の相良氏、薩摩の島津氏だそうです。
中央政府を取り巻く政変から逃れやすい場所でないとやれんわなあ。
「各国政府は自由に関税をかける権限を持つ。」
みたいなことが書いてありました。
こういうことには直感的に「あれ?」って思ってほしい。
「権限」って、自分が実行しても利益を受け取らないんですよ。
国が他国に対して主張するのは「権利」でしょう。
一定の範囲があってその中で職務など役割に応じてやれる範囲がある。
このやれる範囲ってのは、ルールを共有した共同体があるってことが前提になります。
力の使い方を内部で区切ってるだけで、利益は権限のある人のものでなく、共同体など常に権限を実行する人以外のもの。
市長が権限を自分の利益のために使うってあってはならんでしょう。
後見人や破産管財人が、自分以外のために「権限」として財産を処分することはあっても、それが「権利」であったら無茶苦茶ですがな。
◎の内側の○が権限で、ベクトルは内向きで、利益は自分のものになりません。
それに対して、権利は対外的に、利益を主張できることです。
○→○や○⇔○のような関係で、ベクトルは外向きで、利益は自分のもの。
「権力」は強制的に従わせる作用で
上下の関係で、ベクトルは下向き。
こういうことは言葉のプロとして、けっこう大事。
利益が帰属するかどうかなんか大違い。
「権」って、「仮の」みたいな意味がある。
権中納言って、中納言よりも下。
権力の権がつくんだから、中納言よりも上かとティーンの頃は思ってましたが、ポストが足らんけど、不満や圧力があるから、昇進はさせとくみたいな感じでしょうか。
張り出し横綱の「張り出し」みたいなもんです。
権利ってのも、利益は確保してますが、資材置き場の所有地から今、実際に利益を得ているのは、そこを勝手に「秘密基地じゃあ。」って「どこが秘密じゃあ!」と突っ込みたくなるようなことを抜かしとるおガキさんかもしれません。
仮の利益を確保する力がいつも観念的にかかっとるわけです。
観念の力は仮ってのはなんとなくわかる。
でも、神様のこととなると形に現れる方が仮だったりする。
金毘羅大権現とか、神様が地上に仮に姿を現していらっしゃるので「権現」
キリストも神が仮の姿として地上に現れた権現に近いんじゃないでしょうか。
イスラム教は、権現はだめよと、偶像を厳しく禁止する。
確かに、権現は世俗に利用されやすいわな。
この辺は問題意識の持ち始めで、これから勉強するところです。
君の瞳は一万ボルト地上に降りた最後の天使♪
ってのは、恋は盲目で、妄想で美化された権現に近い?
このヘンは適当に言ってみた。
おぜにさんも観念的で仮のものですが、権利や権力のように、仮のものの方が実体を空間に占めるものよりも強いってのは往々にあるというより、それが原則なのかな?
予備校の解説だからどっちでもええとも言えんことはないですが
権限を自分の利益に使う人が多すぎて困るんで、「この解説者は、権限を自分の利益に使ってはいかんってことに意識なく権限って言葉を使ったな。」と引っかかったんですよね。
ちなみに、日本で同じ土地を最も長期に権力をもって領有したのは、福島会津の相馬氏、熊本人吉の相良氏、薩摩の島津氏だそうです。
中央政府を取り巻く政変から逃れやすい場所でないとやれんわなあ。
知らない言葉が多いと簡単
2009年03月28日
これは試験の場合の鉄則だと思う。
現代国語なら、幼少からずっと力の差がついてる。
英語なら、たみ家の世代は小学校で勉強してた人いなかったので、中学からの差。
漢文なら、中学のときもちょっとはあったけど、ほとんど高校時代からの差。
同じ勉強しても、後から始めたものの差は絶対量が少ないから、少ない努力で報われる。
つまり、見たことない言葉が多いものほど、差が小さくて、小さい努力で大きな成果がある。
また、試験の選択科目ってのは、だいたいどれも同じ試験の中ではレベルの差は少ない。
その中で、専門的で普段の生活で聞いたことのないような知らない言葉が多いってことは、それほど論理的な操作や深みは要求されないはず。
でないと、知ってる言葉ばかりの科目との間で、難易度に大きな差がつくことになる。
選択科目間で大きな難易度の差をつけるのは試験をつくる側にとっても、公正に実力を見れないから不本意だし、知ってる言葉ばかりの試験だと難しくしないと差がつかないだろう。
見たことのない言葉が並ぶようなものほど、必ず思考の水準が低くて済むはず。
幼少から、多くの人がその言葉使って思考してないんだから、知った時点で、差はあまりついてないはず。
見ただけで嫌になるようなものが必ず一番簡単なんだ。
見たことない言葉ばっかりの試験範囲が出てきたら、「はあ。ここ簡単なとこだな。」
って思えるようになったのは、そういうものを敬遠してた20歳ぐらいのときよりも強くなったとこだと思う。
就職してからそう思うようになった。
それは、試験をつくる側の、科目間で大きくレベルの差をつけてたら審査する側がその目的を達しにくくなるという都合とか推し量れるようになったからってのもあると思う。
このことは試験に関してであって、実社会では必ずしもそうでないと思う。
でも、難しく見えるものほど簡単ってのが試験の世界では当たり前だと思って、実社会でもそうでないかと疑ってかかってみると、やっぱり難しく見えるものほど簡単ってことはけっこうあると思う。
現代国語なら、幼少からずっと力の差がついてる。
英語なら、たみ家の世代は小学校で勉強してた人いなかったので、中学からの差。
漢文なら、中学のときもちょっとはあったけど、ほとんど高校時代からの差。
同じ勉強しても、後から始めたものの差は絶対量が少ないから、少ない努力で報われる。
つまり、見たことない言葉が多いものほど、差が小さくて、小さい努力で大きな成果がある。
また、試験の選択科目ってのは、だいたいどれも同じ試験の中ではレベルの差は少ない。
その中で、専門的で普段の生活で聞いたことのないような知らない言葉が多いってことは、それほど論理的な操作や深みは要求されないはず。
でないと、知ってる言葉ばかりの科目との間で、難易度に大きな差がつくことになる。
選択科目間で大きな難易度の差をつけるのは試験をつくる側にとっても、公正に実力を見れないから不本意だし、知ってる言葉ばかりの試験だと難しくしないと差がつかないだろう。
見たことのない言葉が並ぶようなものほど、必ず思考の水準が低くて済むはず。
幼少から、多くの人がその言葉使って思考してないんだから、知った時点で、差はあまりついてないはず。
見ただけで嫌になるようなものが必ず一番簡単なんだ。
見たことない言葉ばっかりの試験範囲が出てきたら、「はあ。ここ簡単なとこだな。」
って思えるようになったのは、そういうものを敬遠してた20歳ぐらいのときよりも強くなったとこだと思う。
就職してからそう思うようになった。
それは、試験をつくる側の、科目間で大きくレベルの差をつけてたら審査する側がその目的を達しにくくなるという都合とか推し量れるようになったからってのもあると思う。
このことは試験に関してであって、実社会では必ずしもそうでないと思う。
でも、難しく見えるものほど簡単ってのが試験の世界では当たり前だと思って、実社会でもそうでないかと疑ってかかってみると、やっぱり難しく見えるものほど簡単ってことはけっこうあると思う。
「てつお」のたこ焼きが変わりました。
2009年03月28日
今週から天かすの量を減らし、卵と山芋の比率が上がりました。
食感が良くなり、時間が経っても美味しさが保ちやすくなったと思います。
今週からなので、シネマ大好き娘さんとぴょんこさんが来られたときはそれにあたります。
食感が良くなり、時間が経っても美味しさが保ちやすくなったと思います。
今週からなので、シネマ大好き娘さんとぴょんこさんが来られたときはそれにあたります。
正攻法でいきましょう
2009年03月27日
たいていのことは正攻法でいかないとうまくいかない。
短期間合格とかですごい短い時間が書いてある人の場合は、
例えば、米国公認会計士なら、すでに日本で公認会計士の資格とってた人とか
公務員試験なら司法試験崩れとか
宅建なら法律や不動産関係の仕事を長くしてたとか
たいてい、すでに重なる分野で蓄積があるんです。
今日のニュースでも、Jリーガーが競輪に転向とか。
ダイエットでもそう。
たまたまその人に向いてたけど、一般化するには根拠がなかったり、危険をともなう成功率の低いものだったりする。
まあ、うまくいくことがないとは言いません。
失敗してもどうでもいいことなら、とりあえずで、何でもやってみたらいいと思う。
でも、正攻法でいくのが一番
正攻法でいかないという人は、苦手を避ける。
そうしないといけない事情もあることはあるだろうが
苦手を避けるという時点で本気の覚悟がない。
重要なことを本気でやらない人がうまくいくだろうか?
正攻法を避けようという時点で自分と相談だなあ。
・それは失敗しても軽く流せること?
・あなたは抜群に優れた人間ですか?
少なくとも、どっちかは当てはまってないと、正攻法以外はおすすめできないなあ。
たみ家は、人生でもっともうまくいかなかったことや悲惨な結果になったことは、正攻法やじっくりとした苦労を避けたことでですねえ。
そりゃあそれでも上手くいったことはありますよ。
でもそれは、最初から抜群のアドバンテージを持って始めてたなあ。
似たようなことでの成功体験があって、最初からその分野でそれなりのレベルにあった。
それか、そのことに向いてて、それに近い分野では幼少からいつも自由自在って感じだったか。
そんな場合じゃないと、なかなかコツや裏技の世界で、上手くやるって無理だと思う。
正攻法できてて、裏技も知ってるってのはいいことだと思うけど。
苦手に正面から取り組む覚悟も根性もないなら、8、9割は失敗する。
で、1、2割の成功を見て、勘違いするけど、その1、2割の人は、たいてい実は類似分野で素人でないか、オールラウンドにかなり優れた人だ。
できる限り、苦手には正攻法で当たるべき。
重要でないことならどっちでもいいと思いますが、重要なことで苦手を避けるという時点で、成功の確率はかなり下がるし、始めてからも不安のタネがくすぶり続けるだろうなあ。
短期間合格とかですごい短い時間が書いてある人の場合は、
例えば、米国公認会計士なら、すでに日本で公認会計士の資格とってた人とか
公務員試験なら司法試験崩れとか
宅建なら法律や不動産関係の仕事を長くしてたとか
たいてい、すでに重なる分野で蓄積があるんです。
今日のニュースでも、Jリーガーが競輪に転向とか。
ダイエットでもそう。
たまたまその人に向いてたけど、一般化するには根拠がなかったり、危険をともなう成功率の低いものだったりする。
まあ、うまくいくことがないとは言いません。
失敗してもどうでもいいことなら、とりあえずで、何でもやってみたらいいと思う。
でも、正攻法でいくのが一番
正攻法でいかないという人は、苦手を避ける。
そうしないといけない事情もあることはあるだろうが
苦手を避けるという時点で本気の覚悟がない。
重要なことを本気でやらない人がうまくいくだろうか?
