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Posted by あしたさぬき.JP at

英語でブログを書こうと思うが

2009年02月28日

今日、「経済レポートかがわ」の記事に触発されて、

①外国人に香川の説明ぐらいできんとまずいかなあと思うようになった。

それに、うちの社名 フードエンタープライズジャパン には、国際的な意識があるのは間違いない。

といっても、多くの海外に拠点を持つ食品関連の社長さんが英語が達者だとも思えないので、必要なわけではないだろうが、それとは関係なしに、

②英語で書いて世界中からアクセスが来るようなブログを書いて、香川を紹介していかんといかんのかなあという思いがフツフツと。

うどん屋はじめてから、ほんと何も勉強してないんですよね。

ここ数年、文字なんか、一文字も読まなくても生活しようと思えばできるような日々でしたからね。

急に頭が働きそうにないので、少しずつ、慣れていこう。
  

Posted by たみ家 at 23:39Comments(0)

TJかがわ見ました。

2009年02月24日

ここ数日、ほぼ毎日、3回ほど言われてます。

たこ焼きにピントがいってるので、写真のたみ家の顔が実物よりも良く見えるというご意見もありました。
  

Posted by たみ家 at 06:43Comments(2)

ここんとこ

2009年02月24日

ここんとこ、あえて、
長期の、短期の関心

負担と負担能力

求心力と遠心力

のように

時間や量や力などあらゆる現象を構成する素について、できる限り、数的に把握できる関係で論じるようには、心をくばってます。

そうすると隙間がなくなるし、関係も説明しやすいと思う。

関心の長短は時間としてゼロからゼロ以上で、すべてが網羅される。
負担と負担能力はそれぞれが量で表され、差や比がわかるから、財務分析など今後を考えるための話のネタになる。
求心力遠心力も外向きか内向きかゼロかですべてが網羅される。

できうる限り、網羅的で、座標に落としたり関数として把握できるよう準備はしておきたい。
  

Posted by たみ家 at 06:39Comments(0)

市場性  短期の関心 長期の関心 2

2009年02月22日

農耕が文明を生んだとすると
農耕って、そもそも、すぐに食べられる種子などを土に埋めて、長く育つのを待つわけです。

子育てなんてのも、自分が食べる分を子にあげたりしながら、こればっかは効率やおぜにさんの力で、1年で他人の子の10倍も早く育ったりしないけど、長い時間、人間の場合は待つわけです。

農業や子育てという、人間と人間でないものを分かつ最も特徴的で、繁栄を導いたものは、長期の関心。
それしかないと思いませんか?

人間が良くなるってこと、人間が人間らしくあることの意味はいろいろあると思いますが
ズバッと端的にやってしまうと

長期の関心を持つこと。

というのはどうでしょうか。

ここで、ちょっと変化球ですが
長期の関心を持とうと思ったら未来が良くなると思えないとやる気がでないことないですか?

未来が良くなると思えないと
駅や交差点に車で突っ込むようなのが現れますが

未来が良くなると思っている人は
いたずら程度はするし、まあ、それでも犯罪する人はするでしょうが
まるで狂ったようなことは、あまりしないんじゃあないでしょうか。

長期の関心を持つってのは個人のことですが
長期の関心が持てるようにするってのは、かなり大きな共同体の作業じゃないでしょうか。


遊びといわれるものの代表で
とりわけ、身体に負担かけたり、おぜにさんをたくさん使うので、身を滅ぼすもののように言われるのが

飲む打つ買う

酒、ギャンブル、色恋、あと打つってのを大麻やら覚醒剤も含められたりして

短期ですぐに楽しいものばっかり

これらは、風営法やら、未成年はだめよとか、賭博に関する刑法の条項とか、売春の防止に関するとか、淫行がどうかとか、大麻および覚醒剤の取り締まりに関するとか、ちゃんとした名前はよくわかりませんが、やり過ぎんようにとか、場所や対象を限定するようにとか法令で制限しとるわけです。

短期で楽しいことは、楽しいからしたいんは当たり前だけど、やり過ぎは、人間も国も滅ぼすからこれ以上のことはやるなよ!
って、言ってます。

短期で、生身の身体さえあれば、何の知識も前提もいらない遊びは、おぜにさんになる。
でも、農業や子育てが楽しいって言ってる人もいっぱいいますし、勉強が好きって人もいる。
マンガも勉強の読書も座って、本持って、目で追って、同じことをしてますが
短期で楽しいか長期の積み重ねで楽しさを感じるかの差。


作業がいろいろあって出ないといけないので

(中略)

前記事で、「親が子に何を好きにさせるかが最も親の大きな責任の一つ」って書いてますが、こういうと、「何を好きになるかは子どもの自主性だ。」
とか、理解のない反応が返ってきそうな気がします。
じゃあ、暴力や自殺マニュアルが好きってのも自主性でええんか?

長期の関心を持たせるってことは、親はどんな親も絶対にしないといけないし、長期の関心が持てない子は、たぶん本人が不幸になり、周囲や国など共同体を害する存在になる可能性は大きいでしょう。
長期の関心がない人は人を害したり、過度に依存せずには生きていけない可能性が高い。
これ、どうですか?
読まれた方の頭で考えて、きちんと、確かめてみてください。

全部が全部ではないけど
短期の関心ってのは、共同体の利益としては、良くて価値中立、消費か犯罪か、個人の快楽。
まあ楽しむために人は生きてるっていえんこともないですが、長期のものはもっと楽しい。。。かもしれない。
短期を否定もしないけど、長期のものが抑圧的ってわけでもない。

学ぶとか生産は、まず、長期です。
長期のものは、だいたい価値を高めるもので、共同体の利益にもなる。
そして、本来、短期の飲む打つ買うよりも楽しいもの。。。だとたみ家は思ってる。
まあ、どっちの楽しみも世の中が回るためには要るんですが。

長期の楽しさには、人それぞれの前提が要ってそれは多様であって、それ以外の人にとっては楽しくないことが多いので、市場性が、飲む打つ買うに劣る。


だから、ピンでおぜにさん持ちになるもので楽しませるものといえば、芸術家、芸能人、プロスポーツ選手など、目で楽しませるものが多くないでしょうか?
ミュージシャン自体は、耳ですが、テレビで目を楽しませる要素も大いにあります。

人それぞれ育ちや教育などの前提がなくても、五感はあるから、「五感は市場」だ。

次に、耳もそうですが

目と耳のものは、短期に多くの人に快楽を持たせることができます。

この点、触覚と嗅覚は、テレビやネットに乗らないので、この道で大おぜにさん持ちになる人は、圧倒的な視覚分野、次いで聴覚分野に比べて少ない。

そして、味覚分野は、これは、1つの店舗でも、毎日たくさんのお客さんを相手にできるので、まあまあ飲食業にはおぜにさん持ちが出てます。
テレビで視覚分野にも乗せやすいしね。

なんにしても、とりわけ「目は市場」、「目が市場」ってのは言えそうだね。

それに比べて、あんまやフットケアとか、アロマテラピーとかは、先生になって多数に伝えたり、本を書くなど情報力で持っていかない限り、1人が身体動かして、1人と向き合うのでは、よほど名人や太客つかまえた人しかおぜにさん持ちにはなりにくいだろう。
そして、飲食と違って、毎日、たくさんの人がするわけでない。

短期で、たくさんの人に向かえる、五感の世界は、市場性が高いのでおぜにさんになりやすい。

あと、第六感といわれる霊感はどうか、これは情報性だし、粗利大きいから、細木さんやら江原さんやらおぜにさん持ちはけっこういるでしょうね。

また、長期のものが市場性を出すにはどうか。
作業が控えてるので、中略って書いときながら、急いでると、書きながら思いついたことを整理しないままに横道にどんどん行ってしまいました。
  

