野球に絶対のリードはないと思う

2008年01月11日

今朝の新聞で読んだところ、プロ野球では、点差の開いた試合での盗塁の個人記録を認めなくするらしい。
進塁自体は認めて、個人記録としての盗塁を認めなくするということだと理解しました。

メジャーリーグもそうらしいけど、たみ家的には理解しづらい。

1イニングに10点ぐらい入る試合はプロでもけっこう毎年あるし、巨人なんか、一時期、先発が降りたら何点リードしてても、しょっちゅうひっくり返されてた時代があったと思う。

それが、9回に起こってもまったく不思議だとは思わない。

商売も企業もしかりで、ダイエーや西武のように、日本一の企業とか資産価値といわれても倒れてしまう。
どうなったから安全・安心というのは絶対にない。

そもそも、野球は、進塁することと進塁を防ぐことを本質とする競技で、点差が開いた盗塁を認めないならホームランの個人記録も認めるべきでないのではないか。
進塁することの本質に違いがないから。

「試合が終了するまで、全力を尽くす。」
「何点開いたから絶対というのはない。」
すごくシンプルな真理じゃないでしょうか。

もし、点差が開いたからといって、ルールにのっとって全力を尽くすプレイの価値を剥奪するのなら、その試合は、コールドにしたら良いと思う。
勝敗が定まらないから試合を続行するのであって、試合が続いている間の進塁にはすべて勝敗につながる価値があるはず。
だから、そのプレーの価値を後から公式記録員が剥奪するようなことを認めたら、試合を進行したことの意味を否定したことになると思う。

スポーツに教育の面があるなら、
「試合が終わるまで油断せずに全力を尽くせ。」
ということは最も価値のあることの一つだと思うので、それが否定されることは残念に思う。


ところで、今まで、点差が開いた試合で、盗塁をすることの弊害ってあったのだろうか?
あったから議題に上ったのかと思うが、何なんだろうか?

個人記録狙いがけしからん、というのなら、
そもそも、個人記録自体、不公平にできている。
投手陣の良いチームの打者は、自チームの投手と対戦しなくてすむ。
東尾・松沼時代とか、渡辺久信・潮崎などの時代の西武の打者なんかかなり得してたと思う。

また、打線全体が強力で、先発投手を崩すことが多いチームの打者は必然的に敗戦処理などの質の低い投手を引きずり出したり、緊張感の少ない場面で打てたりするし、点差が開けば、細かいことをせずに自由に打たせてもらえる。

点差が開いたときが、ホームランやヒットが稼ぎどきであるように、盗塁王を狙う選手にとっても当然稼ぎどきであって良いはずだと思う。

もっと、決定の趣旨を詳しく知りたいと思うけど、現時点の理解では、とても残念で、教育上も良くないと思う。

意見そのものとは関係ないけど、たみ家は、昔は、スポーツ少年団の審判とか、チームの世話役にはときどき行ってました。
「試合が終わるまで、油断するな、全力を尽くせ。」
みたいなことは言ってましたけど。
「俺、間違ってたのか?」
と思わされました。

少年なんか、層が薄いことが多いから、エースが降りたら、10点ぐらい差があっても安心できんことはざらにあります。
巨人の投手陣も一時期そんなんでしたが。
突然投げ初めて、ストライクが入らずに、4連続四球とかなると、向こうもやる気が沸いてくるし。

まあ、何であれ、物事の失敗の原因の最も大きなものの一つは、詰めが甘いことで、言い換えれば、勝手に安心して油断することだと思う。
プロ野球機構のこの決定には、根底で通じるものを感じます。


この記事へのコメント
初めまして。
私も今回のルール改正には懐疑的です。
ただよく聞く意見にある、盗塁を認めないなら本塁打も認めるべきでない、と言う意見はもっと疑問です。
点差の開いた試合の場合盗塁を阻止する努力を怠る光景はよく見かけますが
投手が本塁打を打たれても良いや、と言う感じで投げているのはさすがにお目にかかりません。
現状のままでも盗塁は守備側次第で
記録されるかどうか記録員の判断によることもありますが
本塁打はいつ誰が打っても本塁打です。
この違いは大きいと思うのですが。
Posted by PSY at 2008年01月12日 13:14
PSYさんコメントありがとうございます。

今回のルール改正については、一部の新聞記事がお粗末過ぎたので、たみ家はまだ真実を確認できていません。

盗塁阻止を怠るのと本塁打を打たれない努力を怠るのでは頻度や動機の強さに程度の違いはあるかもしれませんが、それが本質的なものかというと疑問に思います。

集中力の切れた投手からは、そうでない投手から打つのの数倍楽だと思います。
打線の強いチームでも拮抗してるときはそんなに打てないけど、いったん点差が開いたら、ほんとに打つのは楽です。
集中力が切れたからといって、打たれても良いと思わなくても、打たれない努力ができなくなってるケースも多いと思う。