正攻法を避けようという時点で自分と相談だなあ。
・それは失敗しても軽く流せること?
・あなたは抜群に優れた人間ですか?
少なくとも、どっちかは当てはまってないと、正攻法以外はおすすめできないなあ。
たみ家は、人生でもっともうまくいかなかったことや悲惨な結果になったことは、正攻法やじっくりとした苦労を避けたことでですねえ。
そりゃあそれでも上手くいったことはありますよ。
でもそれは、最初から抜群のアドバンテージを持って始めてたなあ。
似たようなことでの成功体験があって、最初からその分野でそれなりのレベルにあった。
それか、そのことに向いてて、それに近い分野では幼少からいつも自由自在って感じだったか。
そんな場合じゃないと、なかなかコツや裏技の世界で、上手くやるって無理だと思う。
正攻法できてて、裏技も知ってるってのはいいことだと思うけど。
苦手に正面から取り組む覚悟も根性もないなら、8、9割は失敗する。
で、1、2割の成功を見て、勘違いするけど、その1、2割の人は、たいてい実は類似分野で素人でないか、オールラウンドにかなり優れた人だ。
できる限り、苦手には正攻法で当たるべき。
重要でないことならどっちでもいいと思いますが、重要なことで苦手を避けるという時点で、成功の確率はかなり下がるし、始めてからも不安のタネがくすぶり続けるだろうなあ。
愛と誠意と根性への反省
2009年03月26日
これも前々記事からのセットとして読んでくれれば、嬉しいです。
たみ家も含めて反省。
反省といっても、変われるか微妙だけど。
「ドラゴン桜」のビジネス版みたいなのがあるんですか?
「カネに対する努力以外は本物の努力じゃあない。」みたいな発言があったとある市議会議員から聞いたことがある。
これはある意味ほんとだと思う。
おぜにさんに対する努力以外には、自我がある。
自己実現とか、情愛に関する努力には、自我が抜け切らないとこがある。
おぜにさんへの努力は往々にして、欲得のためなのに、手段に無私があることが多い。
したくないこともする。
思ってもないことでも言う。
悪くないことでも謝る。
許せないことでも呑み込む。
おぜにさんを自分にくれる決定力を持ってる人の意識を読み取る必要がある。
場合によっては靴をなめることになるかもしれない。
多くのことを犠牲にする。
その点、「金持ち父さん」シリーズの著者がいう。
「お金が儲からないとき、その原因を探ると、性格上の問題が明らかになり、それを避けて通れなくなる。お金が儲からない理由はたいがいその人の性格上の問題によるもので、その問題に向き合って、人間的成長することが儲けを生む。」
たみ家に関しては、それは完璧にあてはまってます。
たみ家は、おぜにさんよりもおぜにさんにまつわる学問や知見により関心が強いとこある。
そういう意味では、商売人として不純。
もちろん、いい面として現れてるところも多く本人は気に入ってますが、しかし、将来の家族の介護や、従業員への待遇、コスト引き下げや売上のアップが、報酬要求を抑えてくれてめんどい作業をしてくれている税理士や、仕入先の利益など身近な人の暮らしを良くするという責任感を考えたら、おぜにさんのために商売に執念を燃やしつくさないことはある意味、性格上の欠点と言えないことはないと思う。裏にいい面があるからといってその反面の悪い点が悪くないといえるわけではない。
自己実現のためってのは、ある意味、気ままなんですわ。
でやっぱり、それに熱心な人は気ままな人が多いような気がする。
そりゃあ。そういう人は必要で、そういう人がいるから、世の中が動くとこはあるんですが。。。
自分の反省としては、その気ままさがよろしくないと思います。
おぜにさんへの愛と執着がある人がいる。
おぜにさんに対して、まめで誠意がある人がいる。
そして、おぜにさんのためにいろんなことを犠牲にする覚悟と根性がある人がいる。
そうでない人がいる。
しかし、おぜにさんはほしいし、その恩恵を受けるというかそれに拠って生きている。
おぜにさんを女性に置き換えてみる。
こういう人がいたらどうでしょうか?
愛がない。執着がないから他の人でもいい。
ほったらかしで、誕生日も記念日も覚えず、釣った魚にえさをやらないし、身なりも整えないし、楽しませるための努力もない。
そして、ケンカしても仲を保つために自分が悪くないと思うときでも折れたりしないし、一生幸せにしたるという覚悟もない。
でも、家事労働と妻やカノジョがいるという世間体は多くの人がほしい。
かなりやばくないですか?
おぜにさんのためには、性格を良くして、愛と誠意と努力と覚悟がないと、逃げていくのが普通ってことはわかる。
女性に置き換えたら、ウィットや小気味良い頭の回転なんてのもいるか、商売は人気だから、外見も関係はあるか。
おぜにさんがある人の方が余裕があるから、振る舞いまでいいのは、これも女性とおぜにさん共通だけど、おぜにさんがある人が傲慢になったり努力しない欠点を出すパターンも似てるかな。
「おぜにさんのためでない。」
といっても、おぜにさんは欲しいんだから
それが
「恋人はいらんけど、セックスはしたい。」
とか
「わたしは家政婦か!」
と似てないかチェックやなあ。
愛と執着と誠意と努力と覚悟と根性や思慮がないと、うまくいかないとか、おぜにさんに対して失礼よ!って話になるんじゃあないかと思います。
たみ家は
愛と誠意と根性をもって。。。。。生きていこうと。。。。。。。。たぶん。。。。。。。。。。。。。。思います。。。。。。。。。
以上、観光振興のお話でした。
たみ家も含めて反省。
反省といっても、変われるか微妙だけど。
「ドラゴン桜」のビジネス版みたいなのがあるんですか?
「カネに対する努力以外は本物の努力じゃあない。」みたいな発言があったとある市議会議員から聞いたことがある。
これはある意味ほんとだと思う。
おぜにさんに対する努力以外には、自我がある。
自己実現とか、情愛に関する努力には、自我が抜け切らないとこがある。
おぜにさんへの努力は往々にして、欲得のためなのに、手段に無私があることが多い。
したくないこともする。
思ってもないことでも言う。
悪くないことでも謝る。
許せないことでも呑み込む。
おぜにさんを自分にくれる決定力を持ってる人の意識を読み取る必要がある。
場合によっては靴をなめることになるかもしれない。
多くのことを犠牲にする。
その点、「金持ち父さん」シリーズの著者がいう。
「お金が儲からないとき、その原因を探ると、性格上の問題が明らかになり、それを避けて通れなくなる。お金が儲からない理由はたいがいその人の性格上の問題によるもので、その問題に向き合って、人間的成長することが儲けを生む。」
たみ家に関しては、それは完璧にあてはまってます。
たみ家は、おぜにさんよりもおぜにさんにまつわる学問や知見により関心が強いとこある。
そういう意味では、商売人として不純。
もちろん、いい面として現れてるところも多く本人は気に入ってますが、しかし、将来の家族の介護や、従業員への待遇、コスト引き下げや売上のアップが、報酬要求を抑えてくれてめんどい作業をしてくれている税理士や、仕入先の利益など身近な人の暮らしを良くするという責任感を考えたら、おぜにさんのために商売に執念を燃やしつくさないことはある意味、性格上の欠点と言えないことはないと思う。裏にいい面があるからといってその反面の悪い点が悪くないといえるわけではない。
自己実現のためってのは、ある意味、気ままなんですわ。
でやっぱり、それに熱心な人は気ままな人が多いような気がする。
そりゃあ。そういう人は必要で、そういう人がいるから、世の中が動くとこはあるんですが。。。
自分の反省としては、その気ままさがよろしくないと思います。
おぜにさんへの愛と執着がある人がいる。
おぜにさんに対して、まめで誠意がある人がいる。
そして、おぜにさんのためにいろんなことを犠牲にする覚悟と根性がある人がいる。
そうでない人がいる。
しかし、おぜにさんはほしいし、その恩恵を受けるというかそれに拠って生きている。
おぜにさんを女性に置き換えてみる。
こういう人がいたらどうでしょうか?
愛がない。執着がないから他の人でもいい。
ほったらかしで、誕生日も記念日も覚えず、釣った魚にえさをやらないし、身なりも整えないし、楽しませるための努力もない。
そして、ケンカしても仲を保つために自分が悪くないと思うときでも折れたりしないし、一生幸せにしたるという覚悟もない。
でも、家事労働と妻やカノジョがいるという世間体は多くの人がほしい。
かなりやばくないですか?
おぜにさんのためには、性格を良くして、愛と誠意と努力と覚悟がないと、逃げていくのが普通ってことはわかる。
女性に置き換えたら、ウィットや小気味良い頭の回転なんてのもいるか、商売は人気だから、外見も関係はあるか。
おぜにさんがある人の方が余裕があるから、振る舞いまでいいのは、これも女性とおぜにさん共通だけど、おぜにさんがある人が傲慢になったり努力しない欠点を出すパターンも似てるかな。
「おぜにさんのためでない。」
といっても、おぜにさんは欲しいんだから
それが
「恋人はいらんけど、セックスはしたい。」
とか
「わたしは家政婦か!」
と似てないかチェックやなあ。
愛と執着と誠意と努力と覚悟と根性や思慮がないと、うまくいかないとか、おぜにさんに対して失礼よ!って話になるんじゃあないかと思います。
たみ家は
愛と誠意と根性をもって。。。。。生きていこうと。。。。。。。。たぶん。。。。。。。。。。。。。。思います。。。。。。。。。
以上、観光振興のお話でした。
観光ってなんでんねん?