Posted by たみ家 at 10:14Comments(0)

短期の関心 長期の関心 1

2009年02月21日

前記事「国とは」って、何が言いたかったのか

あれで
「勉強が社会を良くする一番の方法」「親の責任で、子が何を好きになるように仕向けるかが大事」
ってのがいくつかのメインテーマのうちの最重要のつもりだったけど、これはさすがにわかりにくいやろうなあ。

横道で前記事の補足ですが
たみ家は「国の本質は暴力」と言い切りましたが
たみ家は国が嫌いなわけではないですよ。

よく人は水でできてるとか、言う人によって70%とか90%が水って言うじゃないですか。
だけど、憧れの○○さんを水だと思ってるわけではない。
でも、知識としては、憧れの○○さんも水素や酸素や炭素や窒素やカルシウムほかなんだってことは知っている。

問題がなければ何も考える必要などないんですね。
病気とかに対抗するために医学とか進歩しないといけないから、各自も健康に気をつけないといけないから、そういう知識が必要なんであって、「人は水だ」って言うときには、「健康」ってものを守ろうとするからでしょう。

「国とは暴力だ。」ってのも「人は水だ。」ってのと同じぐらいほんとで、同じぐらい役に立つ知識です。
「国は暴力だ。」って知識が国民の権利や民主主義を守るわけです。
それは国の健康みたいなもの。
また「国が暴力を背景にして、ときには実力行使してでも守らなければならなかったことは何か。」そのことを考えれば、愛国心めいたものも出てこなくはないですかねえ。

さて
強くなった国はどんな国だったかってことを考えると

おぜにさんがらみのことで
借金をたくさんした国(例 アメリカ ものすごい財政赤字を持ってる日本)が経済大国の1と2ですよね。

次は長期の関心を持ってた国ではないでしょうか。

スパルタとかチンギス・ハーンのモンゴルとか
前者は禁欲的に語られ、後者はどうだったのかよく知りませんが
鍛えて武芸は高めた

農耕を早くから始めたとこもそうかな?
すぐ食べられる種子をあえて、土に埋めて、育つのを待つってのがそもそも長期の関心。

人を育てるってのも長期の関心。

あと、大河の近くの四大文明といわれるとこは、文明ってぐらいだから学問が早くから発達したんでしょう。

古代ローマも組織を重んじた

ローマとポエニ戦争で争った、通商国家フェニキアとかどうだったのかな?

雪深い国は、蓄えるってことをどうしてもやらないといけなかった。

アリとキリギリスみたいなもんか。

あと、豊かになったり強くなった国とそうでもなかった国を対比して、前者にはどんな特質があったでしょうかね?

蓄えた、学んだ、鍛えた、育てた、人の組織をつくった、流通や信用のシステムをつくった。

あと何だろう?
頭にさっと浮かんだことしか書いてないので、もうちょっと後できちんと整理しないと。

学ぶも鍛えるもそのこと自体は長期の関心持ってないと楽しくないし、組織やシステムづくりも蓄えるってことも全部、長期の関心に基づくこと。
組織づくりだって、人が集まったら嫌なやつや、自分が損する話が出てくるから、後のためにガマンってのが不可欠。

他人の役に立つことは、ほとんどが長期的なことで
短期のことは、刹那的な個人の快楽で終わるものが多い。
集団や歴史のレベルで考えると短期が負けたり滅びるのはわかりきっている。
  

Posted by たみ家 at 07:12Comments(0)

国とは

2009年02月20日

①国とは何か
②国と国でないものを分かつメルクマールは
③国はなぜできたか
④国の目的は何か

について、淡々と事実としての歴史と現状から、
そして、一般的に教科書に書かれていることでたみ家が疑ってないことについてはそのままに

たくさんの人が利害関係を持ちながら生きている社会とかいうものを良くしたいと思うと、こういうことの理解がかみ合ってないと、話がしにくいことがある。

①領土と国民と主権が国家の三要素とよく言います。
エリアと人、あと「主権」ってなんですか?

②サザエさんの磯野さんちにも、敷地があって家族がいます。でも主権がありません。
会社にも、社屋があって従業員がいます。でも主権がありません。

この主権ってのは、暴力で従わせることしかないんでしょう。
法律のようなルールや議会なら、家訓やら家族会議やら社則やら取締役会やら株主総会がありますから。

どうやっても、国と国でないものを分かつものは、暴力しかありません。
日本の場合は、外に向かっては自衛隊、内に対しては警察に代表される暴力が、日本を国家たらしめているといえるでしょう。

「国家とは暴力装置」ってのは大学の多くの教科書にも当たり前の前提として書いてあります。
過激な人が言ってるのでなく、大学の教科書でこれを疑ってるものなんか無いでしょう。

①に戻ると、主権とは、領土を侵害する者を排除する力と国民に対する強制力のことで、これは暴力を背景にするしか絶対にありえません。

③じゃあ、国とは暴力で、軍や警察がその本質だとすると
国ってなんでできたんでしょうね。
はじめ人間ギャートルズの世界には国があったように見えんなあ。
マンモスと戦うときに、ときどき、ゴンの家族以外も協力してたように思うけど、国があったとは思えんかったなあ。

必要もないのにつるんで、わざわざ暴力に支配されたいと思わないだろうから、必要だったんだろう。
何かをするのは、何かをしないと困ったからで、じゃあ、何で困ったんだろうと考える必要があると思う。

国の本質が暴力なら、何かを守るためと考えると
農耕によって富が蓄積されたりしだすと、痩せ地の民族が狙ってくるぞ、農業のノウハウを持ってない民族が狙ってくるぞ。
ある程度富が蓄積されてきて、はじめて集団で守ったり攻めたりの必要が出てくる。

またローマの建国神話を思い出すと、ふるさとではみ出し者になったならず者兄弟がその他ならず者を引き連れてローマの辺りにやってきて、建国したとある。
しかし、男ばっかで来たので、女性がいないと楽しくないし、繁栄もしない。
そこで、ザビー二の女性をたくさん拉致して妻にした。
しかし、ザビー二の男衆が、奪い返すためにローマに侵攻するも、なかなか勝負がつかなかった。

拉致されたとはいえ、大事にされて、いつの間にか情もうつったローマの男と、もともとの親や兄弟が長く戦争をするのを見かねた拉致されたザビー二の女衆が「けんかをやめて~♪」と言い出した。
そこで、ローマはたぶん優勢だったのか、なんだかんだいっても、女性を自分の側に確保してる強みか、ザビー二に対してあつかましいにもほどがある。女性はそのままで、ローマとザビー二は友好国ってことを提案して、和解にいたったって話だったと思う。
ほんまにローマ、こんな建国神話でええんか。

富が蓄積されると集団の中でも泥棒みたいな人がでたりしたかもしれないし、ある程度秩序ができてくると姦通けしからんとかいうルールができだしたかもしれない。

このあたりからいくと、国とは、力で共同体の中の富と女性を守る必要からできたってのが有力でないだろうか?