盗塁を阻止するのどんなに点差が開いても常には守備側の義務だと思います。試合が続行している限り、常に最善のプレイを尽くすべきで、それをしないのは冒涜でしかないと思う。
点差が開いても、刺せる可能性があるときに送球を怠るような無気力プレイは、むしろ強制退場ものだと思います。
逆に、野球の攻撃の本質は進塁のみで、本塁打もいっぺんに4つ進める進塁打にすぎないのですから、走者はどんなときでも試合中は全力で次の塁を目指すべきだと思います。

そう思わない人は、少年野球や高校野球でも凡打とわかりきった打球で走れと言っては矛盾すると思います。プロの試合の解説者も、凡打でも全力で走る選手を少年の手本になるとたたえます。

守備側が本来の義務を怠っただけなのに、走者が本来の努力をした結果の価値が奪われるのはおかしいことだと思います。
他に、投手がわざと三振するときは、これは投手の側に三振を記録しないというのはどうでしょうか?打撃意欲のない打者の三振は、守備妨害にカウントするとか。これはまあまあ似ていると思います。

「違う」といったとしても、程度の差だし、その感じ方の違いは、「誰が美人か」とか「どこのうどん屋がうまいか」という程度に文化や習慣に基づくいい加減なものだと思います。

感じ方でどうにでもなることはルールに盛り込まず、事実だけを記録とすべきだと思います。
走者の行動の結果が、野手の行動や動機で変わるってのはおかしくないですか?
野球に他にそんなルールありましたっけ?
走者にしても打者にしても、その行動の結果の記録は守備側の行動に左右されるべきではないと思います。

本塁打と盗塁の違いは、本質的には、やはり無いというべきだと思います。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年01月12日 19:43
お返事ありがとうございます。

大量点差で出てきた敗戦処理の二線級の投手や集中力の切れた投手から打つのは
たしかに比較的容易いことだとは思いますが
それでも必ず打てるのかと言えば否です。
赤星なら殆どの球場でスタンドまで届きません。
しかし全く無警戒、キャッチャーも送球しない
状況での盗塁は誰でも走れます。
バースやブーマーでさえ盗塁を記録してます。
誰でも走れる盗塁と誰しもが打つことが出来ない
本塁打を同系列に扱うのはやはり疑問です。

ちなみに誰でも走れるような状況にしてしまう
守備側の方に問題があるのは同意ですし
ルール改正自体には私も反対です。
全く改正する目的が分かりません。

他人様のブログコメントで長々と論争するのは
本意ではありませんし、うどん屋さんのブログで
野球論戦もなんですので
この件に関しましてはこれにて私のコメントを
終わらせていただきます。
長々と失礼を致しました。
Posted by PSY at 2008年01月13日 09:23
お互いに真剣に考えているから、長く書けるところがあるんだと思います。

真摯なコメントありがとうございます。

確かに、PSYさんのおっしゃるとおり、点差が開いたら、本塁打も打ちやすいと言っても、8割以上の成功率か、オールスターのホームラン競争を見ても、長距離打者にハイ打ちなさいとわざわざ打たせようとしても、2、3割も行くかという点では、難易度は断然違うと思います。

たみ家が、本塁打の記録も取り消したらどうかというのは、その延長には、もっとバカバカしいことがあると言いたかったので、もちろん取り消すことを求めたわけではありません。むしろ取り消すことには反対です。

ただ、なぜに盗塁だけ特別扱いなのかが気になりました。
世代がばれますが、巨人松本と高橋慶彦の盗塁王争いのときは、点差が開いても、走ってくれることへの興味が続いてました。
普通のホームランよりのわくわくしました。
まあ、あの頃の両チームは優勝争いもしてましたけど。

試合全体での点差が開いても、なお、局地戦での真剣勝負が残ってる。
肩の良かった時代の古田と、盗塁王を争う選手の争いは、どんな試合展開になっても、おもしろい。
その方が興行的にもプロ野球のためになるような気がしました。

本塁打を取り消せば、もっとおもしろくなくなることは間違いないと思います。
ただ、そうなる入り口をつくるのは、どうかと言う話で、基本的に、PSYさんとたみ家のスタンスには大きな違いはないように感じてました。
Posted by たみ家 at 2008年01月13日 10:34
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
野球に絶対のリードはないと思う
    コメント(4)