2009年03月26日
前記事の補足
県は、ついこないだまで、香川でうどん巡りする人は、ちょっとしかおぜにさんを県内で使わずに、道後に宿泊してそこで大きく費消するので、道後に宿泊客を流出させずに、琴平や塩江など県内で宿泊させるように策を施せと言ってました。
道州制が言われるようになるのと期を同じくして、四国全体で観光を考えよう、道後で宿泊でいいじゃないかみたいに完全に方向転換しました。
役人などがそういってるだけで、四国は1つになったとしても、道後に行ったお客のおぜにさんが琴平に分配されるようになったわけではない。
方向転換は間違いではないと思うけど、お上の言うことが当てにできないことはわかりますよね。
ロッキーの藤田さんに言わせると
観光は顧客獲得しておぜにさんを引き出すことです。
共存共栄の視野はいる。
セルフプロモーションというか自分の見せ方も大事。
本音はだめよ!
でも、起業の覚悟じゃないけど基本として
己を鍛えて高めて、他人の顧客を強奪して、顧客の財布からおぜにさんを強奪する。
ぐらいの覚悟がいるんだろうと思います。
ウルトラソウル♪じゃないけど、鍛え上げて、多くの敗者の屍の上に立った者にしか成功も祝福もないみたいな。
コンビニの顧客強奪合戦みたいなもんですが、ときには仕入を共同でやったりもする。
でもやっぱり、観光とコンビニの競業は本質は同じ。
四国が1つなんてのは、たまたまサンクスとサークルKがサークルKサンクスになったようなもんでしょう。
本社の役人みたいな人は、グループは1ついいますが、フランチャイジーのオーナーには関係のない話で、まともに聞く話じゃない。
将来、四国州ってのが実現すれば、税として、道後のおぜにさんが塩江に回る可能性はあるでしょうが。
協力や融和などいろんな視野がいるとしても、肝の肝は強奪であることは間違いない。
人件費の高い深夜はオーナーがときには徹夜して、家族とバラバラの時間で過ごし、やらなきゃ死ぬという覚悟がいる。
ただ、本音は出したらいかんし、やってて楽しいことじゃないと、続かんし、うまくいかんかもしれません。
でも楽しさをつくることが手段か目的かというと微妙や。
楽しさづくりはおぜにさん強奪をうまくやるための手段だと言う必要があるときもあるでしょう。
権力が北風の強奪ですが
北風強奪を「暮らしと税の作文」とか啓発という太陽を使って補完することもある。
観光は太陽でポカポカと、フレンドリーに、本音は出さずに、せっかくだから本人も楽しいことが望ましいと思いながらも、頭脳を中心に使って、人の気持ちに忍び寄って、強奪する。
そして、鍛え上げて、やらなきゃやられるという覚悟がいる。
というのが大筋。
どうでしょうか?
県は、ついこないだまで、香川でうどん巡りする人は、ちょっとしかおぜにさんを県内で使わずに、道後に宿泊してそこで大きく費消するので、道後に宿泊客を流出させずに、琴平や塩江など県内で宿泊させるように策を施せと言ってました。
道州制が言われるようになるのと期を同じくして、四国全体で観光を考えよう、道後で宿泊でいいじゃないかみたいに完全に方向転換しました。
役人などがそういってるだけで、四国は1つになったとしても、道後に行ったお客のおぜにさんが琴平に分配されるようになったわけではない。
方向転換は間違いではないと思うけど、お上の言うことが当てにできないことはわかりますよね。
ロッキーの藤田さんに言わせると
観光は顧客獲得しておぜにさんを引き出すことです。
共存共栄の視野はいる。
セルフプロモーションというか自分の見せ方も大事。
本音はだめよ!
でも、起業の覚悟じゃないけど基本として
己を鍛えて高めて、他人の顧客を強奪して、顧客の財布からおぜにさんを強奪する。
ぐらいの覚悟がいるんだろうと思います。
ウルトラソウル♪じゃないけど、鍛え上げて、多くの敗者の屍の上に立った者にしか成功も祝福もないみたいな。
コンビニの顧客強奪合戦みたいなもんですが、ときには仕入を共同でやったりもする。
でもやっぱり、観光とコンビニの競業は本質は同じ。
四国が1つなんてのは、たまたまサンクスとサークルKがサークルKサンクスになったようなもんでしょう。
本社の役人みたいな人は、グループは1ついいますが、フランチャイジーのオーナーには関係のない話で、まともに聞く話じゃない。
将来、四国州ってのが実現すれば、税として、道後のおぜにさんが塩江に回る可能性はあるでしょうが。
協力や融和などいろんな視野がいるとしても、肝の肝は強奪であることは間違いない。
人件費の高い深夜はオーナーがときには徹夜して、家族とバラバラの時間で過ごし、やらなきゃ死ぬという覚悟がいる。
ただ、本音は出したらいかんし、やってて楽しいことじゃないと、続かんし、うまくいかんかもしれません。
でも楽しさをつくることが手段か目的かというと微妙や。
楽しさづくりはおぜにさん強奪をうまくやるための手段だと言う必要があるときもあるでしょう。
権力が北風の強奪ですが
北風強奪を「暮らしと税の作文」とか啓発という太陽を使って補完することもある。
観光は太陽でポカポカと、フレンドリーに、本音は出さずに、せっかくだから本人も楽しいことが望ましいと思いながらも、頭脳を中心に使って、人の気持ちに忍び寄って、強奪する。
そして、鍛え上げて、やらなきゃやられるという覚悟がいる。
というのが大筋。
どうでしょうか?
観光でいいのか?
2009年03月26日
国土交通省や県が観光振興に力を入れてるなあと感じ出して、10年弱になる。
7、8年ほど前に、県の政策関係者や国土交通省の役人に
「観光産業なんか、労働生産性は低いし、人気商売だからリスクに対してもろいやろ。香川は観光に向いてるの?GDPの5%が観光産業になるようにって言いますが、そうなったら、機会費用ってのがあるし、ほかのことやってる人が観光産業でGDPつくったら、何かのGDPが減るだけやん。観光産業でGDPが伸びる余地があるなんて幻想じゃない?」
「主要国の観光産業がGDPの5%っていっても、日本のように付加価値の高いハイテクでGDPをあげてる国が、ローテク中心の観光産業で5%いくってのは、構造的に難しく、他国がそうだから日本がそうなるって数字の出し方はおかしいんじゃない?ヨーロッパや韓国や中国は地続きで、アメリカは事実上の世界の中心でっせ。」
「そもそも、観光産業が成果をあげてるところは、蓄積や自然条件など持ってるものがある。それに大きく恵まれないとこが社会的コンセンサスや広い意味でのソフトを構築して、観光産業で勝負って無理が無い?期待できる成果に対してコストかかり過ぎるんじゃないの?日本も香川も教育水準は高いって言われてるんだから、勝負しやすく、構造的に無理がないもので勝負すべきで、普通に勉強して、ハイテク分野で勝負して観光なんか捨てちゃったらどうなの?」
みたいなことを言ったこともあるし、某官公庁の公式のサイト上の意見欄に書いたこともあります。
たみ家は問題は提起しつつも上のことがすべて正しいと思ってるわけでもありません。
ただ、疑問の余地にはいつも応えられることが望ましいと思ってます。
残念ながら、たみ家はこの程度のことにさえ答えられる人に会ったことがありません。
観光産業って、うどん店みたいなもんでしょ。
来てもらっての客商売だから、北海道でも沖縄でも日光でも、バリでもNYでも、観光っていう前に、自然や蓄積がある、立地や労働力や資本に恵まれてるとことの勝負なんです。
で、顧客の獲得競争でしょ。
土地持ちの山田家さんとか、製麺に長く従事して、ノウハウや家族労働や地縁など人のつながりや不動産などでアドバンテージがありそうな山越さんなんかに長蛇の列ができてるのみて、うらやましくて、それでコストも見ずに、労働の実態も知らずに楽そうに思って、ハイテク産業のサラリーマンがうどん屋アドバンテージなしで始めてうまくいくか?って話と似てない?
関数の話としても構造的な話があるのはわかるでしょう。
たみ家もかれこれ、こういう目で、7、8年。こういう目でない状況からカウントすると15年以上ずっと観光振興にかかわる人と交流を重ねて、斜に構えたりせずに、疑問は持ちつつも中に入って、同じ方向は向いてきたと思います。
7、8年考えてるので、この程度の議論のレベルじゃなく、もっとはるかに広い問題として、税制や福祉のみならず高齢社会のあり方や医療費など財政の問題や健康や教育や環境問題や防災・防犯、農林水産業などへのケア、地方分権や人権国家などの問題としてもとらえてます。
裾野の広い観光産業というローテクから、動機を活かして、様々なハイテクの需要を導く可能性もあるでしょう。
未利用資源や適材適所って話もありますし。
「人間にとって幸せとは何か」みたいな哲学や、社会の構成に対する広い関係意識がないと、数字だけの話をすると、上の方のたみ家の「」内の問題提起や、アドバンテージのない素人が、立地や労働実態や収支のわきまえもなく、他人のおぜにさんがうらやましくて、うどん屋始めるのの域を出ない話になるのではないでしょうか。
うどん屋はじめるときには、ニッチの小遣い稼ぎなのか、生計の中心なのかで、どれぐらいの持続性のある事業かってことも考えるでしょうし、内外の人口動態など考えて適正なのかって疑問もある。
うどん屋始める人だって、家族といっしょに人と向き合って、喜んでもらうことを幸せとするみたいな幸福感への哲学がある場合が多いでしょうし、それは、退職金たくさんもらって子育て終わってるか、年金がどうか、住宅ローンの残がどれぐらいかってこととの兼ね合いでもある。
客商売であり、顧客獲得競争をローテク中心でやる観光政策にも当然、こういう哲学と、収支や生涯設計などへの目配りがいるわなあ。
政治家、役人、産業従事者、学者などにこの程度のことさえ、表現してくれる人に会ったことがないのはとても残念です。
この程度ではすまない話なのに。
7、8年ほど前に、県の政策関係者や国土交通省の役人に
「観光産業なんか、労働生産性は低いし、人気商売だからリスクに対してもろいやろ。香川は観光に向いてるの?GDPの5%が観光産業になるようにって言いますが、そうなったら、機会費用ってのがあるし、ほかのことやってる人が観光産業でGDPつくったら、何かのGDPが減るだけやん。観光産業でGDPが伸びる余地があるなんて幻想じゃない?」
「主要国の観光産業がGDPの5%っていっても、日本のように付加価値の高いハイテクでGDPをあげてる国が、ローテク中心の観光産業で5%いくってのは、構造的に難しく、他国がそうだから日本がそうなるって数字の出し方はおかしいんじゃない?ヨーロッパや韓国や中国は地続きで、アメリカは事実上の世界の中心でっせ。」
「そもそも、観光産業が成果をあげてるところは、蓄積や自然条件など持ってるものがある。それに大きく恵まれないとこが社会的コンセンサスや広い意味でのソフトを構築して、観光産業で勝負って無理が無い?期待できる成果に対してコストかかり過ぎるんじゃないの?日本も香川も教育水準は高いって言われてるんだから、勝負しやすく、構造的に無理がないもので勝負すべきで、普通に勉強して、ハイテク分野で勝負して観光なんか捨てちゃったらどうなの?」
みたいなことを言ったこともあるし、某官公庁の公式のサイト上の意見欄に書いたこともあります。
たみ家は問題は提起しつつも上のことがすべて正しいと思ってるわけでもありません。
ただ、疑問の余地にはいつも応えられることが望ましいと思ってます。
残念ながら、たみ家はこの程度のことにさえ答えられる人に会ったことがありません。
観光産業って、うどん店みたいなもんでしょ。
来てもらっての客商売だから、北海道でも沖縄でも日光でも、バリでもNYでも、観光っていう前に、自然や蓄積がある、立地や労働力や資本に恵まれてるとことの勝負なんです。
で、顧客の獲得競争でしょ。
土地持ちの山田家さんとか、製麺に長く従事して、ノウハウや家族労働や地縁など人のつながりや不動産などでアドバンテージがありそうな山越さんなんかに長蛇の列ができてるのみて、うらやましくて、それでコストも見ずに、労働の実態も知らずに楽そうに思って、ハイテク産業のサラリーマンがうどん屋アドバンテージなしで始めてうまくいくか?って話と似てない?
