ハイリスクハイリターン
2009年11月23日
前も書きましたが、金融や投資でハイリスクハイリターンというとき
リスクとリターンは反対言葉ではありません。
リターンはプラスですが
リスクは、変化の大きさのことで、プラスもマイナスも含めて変化が大きいことをハイリスクと言います。
リスクとは変化であり、通常、標準偏差で表します。
損することをリスクと考えるのは完全な間違いで、バッテンです。
数学的に変化は悪であることが完全に証明されているというのもあります。
だから、シャープレシオとかシャープの測度という言葉がFP2級レベルでも出てきますね。
シャープレシオ=(実績収益率-無リスク資産の利率)/投資対象の標準偏差
として、運用成果の変化の大きさである標準偏差が分母になって、投資対象のパフォーマンス評価をします。
変化が投資対象のパフォーマンス評価の分母になるということは、変化が投資のパフォーマンスを原理的に減じるということです。
さて
お勉強の知識を世の中を丸ごと見ようとした関係から捉えなおしてみましょう。
生まれてきたことを投資としますよね。
生まれてきて、どれだけ幸せになるか、豊かになるか。
それを運用成果になぞらえてみましょう。
幸せの方が、客観性が難しいので、資源やおぜにさんを中心とした豊かさで考えるとしましょう。
貧富の差が大きい社会は、生まれてきて、変化が大きいということだから、ハイリスク環境で生活する権利という金融商品を手に入れたようなものです。
通常、変化が大きい投資対象は期待利回りが大きくないと手を出しませんよね。
または余裕資金からじゃないと手をつけませんよね。
つまり同じ総財貨、総生産なら、貧富の差が大きい社会は、ハイリスクだから貧富の差が小さい社会よりも、そこで生きる権利という投資商品の価値は低いということです。
つまりGDP(国内総生産)やNI(国民所得)などの経済指標は、金融商品の利回りの評価するときと同じように、貧富のバラツキで除してやらんといかんわけです。
でないと、日本という国の豊かさを国民の尺度で捉えたことにならんのです。
金融商品のリスク評価は投資家であるおぜにさん持ちのためだからマジメにやる。
でも、おぜにさん持ちや権力者にとっては、庶民の暮らしは自分にはね返ってこない限り無関心。
だから、国のGDPやNIを個人の生産や所得の標準偏差で除して捉えなおした数字こそ重要指標とするという、投資でやってる当たり前のことをやらない。
1人当りGDPではいかんのです。
それでは、5人の年収が、1億円、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロでも平均が2000万円だから実態を表しません。
標準偏差で除して補正しないと国民の豊かさの実態は測れないでしょう。
全体が半分でも5人が1千万の社会の方が豊かそうに思いませんか?
ジニ係数なんかをGDPなんかと独立した指標として、ときどき着目するというのではいかんのです。
いずれにせよ単純平均という幻想しか生まない計算から脱却しないと。
ただ、全体が成長することはバラツキが生まれやすい環境の方が起こりやすい面も従来無かったとはいえない。
これは、今後、留意していくべきことでしょう。
また、ハイリスク商品である社会で生きるには、ハイリスク金融商品には余裕資金での投資じゃないとキツイように、余裕を持った家庭に生まれ落ちてくるか、能力的に優れた才能も持って生まれてこないと、生きることがキツイと言えそうです。
当たり前のことを言ってるわけですが
いっぺん、こういう見方を確認することで
社会全体・丸ごとのあり様について、いろいろ考えるスタートのポジションを獲得することになると思います。
リスクとリターンは反対言葉ではありません。
リターンはプラスですが
リスクは、変化の大きさのことで、プラスもマイナスも含めて変化が大きいことをハイリスクと言います。
リスクとは変化であり、通常、標準偏差で表します。
損することをリスクと考えるのは完全な間違いで、バッテンです。
数学的に変化は悪であることが完全に証明されているというのもあります。
だから、シャープレシオとかシャープの測度という言葉がFP2級レベルでも出てきますね。
シャープレシオ=(実績収益率-無リスク資産の利率)/投資対象の標準偏差
として、運用成果の変化の大きさである標準偏差が分母になって、投資対象のパフォーマンス評価をします。
変化が投資対象のパフォーマンス評価の分母になるということは、変化が投資のパフォーマンスを原理的に減じるということです。
さて
お勉強の知識を世の中を丸ごと見ようとした関係から捉えなおしてみましょう。
生まれてきたことを投資としますよね。
生まれてきて、どれだけ幸せになるか、豊かになるか。
それを運用成果になぞらえてみましょう。
幸せの方が、客観性が難しいので、資源やおぜにさんを中心とした豊かさで考えるとしましょう。
貧富の差が大きい社会は、生まれてきて、変化が大きいということだから、ハイリスク環境で生活する権利という金融商品を手に入れたようなものです。
通常、変化が大きい投資対象は期待利回りが大きくないと手を出しませんよね。
または余裕資金からじゃないと手をつけませんよね。
つまり同じ総財貨、総生産なら、貧富の差が大きい社会は、ハイリスクだから貧富の差が小さい社会よりも、そこで生きる権利という投資商品の価値は低いということです。
つまりGDP(国内総生産)やNI(国民所得)などの経済指標は、金融商品の利回りの評価するときと同じように、貧富のバラツキで除してやらんといかんわけです。
でないと、日本という国の豊かさを国民の尺度で捉えたことにならんのです。
金融商品のリスク評価は投資家であるおぜにさん持ちのためだからマジメにやる。
でも、おぜにさん持ちや権力者にとっては、庶民の暮らしは自分にはね返ってこない限り無関心。
だから、国のGDPやNIを個人の生産や所得の標準偏差で除して捉えなおした数字こそ重要指標とするという、投資でやってる当たり前のことをやらない。
1人当りGDPではいかんのです。
それでは、5人の年収が、1億円、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロでも平均が2000万円だから実態を表しません。
標準偏差で除して補正しないと国民の豊かさの実態は測れないでしょう。
全体が半分でも5人が1千万の社会の方が豊かそうに思いませんか?
ジニ係数なんかをGDPなんかと独立した指標として、ときどき着目するというのではいかんのです。
いずれにせよ単純平均という幻想しか生まない計算から脱却しないと。
ただ、全体が成長することはバラツキが生まれやすい環境の方が起こりやすい面も従来無かったとはいえない。
これは、今後、留意していくべきことでしょう。
また、ハイリスク商品である社会で生きるには、ハイリスク金融商品には余裕資金での投資じゃないとキツイように、余裕を持った家庭に生まれ落ちてくるか、能力的に優れた才能も持って生まれてこないと、生きることがキツイと言えそうです。
当たり前のことを言ってるわけですが
いっぺん、こういう見方を確認することで
社会全体・丸ごとのあり様について、いろいろ考えるスタートのポジションを獲得することになると思います。
Posted by たみ家 at 03:40│Comments(0)│TrackBack(0)
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