社会に育ててもらった

2009年02月12日

高校時代にこれは暴言だなあと思った英語教師の言葉

「勉強ができんのは性格が悪いからだ。」

穏当かどうかはともかく、真実かどうかにしぼったらどうでしょうか?

このおっさんが言うには(たみ家にでなくて、多数に向かって言ったんですが)

「お前は世の中の役に立ちたいとか人のためになりたいとか思ったことないんか?あったら勉強せんでええっていう考えはないやろ!」
「お前は、親に学校に行かせてもらったり育ててもらってることに感謝の気持ちあるか!?あったら勉強せんでええっていう考えはないやろ!」
「お前は、親や教師の気持ちや言葉について素直に理解できてるか?できてたら勉強せいや!」

「お前は、苦手なことはやらんのか!社会に出て仕事してて、自分のしたいことだけやって、したくないことは他人がやるんか!?それはわがままの表れやろっ!」
「勉強しないといかんことはわかったか。それなのに、やるべきことを怠けて楽なことに流れた。それが勉強せんっちゅうことや!」

と畳み掛けてきた。
暴言っぽいし、教育現場では不穏当やけど、今思ったらウソとはいえんぞ。

勉強できたら、性格がええってわけではないよ。
できんのは、性格の問題が表れてるってわけよ。

実際に、たみ家は

高校時代 社会の役に立ちたいと思ったことなかった。
役に立ちたいと思ったら伸びた。

高校時代 親や社会が教育費を負担してることなんか空気のように思って、感謝の念はなかった。
今は、当時よりはある。

高校時代 親や教師に反抗することこそかっこよく。勉強しないこと。勉強より大事なことを見つけることが大事だと、自分の世界に入って、素直さがなかったね。
うわっ。そこはあんまり変わってないか?
でも多くのお客さんや関係者との関係の流れに浮かぶ笹舟のごとき事業をやってますので、丸くはなってると思う。

親や社会に感謝せず、人の役に立ちたいと思わず、教師や親の言葉に耳を貸さず、嫌なことを避けて、やるべきときに怠けて過ごす。
これを性格が悪いといえば、ウソかホントかいうたら、ホントっぽいぞ。

そして、高校時代のたみ家の勉強のできんかったところは、間違いなく、モロそれで、進歩した部分はたいてい、その性格的なとこの改善の成果だったと、自分にはあてはまる。



たみ家の知った人が選挙に出たとき
「わたしは生まれつき障害があったので、社会に育ててもらったという意識がずっとあった。だから、今度はわたしが社会に恩返しがしたい。」
とか言ってた。

このおっさん、あまり進学校といわれてないとこから、京都大学行ったけど、高校で運動部で県大会で個人種目優勝してはる。
進学校じゃないから、周囲と同じことしてたら、なかなかそんなとこ行けんと思うのに、運動部でそこまでやりながらやから、まあ資質も優れてたとしても普通じゃない努力やろ。

その人の核の部分が、「社会に育ててもらった」という意識じゃないだろうか?

たみ家は、国のために生きる必要はないと思う、親の言葉で自分の夢をあきらめることもないと思う。
でも、消費税だって、所得税だって、公園やら学校の運営やら乳幼児医療やら、何とか手当てとかに回ってるし、奨学金制度なんかもある。
そういう周りの誰もが自分を育ててくれた1人なんだという意識をもって、そういう社会に何か貢献して返していきたいという趣旨については、幼い頃からこんこんと聞かせても、バチは当たらんなあと思う。

親だけが育てているというよりも、社会が育てているという考えは、もっと言ってもいいと思う。

今までは、個人が欲望を実現することで、社会は進歩したが、そこまででは、高齢化社会に向けて、社会のインフラはとてもじゃないけど整わない。
そういう時代に、お国のためとか、親の介護とか、しばる話じゃなくて、広く社会に育ててもらったものを返すという話は、非常に対象が広いので、選択を狭めるものではないと思う。



 
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