関数の話としても構造的な話があるのはわかるでしょう。
たみ家もかれこれ、こういう目で、7、8年。こういう目でない状況からカウントすると15年以上ずっと観光振興にかかわる人と交流を重ねて、斜に構えたりせずに、疑問は持ちつつも中に入って、同じ方向は向いてきたと思います。
7、8年考えてるので、この程度の議論のレベルじゃなく、もっとはるかに広い問題として、税制や福祉のみならず高齢社会のあり方や医療費など財政の問題や健康や教育や環境問題や防災・防犯、農林水産業などへのケア、地方分権や人権国家などの問題としてもとらえてます。
裾野の広い観光産業というローテクから、動機を活かして、様々なハイテクの需要を導く可能性もあるでしょう。
未利用資源や適材適所って話もありますし。
「人間にとって幸せとは何か」みたいな哲学や、社会の構成に対する広い関係意識がないと、数字だけの話をすると、上の方のたみ家の「」内の問題提起や、アドバンテージのない素人が、立地や労働実態や収支のわきまえもなく、他人のおぜにさんがうらやましくて、うどん屋始めるのの域を出ない話になるのではないでしょうか。
うどん屋はじめるときには、ニッチの小遣い稼ぎなのか、生計の中心なのかで、どれぐらいの持続性のある事業かってことも考えるでしょうし、内外の人口動態など考えて適正なのかって疑問もある。
うどん屋始める人だって、家族といっしょに人と向き合って、喜んでもらうことを幸せとするみたいな幸福感への哲学がある場合が多いでしょうし、それは、退職金たくさんもらって子育て終わってるか、年金がどうか、住宅ローンの残がどれぐらいかってこととの兼ね合いでもある。
客商売であり、顧客獲得競争をローテク中心でやる観光政策にも当然、こういう哲学と、収支や生涯設計などへの目配りがいるわなあ。
政治家、役人、産業従事者、学者などにこの程度のことさえ、表現してくれる人に会ったことがないのはとても残念です。
この程度ではすまない話なのに。
WBC勝利の値段
2009年03月25日
WBCで勝つとうれしいとかそういう気持ちに値段ってつけられますか?
たみ家は、こんなことに値段がつくとは思わなかった。
WBC東京ラウンドで、夕方から夜にかけて「たこ焼きてつお」前に、人通りがあまりになかった。
主観では、平常の2割程度だった。
それを受けて
日本時間の午前から昼にかけて行われる2次ラウンドでは、うどん店「たみ家」の方で
景気づけを兼ねて、「WBC必勝祈願サービスデー」ってのを貼り紙で出してみた。
おそらく2割程度にサラリーマンが直近の社内食堂のテレビで見るとか、ビル内に売りに来る弁当に走るとか、中には食事をしないというような現象が現れると踏んだ。
それでも、売上はいくらか落ちた。
2次ラウンドの一つ目の韓国戦は良くない結果だった。
売上落として、不本意な敗戦があって、もう店の作業所で寝込んで、夕方からたこ焼き開けられないかと思ったよ。
でも、次のキューバ戦は、もっと売上が大幅に落ちたけど、それがまったく気にならなかった。
ここで、少なくとも5千円払って勝てるなら、迷わずその場でおぜにさん出すな。
でも、勝っても売上1日2万円落ちるんなら、WBCはない方がええな。
2万円でも負けるのは長期に気分が悪いけど、2万円払って勝てるなら自分が個人として払うかというと払わんなあと思った。
WBCで優勝ってのは、久々に日本が世界に向けて自信を持てるいいことなので、ほんとうは2万円どころじゃあない。
たみ家にとっても、10万円どころでもないかもしれない。
じゃあ、プライスレスなのかというと、そうでもないような気がする。
実際に、WBCと売上の背反が起こってみると、いくらなら後で嫌な気分にならないかっていう額は、ほとんど狂信的に応援している人やおぜにさんが余ってる人以外には、誰にとってもあるだろう。
自分の身に直接、おぜにさんの話で降りかかることが何もなければ、たみ家もプライスレスだと思っただろうが、
売上が落ちてみて、負けた日と勝った日の感情を思い返してみると、プライスレスってのはない。
国威や民族的な自信を感じたりできることには、10万円以上の価値があるような気もするけど、その日その場で、それはたぶん9割以上の人は払わないだろう。
仕事休んで、何十万円払ってアメリカに応援に行くような人でも、払わないかもしれない。
これらの感情や行動の関係には合理性ってのがありそうに見えるとこもあるが、ないと思えることも多い。
ここで
おぜにさんと公共について2つの原則が
①長期に10万円の価値があっても、流動性の資産はそれよりはるかに小さな額しか費消できないし、してはならないし、多くの人はしないということ。
出費との対応が不明確で、長期にわたってぼんやりと効果が発現される資産は、大幅にディスカウントされるということ。
②よく、「この公共事業をするのに、住民がいくらなら払うか」とアンケートをとって、公共事業の費用対効果を計算する手法が紹介されていたが、そんなものは、WBC勝てたらいくら払いますかってのと同じぐらいまったくあてにならない。
これは屋島の東側に公園つくるときに高松市がやったが、アンケートのとり方か計算のしかたが悪いと費用対効果の計算をしなおしたことがあった。
公共事業も長期だし、その影響のプラスマイナスなんか、きちんとしたところは誰にもわからない。
WBCの勝利とどっちがぼんやりとしてるかわからないほど、住民にはわからない。
結果は、まったく意味をなさないほどのウソにしかならない。
事業をやる側は、何か民意を確認したというアリバイみたいなものが欲しいだろうけど、費用対効果としては、まったく意味をなさないウソしか結果としては出ないということ。
参考程度にはなると思うけど、計算の主に使うのはお粗末過ぎる。
また勝ったときと負けたときで、売上に増減が結果として生じた場合と
「わたしが払えば、勝てる」という場合では、同じ個人のおぜにさんの増減の結果に対しても、まったく考えが変わるだろう。
大分の事例でないけど、払えば教員採用試験に身内が受かるなんて場合に、頼みに行く人もいれば、持ち掛けられれば払うという人もいれば、払う発想はあってもいざとなると払わない人もいれば、そういう裏を暴露して、四面楚歌して、みずから職を失って、すなわちおぜにさん数千万から億円ほど損することを覚悟してでも、その関係を破壊しにいくような人もいるだろう。
億円損する覚悟して暴露した人も、個人のフトコロからその悪弊をなくすために50万円出すかというとたぶん払わない。
朝三暮四どころじゃあない。
まったく当てにならない。
これは、さらにセールスの促進にも関係のある話かもね。
フトコロからおぜにさん出さないことに対しても、ある状況なら、億円もいとわないって場合があると考えるなら。
たみ家は、こんなことに値段がつくとは思わなかった。
WBC東京ラウンドで、夕方から夜にかけて「たこ焼きてつお」前に、人通りがあまりになかった。
主観では、平常の2割程度だった。
それを受けて
日本時間の午前から昼にかけて行われる2次ラウンドでは、うどん店「たみ家」の方で
景気づけを兼ねて、「WBC必勝祈願サービスデー」ってのを貼り紙で出してみた。
おそらく2割程度にサラリーマンが直近の社内食堂のテレビで見るとか、ビル内に売りに来る弁当に走るとか、中には食事をしないというような現象が現れると踏んだ。
それでも、売上はいくらか落ちた。
2次ラウンドの一つ目の韓国戦は良くない結果だった。
売上落として、不本意な敗戦があって、もう店の作業所で寝込んで、夕方からたこ焼き開けられないかと思ったよ。
でも、次のキューバ戦は、もっと売上が大幅に落ちたけど、それがまったく気にならなかった。
ここで、少なくとも5千円払って勝てるなら、迷わずその場でおぜにさん出すな。
でも、勝っても売上1日2万円落ちるんなら、WBCはない方がええな。
2万円でも負けるのは長期に気分が悪いけど、2万円払って勝てるなら自分が個人として払うかというと払わんなあと思った。
WBCで優勝ってのは、久々に日本が世界に向けて自信を持てるいいことなので、ほんとうは2万円どころじゃあない。
たみ家にとっても、10万円どころでもないかもしれない。
じゃあ、プライスレスなのかというと、そうでもないような気がする。
実際に、WBCと売上の背反が起こってみると、いくらなら後で嫌な気分にならないかっていう額は、ほとんど狂信的に応援している人やおぜにさんが余ってる人以外には、誰にとってもあるだろう。
自分の身に直接、おぜにさんの話で降りかかることが何もなければ、たみ家もプライスレスだと思っただろうが、
売上が落ちてみて、負けた日と勝った日の感情を思い返してみると、プライスレスってのはない。
国威や民族的な自信を感じたりできることには、10万円以上の価値があるような気もするけど、その日その場で、それはたぶん9割以上の人は払わないだろう。
仕事休んで、何十万円払ってアメリカに応援に行くような人でも、払わないかもしれない。
これらの感情や行動の関係には合理性ってのがありそうに見えるとこもあるが、ないと思えることも多い。
ここで