この「富の蓄積」ってとこは、たみ家の他のいろんなテーマに引っかかってきます。
なんで、赤道近くの国には豊かな国がなくて、アイスランド、カナダ、デンマークなど北欧4国、スイスなど雪深い国はみんな豊かなんでしょうね。
冬が厳しければ、備蓄する、組織がいる、設備をつくる、少なくともこういうことがいるわなあ。
また、いつでも食べ物がないので、あるとことないとこで、何かを媒介に交換する必要に迫られるので、通貨を必要としやすくなるわなあ。
そして、食べ物がつくれないなら、何か他のものを付加価値をつけてつくって売るという選択も出てくるわなあ。
食べ物のあるとこに行かないといけないので、交通の手段や商いが発達しやすそうだし、動くことで、見聞も広がりそう。
おっと富山の薬売りかい。

少なくとも、冬の存在が重要で、冬のある国が冬のない国を凌駕したのは、そうなんじゃないだろうか。

短期の関心しかない者と長期の関心を持つ者との成熟度や強さの違い。
食べて飲んで歌って踊って恋をして、ってだけじゃあいかんかった。

あと、治水など防災の必要がつるむ動機を強くするってのはあったかな。
黄河、インダス、ナイル、チグリス・ユーフラテスのように、氾濫する河の近くは地味が豊かになりやすいので人が増える、でも、治水もしないといけない。
組織も、技術も、学問も発展するわけだ。

そこへ行くと、富山が豊かで学力水準が高いのは、雪は深いし、急峻な北アルプスから急勾配を豊富な水量で砂礫を押し流す地勢から、洪水が多かったからってのは、ちょっと関係がありそう。
古代四大文明や北欧・スイスのいいとこどり、その上、一向宗の土地だから、宗教的に、清教徒のような一歩進んだとこがあったのではと思うと、いろいろつながってくる。
北アルプスを下りるフェーンのため防火上、家と家を離して、結果的に区画整理的に住環境を整備したのも良かったのかもしれない。

④で、国の目的は何か。
これ、たみ家が言ってるのでなくて、19、20歳の法学部で読まされる教科書に軒並み書いてあったのが

国民のためでなく、国の存立自体。

国の目的を国民のためととらえようとした学問的試みは軒並み矛盾をクリアできずに挫折している。

もし、「国民のため」が国の定義に必要なら
ちょっと前のイラクとか北朝鮮とか戦前の日本とか、国じゃないのか?
「国民のためにあるべき」と勝手に言っても、そうでなさそうなとこが国連でもオリンピックでも国として代表出しとるぞ。
そもそも民主主義国家って方が、世界の200ヶ国ほどの中では少数派だろう。
ミャンマーも怪しいし、中国だって怪しいが、今頃、中国は国ではありませんって言うのはないだろ。

国がそうあってほしいってのと、国とは何かをごっちゃにするとややこしい。
そして、むしろ、国は、国民のためでなく自己目的化して暴走する性質を持つ暴力装置と解した方が、国民が民主主義を守る必要性や責務について、良い理解に到達しやすいと思う。

そして、いずこも同じ、暴力を拠りどころにする集団は、儀式や精神論によって求心力を保とうとするのが大好き。
国も暴力団も学生運動の過激派もそうだった。
新入生に飲酒を強要する大学の体育会サークルの新勧コンパも、儀式と精神論による求心力と暴力の典型か。

事実と思うところに基づいて淡々と理解を進めようとすると、たみ家の現時点での理解では、だいたいこういう話になってます。
  

Posted by たみ家 at 00:23Comments(0)

つれづれなるままに 2月18日

2009年02月18日

携帯だと自分のブログの誤字脱字が発見できるけど、パソコンの画面だと発見できんのはなぜ?



たみ家のブログは、書いてあることのすべてがすべてといつも同時に関係してると思ってますが、これって、どう話したらわかってもらえるだろう。
思考の成長や変化の記録だから、生き物のようなもの、鍛えて筋肉つけたら、それは脳ともつながってるし、血液が心臓から送られてくるし、動かすときは目や他の筋肉など全身とコーディネイトする。
心配ごとなど脳の働きが筋肉の動きに影響することも多いし、どこを針で刺されても脳は痛いと感じる。
ブログは生き物だと思うから、すべてとすべてがいつも同時に関係してて当たり前だとたみ家は思う。



レバレッジの話で、つい頭から出てきたけど、「法人って、なんでそういう概念があるんだったっけ?20年ぐらい前に聞いたような気もするけど、記憶がぼんやり。大きな取引をして、長く活動を継続するには、個人の死亡で終わるんだったら数百年もできんわなあ。それに何兆円とか言い出したら個人では責任負えんし、信用もないわなあ。世の中の活動が大きくなったら法人ってものが必要になるわなあ。法人は何のためにあるかって、教科書的なものには何て書いてあるかなあ?」



法人の話は、レバレッジ5の内容から来てるんだよな。

そういやあ、レバレッジの話って、笑っこさんがたこ焼き買いに来てくださった日に、「(某日の乙武さんのこと書いたブログで)たみ家さんは、ずっと新しい挑戦をし続けないといけないって書いてたけど、どうして?」と聞かれたことを受けて、前から書こうと思ってたし、現状維持とかトントンではちょっとしたショックで破綻するのが経営体ってもんで、たみ家は、近隣半径500mぐらいでは最も成長率が高い部類の店だけど、ショックに弱いという意味でもかなりもろい部類の構造だということの解説は、当ブログのテーマに適うなあと思った。
食べていけりゃいいとか、トントンでいいなんてありえんのです。
ずっと成長し続けて、ずっと儲かり続けても1年も不調だったら倒れることが当たり前なのは、自分が経営するまでは実感がなかった。
永遠に儲かり続けて永遠に成長しなければ破綻や破産が待っている。
このことを説明するのに、従来の財務分析の話よりも「レバレッジ」という他力と実現速度の関係とその負担と負担能力の関係から読み解いていく方が普遍性が大きいと思った。

人が生命を維持するなら、空気も入れんと、食物も入れんと、水も入れんと。
でも、会社やお店なら、おぜにさんさえあれば、つぶれはしません。
うちの売上が毎日ゼロ円でも、1兆円たみ家に個人資産があったら、毎日赤字100万円でもつぶしたくなければつぶれません。

法人に対する概念である自然人は、生命の維持にいろいろ要るけど、法人はたいていおぜにさんだけで生きられるので、客観性があるなあ。
法人格がなくても、営業というものはそうだけど。

客観性があるほど、信用がある。
そして、自然人の健康は、医師がいろいろ診断するけど、最近は生活習慣病中心で、ほとんどの人はタバコのこととメタボのことしか聞かれない。
法人のほとんどを占める営利法人たる会社の健康診断は、会計士やら税理士やら中小企業診断士などが行うが、おぜにさんのことを診断する。
財務分析とかいうこともあるか。



バブルって、たぶん、たみ家が生きてる間にあと3回は来るんじゃないかなあ?
特に、説明できる根拠はないけど、イメージとして
これも物理の原則に近い。
ベルリンの壁崩壊は、地球という容器の中の濃度1%の塩水と10%の塩水を分けてた仕切りを取っ払ったようなもの。

エントロピーって、そんなに正確に理解してないけど
物事は、拡散する、均質に向かう。
第二次大戦ぐらいは、供給サイドは、米英日独仏露伊など、それなりの力の国が多かった。
たみ家の勝手なイメージとして濃度10%~7%ぐらいにおさまってた。
だから均質に向かうとしても、今ほどドラスティックでなかった。
賃金水準にも大きな差が、たとえば今の日本と中国やインドほどの違いはなかっただろう。

差があるということは、技術移転や賃金の上昇などを通じて成長する余地があるということ、そして、通貨経済は、自給自足、モノカルチャー、貝殻などの交換や、金本位制、兌換紙幣など変遷しながらどんどん観念化していくので、状況の変化によって振れ幅はどんどん大きくなるので制御が難しくなる。

まだまだ、アフリカや中国インドなどと先進国の間のもろもろの水準の差は大きいから、成長の余地が大きい。
そして、貨幣の制御はドンドン難しくなる。
そして、世界経済の塩分濃度の差がまばらであるなら、各国政府の合意は難しい。CO2排出の話で合意ができんのに似て。

