遺族の処罰感情とリスクをとる社会 2

2008年04月26日

1980年代に、明治維新以降の殖産興業、富国強兵のモデル、戦後も、経済戦争における富国強兵をしてきたという意味では、同じようなモデルが限界に来たと聞く。

電力、通信などのインフラの整備がつくされたが、国の内なる活用・消化エネルギーが頭打ちになり、「もうお腹いっぱい」になってしまったのではないだろうか?

雑誌にもそれらしいことが書いてあったが、ガソリン税の問題も、道路をつくって、一丸となって、議員さんや自治体を巻き込んで、土建屋さんを中心にお金を地方に流しこんで内需を喚起させてきましたが、「もうお腹いっぱい」になってしまったので、「つくらんでええから、高速道路料金やガソリンを安くしてや。」となってきたのだと思う。
つくっても活用するエネルギーがもう興らんし、払う方のふところも寒くなってる。

1980年代という意味では、それまで、国家一丸となって、社会制度のために個人の感情を押し殺してきて、それが反映されなかったけど、ある程度物質的には満たされて、国家とか社会よりも個人の価値に目が行くようになったことで、刑罰においても、感情に重きを置くように社会がシフトしてきたのかもしれない。

個人的な推測によるところが大きいですが、消費の成熟と似たような意味があると思います。

さて、これまでの殖産興業、富国強兵モデルについては、欧米にそのモデルがあった。

しかし、Japan as No.1 といわれるようになり、外にモデルを求めることができなくなり、みんなで同じ方向を向くような上昇志向が頭打ちになった。
リゲインのあの懐かしの歌「24時間戦えますか♪ビジネスマーン。。。。。ジャパニーズ・ビジネスマーン♪」が、最後の花火だったのかも。

その後、日本は迷走に向かい、市場の自由化やITなどで再度、欧米のマネをしたけど、今のところ国民の気持ちが盛り上がるような形での成果は見えてこない。
もちろん、便利にはなったけど。

先般、インドやブラジルの少子高齢化が来ると書きましたが、日本は、将来の世界情勢の変化に向かって、少子高齢化社会のフロントランナーとして、あるべきモデルを示すことはできるかもしれないと思います。
それは、外に付加価値を発信し、内需を喚起するのではないかと、個人的に期待をこめて、考えていきたいと思ってます。

特に四国は少子高齢化が進んだ日本の中でも、地方ブロックとしては、ずば抜けて進んでいるからより不安もあるんですが、それがゆえに世界のリーダーになれんものか、逆手にとれんものかと夢想したりするわけです。

そして、それらがもたらす富が、きめ細かく配分され、事情によりそれがしにくい状況にある多くの人が結果としての幸福追求の自由を手に入れることで、活力と公益が満たされるのではないかと頭の体操をしておるとこです。

さて、日本は、古くは中国、明治以降は欧米のモノマネをしてきたとよく言われます。

じゃあ、それまで、日本がモデルとしてきたとこは、どうやってきたのか?

昔の中国は強大な皇帝が富と権力に飽かせて、いろんなことをやってきたのでしょうが、これは今の日本にどこまで参考になることやら?

では、産業革命以降の欧米はどうかというと、民衆や個人がいろいろと権力と戦ったり、リスクをとって新しい試みをどんどん行い、社会がそれを奨励してきたのではないでしょうか?

じゃあ、リスクをとって、新しい試みをするのは、やっぱり経費もかかるし、失敗のロスも出るわけです。

それを負担することが能力的にも気持ち的にもできんことには、何であれ、マネはできてもフロントランナーにはなれんのだと思う。

ここまでは、多分に、個人の頭の体操的なところがあるのですが、リスクをとれる環境を整えるための気風のためにも、法のモノサシが客観性に基づかずに変わることや、以前に書いた、KY のような言葉がつくる委縮ムードが、抵触するのではないかと思うわけです。



この記事へのコメント
難しい問題ですね。ただ、わたしも不安を感じているのは裁判員制度です。おっしゃるとおり、きっちりとした客観性に基づく判断をとなると、法律自体、もっと見直しも必要なのかなと感じています。今のままの法律では、裁判員に選ばれたとしても困ります。いまの平均寿命に対して、はたして人を殺しておいて10年前後で刑務所を出てくるというのは、おかしいようにも思います。殺されなければ、もっと長く生きられたのにと思うと、もっと殺人に対しての刑がきっちり法律で重いものになってほしいです。
 重くする事によって殺人の抑止力が働くと思われるからです。こうした場合、遺族がいるとかいないとかにかかわらず、被害者だけでなくいつ被害者になるかもわからない人にとっても共通の利益になると思うのです。
 ただ、刑期が長いと、それだけ刑務所に入っている人に対して費用がかかるというのも難しい問題ですね。
 経済と法律は切り離しては考えられないというのに納得できます。
 長文、すみません。
Posted by 柳下玲優 at 2008年04月26日 19:58
柳下玲優さま
懲役150年とか、アメリカ型もおもしろいと思いますが、日本があまり長い数字使わずに、無期でとどめた理由とかも気になりますね。

自殺したい人が増えたり、刑務所に入りたくて犯罪犯す人がいるぐらいだから、刑罰による犯罪の予防効果が下がってるのかもしれませんね。

刑務所でもITを導入して、費用ぐらい出せるようにIT関係の勉強させて、お金を稼がせたりできないのかな。
通信やパソコン関係って、刑務所の中で邪魔が入らなかったらけっこう高いレベルまでいけませんかね。

セキュリティーはちゃんとチェックして。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年04月26日 22:42
 
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