おぜにさんと公共について2つの原則が
①長期に10万円の価値があっても、流動性の資産はそれよりはるかに小さな額しか費消できないし、してはならないし、多くの人はしないということ。
出費との対応が不明確で、長期にわたってぼんやりと効果が発現される資産は、大幅にディスカウントされるということ。
②よく、「この公共事業をするのに、住民がいくらなら払うか」とアンケートをとって、公共事業の費用対効果を計算する手法が紹介されていたが、そんなものは、WBC勝てたらいくら払いますかってのと同じぐらいまったくあてにならない。
これは屋島の東側に公園つくるときに高松市がやったが、アンケートのとり方か計算のしかたが悪いと費用対効果の計算をしなおしたことがあった。
公共事業も長期だし、その影響のプラスマイナスなんか、きちんとしたところは誰にもわからない。
WBCの勝利とどっちがぼんやりとしてるかわからないほど、住民にはわからない。
結果は、まったく意味をなさないほどのウソにしかならない。
事業をやる側は、何か民意を確認したというアリバイみたいなものが欲しいだろうけど、費用対効果としては、まったく意味をなさないウソしか結果としては出ないということ。
参考程度にはなると思うけど、計算の主に使うのはお粗末過ぎる。
また勝ったときと負けたときで、売上に増減が結果として生じた場合と
「わたしが払えば、勝てる」という場合では、同じ個人のおぜにさんの増減の結果に対しても、まったく考えが変わるだろう。
大分の事例でないけど、払えば教員採用試験に身内が受かるなんて場合に、頼みに行く人もいれば、持ち掛けられれば払うという人もいれば、払う発想はあってもいざとなると払わない人もいれば、そういう裏を暴露して、四面楚歌して、みずから職を失って、すなわちおぜにさん数千万から億円ほど損することを覚悟してでも、その関係を破壊しにいくような人もいるだろう。
億円損する覚悟して暴露した人も、個人のフトコロからその悪弊をなくすために50万円出すかというとたぶん払わない。
朝三暮四どころじゃあない。
まったく当てにならない。
これは、さらにセールスの促進にも関係のある話かもね。
フトコロからおぜにさん出さないことに対しても、ある状況なら、億円もいとわないって場合があると考えるなら。
イギリスの覇権に日本を含む諸地域が組み込まれた過程
2009年03月23日
これ、昨年度の東京大学文科の入試の地歴の問題の駿台予備校の解説です。
ちなみにたみ家は高校時代に世界史は選択はしてません。
大河ドラマの「義経」や「篤姫」を見るぐらいの人にとっては難しくないと思いますし、たぶん面白いとか役に立つとか、今の世の中がそうなってる理由を感じると思います。
英語が世界語になってることとか、アメリカが最近やってた外交政策とか、幕末・明治の人が何に驚き、何に危機を感じ、殖産興業・富国強兵を進めたのか、中国の態度、中東の問題、エジソン、ダイムラーベンツ、ベルトコンベアの発明、モータリゼーション、金融工学の発達、IT革命、格差社会、減反、貿易摩擦などなど。
こういう入試問題の解説にも、たみ家の普段書いてる地域社会のあり方や人々の暮らしを良くするための問題意識が関係ある。
また、日本は世界中に物売って生活してる商人国家だから、仕入先や販売先のお客さんの事情とか過去の関係知らんでええはずないやろ?
イギリスは昔の成功した上手な商人だったともいえるのではないでしょうか?
「1815年のワーテルローの会戦で宿敵フランスのナポレオンを倒して以来、1914年にイギリスの3C政策とドイツの3B政策が衝突して第一次世界大戦が勃発するまで、イギリスの覇権のもとで大きな戦争が起きなかった約100年間をパクス・ブリタニカの時代と呼ぶ。
~略~
なぜほかならぬイギリスが世界の覇権を握ることができたのかという問題である。もっと一般化すると、ある国が世界の政治的な指導権を握るための経済的な条件は何かという問題だ。
この問題を考えるに当たっては、1990年以来の東大の世界史入試で最大のテーマとなっている。「世界の(経済的)一体化という世界史の大きな流れを思い起こす必要がある。これは、globalizationという英語の日本語訳で、グローバル化などともいう。
コロンブスの大西洋横断に代表される大航海時代以来、欧米諸国の商人がアジア・アフリカに進出し、東南アジアの香辛料・中国の生糸・インドの綿織物などの物産を輸入することを通じて、欧米を中心とする国際分業体制が徐々に形成されてきた過程をいう。
世界経済の一体化の過程は現在も進行中であるが、このコロンブス以来約500年間続く世界の一体化の過程における最大の画期が、18世紀後半から始まったイギリスの産業革命であった。イギリス産業革命以前は欧米諸国の商人はアジア・アフリカの物産を輸入する対価として征服した新大陸の銀で支払っていたのであるが、産業革命以後は欧米諸国で生産した工業製品を輸出し、その見返りに世界各地の物産を入手できるようになった。こうして、19世紀にマンチェスターの綿織物を中心とする工業製品を全世界に輸出し、綿花・茶・砂糖などの原料・食糧を海外から輸入する国際分業体制が形成された。このような『世界の工場』イギリスを中心とする国際分業体制が形成されていたからこそ、イギリスが世界の覇権を握ることが可能となったのである。
しかし、このような国際分業体制が実現するためには、貿易に対して各国政府が伝統的に設けている関税などの障壁が撤廃されなければならない。これが19世紀イギリスが打ち出した自由貿易という原則である。具体的には、輸入品に対する関税の引下げ、数量制限の撤廃・貿易港の拡大などである。このような自由貿易が実現すれば、価格競争を通じて、世界で最初に産業革命に成功したイギリスの安価な工業製品が全世界に輸出される一方、イギリスは世界で最も安価な原料・食糧を海外から輸入することができる。これが、イギリスが『世界の工場』となるということの経済学的な意味である。
ところが、政治学の視点から見ると、およそ近代国家は主権国家であるから、外国との貿易についても、各国政府は自国の産業を保護するために自由に関税を課す権限(関税自主権)をもっている。なかでも、東アジア諸国は、17~18世紀以来、政府が貿易を制限する政策をとってきた(日本では「鎖国」、清では「海禁」と呼ばれる。)。
~略~
アヘン戦争以降、イギリスは自由貿易の要求に応じない国に対しては、武力の行使または武力による威嚇を辞さない「砲艦外交」を展開した。日本史で有名なアメリカのペリーの率いる「黒船」(蒸気船)の威圧による日本の開国も、19世紀には珍しくない砲艦外交の一例にすぎない。
本題の出題者がいう「日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ」たのかという論点については、以上の説明で十分であろう。結局、多くの国がイギリスの自由貿易の要求を受け入れ、工業国イギリスを中心とする国際分業体制に組み込まれ、イギリスの原料・食糧供給地に転落した(インド・中国・トルコ・中南米など)。一方、少数ながら、いったんはイギリスを中心とする国際分業体制に組み込まれながらも、最終的にはイギリスに対抗して関税自主権を確立し、工業国への発展に成功した国もある(アメリカ・ドイツ・日本など)。自国の主権を守ったこれらの国々はイギリスと並んで後に列強と呼ばれるようになるが、中でもアメリカとドイツを中心に、1870年代に入ると、鉄鋼・石油・電機業界を中心とする重化学工業が急速に発達し、18世紀のイギリスから始まった産業革命と区別するため、第二次産業革命と呼ばれる新たな工業化の動きが始まる。しかし、ここから後のことは本問の出題範囲を超える。」
受験勉強が普通に世の中のことを書いてるってことを示そうと、あえて、外国の歴史・東京大学という日常とかけ離れたイメージのあるとこに持っていきました。
新しいシステムで商売始めたやつに支配され、それを逃れようとしたところ、それに成功したり失敗したところが血みどろの命の取り合いにまでいって、紆余曲折の末、今に至って、それが社会の枠組みをつくってますよってこと。
ちなみにたみ家は高校時代に世界史は選択はしてません。
大河ドラマの「義経」や「篤姫」を見るぐらいの人にとっては難しくないと思いますし、たぶん面白いとか役に立つとか、今の世の中がそうなってる理由を感じると思います。
英語が世界語になってることとか、アメリカが最近やってた外交政策とか、幕末・明治の人が何に驚き、何に危機を感じ、殖産興業・富国強兵を進めたのか、中国の態度、中東の問題、エジソン、ダイムラーベンツ、ベルトコンベアの発明、モータリゼーション、金融工学の発達、IT革命、格差社会、減反、貿易摩擦などなど。
こういう入試問題の解説にも、たみ家の普段書いてる地域社会のあり方や人々の暮らしを良くするための問題意識が関係ある。
また、日本は世界中に物売って生活してる商人国家だから、仕入先や販売先のお客さんの事情とか過去の関係知らんでええはずないやろ?
イギリスは昔の成功した上手な商人だったともいえるのではないでしょうか?