(宇宙と世界経済も似てるかな。
技術革新などのビッグバンが起き、その影響が技術移転や移民などで、均質に向かうが、また次のバンが起こって、また大きな密度の差ができ、またその影響が拡散、均質化していく。
このことの絶えざる繰り返し。密度差が大きいほど変化も大きくスピードがある。)

かつてより成長の余地が大きく、制御がますます難しくなるなら、まだまだバブルは生きているうちに何度もありそう。
そして、その振れ幅は、かつてのバブルよりももっと大きくなる。
まったくたみ家の頭の中の適当なイメージで、これをもとに何かを主張するってもんでもありません。
このイメージが、今後の学びなどによって、変遷していくだろうと思ってます。



今日は、うどん屋に3時過ぎて、知人のお客さんが来られて、いろいろお話ができました。
でも、今日は、今月で一番売上がよろしくない日だったので、気持ちよく閉店してたこ焼きに向かえませんでした。
でも、TJかがわに載せていただいたので、まじめにやらんと。

そして、栗林公園前のビルの方に戻ると、ダイエットカフェ公園通りにこの日曜日に20名の団体予約が入ったとのこと。
ええこっちゃ。

そして、たこ焼き営業開始、部活帰りの女子高生3人組みの来客が。
生徒割引とか考えてなかったなあ。
それにしても、まじめっぽい言葉遣いだった。
  

Posted by たみ家 at 22:49Comments(2)

レバレッジ5 大原則

2009年02月18日

会社でも、お店でも、生命でも、恋愛でも、クラブ活動でも
何でもいい。

負担に追い越されなければ、継続したければ継続できる。

意思に反して、継続できなくなるのは、負担に追い越されたから。

たとえば、人間の生命なら
食物や空気など「他」を摂りいれて、呼吸やら血液の循環やら体温調整やら脳の活動を「負担」しながら継続してますが

餓えによって、活動を継続するための「他」を調達できなくなるのは、会社の資金不足と似たようなもの。

車にはねられて皮膚や血管が破れたり、老衰により、負担が継続できなくなることで死亡することもあります。


たぶん、おおむねすべてのことは、本体が弱くなるか、「他」を摂りいれることができなくなることによって、負担に追い越されることで継続が止まるのではないでしょうか?
このことは、魅力が感じられなくなって、恋愛が終わる場合も、おぜにさんの切れ目が縁の切れ目になるなど人間関係にもあてはまります。
原子や分子の崩壊も、たぶん結合するための力がなくなって崩壊するのでしょう。
原子や分子には意図とか負担とかの感覚はないでしょうが。

負担の増大または、負担を負う力の減少は、金融危機や競合店の出店、大怪我、補助金のストップなど外力によって起こることが多い。
内部崩壊もあるが、外力によって内的な安定が損なわれる場合も多いだろう。

たみ家が原理原則という場合は、社会問題を扱うにしても、できる限り、このように、物理学でも生物学でも心理学でも、宇宙に例外がなさそうなことから出発したいと思う。
そこまでしなくてもいいんですが、そこまで言えた方がいろいろ応用したり派生していったときに、理屈が安定しそうに思う。

負担が負えなくなると継続できなくなる。
シンプルですね。

ごく簡単な例として
3人でやってるうどん屋の3人分の生活費または賃金の負担が、売上によってまかなえなくなったとする。
じゃあ、メニューをしぼったり、厨房を改造して動線を合理化して、2人でやれるようにする。
で、嫁はんはパートに行って、他から生活費をとってくるとか。
また、逆に、売上を伸ばして、負担できるようにするとか。

絶対の原則から出発し、負担と負担する能力との量や差や比というように数的に理解できるように考えてみたら、いろいろとあてはまることが出てくると思う。

じゃあ、ほうきを買おうと思ったけど、たまにしか使わないしどうしようかと思ってたら、隣の人が貸してくれるという人間関係ができました。
ささやかですが、これだけでも、負担と負担能力の間の関係が少し楽になってます。

「あした機能」によって、集客が楽になったのなら、これも負担と負担能力の間の関係がいくらか楽になってます。

ネットにより、「誰か小さい冷蔵庫ただでくれんかね。」と呼びかけたら、ちょうど「1人暮らしやめて実家に戻るから捨てるんだけど、邪魔になるし、家電リサイクル料払いたくないし、取りに来てくれるなら喜んであげます。」
これも、負担と負担能力の間の関係が双方でいくらか楽になってます。

あたりまえだけど、最近、破綻した会社は、負担と負担能力の間の関係が破綻したわけです。

たみ家は、この負担と負担能力の関係に着目して、新しく造語および定義したいと思いますが、まだこれというのがでてません。

ぱっと浮かんだのは「レバレッジ比」ですが、これはいかんと思った。

レバレッジは他力を使うことを説明することに意味があると思うし、関係ときちんと対応した言葉でないような気がする。

まあ、経済活動も、生命活動も、おぜにさんや栄養など「他」を取り入れて、継続するわけだから、活動≒他力と考えてもいいんですが。
オーナー経営者の労働力も光合成する植物も、自分でやってるようでも、おぜにさんで生活してる基盤があって労働したり、太陽光をとりいれてやってることだから、やっぱり他力なんでしょうけどね。

「すべての活動は他力である。」
これも、絶対原則として、言い切ってしまってもいいかもしれない。
まだ迷いはありますが。
まあ、ちょっとキツイか、でも「ほぼ」をつけたらたぶんOKだな。

地域の総「義務的負担関係」を小さくして、政策的とか投資的とか創造的とか付加価値部分に振り向けやすくするってのは、負担を小さくしつつ、負担能力を大きくすることになると思う。

次の原則ですが

それらの関係を変えるためには

時間の投入配分を変える。(例 パチンコやめて勉強する。)
場所を変える。(適切な立地で行う。)
人の関係を変える。(適切な人と会う。)
こういうことが大事で、時間か場所か人を変えるしかなくて、個人の心の中で「決意を新たにするぞ。」とか言ってもたいていはうまくいかないでしょう。

昔から天の時、地の利、人の和とかいいますが「天地人」っていろんなこと説明するのによくできてますね。

また、人と人の出会いをより良くしようと思ったら、それぞれが魅力ある人であろうとするとか、いろいろの知識やら知恵を持とうとすることがいるってことにもなるでしょうね。

ブログと地域の力との関わりの輪郭もかなり見えてきたような気がする。
  

Posted by たみ家 at 06:43Comments(0)

ほぼ1年前の売上帳

2009年02月17日

例年不調だった2月が今年はそう悪くない。
今年も、ささやかながら増収増益になると思う。
去年の今頃はどうだったかなあと、売上を見てみたら

2月13日 るいまま
2月15日 UDマン

とか、売上の横に書いてあった。

ちょうど、この頃、「あしたさぬき」ではじめて知った方々がご来店され始めたころだったんだなあ。
  

Posted by たみ家 at 06:56Comments(2)

最低限 人を見るポイント

2009年02月14日

パートの採用や金融機関の審査などで

人を見るときにどんなとこを見るかと思いをめぐらすと

「長続きする人かどうか」
ぐらいしか見てないと思う。

標準以上に素晴らしい人しか採用しなかったり、貸し出ししないなら、パート採用なんてできませんし、金融機関も仕事にならんことが多いでしょう。

だから素晴らしいとこなんか、見ようとしなくても見えるほど、よほど目立たない限り、見ないことが多いと思う。

・約束を守るか
・予測できないようなことをしないか
・感情に任せて、投げ出したり、キレたりしないか

大量反復的に多くの人を相手にしていかないといけない場合で、それについてそんなに高いレベルを求めない場合って、それぐらいしか見てないことないですか?

