国とは

2009年02月20日

①国とは何か
②国と国でないものを分かつメルクマールは
③国はなぜできたか
④国の目的は何か

について、淡々と事実としての歴史と現状から、
そして、一般的に教科書に書かれていることでたみ家が疑ってないことについてはそのままに

たくさんの人が利害関係を持ちながら生きている社会とかいうものを良くしたいと思うと、こういうことの理解がかみ合ってないと、話がしにくいことがある。

①領土と国民と主権が国家の三要素とよく言います。
エリアと人、あと「主権」ってなんですか?

②サザエさんの磯野さんちにも、敷地があって家族がいます。でも主権がありません。
会社にも、社屋があって従業員がいます。でも主権がありません。

この主権ってのは、暴力で従わせることしかないんでしょう。
法律のようなルールや議会なら、家訓やら家族会議やら社則やら取締役会やら株主総会がありますから。

どうやっても、国と国でないものを分かつものは、暴力しかありません。
日本の場合は、外に向かっては自衛隊、内に対しては警察に代表される暴力が、日本を国家たらしめているといえるでしょう。

「国家とは暴力装置」ってのは大学の多くの教科書にも当たり前の前提として書いてあります。
過激な人が言ってるのでなく、大学の教科書でこれを疑ってるものなんか無いでしょう。

①に戻ると、主権とは、領土を侵害する者を排除する力と国民に対する強制力のことで、これは暴力を背景にするしか絶対にありえません。

③じゃあ、国とは暴力で、軍や警察がその本質だとすると
国ってなんでできたんでしょうね。
はじめ人間ギャートルズの世界には国があったように見えんなあ。
マンモスと戦うときに、ときどき、ゴンの家族以外も協力してたように思うけど、国があったとは思えんかったなあ。

必要もないのにつるんで、わざわざ暴力に支配されたいと思わないだろうから、必要だったんだろう。
何かをするのは、何かをしないと困ったからで、じゃあ、何で困ったんだろうと考える必要があると思う。

国の本質が暴力なら、何かを守るためと考えると
農耕によって富が蓄積されたりしだすと、痩せ地の民族が狙ってくるぞ、農業のノウハウを持ってない民族が狙ってくるぞ。
ある程度富が蓄積されてきて、はじめて集団で守ったり攻めたりの必要が出てくる。

またローマの建国神話を思い出すと、ふるさとではみ出し者になったならず者兄弟がその他ならず者を引き連れてローマの辺りにやってきて、建国したとある。
しかし、男ばっかで来たので、女性がいないと楽しくないし、繁栄もしない。
そこで、ザビー二の女性をたくさん拉致して妻にした。
しかし、ザビー二の男衆が、奪い返すためにローマに侵攻するも、なかなか勝負がつかなかった。

拉致されたとはいえ、大事にされて、いつの間にか情もうつったローマの男と、もともとの親や兄弟が長く戦争をするのを見かねた拉致されたザビー二の女衆が「けんかをやめて~♪」と言い出した。
そこで、ローマはたぶん優勢だったのか、なんだかんだいっても、女性を自分の側に確保してる強みか、ザビー二に対してあつかましいにもほどがある。女性はそのままで、ローマとザビー二は友好国ってことを提案して、和解にいたったって話だったと思う。
ほんまにローマ、こんな建国神話でええんか。

富が蓄積されると集団の中でも泥棒みたいな人がでたりしたかもしれないし、ある程度秩序ができてくると姦通けしからんとかいうルールができだしたかもしれない。

このあたりからいくと、国とは、力で共同体の中の富と女性を守る必要からできたってのが有力でないだろうか?

この「富の蓄積」ってとこは、たみ家の他のいろんなテーマに引っかかってきます。
なんで、赤道近くの国には豊かな国がなくて、アイスランド、カナダ、デンマークなど北欧4国、スイスなど雪深い国はみんな豊かなんでしょうね。
冬が厳しければ、備蓄する、組織がいる、設備をつくる、少なくともこういうことがいるわなあ。
また、いつでも食べ物がないので、あるとことないとこで、何かを媒介に交換する必要に迫られるので、通貨を必要としやすくなるわなあ。
そして、食べ物がつくれないなら、何か他のものを付加価値をつけてつくって売るという選択も出てくるわなあ。
食べ物のあるとこに行かないといけないので、交通の手段や商いが発達しやすそうだし、動くことで、見聞も広がりそう。
おっと富山の薬売りかい。

少なくとも、冬の存在が重要で、冬のある国が冬のない国を凌駕したのは、そうなんじゃないだろうか。

短期の関心しかない者と長期の関心を持つ者との成熟度や強さの違い。
食べて飲んで歌って踊って恋をして、ってだけじゃあいかんかった。

あと、治水など防災の必要がつるむ動機を強くするってのはあったかな。
黄河、インダス、ナイル、チグリス・ユーフラテスのように、氾濫する河の近くは地味が豊かになりやすいので人が増える、でも、治水もしないといけない。
組織も、技術も、学問も発展するわけだ。

そこへ行くと、富山が豊かで学力水準が高いのは、雪は深いし、急峻な北アルプスから急勾配を豊富な水量で砂礫を押し流す地勢から、洪水が多かったからってのは、ちょっと関係がありそう。
古代四大文明や北欧・スイスのいいとこどり、その上、一向宗の土地だから、宗教的に、清教徒のような一歩進んだとこがあったのではと思うと、いろいろつながってくる。
北アルプスを下りるフェーンのため防火上、家と家を離して、結果的に区画整理的に住環境を整備したのも良かったのかもしれない。

④で、国の目的は何か。
これ、たみ家が言ってるのでなくて、19、20歳の法学部で読まされる教科書に軒並み書いてあったのが

国民のためでなく、国の存立自体。

国の目的を国民のためととらえようとした学問的試みは軒並み矛盾をクリアできずに挫折している。

もし、「国民のため」が国の定義に必要なら
ちょっと前のイラクとか北朝鮮とか戦前の日本とか、国じゃないのか?
「国民のためにあるべき」と勝手に言っても、そうでなさそうなとこが国連でもオリンピックでも国として代表出しとるぞ。
そもそも民主主義国家って方が、世界の200ヶ国ほどの中では少数派だろう。
ミャンマーも怪しいし、中国だって怪しいが、今頃、中国は国ではありませんって言うのはないだろ。

国がそうあってほしいってのと、国とは何かをごっちゃにするとややこしい。
そして、むしろ、国は、国民のためでなく自己目的化して暴走する性質を持つ暴力装置と解した方が、国民が民主主義を守る必要性や責務について、良い理解に到達しやすいと思う。

そして、いずこも同じ、暴力を拠りどころにする集団は、儀式や精神論によって求心力を保とうとするのが大好き。
国も暴力団も学生運動の過激派もそうだった。
新入生に飲酒を強要する大学の体育会サークルの新勧コンパも、儀式と精神論による求心力と暴力の典型か。

事実と思うところに基づいて淡々と理解を進めようとすると、たみ家の現時点での理解では、だいたいこういう話になってます。



 
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