「1815年のワーテルローの会戦で宿敵フランスのナポレオンを倒して以来、1914年にイギリスの3C政策とドイツの3B政策が衝突して第一次世界大戦が勃発するまで、イギリスの覇権のもとで大きな戦争が起きなかった約100年間をパクス・ブリタニカの時代と呼ぶ。
~略~
なぜほかならぬイギリスが世界の覇権を握ることができたのかという問題である。もっと一般化すると、ある国が世界の政治的な指導権を握るための経済的な条件は何かという問題だ。
この問題を考えるに当たっては、1990年以来の東大の世界史入試で最大のテーマとなっている。「世界の(経済的)一体化という世界史の大きな流れを思い起こす必要がある。これは、globalizationという英語の日本語訳で、グローバル化などともいう。
コロンブスの大西洋横断に代表される大航海時代以来、欧米諸国の商人がアジア・アフリカに進出し、東南アジアの香辛料・中国の生糸・インドの綿織物などの物産を輸入することを通じて、欧米を中心とする国際分業体制が徐々に形成されてきた過程をいう。
世界経済の一体化の過程は現在も進行中であるが、このコロンブス以来約500年間続く世界の一体化の過程における最大の画期が、18世紀後半から始まったイギリスの産業革命であった。イギリス産業革命以前は欧米諸国の商人はアジア・アフリカの物産を輸入する対価として征服した新大陸の銀で支払っていたのであるが、産業革命以後は欧米諸国で生産した工業製品を輸出し、その見返りに世界各地の物産を入手できるようになった。こうして、19世紀にマンチェスターの綿織物を中心とする工業製品を全世界に輸出し、綿花・茶・砂糖などの原料・食糧を海外から輸入する国際分業体制が形成された。このような『世界の工場』イギリスを中心とする国際分業体制が形成されていたからこそ、イギリスが世界の覇権を握ることが可能となったのである。
しかし、このような国際分業体制が実現するためには、貿易に対して各国政府が伝統的に設けている関税などの障壁が撤廃されなければならない。これが19世紀イギリスが打ち出した自由貿易という原則である。具体的には、輸入品に対する関税の引下げ、数量制限の撤廃・貿易港の拡大などである。このような自由貿易が実現すれば、価格競争を通じて、世界で最初に産業革命に成功したイギリスの安価な工業製品が全世界に輸出される一方、イギリスは世界で最も安価な原料・食糧を海外から輸入することができる。これが、イギリスが『世界の工場』となるということの経済学的な意味である。
ところが、政治学の視点から見ると、およそ近代国家は主権国家であるから、外国との貿易についても、各国政府は自国の産業を保護するために自由に関税を課す権限(関税自主権)をもっている。なかでも、東アジア諸国は、17~18世紀以来、政府が貿易を制限する政策をとってきた(日本では「鎖国」、清では「海禁」と呼ばれる。)。
~略~
アヘン戦争以降、イギリスは自由貿易の要求に応じない国に対しては、武力の行使または武力による威嚇を辞さない「砲艦外交」を展開した。日本史で有名なアメリカのペリーの率いる「黒船」(蒸気船)の威圧による日本の開国も、19世紀には珍しくない砲艦外交の一例にすぎない。
本題の出題者がいう「日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ」たのかという論点については、以上の説明で十分であろう。結局、多くの国がイギリスの自由貿易の要求を受け入れ、工業国イギリスを中心とする国際分業体制に組み込まれ、イギリスの原料・食糧供給地に転落した(インド・中国・トルコ・中南米など)。一方、少数ながら、いったんはイギリスを中心とする国際分業体制に組み込まれながらも、最終的にはイギリスに対抗して関税自主権を確立し、工業国への発展に成功した国もある(アメリカ・ドイツ・日本など)。自国の主権を守ったこれらの国々はイギリスと並んで後に列強と呼ばれるようになるが、中でもアメリカとドイツを中心に、1870年代に入ると、鉄鋼・石油・電機業界を中心とする重化学工業が急速に発達し、18世紀のイギリスから始まった産業革命と区別するため、第二次産業革命と呼ばれる新たな工業化の動きが始まる。しかし、ここから後のことは本問の出題範囲を超える。」
受験勉強が普通に世の中のことを書いてるってことを示そうと、あえて、外国の歴史・東京大学という日常とかけ離れたイメージのあるとこに持っていきました。
新しいシステムで商売始めたやつに支配され、それを逃れようとしたところ、それに成功したり失敗したところが血みどろの命の取り合いにまでいって、紆余曲折の末、今に至って、それが社会の枠組みをつくってますよってこと。
あるアスリート
2009年03月22日
たみ家は何回か会って話したことありますが、向こうさんは有名人だし、こっちはその他大勢として会ったので、知り合いと言えるか微妙ですが
小中学校通じてクラスで一番勉強できんかったと言われてた人で、あるスポーツの国際大会の常連になった人がいた。
オリンピックにも出た。
この人
国際大会に何度も1人で行ってるので、数ヶ国語しゃべるそうです。
コンディション整えるので、運動生理学や栄養学やある程度の医学の知識もあります。
いろいろデータを整理するのに、コンピューターも使いこなします。
駆け引きや当日のコンディションのために、心理学に詳しく、気象や風向きの予想を予想図や地形などから詳しく論じます。
全国レベルの選手になった時点で用具メーカーのアドバイザーにもなったので、力の分解やら合成やらベクトルの図とかもサラサラと書きます。
いろんな国に1人でも行くし、国内大会でほぼ全都道府県に行ってるので、いろんな国の地理や風物について、かなりしゃべります。
ほんまにクラスで一番勉強できずに、高校卒業してすぐに、スポーツ選手になった人か?
この人は、スポーツ選手になったけど、運動も全般的にはあまり得意でなく、体格や基礎体力にもそれほど恵まれなかったので、すべての時間をそのスポーツのこと考えてきたような人でした。
そして、スポーツのことだけで、ちょっと言いすぎだけど、世界中の言葉を話し、コンピューターをたくみに操るプロフェッサーのような人になってしまった。
小中学校通じてクラスで一番勉強できんかったと言われてた人で、あるスポーツの国際大会の常連になった人がいた。
オリンピックにも出た。
この人
国際大会に何度も1人で行ってるので、数ヶ国語しゃべるそうです。
コンディション整えるので、運動生理学や栄養学やある程度の医学の知識もあります。
いろいろデータを整理するのに、コンピューターも使いこなします。
駆け引きや当日のコンディションのために、心理学に詳しく、気象や風向きの予想を予想図や地形などから詳しく論じます。
全国レベルの選手になった時点で用具メーカーのアドバイザーにもなったので、力の分解やら合成やらベクトルの図とかもサラサラと書きます。
いろんな国に1人でも行くし、国内大会でほぼ全都道府県に行ってるので、いろんな国の地理や風物について、かなりしゃべります。
ほんまにクラスで一番勉強できずに、高校卒業してすぐに、スポーツ選手になった人か?
この人は、スポーツ選手になったけど、運動も全般的にはあまり得意でなく、体格や基礎体力にもそれほど恵まれなかったので、すべての時間をそのスポーツのこと考えてきたような人でした。
そして、スポーツのことだけで、ちょっと言いすぎだけど、世界中の言葉を話し、コンピューターをたくみに操るプロフェッサーのような人になってしまった。
高校の数学
2009年03月22日
自慢じゃあないが
たみ家は
あの正弦定理も余弦定理も1度すら覚えずに、覚えようともせずに大学を受験した。
関数って言葉の意味も知らんかった。
とにかく勉強する意味がわからんかったし、いい大学に行くとか出世するとかそういう流れへの反抗心みたいなのが強かった。
日本人が英語勉強したって意味ないがとしか思わんかった。
人生の目標とか夢とか志みたいなものもなかった。
部活にだけ関心があった。
ただ、近頃、ブログを書いてて思うのは
環境対策やら交通政策やら観光振興やら福祉やら町おこしやら、世の中のことをいろいろ考えるには、論理的に関係を構築していったり、数量で比較して優先順位をつけたり、他者を説得しなければならないと思わされることも少なくない。
文字式や関数は、大事だ。
これをやらずに、文章だけで多くの関係を同時に処理しようとしても、無理がある。
高校の数学の教科書とか今読んでみると、すごく簡単に思えた。
普段、日本語で書いてる関係が文字に置き換えられてる感覚に思える。
自分が町おこしや福祉について、書いてることは、高校の数学の本に書いてあった。
自分がよく店のことや地域のことで、関連があると思ってたような関係のあり方が、高校の数学の本のグラフに表現されてた。
しょせん数式は言語なんだよなあ。
文章で表せないほどたくさんの複雑な関係を考えざるをえなくなり、しかも、それを世界中で情報交換しなくてはならないなら、文章だけでやっていいわけがない。
物事の関係を知りたいと思うようになったら、嫌でも人は、数学や物理や化学と向き合わなくてはいけなくなるような気がする。
人間と社会の関係について、高みを論じようと思ったら、高い建物を建てるに必要になるがごとく、深くて広い基礎をつくらないといけない。
基礎に深さと広さなしで、高みはありえない。
受験勉強が役に立たないとか、学校の勉強が役に立たないと言っていては、構造的に弱々しい考え方しかでてこないような気がする。
今まで何回か書いたけど
たみ家は、26歳になって、当時の英語教員のカノジョが英検やTOEIC受けるときに、会場の近くで待たされるのが嫌だという理由で、受け始めた。
英語が一番高校のときだめだったので、まったくやる気がせずに、受けることを勧められてもガンとして反発した。
ただ、何回も待たされるのと、そいつと海外旅行でも行くときに、言葉で頼りっぱなしがかっこ悪いと思ったから、しょうがなしに始めたら、絶好調だった。
日本語でないものに慣れたら、数式も嫌いでなくなったし、一番だめだったものが、できるようになったら、二番目や三番目がうまくいかないはずがないと思えるようになり、苦手意識のあるもの、見ただけで嫌になるようなものがまったくと言っていいほどなくなった。
英語を勉強する前の自分は、勉強したことそこだけを知るという感じだった。
応用力も少なく、未知のものに対して、視野を狭めていた。
20歳前後で知った記号論と、就職試験のためにやった微積分や、英語の勉強などが結びついて、たみ家に社会の問題を考えるうえでの構造ができてきたような気がする。
勉強が直接的に役に立つとか役に立たないとか言ってる時点で、見えてないし、問題外なんだわ。
たみ家がただ想像で思うんじゃなくて、実体験で思うのに、高校までの勉強や大学受験の勉強で実際に役立たなかったと思う知識は一切ない。
漢文も古文もそういうネタで偉いさんが挨拶でもすれば理解できた方がいい。
プランクトンや岩の性質も、ダムの環境への影響や赤潮や、庵治石や香川の山容など郷土のことを考えるときに役立った。
アメーバもミジンコも、ホメロスも三年寝た郎も、ただ自分が糧を得て生きるってんじゃなく、環境問題について選挙で争点になったり、地域の問題について考えるという段になると、必ず役に立つ。
騒音や廃棄ガスについて、洪水や高潮など防災について、考えるなら、物理や化学や地学もいる。
そう思って、ふと、高校の数学の本を見てみたら、そこには社会の構造の論理がある意味描かれているような気がした。
工学部で学んだり、腰をすえて数学を勉強したい。
または高いレベルでほんとうに人の暮らしを良くしたり、平和をもたらすような経済の解決策を提示できるようになりたい。
そう思うのは、長々とブログを書く背景にあるもっとその何百倍も長々と考えてきて、常に切り離せないところに、高みや解決を与えるためで、あまりに考えすぎたために、それが、身体の根や無意識下に沈着してしまったのかもしれない。
ああ、勉強がしたい。
今までどんなにしたかったことよりも勉強がしたい。
やっぱこれもブログ効果だな。
それまでは自分の思いなんか文章にしなかったけど、文章にするから、そこへの気持ちがしないことへの気持ちよりも強いのかもしれない。