だから、普通に、挨拶をするって程度のことが大事で、たまたまそれをしない人とか見ると、それだけで、かなりの不安の対象になることがある。
  

Posted by たみ家 at 18:24Comments(4)

遠心力と求心力

2009年02月14日

不仲はおぜにさんを食います。

スーダン、ジンバブエ、ソマリアとかむちゃくちゃです。

しかし、場の空気を気にしてばかりでは新しい力が湧いてきませんし、システムが硬直する。

批判には遠心力がある。
それが、飛躍や革新の力になる。

しかし、実行に当たっては、常に求心力が要って、それを確認し続けていないと、システムや集団が崩壊する。

レバレッジの話は、まだ先がありますが、遠心力と求心力ってのは常に片隅に入れておくことです。
日の丸や君が代ってのは、政府が求心力を求める典型例ですね。

ガリレオの宗教裁判とか、求心力と遠心力のあつれきの歴史上の典型例でしょうね。

よく役所の仕事ぶりが旧態依然としているといわれますが、それがほんとうなら、遠心力を排除してきたことが大きいでしょうね。
しかし、外部からの批判にさらされやすくなって、(住民の権利意識の高まりや情報公開など)遠心力が働きやすくなったことで、いろいろ変わったところはあるんではないでしょうか?

仲良しもコネも癒着も、それがもたらす恩恵を受けてない人から見たら、まあ同じです。

不仲はおぜにさんを食う。
さりとて、仲良しの求心力は、外界に向かっていく遠心力を排除し(消費者の顔じゃなく、上司の顔を見てるのもそう。)、病理現象を起こすことも少なくない。


さて、たみ家は、ジンバブエと日本との違いを何に求めるかといえば

・個人の頭の中にあることと
・個人間のつながり
にしかないと思う。

10人寄っても反目しあって、「俺1人でやった方がええが」

ってのと
10人寄ることで、俺1人の何十倍ものことができる組織など人と人のつながり方

身体能力ではしょせん数倍も開きようがないけど
厳然とジンバブエと日本の生産力には何十倍以上もの開きがある。

旧ソ連のように日本の何十倍も国土があって、埋蔵資源も多く、人口も2.5倍近くいても、生産力はそう変わりがなかった。

形あるものの違いよりも

・頭の中にあること
・人と人のつながり方

この違いでしか
数十倍もの開きなんかでない。

逆に、日本が後発国の数十倍の生産力のシステムに頼っている以上、頭の中にあることと人と人のつながり方に注意を払い続けなければやっていけないってことではないでしょうか?

世界一100m走が速い人でも、高校生の男子なら平均で100m13秒ぐらいでは走るので、たかが1.5倍も開きはしない。

・頭の中と
・人と人とのつながり方

これ以外は、世界一が相手だってたかがしれてる。
実際に、自動車があれば、誰でもウサイン・ボルトさんやマラソンの世界記録よりも速く移動できますから。


つまり
地域でも国でも
それを良くするなんて

・良い動機を持つこと
・勉強すること
・人と人が良い会い方をすること
・それらが成果を結ぶ何らかの組織をつくること
・それらが成果を結ぶための信用や流通のシステムをつくること

こんなもんじゃあないんですか?

たみ家がやたら勉強勉強って最近言ってるのは、上で、5つ列挙しましたが
誤解を避けるために列挙しただけで

5つ全部、「勉強する」ってことだけでだいたいカバーできてることなんです。

地域を良くするためには、勉強しか決定的な解法はないという論理的な帰結に、十数年来の思索で結論づいてしまったので、やたら勉強勉強って言ってるわけです。

ただ、感情やら本能やら様々なことが、求心力になったり遠心力になったりして、様々なところで葛藤を起こしながら、必ずしも大きな視点に基づかない個人間の連結によって、ものごとが動いているので、わかりにくいし、うまくいかないことが多いってのはあるでしょうかねえ。
  

Posted by たみ家 at 18:14Comments(0)

社会に育ててもらった

2009年02月12日

高校時代にこれは暴言だなあと思った英語教師の言葉

「勉強ができんのは性格が悪いからだ。」

穏当かどうかはともかく、真実かどうかにしぼったらどうでしょうか?

このおっさんが言うには(たみ家にでなくて、多数に向かって言ったんですが)

「お前は世の中の役に立ちたいとか人のためになりたいとか思ったことないんか?あったら勉強せんでええっていう考えはないやろ!」
「お前は、親に学校に行かせてもらったり育ててもらってることに感謝の気持ちあるか!?あったら勉強せんでええっていう考えはないやろ!」
「お前は、親や教師の気持ちや言葉について素直に理解できてるか?できてたら勉強せいや!」

「お前は、苦手なことはやらんのか!社会に出て仕事してて、自分のしたいことだけやって、したくないことは他人がやるんか!?それはわがままの表れやろっ!」
「勉強しないといかんことはわかったか。それなのに、やるべきことを怠けて楽なことに流れた。それが勉強せんっちゅうことや!」

と畳み掛けてきた。
暴言っぽいし、教育現場では不穏当やけど、今思ったらウソとはいえんぞ。

勉強できたら、性格がええってわけではないよ。
できんのは、性格の問題が表れてるってわけよ。

実際に、たみ家は

高校時代 社会の役に立ちたいと思ったことなかった。
役に立ちたいと思ったら伸びた。

高校時代 親や社会が教育費を負担してることなんか空気のように思って、感謝の念はなかった。
今は、当時よりはある。

高校時代 親や教師に反抗することこそかっこよく。勉強しないこと。勉強より大事なことを見つけることが大事だと、自分の世界に入って、素直さがなかったね。
うわっ。そこはあんまり変わってないか?
でも多くのお客さんや関係者との関係の流れに浮かぶ笹舟のごとき事業をやってますので、丸くはなってると思う。

親や社会に感謝せず、人の役に立ちたいと思わず、教師や親の言葉に耳を貸さず、嫌なことを避けて、やるべきときに怠けて過ごす。
これを性格が悪いといえば、ウソかホントかいうたら、ホントっぽいぞ。

そして、高校時代のたみ家の勉強のできんかったところは、間違いなく、モロそれで、進歩した部分はたいてい、その性格的なとこの改善の成果だったと、自分にはあてはまる。



たみ家の知った人が選挙に出たとき
「わたしは生まれつき障害があったので、社会に育ててもらったという意識がずっとあった。だから、今度はわたしが社会に恩返しがしたい。」
とか言ってた。

このおっさん、あまり進学校といわれてないとこから、京都大学行ったけど、高校で運動部で県大会で個人種目優勝してはる。
進学校じゃないから、周囲と同じことしてたら、なかなかそんなとこ行けんと思うのに、運動部でそこまでやりながらやから、まあ資質も優れてたとしても普通じゃない努力やろ。

その人の核の部分が、「社会に育ててもらった」という意識じゃないだろうか?

