知ってる人が多そうなトリビアほか

2010年02月03日

1978年のサザンの「勝手にシンドバッド」は、前年大ヒットの沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」をくっつけたもの。


沢田研二の名前は、親父さんが火薬「研」究所の関連会社に努めていて、「二」番目の子だったから。
高校中退してますが、森光子さんも前身だった同じ学校を中退している。
私立が盛り上がる以前は、京都大学合格者数全国1位になったこともある、名門校だったようです。

糸井重里さん作詞の「TOKIO」のときの電飾衣装は、そのままタケちゃんマンに使い回しされた。
いわゆるお下がり。

ジュリーデビュー以来長年連れ添ったバックバンドのリーダーの井上さんは、だんだんジュリーが派手なパフォーマンスに走っていくにつれ、反りが合わなくなり、「TOKIO」のときにたまりかねてバンドを解散させたそうです。


さて、直接関係はないでしょうが
「神田川」の幸せの続編でもあるかのような歌が沢田研二の「サムライ」

つまり、カノジョとの小さな幸せを振り切って出て行っちゃう。

もう一つ続編っぽいのが、同じかぐや姫の「22歳の別れ」
「あなたの知らないところへ嫁いでいく私にと~って~」

阿久悠さんの方は、やせがまんがもう一度かっこよくうつるような歌をつくりたかったそうだ。



フォークソングって、40年ぐらい前の若モンがロン毛でギター一本で歌うイメージでしたが

フォークって、ドイツ語のフォルクスワーゲン(国民車)のフォルクスみたいなもんで、お国って意味では。

世界中からアメリカに集まってきた移民はありあわせの簡単な楽器でお国の音楽を演奏して歌ったんでしょうね。

そして、比較的、労働者として待遇が良くない層が多かった移民の歌は、労働組合や公民権運動や反戦などと結びついていった。

第二次世界大戦後は、レッドパージで、弾圧されたが、大学では勢いが衰えなかった。
そして全米の大学で、フォークソングが盛んに反戦や平等などの理想主義を呼びかけるものとなった。

そして、アメリカの真似をしたがった日本の大学生が、反戦などをうったえるものとして、やり始めたのが日本版のフォーク。
とくに関西では、共産党のうたごえ運動と結びつくことが多かった。

そして、社会に抗議するプロテスト系のアメリカの歌手の代表が「学生街の喫茶店」にも出てくるボブ・ディラン。

アメリカの、学生運動に熱心な女子に恋をしたノンポリ男が気を引こうと学生運動に入って、ドタバタする映画が、「いちご白書」。


大雑把な現在のところのたみ家の理解。
もうちょっと深めていきます。
  

Posted by たみ家 at 22:07Comments(0)TrackBack(0)

あばよジェニー

2010年02月03日

「神田川」と根っこで通じてるなあと思うのが沢田研二さんの「サムライ」

時代を歌にさせたら歴史上の人物 阿久悠さん


片手にピストル 心に花束~



あばよ ジェニー

オレは行かなくっちゃいけないんだよ~



寝顔にキスでもしてあげたいけど~

そしたら旅立ちが1日延びるだろう

男はいつでも不幸なサムライ 花園で眠れぬこともあるんだよ~


2番

部屋から出たなら~ 冷たい木枯らし~

お前のぬくもりがからだから消えてゆく~




さて こたつ休憩を終えて、また栗林から藤塚の店に旅立たねば~

あばよ ジェニー お前のぬくもり



たみ家は、一般社会理論の研究目的もなく、芸能史なんかやりません。
卑近な例で、社会研究の題材を持たせてるって感じでしょうか。

地域問題解決探求のバックボーンとして調べてるのと

一般理論化するべく「こたつ理論。」

ちょっとこたつは既得権益とか平和ボケとか思考停止とかと、似てるとこありますけどね。

相続税制なんかも関わるかな。
  

Posted by たみ家 at 17:35Comments(0)TrackBack(0)