たみ家は
あの正弦定理も余弦定理も1度すら覚えずに、覚えようともせずに大学を受験した。
関数って言葉の意味も知らんかった。
とにかく勉強する意味がわからんかったし、いい大学に行くとか出世するとかそういう流れへの反抗心みたいなのが強かった。
日本人が英語勉強したって意味ないがとしか思わんかった。
人生の目標とか夢とか志みたいなものもなかった。
部活にだけ関心があった。
ただ、近頃、ブログを書いてて思うのは
環境対策やら交通政策やら観光振興やら福祉やら町おこしやら、世の中のことをいろいろ考えるには、論理的に関係を構築していったり、数量で比較して優先順位をつけたり、他者を説得しなければならないと思わされることも少なくない。
文字式や関数は、大事だ。
これをやらずに、文章だけで多くの関係を同時に処理しようとしても、無理がある。
高校の数学の教科書とか今読んでみると、すごく簡単に思えた。
普段、日本語で書いてる関係が文字に置き換えられてる感覚に思える。
自分が町おこしや福祉について、書いてることは、高校の数学の本に書いてあった。
自分がよく店のことや地域のことで、関連があると思ってたような関係のあり方が、高校の数学の本のグラフに表現されてた。
しょせん数式は言語なんだよなあ。
文章で表せないほどたくさんの複雑な関係を考えざるをえなくなり、しかも、それを世界中で情報交換しなくてはならないなら、文章だけでやっていいわけがない。
物事の関係を知りたいと思うようになったら、嫌でも人は、数学や物理や化学と向き合わなくてはいけなくなるような気がする。
人間と社会の関係について、高みを論じようと思ったら、高い建物を建てるに必要になるがごとく、深くて広い基礎をつくらないといけない。
基礎に深さと広さなしで、高みはありえない。
受験勉強が役に立たないとか、学校の勉強が役に立たないと言っていては、構造的に弱々しい考え方しかでてこないような気がする。
今まで何回か書いたけど
たみ家は、26歳になって、当時の英語教員のカノジョが英検やTOEIC受けるときに、会場の近くで待たされるのが嫌だという理由で、受け始めた。
英語が一番高校のときだめだったので、まったくやる気がせずに、受けることを勧められてもガンとして反発した。
ただ、何回も待たされるのと、そいつと海外旅行でも行くときに、言葉で頼りっぱなしがかっこ悪いと思ったから、しょうがなしに始めたら、絶好調だった。
日本語でないものに慣れたら、数式も嫌いでなくなったし、一番だめだったものが、できるようになったら、二番目や三番目がうまくいかないはずがないと思えるようになり、苦手意識のあるもの、見ただけで嫌になるようなものがまったくと言っていいほどなくなった。
英語を勉強する前の自分は、勉強したことそこだけを知るという感じだった。
応用力も少なく、未知のものに対して、視野を狭めていた。
20歳前後で知った記号論と、就職試験のためにやった微積分や、英語の勉強などが結びついて、たみ家に社会の問題を考えるうえでの構造ができてきたような気がする。
勉強が直接的に役に立つとか役に立たないとか言ってる時点で、見えてないし、問題外なんだわ。
たみ家がただ想像で思うんじゃなくて、実体験で思うのに、高校までの勉強や大学受験の勉強で実際に役立たなかったと思う知識は一切ない。
漢文も古文もそういうネタで偉いさんが挨拶でもすれば理解できた方がいい。
プランクトンや岩の性質も、ダムの環境への影響や赤潮や、庵治石や香川の山容など郷土のことを考えるときに役立った。
アメーバもミジンコも、ホメロスも三年寝た郎も、ただ自分が糧を得て生きるってんじゃなく、環境問題について選挙で争点になったり、地域の問題について考えるという段になると、必ず役に立つ。
騒音や廃棄ガスについて、洪水や高潮など防災について、考えるなら、物理や化学や地学もいる。
そう思って、ふと、高校の数学の本を見てみたら、そこには社会の構造の論理がある意味描かれているような気がした。
工学部で学んだり、腰をすえて数学を勉強したい。
または高いレベルでほんとうに人の暮らしを良くしたり、平和をもたらすような経済の解決策を提示できるようになりたい。
そう思うのは、長々とブログを書く背景にあるもっとその何百倍も長々と考えてきて、常に切り離せないところに、高みや解決を与えるためで、あまりに考えすぎたために、それが、身体の根や無意識下に沈着してしまったのかもしれない。
ああ、勉強がしたい。
今までどんなにしたかったことよりも勉強がしたい。
やっぱこれもブログ効果だな。
それまでは自分の思いなんか文章にしなかったけど、文章にするから、そこへの気持ちがしないことへの気持ちよりも強いのかもしれない。
連休いろいろ
2009年03月22日
20日の祝日は、高松南部の三谷のうどん屋、結局3件行っちゃいました。
多肥や三谷は3年ぐらい行ってないけど、ほんと変わったなあ。
帰りに、ルーブ寄ったら、若い職人含むスタッフ10人以上楽におったなあ。
21日の土曜日は、確かに、うどん屋に観光客の方が多かった。
ほんとに目標売上に早く達したら、早く終われて、身体が楽だ。
県外から客人があったので、たこ焼きは、あまりがんばって焼かずに火を弱くしたり強くしたりしながら、ぼちぼちやっていた。
すると、某ご意見番の方が。
たこ焼きもうどんも、芸能人やピッチャーに似てると思うことが多い。
大手とタイアップすれば売れるとか、プロダクションの力とか、何かブレークのきっかけがいったりする。
美人だから人気が出るとか歌が上手ければ売れるとは限らないし、見た目やその人の持つムードなども大事。
見た目が悪くてもキャラが立ってれば売れることもある。
美味さよりも食べやすさで人気が出るってのは、古くから高
好感度芸能人に見た目がそれほどでない人が多いことからもわかる。
また、うどんの美味さってのは、球の力みたいなもんで、球が速くても、大事なとこでホームラン打たれたり、ランナーが出たらコントロールが乱れるとか、スタミナがないとか、肩壊しがちとかってのがあるといいピッチャーとは言えない。
勝てない。
また、変化球や配球やコントロールなどが、メニューの幅やスタッフの教育などなどかもしれない。
勝手が違うときの対応とか、お客さんが多いときのオペレーションとか、営業のトータルの安定感で、ピッチャーが試合をつくるって感覚に近いものがあると思う。
たみ家もてつおも、
「芸能人としてどうか、ピッチャーとしてどうか。」
それが大事だと思う。
そうじゃないと、自分の調子がいいときと、他の標準の時を比べて、自分が勝っているような錯覚に陥りやすいと思うし、結果が伴わないときに伴わない理由がわからないと思う。
実は、今日縄とび買いました。
二重とび対決をすることになったのですが、なんか、やるとなると気になってきて、誘惑に負けて買わずにいられなくなりました。
縄とびは小6以来ですが、買っておいて良かったです。
1回とんだだけで脚に違和感が。
そして、最初の挑戦はなんと1回。
長さが合ってなかった。
いやあ。いきなり長さの合わないやつでとんで1回だったら、本番辛かっただろうなあ。
次は、3回、次は7回。
なんか感覚がつかめてきたような。
次が18回。次が32回。
徐々に調子が良くなってきたけど、ひっかかって次が16回。
そして、次が42回。
メタボだ。
息が上がっている。
長さを合わせずに己を知らずに、いきなりやらなくてほんとうに良かった。
さて、こっから伸びないのか。
持久力がついて、縄の長さもリズムも合ってくると、伸びるような気もする。
50回ぐらいどまりか、200回を超えて伸びていくのか、想像がつかない。
それにしても、1発勝負だと、まじで10回ぐらいで引っかかることもあるなあ。
最初1回しかとべなかったときは驚いた。
いくら長さが合ってなくても、それは無いだろうと思った。
でも、そっからでも5分も経たないうちに40回ぐらいは行くんだから、何かを再開するときとか始めるときに、激しくショック受けるほどうまくいかなくても、気にせずどんどん進めていけばそこそこはいけると思える。
また、苦にせずにできた後ろ二重とびは、二重どころかただの後ろとびでも、ほとんどとべなかったし、二重交差もできなかった。
これも対決となったらできるようになるのかもしれないが、やっぱり、あまりに落ちていると、心が折れてしまう。
心さえ折らなかったら、難しくないことは何でもできるはずだと思う。
多肥や三谷は3年ぐらい行ってないけど、ほんと変わったなあ。
帰りに、ルーブ寄ったら、若い職人含むスタッフ10人以上楽におったなあ。
21日の土曜日は、確かに、うどん屋に観光客の方が多かった。
ほんとに目標売上に早く達したら、早く終われて、身体が楽だ。
県外から客人があったので、たこ焼きは、あまりがんばって焼かずに火を弱くしたり強くしたりしながら、ぼちぼちやっていた。
すると、某ご意見番の方が。
たこ焼きもうどんも、芸能人やピッチャーに似てると思うことが多い。
大手とタイアップすれば売れるとか、プロダクションの力とか、何かブレークのきっかけがいったりする。
美人だから人気が出るとか歌が上手ければ売れるとは限らないし、見た目やその人の持つムードなども大事。
見た目が悪くてもキャラが立ってれば売れることもある。
美味さよりも食べやすさで人気が出るってのは、古くから高
好感度芸能人に見た目がそれほどでない人が多いことからもわかる。
また、うどんの美味さってのは、球の力みたいなもんで、球が速くても、大事なとこでホームラン打たれたり、ランナーが出たらコントロールが乱れるとか、スタミナがないとか、肩壊しがちとかってのがあるといいピッチャーとは言えない。
勝てない。
また、変化球や配球やコントロールなどが、メニューの幅やスタッフの教育などなどかもしれない。
勝手が違うときの対応とか、お客さんが多いときのオペレーションとか、営業のトータルの安定感で、ピッチャーが試合をつくるって感覚に近いものがあると思う。
たみ家もてつおも、
「芸能人としてどうか、ピッチャーとしてどうか。」
それが大事だと思う。
そうじゃないと、自分の調子がいいときと、他の標準の時を比べて、自分が勝っているような錯覚に陥りやすいと思うし、結果が伴わないときに伴わない理由がわからないと思う。
実は、今日縄とび買いました。
二重とび対決をすることになったのですが、なんか、やるとなると気になってきて、誘惑に負けて買わずにいられなくなりました。
縄とびは小6以来ですが、買っておいて良かったです。
1回とんだだけで脚に違和感が。
そして、最初の挑戦はなんと1回。
長さが合ってなかった。
いやあ。いきなり長さの合わないやつでとんで1回だったら、本番辛かっただろうなあ。
次は、3回、次は7回。
なんか感覚がつかめてきたような。
次が18回。次が32回。
徐々に調子が良くなってきたけど、ひっかかって次が16回。
そして、次が42回。
メタボだ。
息が上がっている。
長さを合わせずに己を知らずに、いきなりやらなくてほんとうに良かった。
さて、こっから伸びないのか。
持久力がついて、縄の長さもリズムも合ってくると、伸びるような気もする。
50回ぐらいどまりか、200回を超えて伸びていくのか、想像がつかない。
それにしても、1発勝負だと、まじで10回ぐらいで引っかかることもあるなあ。
最初1回しかとべなかったときは驚いた。
いくら長さが合ってなくても、それは無いだろうと思った。
でも、そっからでも5分も経たないうちに40回ぐらいは行くんだから、何かを再開するときとか始めるときに、激しくショック受けるほどうまくいかなくても、気にせずどんどん進めていけばそこそこはいけると思える。
また、苦にせずにできた後ろ二重とびは、二重どころかただの後ろとびでも、ほとんどとべなかったし、二重交差もできなかった。
これも対決となったらできるようになるのかもしれないが、やっぱり、あまりに落ちていると、心が折れてしまう。
心さえ折らなかったら、難しくないことは何でもできるはずだと思う。
褒めたり、誘ってみる 1
2009年03月21日
たみ家、一日一英を維持できてなかった。
「褒めて伸ばせ」とか「人には沿うてみよ」とか言うしね。
誘い文句みたいだけど、会ったことあったっけ?