たみ家は、国のために生きる必要はないと思う、親の言葉で自分の夢をあきらめることもないと思う。
でも、消費税だって、所得税だって、公園やら学校の運営やら乳幼児医療やら、何とか手当てとかに回ってるし、奨学金制度なんかもある。
そういう周りの誰もが自分を育ててくれた1人なんだという意識をもって、そういう社会に何か貢献して返していきたいという趣旨については、幼い頃からこんこんと聞かせても、バチは当たらんなあと思う。

親だけが育てているというよりも、社会が育てているという考えは、もっと言ってもいいと思う。

今までは、個人が欲望を実現することで、社会は進歩したが、そこまででは、高齢化社会に向けて、社会のインフラはとてもじゃないけど整わない。
そういう時代に、お国のためとか、親の介護とか、しばる話じゃなくて、広く社会に育ててもらったものを返すという話は、非常に対象が広いので、選択を狭めるものではないと思う。
  

Posted by たみ家 at 20:55Comments(0)

仲良しとおぜにさん

2009年02月12日

レバレッジの話の続きですが、「他力を用いて意思実現を速める作用・装置=レバレッジ」について、大まかにたみ家が考えるところを概説いたしました。
じゃあ、具体的にできる範囲の処方についてささやかに。

ブログにはレバレッジの負担やリスクを下げる力があると、先で言いたいわけです。
また、そうなるようになってないと、たとえば「あしたさぬき」も価値が半減するわけです。
「中小企業家同友会」などの集まりも、そのためにもあるといえるでしょう。

たみ家のは、前をかなり読んでないとわからんことが多い。
「レバレッジ3」ぐらいは少なくとも読んでないと、どんな人が読んでもたぶんわからんでしょうね。

さて

人と仲が悪かったらおぜにさんを損します。

もし標準レベルと同じ種類の動き同士で1.5倍の速度でできる優秀なオーナーうどん職人がいたとします。

この人は、少ない人数で店を回すことができるので、標準レベルオーナー職人1人に対して、人件費などおぜにさんの出が少ない。
争えば、標準の人が淘汰される可能性が高い。

でも、標準レベルの仲良し共同経営2人組みうどん職人が純粋に双方犠牲をいとわずに協力すれば、1・5倍の人に勝てる可能性は大きい。
争って、1.5倍の人が淘汰されるかもしれない。

ところが、この2人組が仲良しでなくなって、険悪になったら、売上も上がらず、開業に使ったおぜにさんが泡となり、開業時の借入れの返済を、もうやってもない事業なのに、し続けることになります。

仲良しはおぜにさんになる。
こういうことは典型例ですが、非常に広い範囲のことで言えます。

仲良しじゃなくても、是々非々で、というのが正しいことも多いが、それは、おぜにさんの出につながることが多い。

公立学校教師
塾講師
役所の事務職員
自営業者
コンサル業
学者
政治家
プロスポーツ選手など

まだまだ列挙しきれないほど、いろいろ職業はありますが、仲良しか不仲かで、おぜにさんの出入りについて、どういう影響があるでしょうか?

これを大まかに数式で表現できるものについては数式で、それができにくいものについては、それなりに書いていきたいと思います。

たみ家は、以前、6年ほど前に、「ブログは地域の発展に大きく寄与する。公共政策の中で、それなりの地位を占めてくる。」
と、いろんなところで、書いてきましたが、これは、仲良しは、社会のレバレッジの負担を下げる効用があるということは含まれているかなあ。

まあ、昔の人も、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和にしかず」と言ってましたが、(ドラマは見たことないけど、「天地人」ってのも、そのことなんでしょうか?)そのことをもうちょっと数式にできるような理詰めの話で、説明することになるんでしょうかね。

単純にいえば、信頼があれば物を貸してくれることは多い。
もっとあれば、おぜにさんを貸してくれるかもしれない。
なければ、銀行に有利子負債としてお願いに行く。
もっとなければ、サラ金とかに行く。

無利子で借りたとしても、いる物をいるときにタイムリーに貸してくれるのと違って、借りたおぜにさんで何か買うので、費消してしまいます。

仲良しだったり、いい人と思われている順に、活動中におぜにさんの負担の下がる選択肢が用意されているわけです。


さて、香川では三豊は昔から豊かだとよくいわれてました。
三豊の一世帯平均人数は、うろ覚えですが、3は超えてるでしょう。
全県で2.7ぐらいかな。
高松は、2.5ぐらい?
都市の方が多いのかというと、小豆島も2.5ぐらい?

ってことは、田舎どうしでも、独居老人が小豆島は多く、三豊は少ない可能性が高いのでは?

富山県が、よく全国一豊かな県と言われています。

家が広い、三世帯住居が多い、また、田舎としては全国一学力も優秀だと思いますが、なぜか幼稚園に行く子供が極めて少ない。
115万人ぐらいの人口で東大20~30人ぐらい行く県立高校が3つあり、丸亀高校クラスも3つ4つあります。
香川も優秀な方だと思いますが、富山は全国一でしょう。
奈良とか京都はセンターの点はいいけど、東大寺やら洛南やら有名私立に大阪などから秀才が多数進学してるからで、実質は富山がずっと一番でしょう。
人口15~20万いれば高松高校並み、人口4、5万いれば丸亀高校並みの県立進学校が出現し、生活保護受給者の人口割りが全国一少なく、香川が1000人中10でも、富山には2ぐらいです。
まあ、極端にいうと、全県が高松でいうところのあの人気学区みたいなレベルといえば、イメージは近い。

それなのに、幼稚園ときたら、香川の人が7割行くとしたら、富山だと2割ほどのこどもしか行かない。

3世代居住が、生活における義務的な固定費を圧縮し、家庭の教育力によって家計や財政の負担を減らせてるとしたら、これは算数の理屈にかなっている。

そういうものを圧縮し、前向きなことに、人々や地域が力をもっとまわせるなら、地方分権というのは、非常に理屈にかなっているのかもしれない。

今、日本中の田舎は、マジで富山型社会を目指すってのは、いろいろ地域の特性や資源などの違いはあれど、研究、検討する意味はあると思う。

まあ、これとて、親と仲良しだったり、育った地域で仲良しじゃなかったら、できんわなあ。
  

Posted by たみ家 at 20:08Comments(0)

案外そんな気が

2009年02月11日

こだわり麺やさんのブログで

社長が
「おいしくなれ。おいしくなれ。って念じながらつくるとうどんはおいしくなる。」
と従業員に言った。

みたいなことが書いてあった。

たみ家、一瞬
「うそ~ん」と思いました。

でも、試しに、昨日、思い出して、やってみた。

確かに、そうなるような気がする。

何というか、踏んだり、延ばしたりのときに
呼吸と、力と、気持ちが一致して、同じことをやってても作業が少し繊細になるような気がした。

ほかにも、ほんとうに作業中に念じたらおいしくなりそうな理由はいくつか考えられます。

麺やさんのうどんがどうとか、念じたらほんとうにおいしくなるのかとか、そういうことは、褒める場合でも同業者だったり、証明できなかったりで、あまりコメントはしにくいんだけど。

そういうことを考えたり、口にしたりする社長がいるってことは、この会社が伸びてきたのを納得させる。
優れた人なんだなあと、やっぱり思わされますね。

自分の考え方を他人にはっきりわかりやすいものとして、しかも、聞いてる側が嫌な気持ちにならない言葉で、表現し続けられるってのは、ほんとにすばらしいと思う。
  

Posted by たみ家 at 15:15Comments(0)

設置しておいて欲しいもの

2009年02月11日

先方にはご迷惑かもしれませんが

交番とか郵便局には、いざというときのための携帯電話の充電器を置いておいてほしい。

田舎で、携帯で連絡して迎えに来てもらうときに、電話のバッテリーが切れたら、ときどき困ることがある。
今時、携帯があるから、はっきりと待ち合わせ場所を指定せずに、電話したときの双方の都合のいい場所で、ってこともある。

今頃、電話のメモにしか連絡先データ入れてないし、公衆電話もないし個人の家の番号は今時の電話帳には載ってないしで、困る。

めったにないけど、昨日たまたまそういうことがあった。

交番が大っぴらに宣伝しなくてもいいけど、
「行ったら実はある。」
ってことにしておいてほしい。

かなり歩いて、コンビニで千円ぐらいで充電器を買って事なきを得ましたが、たみ家は昨日までコンビニで携帯の充電器を売ってることすら知りませんでした。

有料でもいいから、いろんなとこに携帯の充電器って置いておいてほしいなあ。
都市にはあるけど、どこにあるのかわからないことがあるし、毎回千円出して充電器を買うのもなんだなあ。
また、田舎になると、まったく途方に暮れてしまうことがある。
  

Posted by たみ家 at 15:02Comments(0)

菩薩の業

2009年02月09日

どうですか?
たみ家の普段書いてる話って、まあまあ正しくて意味あることを書いてると思いますが
けっこういや~な気分になる話ってありませんか?

