がんばれるときとは

2008年04月26日

目標を立てて、それにきちんとしたがって、がんばり続けられてるときって、「ああ、自分。がんばってるなあ。」って思って、またがんばれたりしませんか?

褒められたときも、がんばれるってよく聞くなあ。

「自分ってすごいなあ!」とか思えるときもがんばれそう。

自分がやってることが価値があるって思えるときもがんばれそうだなあ。

練習や勉強して、力をたくわえて、成果を外に出したいと思えるときもそうかなあ。

やってて自分に合ってるなあと思うときもそうかなあ。

ほんとにほしいもののためならがんばれるかなあ。

好きなことをやってるときもそうだろうなあ。

切迫したときもまあがんばれますよね。

やってて気分がいいときもがんばれるけど、ときには、苦痛から逃れたいときもがんばれることはあるかなあ。

「がんばれる」って、よくいう「モチベーション」と同じだろうか?

壁をやぶれそうな感触のときもがんばれると思う。

「あしたさぬき」には、医療とか生理学に詳しい方が多そうですが、「熱が40度でも、どんなに疲れてても、眠くても、脈拍を上げることさえできれば、その間は寝込んでても、立ち上がって、とりあえず動くことはできる。」と聞いたことがある。

ほんとだろうか?たみ家のこれまでの経験ではほんとうっぽい。
ただ、それは一時しのぎで、そんなん続けたら、どうやっても脈拍上げられなくなると思うけど。

誰かに支えられてる安心感を感じるときもがんばれるってないやろうか?
誰かのためを感じられるときとかもどうか?
同じ意味で
報酬が保障されてる安心感とがんばれると関係あるかなあ。
家族を自分が支えてるんだって気分もがんばれるに関係ありそうだなあ。

いろいろ書いているうちに、何となく公式化できそうな気がしてきましたが
当面それを止めて、いろんな「がんばれるってどんなとき?」の表現をブレインストーミング的に増やしてみたい。

たぶん、心理学や経営学や人事の本に、そういうことっていっぱい書いてあったと思うけど、それらは、当然のようにまとめてしまっているので、生のいろんな人の表現はあんまり期待できないかな。
まあ、まとめを見た方が、生のいろんな表現に早くたくさん行き着けるかもしれないけど。

意味の重複するものがどんどん出てきそうだけど、気にせずに、何百と増やしていきたい。

いろんな人の「がんばれるとき」を増やすことが、地域の魅力や活力の源になるかもしれないなあ。

その辺りから、数字や資源の裏づけのあることを結びつけて、考えを立体化させていきたいなあ。



 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
がんばれるときとは
    コメント(0)