Sounds like a line,but have we met?
いいえ。でも会っていればよかったわ。これは誘い文句よ。
No,but I wish we had.And that is a line.
とびっきりの笑顔。息ができないよ。
What a beautiful smile!You take my breath away.
かわいい人!
You're truly a lovely woman.
君のような自然な美しさ。そういないよね。
Natural beauty like yours is quite rare.
髪がサラサラだね。
You've got hair like silk.
見つめてていい?
May I just stare into your eyes?
あなたは魅力的だ。
You're fascinating.
あなたに愛されたくてそうしてるのよ。
I'm trying to make you love me.
君の瞳は100万ドル。
Your eyes like a million bucks.
どっか静かなとこに行かない?
Why don't we go somewhere quiet.
(たぶん同じ発音記号だと思うけど、quiet と quiteがあった。etの方が、「え~と」って静かになるんだなあって理由つけて覚えた。)
あなたってモテモテでしょう?
I bet you're a real heart breaker,aren't you?
次のカノジョになりたい?
You wanna be next?
実は、結婚してるの。
Actually,I'm very married.(veryつけるとホットな状態だそうです。)
どうやって連絡したらいい?
How can I get in touch with you?
君と一緒だとすごく楽しい。
I have a really good time with you.
「褒めて伸ばせ」とか「人には沿うてみよ」とか言うしね。
誘い文句みたいだけど、会ったことあったっけ?
Sounds like a line,but have we met?
いいえ。でも会っていればよかったわ。これは誘い文句よ。
No,but I wish we had.And that is a line.
とびっきりの笑顔。息ができないよ。
What a beautiful smile!You take my breath away.
かわいい人!
You're truly a lovely woman.
君のような自然な美しさ。そういないよね。
Natural beauty like yours is quite rare.
髪がサラサラだね。
You've got hair like silk.
見つめてていい?
May I just stare into your eyes?
あなたは魅力的だ。
You're fascinating.
あなたに愛されたくてそうしてるのよ。
I'm trying to make you love me.
君の瞳は100万ドル。
Your eyes like a million bucks.
どっか静かなとこに行かない?
Why don't we go somewhere quiet.
(たぶん同じ発音記号だと思うけど、quiet と quiteがあった。etの方が、「え~と」って静かになるんだなあって理由つけて覚えた。)
あなたってモテモテでしょう?
I bet you're a real heart breaker,aren't you?
次のカノジョになりたい?
You wanna be next?
実は、結婚してるの。
Actually,I'm very married.(veryつけるとホットな状態だそうです。)
どうやって連絡したらいい?
How can I get in touch with you?
君と一緒だとすごく楽しい。
I have a really good time with you.
イケメン揃い
2009年03月21日
Yahooトップページに
「総理大臣杯はイケメン揃い」って見出しがあったので、のぞいてみた。
まあほんとうだと思いました。
競艇って、体重が軽くないとやれないだけに、太った人がいないからかな?
その点は、競馬もそうなの?
三浦さんと武さんしか騎手の顔よく知らないけど。
確かに、近頃、昔に比べてメタボというか、日本人が全体的に顔ぽっちゃりで、30過ぎて顔がすっきりした人が少ないから、痩せてるってだけで若く見えますね。
野球WBCのメンバーも
ソフトバンクの杉内って、イケメンじゃなかったっけ?
漏れたけど、和田さんも
顔がわかる人の方が少ないんだけど
ダルビッシュ、岩隈、青木、中島、片岡あたりは、イケメンじゃあないでしょうか?
あと、2、3人ぐらいイケメンの人いませんでしたっけ?
芸能人じゃないのに、3分の1もイケメンがいるって、イケメン軍団に認定してもいいんじゃあないでしょうか?
にしても、イケメンって、まだ死語にならないの?
たみ家もイケメンにはなれんとしても、スポーツで顔と身体をもうちっとすっきりさせて、3年分ぐらい見た目年齢若返りたいなあ。
「総理大臣杯はイケメン揃い」って見出しがあったので、のぞいてみた。
まあほんとうだと思いました。
競艇って、体重が軽くないとやれないだけに、太った人がいないからかな?
その点は、競馬もそうなの?
三浦さんと武さんしか騎手の顔よく知らないけど。
確かに、近頃、昔に比べてメタボというか、日本人が全体的に顔ぽっちゃりで、30過ぎて顔がすっきりした人が少ないから、痩せてるってだけで若く見えますね。
野球WBCのメンバーも
ソフトバンクの杉内って、イケメンじゃなかったっけ?
漏れたけど、和田さんも
顔がわかる人の方が少ないんだけど
ダルビッシュ、岩隈、青木、中島、片岡あたりは、イケメンじゃあないでしょうか?
あと、2、3人ぐらいイケメンの人いませんでしたっけ?
芸能人じゃないのに、3分の1もイケメンがいるって、イケメン軍団に認定してもいいんじゃあないでしょうか?
にしても、イケメンって、まだ死語にならないの?
たみ家もイケメンにはなれんとしても、スポーツで顔と身体をもうちっとすっきりさせて、3年分ぐらい見た目年齢若返りたいなあ。
三谷に何が?
2009年03月20日
最近、三谷町のあたりにうどん屋が増えてるらしい。
サンメッセ周辺から、少し南部に重心が下がってきたような。
最もよくわかってる人達が出店するんだから、合理性があるんだろうと思うけど、その事情は?
行ってみるか。
サンメッセ周辺から、少し南部に重心が下がってきたような。
最もよくわかってる人達が出店するんだから、合理性があるんだろうと思うけど、その事情は?
行ってみるか。
マスターズ陸上
2009年03月20日
いっぺんやってみたいと思っていたこと。
香川で、35歳以上とか40歳以上の100m走の記録ってどれぐらいなんだろう?
たみ家が一番素の能力で得意だと思うのは、たぶん、短距離走か将棋。
ただ、開業してから、体重も10kg以上増えたし、コンクリートの上で立ち続けたのが悪いのか、筋肉が硬くなってる。
そもそも、今、走れるかどうかも怪しい。
何か、競技会に出ることをきっかけにして、身体の衰えを防ぐように意識していきたい。
誇れることで、強制力があることで、数値に表れることでないと、今ぐらい時間がとれない状況では続かないだろうと思うから、テニスとか、野球とか、競技会に出ずにジョギングなんかをするんでは無理。
かといって、週6日、店に15時間いる状況で、どんな練習ができるんだろうかというと、難しそうだなあ。
香川で、35歳以上とか40歳以上の100m走の記録ってどれぐらいなんだろう?
たみ家が一番素の能力で得意だと思うのは、たぶん、短距離走か将棋。
ただ、開業してから、体重も10kg以上増えたし、コンクリートの上で立ち続けたのが悪いのか、筋肉が硬くなってる。
そもそも、今、走れるかどうかも怪しい。
何か、競技会に出ることをきっかけにして、身体の衰えを防ぐように意識していきたい。
誇れることで、強制力があることで、数値に表れることでないと、今ぐらい時間がとれない状況では続かないだろうと思うから、テニスとか、野球とか、競技会に出ずにジョギングなんかをするんでは無理。
かといって、週6日、店に15時間いる状況で、どんな練習ができるんだろうかというと、難しそうだなあ。




