英語の会社での公用化ってどうなの?

2010年07月28日

実際の運用状況がわからないし、意欲的なところはいいなと思うけど、思考能力は言語能力に制限されるところが大きいから、全員が海外居住経験があって英検一級以上の英語力があったとしても、母語にはっきり落ちる限りは会議での発言の質量はもちろん思考の水準そのものが下がると思うんだけど。
携帯電話でも千字ぐらいならそう苦はなく打てるけど、現にパソコンのときに比べたら書く内容だけでなく思考の水準が格段に落ちてるもん。
数千字分の内容の平原が一瞬で見渡せたうえで考えて書くのと、数十字分しか見渡せないのでは、実際に書ける思考の構造や機動力が全然違う。携帯では、哲学、歴史、生物学などを構造の中に関連づけて矛盾なく織り込んだことを確認しながら、人間、社会、そのつながりについて書くよう務めることが難しい。
知識が断片化したり、構造の中に織り込まれないところをまとめきれない。
日本語どうしで時間そのものに制限がなく1人でやってるものでも、更新頻度や量や質に大きな差が出るのに英検一級ぐらいの人が集まっても英語で質の高い発言出来るんだろかと疑う。
それを上回るメリットがあるのかないのか、まったくの素人で部外者ということもあり想像でしかありませんが。


 
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