前記事は預言ではありませんが
さっそく、高裁の判事ほどの方がバスの中で痴漢でつかまっとるし。
ほんまにわけがわからんぞ。


レバレッジの話はまだ続きが長いんですが

これって、人間の個々の差異をこれでもかというほど相対化してる話でしょう。

未来に向けて論理的に多数の人間のことを語るってのは、肉体や感情を相対化する作業が多くなると思うんですよね。

過去の感情の個人のことって具合に、対をいうとわかりやすいと思いますが

みんな、自分は自分でありたいし、特別な存在でいたい、注目されなかったとしても、自分にとっては特別に大切な自分なはずだと思う。

おぜにさんが悪者扱いされるのには、肉体や感情を相対化される不安が根底にあるのは1つありそう。


あまり道徳的なことは、あえて書きたくないんですが

今日の銀行の待ち時間に読んだ古い日経ビジネスに

「商いは菩薩の業で、益も不足もないもの、世の中の不足を埋めるもの」
みたいなことが書いてあった。

金融危機みたいな話で、投機マネーや拝金主義がつまづくと、こういう道徳めいた話が出てくるんでしょうね。

「道徳なき経済は犯罪」
「経済なき道徳は寝言」
って、誰が言ったんだ?


だから何するって具体的にすぐに出てくるわけでないし、益ないと困るんですが

久々にたみ家にはいい響きの言葉でした。

儲からなくても、世の中を良くするために考え続けて、それは、ただの自営業者でなく、菩薩ですよ。菩薩。
菩薩気分なら悪かあないかもね
。  

Posted by たみ家 at 17:22Comments(2)

人はなぜ嫉妬をするのか?

2009年02月08日

みんながみんなそうかはわからないけど

ほとんどすべての人は何らかの嫉妬をする
と思う。

女性は占い好きが多いという
甘いもの好きが多いともいう

男は浮気をするという

別に触って気持ちがいいってのなら、うちの羽毛ふとんもかなり気持ちいいんだが、おぜにさん払ったり、人生終わりにしてまで女性のからだを触る人がいる。
まあ、そこまでするんだから、ほとんどの男は、触りたいんだろう。
別に羽毛ふとんでも、うどんのだんごでもええじゃん。
触るだけのために超巨大リスク背負ったり、おぜにさん払うほどの理由は女性にはよくわからんことないですか?
たぶん当の男もみんななんでかよくわからんってところではないでしょうか?

他人の不幸は蜜の味とかいう人もいる。
たみ家はそこはあんまり思わんなあ。
すぐに自分がなったような感覚に陥るし、不幸な人が周りにおったら気まずいがな。
あの気まずさが好きでないので、調子よく延々じまん話してくれてた方がええな。

不幸話ししあうんなら、みんなで順番で大じまん大会でもした方がよっぽどええぞ。

まあ、昔から、他人の不幸は蜜の味っていうみたいだから、そういう人多いんでしょうね?
別に自分の取り分が増えるわけじゃないのに何ででしょう?

人間って、女って、男って、なんで、そうなの?って属性があって
すぐに合理的な理由が導きにくいなあ。

と思ったときに、たみ家は、たいてい

そんなヤツの方が生き残りやすかった。
①いろんな場面で争いに勝った
②異性にもてた
③生殖に成功して、子どももたくさん残った
④そうでないヤツは何らかの事情で早死にした
そんなところだろうと考えてます。

ちょっと①~④の理由は、重複してたり体系だってませんが
なんにしても、これらの単独あるいは複合の事情で、そうでないヤツの生き残りが少ないんだと思う。

異性に興味ないオスも人類の歴史の中ではいっぱい生まれてきたんだと思う。
でも、そういうオスの遺伝子は残らなかった。

とか、グループ内の序列に敏感でないヤツはえさが取れなかったり、グループでの地位が低く生殖に成功しなかった。
他の同性を殺すぐらいの迫力と執念がないと生殖争いに勝てなかった。
女性版ならドラマ「大奥」の世界でしょうか。

とか、メスは他力本位タイプの方が、固体保存がうまくいった、ストレスが少なかった。
甘いもの好きの方が個体保存や子育てに有利だった。

遠出が好きなさすらいタイプのメスでは子育てもできにくかったやろ。

他人の取り分が多いことに恨みを持ち、執着するようでないと、厳しい自然に立ち向かう時代ではほんとに自分の取り分が減った。
他人を助けるとか共助することで、自分の取り分も増えるようになった社会ってのは、人類の何万代の交配の歴史に比べたら、たいしたことないんだろう。
キリスト誕生まで遡っても、100代ぐらいのもの。

属性に現代的に、合理性が見出せないけど、多くの人がそうってときは

ラマルクみたいに、そうなるように変わっていったんでもなく
ダーウィンの突然変異でもなく

そうでないヤツはもう死んで
そういうヤツばっかが生き残った
と考えて

じゃあ、交配の長い歴史の過程で、それがどう有利だったんでしょうね?
と考えると、まあ、だいたい、それらしい答えに行き着く。

適者生存が近いけど
孔雀の羽みたいに外敵から目だって生きるのに適してないことにもいえるので

純然と、今そうでないヤツはもう死んでる。
それが適してようとそうでなかろうと事実だ。
みたいなことも言いたいわけです。


さあ、ちょっと嫉妬から持ってくるには変化球ですが

よく、「マネーゲームでなく、額に汗して働くことを尊ぶ社会に」とか言う人がいますね。

今、そうなってるのは、そうでない社会に戻したらたくさんの人が死ぬからだと思いませんか?

なぜ金本位制が、兌換性になって、さらに紙幣さえ動かさずに空間で形になるものがない通貨の形になったのか

その方が意思実現が早く、経済の中でも通貨の流量を増やせるからでしょう。
金なんかいちいち銀行に持っていって今の経済回るかよ。


投機マネーの負の影響を抑制することは、今の資本主義社会の大きな課題でしょうね。

でも、ゲームに例えるぐらいマネーの流動性が高められるってことは、意思実現の速度も速く、たくさんの人を地球で養える社会ってことでもあるんじゃないでしょうか?

額に汗して、ものづくり中心とか言ってる国は、よほど高い教育や技術に支えられてないと、無理でしょうね。

たみ家は日本がダメなところは、「額に汗しましょう。」って言ってることにあるのではないかと少し思ってますね。
パソコンよりソロバンとか、投機マネーがけしからんから金本位制に戻せとか言ってるのに近いと思う。

高い教育や技術から付加価値を生み出せる確信を持った人が「額に汗」なんて言うのだろうか?

今、マネーゲームがあるのは、たぶん、人が今生きるのに、それが適してるからでしょう。
マネーゲームの存在は正しい。
なかったら、たぶん、たくさんの人が死ぬ。

しかし、弊害も大きい。
それに、政府や法律よりも強いもんだから、弊害に対して、コントロールが効きにくい。
嫉妬よりも共助が尊ばれる時代になって、多くの政府は、どうやって、投機マネーをコントロールしていくんでしょうね。
  

Posted by たみ家 at 08:32Comments(2)

天動説だから 1

2009年02月07日

「あしたさぬき」でも多くの方が使う言葉

「雨男」とか「晴れ女」

たみ家はどうもこの言葉に釈然としない思いがある。

中世の科学の発展を阻害した教会の天動説と似てるから。

教会の権威や神が自分が中心というのを越えて

自分が中心で天候が動くってのは、教会の天動説よりも甚だしい。

商売をしていると六曜など迷信に付き合うことが多い。

披露宴など、迷信とはいえ、1人でもそれを気にする人がいる限り、避けた方がいい場合も多い。

建築や撮影など、天候によって、仕事が影響されやすい業種の人達の間では、またこの手のことは話題にされやすいだろう。

罪のない物言いのように思う人が多いのかもしれないが、軽く頭の片隅にこのようなことをチェックする感覚は持っておきたい。
  

Posted by たみ家 at 22:36Comments(0)

噂以上の社内結婚

2009年02月07日

焼肉のたれで有名な日本食研の本社とか、宮殿工場って、今治にあるのご存知の方多いと思います。

積極的に観光客を受け入れてて、年間2万人ぐらい来るそうですよ。

で、日本食研の本社には、社内結婚神社なるものがあって、お賽銭箱風の箱に、「○○課の☆☆と結婚したい(が好き)。」とか紙に書いて、入れると、社長が社の忘年会とかで、席をひっつけたり仕組む。
社長は、そういうことが好きでしかたがない。

という噂を聞いてました。
さすがに「焼肉焼いても家焼くな。」とTVCMでやっただけのことはありますね。

で、昨日、日本食研さんの営業の方がはじめてうちに来られて、たみ家、聞いてみました。

「ほんとですか?」

「ああ、たぶん、その話は、噂以上にほんとです。社内結婚は従業員3000名ほどですが、三十数年前に高松で数名でスタートした会社で、創業以来社内結婚はもう500件近くいってますし、こないだ、神社に紙入れた人が、忘年会で隣にしてもらったと言ってました。」

たみ家が
「それって、人気のある女性とかは、迷惑するだろうし、セクハラとかストーカーになったりしないの?」
と聞くと

「うちの社長はそんなことは考えずに、ただ喜んで、席をくっつけると思います。」

社内結婚神社は英語で

Shrine for In-House Marriages

だそうで、会社案内のパンフレットに載ってますが「社内結婚の神を奉る」とかほんとに書いてます。
で、社長がたぶん神ですね。

これはたみ家の推測ですが、自分が社内結婚して、それが良くって、それで事業も成功したと思ってるのかもしれませんね。
この手の人は採用のときも、自分が結婚したいと思うような人を採用してる可能性が高い。
(ちょっと問題ですか?)

たみ家「そういうおっさんは、人事に、結婚したくなるような女性を採用させてる可能性が高い。日本食研って美人が多いんじゃないですか?」

「あっああ。そうかもしれません。」

見合いじいさんタイプが採用権限持ったら、どこでもたいていそういうことしてるもんなあ。

そういやあ、味匠の本社もやたら美人が多かったなあ。
あのじ○○。
榊社長は、たみ家が最も尊敬する人候補ではありますが、味匠の榊さんと日本食研の大沢(さわじゃなくてざわだそうです。)さんは何かタイプ似てるなあ。
食品連合会とか商工会の長もいろいろ歴任してるし、食からはじめてリゾートや文化にもすごく力を入れている。

社会的にどうなのかわかりませんし、嫌な人も(特に女性)多いんじゃないかと思うんですが、実際にこれでもかというぐらい社内結婚してて、今までその路線がずっと続いてるようだし、日本食研、想像してた以上におもろそうな。

アサヒビールの西条工場とかとセットで社会見学ツアーとかする人も多いそうです。

たみ家は、あの宮殿工場はどこにあるかも知らなかったし、食品工場をあんな豪華にする理由がないので、破綻したテーマパーク跡地でも買い取って工場に転用したのかと想像してましたが、大沢社長が「今治も観光資源が少ないから、観光に来るようなもんでもつくるかっ。」ってことで新築したらしいです。
  

Posted by たみ家 at 08:24Comments(0)

岡山遠征

2009年02月05日

昨日、他の用事のついでに
岡山市の中心部でたこ焼きを食べてきた。
飲み屋街でもないのに

そんなに大きくもないし、具も普通なのに

6個500円。

高松って、うどんの値段に何でも抑えられて、あらゆる飲食が安くなってるのかな。
他県の標準の値段つけてたら何でも商売できないので、下げざるを得ないのかな?

いやあ、ここのたこ焼きは、すんませんけど
高いのに、あまりよろしくないと思ってた高松のたこ焼きの中でも最もよろしくないレベルだった。

たみ家はあんまり他店への点つけ厳しくないんですよ。
しかし、ここのも無料でもう一度食べるかと言われると、ちょっと遠慮するなあ。

生地に味がついてない。
普通の白飯で寿司をつくったような。
褒めるとこがどこにもなかった。

約20店で、最下位近くに来てしまった。
依然、疑問、なぜたこ焼きには、うどん300店以上行っても、うどんではここよりもひどいところはないと思うワースト100店に1店あるかないかレベルの店が半分ほどもあるのだろうか?

お客がなめられてるのか?

ラーメン屋でも何でも

無料でもいらないとか思ったような店なんか、10年に一度ぐらいしか出会わんぞ。
人生でラーメンでは1店、うどんでも1店しかないぞ。
たみ家絶対に他店の評価はそんなに厳しくしてないぞ。

よくうどんだったら、30分以上たった麺は出してませんとかいう店がありますが
たこ焼きだと、時間自体はそんなに経ってないだろうけど
「これって、茹でて40時間ぐらい経ってない?」と言いたくなるような意識レベルの店がいくつかあった。

メタボ柿原さんが、たこ焼きは専門外という気持ちは
もしや、高松に長く住んでて、メタボ柿原さんに許せる店がなかったからではないだろうか?

やっぱり、コストパフォーマンスという意味では、讃岐うどんは全国全飲食業で最強なのかもしれませんね。

マクドナルドさんや吉野家さんもコストパフォーマンスは全飲食産業中で、最強クラスでしょうし、全国を安いと沸かせたはなまるさんもそうなんでしょうが、香川のほとんどの店はかけ1玉を除いたら、個人でやってて効率的な仕入やシステムじゃなくても、はなまるさんよりも安いですからねえ。

はなまるさんは安いとか言われますが、高い方の上位3分の1に近隣では入ると思います。
食べて酷評する人はいますが、たみ家は、均質的で手作り感がないだけで、値段以上だとは思います。

そういう意味では、香川って外食産業のレベルが低いのかと思ってたら、値段とのバランスでいうと、多くの飲食産業分野でレベル高いのかという、今まで思ったことのない疑念が生まれてきた。

うどんに値つけで頭を押さえ込まれているので、とにかく生き残るのが簡単でないから。

中心市街地に、吉野家、すき家、なか卯、マクドナルドなどの大手がマクドナルド1店しか入って来てないということは、それ以上に強みを発揮している店しか残れないという意味もあるかも。

しかし、それは、お客さんへのアウトカムでなく、地主や他収入で生活してて、あまり努力せずに残れる店が残ってる比率が高いという意味もあるかも。

店が生き残るかどうかってことについては

美味いかどうかよりも
地主かどうかの方が大きい。

流行るか流行らないかは、美味いことが大事だが
危機に際して、残れるかどうかは、地主かどうかの方が大事

岡山ではそんなにいろいろ行ったわけでないが
高松でもなかなか見ないほどレベルの低いたこ焼き屋が、高松では飲み屋街でも見たことない6個500円という高い値段つけて長いこと営業できているのには考えさせられた。
  

Posted by たみ家 at 08:46Comments(4)